編集長の独り言


■嵐の夜の晩餐会


 「ごぶさたしています。突然ですが、今夜(嵐の夜?)ってお忙しいですか?」
 知り合いのO嬢からメールが入って来た。O嬢はこちらに来て知り合った、知的で美人のキャリアウーマンである。
 なんでも、横浜のホテルで、昭和初期のスイス人総料理長を偲ぶ晩餐会があり、一夜限りでそのレシピが再現されるとのことであった。当初別の人と一緒に行く予定だったのだが、その人の体調が悪くなったそうで、ピンチヒッターのお誘いであった。
 おいしいものに目がない私はすぐにOKしようと思ったのだが、会社にはクールビズで来ているため、ドレスコードが気になった。O嬢に聞いてみると、特に書いてはないし、自分も勤め帰りのワンピースとのことで、不安ながら行くことにした。
 
 その日は定時を待って速攻で出かけた。久しぶりの横浜駅は「みなとみらい線」というやつができていて、終点の出口を出たら、すぐ目の前が中華街だったのには驚いた。
 強風で傘がお猪口にならないように気をつけながら、海側にすこし歩いていくと、目的地のホテルニューグランドはあった。さすがに老舗らしく落ち着いたホテルである。
 ロビーで待っていると、しばらくしてO嬢はやってきた。大柄の花模様の華やかなワンピース姿であった。おいおい、そりゃないぜと思いながらも、覚悟を決め会場へと向かった。


 会場には、長ーいテーブルが三つしつらえてあり、それぞれ50名くらいの人が座れるようになっていた。開宴を待つ間、受付でもらったパンフレットに目を走らせた。
 ふんふん、このホテルニューグランドの初代総料理長は「サリー・ワイル」というスイス人で、この度その人のことについて書かれた本が出版されたため、それを記念して「サリー・ワイルを偲ぶ晩餐会」を開くというのが趣旨のようである。その本は、神山典士(こうやまのりお)著「初代総料理長サリー・ワイル」定価1800円(税別)発行講談社である。興味のある方は
http://www.the-bazaar.net/
http://the-bazaar.cocolog-nifty.com/koyama/2005/week36/index.html
をご覧いただきたい。


 メニューは1829年に行われた晩餐会のメニューの再現だそうである。
  Hors-d'Oeuvre Riche
   オードブル
  Consomme Ambassadeur
   コンソメ・アンバサドゥール
  Paupiette de Sole Pompadour
   舌平目のポンパドール
  Poussin farci Perigourdine
  Coeurs de celeris etuves
   若鶏のロースト ぺリゴール風
  Feuilles de laitues a l'huile de Nice
   レタスのニース風サラダ
  Coupe du Japon
   和風アイスクリーム
  Friandise
  プティフール
  Cafe
  コーヒー


 出席者は、当然のことながら料理関係者などが大勢出席されているようであった。私たちの席の周りは、ワイン雑誌の編集長や安曇野の村おこしのリーダーなど、偶然にもO嬢の知り合いの方であった。
 さて開宴となり、サリー・ワイルゆかりの方々が祝辞を述べられたが、どうやらサリー・ワイルの弟子たちは日本の料理界のリーダーとして活躍されていたようである。
 乾杯のあと、やっと料理が運ばれてきた。フレンチやワインとなると、なぜかウンチクをたれなければならないという強迫観念が働くようで、マリー・デ・メディチがどうのとか、シャトー何とかがどうのという話し声があちこちで聞こえてきた。私も、ここはひとつ、と始めたのだが、これはいずれ紹介したい。
 1829年の再現だという、その料理は、オーソドックスなフレンチといった感じで、非常においしかったが、目新しさはなかった(当たり前だ)。
 特に、若鶏のロースト ぺリゴール風は、若鶏とフォアグラの組み合わせで、ぼけたようでちょっともの足りず、現代人の感覚からするとステーキの方が一般的かなと思ってしまった。
 さて、満足のうちに、無事晩餐会は終わったのだが、著者の神山氏のいった言葉が気になっていた。
 「本を書こうと思ったら、次から次へと資料や協力者が現れてきて、何者かの意志が働いているとしか思えなかった。」というのである。例えば、ワイルゆかりの店にたまたま訪ねていくと、その日偶然に30年前のワイルの手帳が見つかったりといったことが起こったそうである。私がこの場違いな晩餐会に迷い込んだのも、ワイルの意志かもしれないななどと漠然と思っていた・・・・。


     **********


 さて、その次の土曜日の朝突然電話がかかってきた。江坂のマダムH(本人がこう書けとうるさい)ことハットリさんからである。
 「今日の昼、Fさんに会うのですが、ランチでもいかがですか?」というのである。Fさんというのは、ハットリさんのフランス時代の教え子で、私のドイツ時代の上司のお嬢さんにあたる人である。日頃お世話になっているハットリさんのこと、もちろん異存はないのだが、その日は帰省をしようとして、洗濯中、しかも柔軟剤投入時刻を知らせるタイマーが・・・・。私は、集合場所と時刻を口早に確認し、あわてて支度をして、東京駅へと向かった。

 ランチの場所は丸ビルのBREEZE OF TOKYOという、ながめのよいフレンチレストランである。
 フレンチということで、先日のワイルの晩餐会の話をしてみた。もちろんハットリさんはサリーワイルなど知るべくもなく、ふーん、そうですかってな感じで、その場はそれで終わった。そのとき、彼女は、神楽坂に知人がいて、そこに行くかもしれないと言っていた。
 彼女は、早稲田での学会へ、私は山梨へとあわただしく分かれていった。ワインで、頬がちょっと赤かったけどよかったのかな〜っ。


     ***********


 さて、数日後ハットリさんからメールが来た。
「・・・さて、上京中に、時間が出来て、お話していた神楽坂の奥様にお目にかかることができました。その際に、最初にお話に出たのが横浜のホテルでのパーティのことでした。実は、『初代総料理長 サリーワイル』の著者であられる神山氏が、いつもその方からお話をお伺いしている神山夫妻であることが判明いたしました。ご本も、母の分と2冊いただいて帰りました。
 最後の「スペシャル・サンクス」のところに記載されている「神楽坂マダムS」というのが私の知人です。とってもグルメな方でいつもおいしいところを、ご紹介くださっている方です。
 その際に、特別賞として、ホテルニューグランドの宿泊券とディナー券をプレゼントされたとか。本当に偶然ですね。

 お話の途中で、神山氏の奥様からもお電話が入り、林さんのことも覚えておられたご様子でした。全体写真も見せていただき、クールビズの男性も発見いたしました(笑)!・・・・」

 う〜ん、まさに、何者かの意思が働いているような・・・。
 サリーワイルは私に何をさせようとしているのだろうか?あんまり何もできそうもないけど・・・。
 このHPを見て、何者かの意思が働いていると感じた方は、是非とも本を買うてくだされ。
   (2005年10月)



■キッチンの「創造主」


 久々に読者からのフィードバックをいただいた。同僚のT氏がデュッセルドルフに出張に行ったときに、やはり道を聞かれたそうである。ドイツ語で聞かれ、ぽかんとしていると、ご丁寧に英語で聞きなおしたそうである。
 「いったい何を考えているんでしょうね?」とT氏はメールで書いていたが、本当に不思議である。
 さて、T氏とは昔一緒に合唱でベートーベンの「第九」を歌った仲であるが、「第九」に関連した思い出がある。


 ドイツに行ったばかりの頃、会社でコーヒーカップを洗おうとして、キッチンへ行った。そこにはなにやら貼り紙がしてあった。「使った後の『Schöpfer』を棚にしまってください」とか何とか書いてあったと思う。問題は「Schöpfer」である。「Schöpfer」というのは、「創造主」という意味で、第九の中では、「Ahnest du den Shöpfer, Welt? (創造主を予感するか、世界よ?)」というフレーズで出てくる。
 キッチンの「創造主」とはなんだろう???私は、例によって、早速辞書で調べてみた。すると、「創造者」、「神」という意味に続き、ひしゃく、手桶などという意味があった。その動詞である「schöpfen」は、「すくう」、「汲む」などに続き、古語として、「創造する」と書いてあった。どうやら、ここでの「Schöpfer」は、コーヒーメーカーに水を汲む水差しのことらしい。これは大発見だと思い、何人かのドイツ人に話したが、彼らは逆に「創造主」という意味の方を知らなかった・・・。彼らは、第九を聞いて「水差しを予感するか、世界よ?」と解釈するのだろうか・・・?
 また、やはりドイツに行ったばかりの頃、レストランの駐車場へ車を止めようとして、「『Kunde』用駐車場」という看板を見つけた。「『知識』用の駐車場」とは何だろうと思ったら、「『お客様』用駐車場だった。以降、街で「Kunde」という単語を目にしたが、そのほとんどすべてが「客」という意味で使っていた。
 
 私は、大学の第二外国語でドイツ語を習い、あとは、合唱や歌曲などでドイツ語に触れてきた。そのためか、やや硬いドイツ語か、詩のドイツ語に偏っているきらいがある。一般的に日本人のドイツ語はその傾向があるような気がするが、ドイツ語が、医学や哲学、文学などを通じて日本に入ってきたことを考えると仕方のないことかもしれない。しかも、英語などの場合は、学術用語はギリシャ・ラテン語起源の単語が多いが、ドイツ語の場合、ドイツ語をそのまま学術用語に使っていること、そして日本語が学術用語は漢語をつかっていることも誤解を招く原因となっている。
 ある哲学者は、ドイツへ行って、子供が、「Alles in Ordnung (うまくいってるよ)」と言うのを聞いて、ドイツは子供でも哲学用語を使っている、と感動したそうである。「Ordnung」は「きちんとしていること」であるが、哲学用語として使う場合、「秩序」という訳語をあてているためである。
 ちょっと違うが、私の上司の親戚のお医者さんは、ドイツに来たときに交通情報を聞いて、あぁ、「Stau」とはこんなところでも使うのか、と感心したそうである。「Stau」は交通情報では「渋滞」、医学用語では、便などのつまった状態(医学用語がわからない・・・)を言うとのことであった。
     (2005年8月)


■ムール貝のイガイな謎

 
 またまた、トゥールーズでの話から始まるが、トゥールーズのレストランで、メニューにムール貝を見つけた。カキは「r」のつく月にしか食べるなと言う話は有名だが、ムール貝はドイツではやはり冬の味覚だったような記憶がある。


 ムール貝を一人前頼むと、バケツ(としかいいようのない大きな鍋)にいっぱい入ってくる。ドイツでは、ふつう食事をシェアするのはお行儀が悪いとされているので、皆一人がバケツ1杯を食べる。現地のマネージャの同僚と秘書がやってくれた送別会では、ムール貝の有名な店へ行ったのだが、皆がめいめいバケツを前にし食べる姿は日本人の目からはちょっと異様。それに、はっきり言って飽きるのである。白ワインで味付けた「ライン風」、トマトベースにガーリック風味の「プロバンス風」など、それなりにおいしいのだが、さすがにバケツ1杯ではほかのものも食べたくなる。日本人ばかりで行くときは、もちろん人数分より少な目の量を注文し、皆でシェアする。


 さて、「ムール貝」という言い方は、フランス語「moule」からだが、ドイツ語では「ムッシェル(Muschel)」という(英語で「ムッセル(mussel)」だということを、今回、トゥールーズでCさんから聞いた)。初めて聞いたとき、最初のmと最後のlが共通なので、「moule」と「Muschel」は同じ語源で、「ムール貝」そのものをさす言葉かなと直感した。しかしそのあと、スーパーで買った冷凍ムール貝に、「Miesmuschel」と書かれているのを発見した。また、例の、「帆立貝(Jakobmuschel)」の例もあるため、「Muschel」というのは貝一般のことを指すのだろうと一人納得した。確かに、手元のドイツ語辞典にも「Muschel」は「貝、貝殻」とだけあり、「ムール貝」とは書いていなかった。


 ところが、あるとき「Muschel」はラテン語「musculus」という言葉から派生していることを知り、手元の羅和辞典で調べてみた。すると、「musculus」は、ムール貝そのものであることがわかった。また図書館まで行って、仏語の大辞典を調べると、「moule」も「musculus」から派生していることが確認できた。これでめでたく、「moule」と「Muschel」は同じ語源で、「ムール貝」そのものをさす言葉だということが確認できたのだが、羅和辞典をさらに見てみると、「musculus」には、「筋肉」、「ねずみ」という意味もあるのである。「ムール貝」と「筋肉」と「ねずみ」・・・いったいどんな関係があるのだろう・・・?またまた新たな謎が生まれた。


 これは、一部だが、意外なところに答えがあった。研究社の英和大辞典には、筋肉の動く様子がねずみに似ているからだと書いてあった。なるほどと思いながら、昔読んだはずの本「フランス語語源こぼれ話」というのをぱらぱらめくるとやはり同じことが書かれていたが、ムール貝については一切記述なし。これには「musculus」は「mus」の指小辞であり、「小ねずみ」の意味である、と書いてある。賢明な読者はもうお気づきだと思うが、「mus」は英語の「mouse」の語源であり、「musculus」は「muscle」の語源でもある。たまたま、「muscle」を英辞郎で引いてみたら、珍しく語源について触れており、上記の英和大辞典と同じことが書かれていた。
 ちなみに、ドイツ語で筋肉痛のことを「Muskelkater」というが、これは直訳すると「筋肉の猫」である。「Muskel」の語源を考えると、トムとジェリーを想像してしまい面白い。


 結局、ムール貝と小ねずみあるいは筋肉との関係はわからなかったなぁ・・・。
                                          
  (2005年7月) 


「突撃!トゥールーズ」補遺


 久々のアップデートが、またまたフォローネタで申し訳ない。
 「突撃!トゥールーズ」で書き残したことをちょっと書いてみたい。本編をまだ読んでいない方はこちらを読んでほしい。

 トゥールーズには運河が走っているということは、行く前に経験者から聞いていた。特に名前は聞いていなかったが、例のレストラン「淡水の船乗り・・・」で「Le canal du Midi」という看板を見つけた。「midi」というのは正午のことだと知っていたので、「正午の運河」・・・?おかしな名前なので、「淡水の船乗り・・・」の姉妹店の名前かななんて思ってしまった。
 Cさんに説明され、これがトゥールーズを走る運河の名前だと知った。昼食の終わる頃はもう2時近くになっていたので、私は、「でも、この時間だと・・・」と腕時計を見るふりをした。すると、Cさんは、「そう、Le Canal du Apres-midi(午後の運河)だ。はっはっは」といって笑った。


 ところが、日本に帰って調べてみると、
midi [midi]
(英 noon; south) 〈男〉
@ 《多くは冠詞をとらない》 正午, 真昼.―Le train part a 〜.汽車は正午に出る. a 〜 et demi 12時半に. 〜 un quart 12時15分. 〜 dix 12時 10分Elle arrivera vers 〜. 彼女は正午ごろ着くだろう. apres-〜 午後(に).avant-〜 午前(に). ce 〜 《話》 今日の昼. repas de 〜 昼食. .
A (a) 南.―chambre au 〜 南向きの部屋. salon en plein 〜真南に面した客間. .
  (b) le M〜 南フランス.―Il part demain dans le M〜. 明日彼は南仏へ出かける.
      三省堂 『クラウン仏和辞典』


 なんと、「南仏」という意味があったのである。たまたま、テレビの「フランス語会話」を見ていたら、「Lumiere du Midi(南仏の光)」というコーナーがあった・・・。そういえば、トゥールーズのある地方も「Midi-Pylenees」だったが、これは南仏の意味だったのか・・・。
 確かに「正午」だとは思わなかったが、英語の「midi」を想像し、「中くらい=中部」かなと思っていた。jambonからjumboを連想したSさんのことをとやかく言えない・・・。
 Cさんは、私が当然元の意味を知っていると思って冗談に乗ってくれたのだろうか・・・。
 まっ、ジョークとして成立したし、いいかっ。
 

 さらに辞書を調べると、例の「淡水の船乗り・・・」にもこんな意味があった。
◎marin d'eau douce [de bateau-lavoir] 《話》 素人の船乗り(川船などの船員を からかって).
三省堂 『クラウン仏和辞典』
 ふぅん、運河の船乗りは、淡水ではないが波もないので素人でもできるよ、とからかって いるのだろうか・・・。
 なお、この運河は、世界遺産にも登録されている、由緒正しい運河だということもあとから知った。


 さて、研修中にT社の人たちと写真を撮ったのだが、みんな口々に「cheese」とか、 「whisky」とか言って写った。フランス人たちはなんと言っていたのか、ちょっと聞 き漏らしてしまったが、当然母音として、[ i:]を含むことばであろう。
 これについては、昔、フランス語関連の本で、腕のいい写真家の秘訣というのを読んだことがある。
 卒業写真を撮らせると、笑顔がきれいに取れると評判の写真家がいた。その 秘密はというと、生徒、たとえばカリーヌという名の生徒が、カメラの前に座ると、 わざと、間違え、「おや、君はカリーヌじゃないんだね」という。すると、その生徒は 当然「いいえ、そうよ」と答える。実はその答えが「Mais, si」と[ i:]が入っているため、 しっかり笑顔になるというわけである。
 フランス語の場合、普通は「yes」は「oui」だが、否定疑問文で聞かれた場合、 「si」となる。このあたりは、ドイツ語でも「ja」と「doch」があり、同じ関係なのだが、 それ以前の話として、否定疑問文の答え方の難しさは、英語で経験済みであろう。
 この話をカリーンさんにしたのだが、理解してもらえなかった。Bさんがなんとか理解して、カリーンさんに「翻訳」 してくれたのだが、不発。


 例の「Le bon vivre」でYさんはフォワ・グラを食べたので、その話をあるときした。そのとき、私はまた よせばいいのに、本に書いてあったことを思い出した。
 フランス語には同音異義語がかなりある。フォワ・グラの「フォワ」というのは、ご存知「肝臓」でつづりは 「foie」であるが 同じ「フォワ」と読む言葉に、「fois」(1回、2回などの「回」)や「foi」(信仰)などがある。
 ある、哲学者が、新聞に「信仰の危機」(crise de foi)という論文を載せたが、たいていの人は 「crise de foie 」((暴飲暴食などによる)不快感, むかつき)だと思ったそうである。
 この話をカリーンさんにしたのだが、またまた不発。
                                            (2005年6月) 


 ■ヴィックスドロップの謎


 アメリカ人は男女差別に敏感で、言葉でも性別を特定するようなものはどんどん置き換えているというような話を以前聞いた。現時点でどのくらい進んでいるのかわからないが、key man→key personなどは定着しており、man hole→person holeもALCの英辞郎には載っている。
 これは名詞に性の区別のない英語だから意味があるが、女性名詞、男性名詞の区別があるドイツ語やフランス語ではナンセンスである。人間を表す言葉には、たいてい男性形と女性形があり、それを自然性に振り分けている。こう書くと難しいが、英語でいうと、actor、actressのような組み合わせがほとんどの場合あるということである。アメリカの男女差別撤廃者も、acting personに統一せよとは言っていない(と思う)。ドイツ語の場合、たとえば「会社員」という場合、男の場合Angestelter、女の場合、Angestelteとなる。フランス語の場合、例えば「アナウンサー」は男の場合speakeur、女の場合、speakerineと、英語の「speaker」からの借用語を、ごていねいにも男女別々にしてしまっている。
 セクハラにしても、ヨーロッパ、少なくともドイツはアメリカよりずっと緩やかなような気がする。私の秘書のEさんは会社の机の前に男性ヌードカレンダーを貼っていた。これは上司としてやめさせるべきだったのだろうか、今でもわからない・・・。また、私のボスの秘書のJさんも結構きわどいジョークを受け流したり、自分で言ったりしている。そう、あのstand upのあの人である。
 彼女は、私にドイツ語の俗語を教え、それを言わせて喜ぶのである。いつか、研修で合宿したときの夜、私とJさんは薄暗いバーのカウンターで酒を飲んでいた。彼女は、私の耳元で、ささやくように、「これは絶対に人前では言っちゃダメよ」と言って、ある単語を教えてくれた。それは、「Wichser」というものである(意味はちょっとここでは書けないため、興味ある方は、自分で調べて欲しい)。今度は私が、他の人に聞こえないよう彼女の耳元に「Wichser?」というと、彼女はクックックといって笑った。
 「Wichser」の発音は[ヴィクサー]、動詞の原形は「Wichsen」[ヴィクセン]、語幹は「Wichs」[ヴィクス]である。ここまで考え、ふと疑問がわいた。では、あの、日本でも売られている「ヴィックス・ドロップ」は、ドイツで売られているのだろうか・・・?私は、別の機会にJさんに聞いてみた。はたして、ドイツでもあの三角形のドロップは売られていた。ただし、「ヴィックス」ではなくて「ヴィック」(「Wick」)ドロップという名前になっていたのである。P&GのヨーロッパのHP http://www.eu.pg.com/ourbrands/vickswick.htmlを見ると、やはりドイツだけが異なる名前になっているようである。う〜ん、さすがに日本でも「XXXXドロップ」では売れないだろうなぁと一人なっとくしたのだが、では、日本のヴィックスドロップをドイツ人に見せたらどうなるのであろう・・・?私のいたずら心がむくむくと頭をもたげてきた。
 ちょうど松野さんがデュッセルドルフに遊びにくるという話だったので、日本からおみやげに持ってきてもらうことにした。松野さんは、なぜヴィックスドロップなんか頼むのだろうといぶかしがっていた。
 さて、そのヴィックスドロップをJさんにあげた。「ドイツではヴィックドロッというが、日本ではヴィックスドロップと言うんだ。」とわざわざ説明して渡したが、彼女はふーんと言う顔をしただけであった。では、それならばと、Eさんにも渡したが、反応は同じだった・・・。わたしは意地になり、「ボクシングをする人はBoxerと言うが、では、ヴィックスを食べる人はなんと言うか?」と言うと彼女は顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。ここまでしつこく言うのは私のだじゃれ美学に反するのだが・・・。
(2005年1月)


■ドイツのナンバープレート


 ドイツのナンバープレートのシステムは、さすがドイツだけあって、なかなか合理的にできている。標準的なナンバープレートは下図のようなものである。


 一番左側の部分、すなわちブルーの部分であるが、星のマークはご存じEUを表し、その下のアルファベットは国を表している。ここでは"D"となっていて、これはドイツを表しているが、"F"はフランス、"I"はイタリア、"S"はスウェーデン、"L"はルクセンブルク、"B"はベルギーといった具合である。さて、ここから少し難しくなるが、"E"、"GB"、"NL"はというと、それぞれ、スペイン、イギリス、オランダである。
 では、問題です。EU加盟国でなく恐縮だが、"CH"というのはどこの国でしょう?
 答えは、「スイス」である。これはラテン語の"Confederatio Helvetica"から来ている。"Confederatio"は英語にも"Confederation"という言葉があるが、同盟とか連邦といった意味である。いってみれば、「ヘルヴェチカ連邦」とでも訳せるだろう。では、「ヘルヴェチカ」というのはなんだろう・・・?私が最初に「ヘルヴェチカ」という言葉を知ったのは、20年くらい前、マック(マッキントッシュ)のフォント名としてであった。あの頃はアルファベットのフォントの豊富さ、美しさに比べ、日本語フォントのなんと貧弱だったことよ!
 その頃から、ずっと漠然と単なる地名だろうと思っていた。ところが最近ローマ関係の本を読んでそれが古代ローマ時代のガリアの部族名だということを知った。カエサルの「ガリア戦記」や塩野七生さんの「ローマ人の物語」のなかに出てくる「ヘルウェティイー族」というのがそれである。カエサルのガリア総督の1年目に、ヘルウェティイー族はゲルマン人に押され、移動を始める。移動先の別部族との間で戦いとなり、ローマ軍が介入し、ヘルウェティイー族は敗れ、元の居住地に戻される。カエサルがいなかったらスイスはフランスのどこかになっていたか、あるいは存在しなかっただろうと塩野七生さんは書いている。
 ところで、今年のNICKのサマーパーティをやったヴェネツィア料理レストラン"Due Galli"であるが、これは「2羽の雄鶏」の意味である。"galli"は"gallo"(ラテン語ではGallus")の複数形であるが、この"gallus"には「ガリア人」という意味もあり、昔のローマ人はこのしゃれを喜んで使ったそうである。現在のフランスのシンボルが雄鶏であるのはこれに由来するらしい。


 ええっとなんの話だっけ?そうそうナンバープレート。ドイツのナンバープレートで次のアルファベット(この例では"HH")は都市や町を表している。ここがドイツ人の合理的なところであるが、この桁数が都市や町の規模に応じて1桁、2桁、3桁の3種類あるのである。1桁の都市は人口数十万規模の大都市で、これは完全に都市の頭文字を示している。2桁、3桁になるとその都市や町の規模は小さくなるがどのくらいの規模かは調査不足である。申し訳ない。
 アルファベットと都市の対照表は、ドイツで市販されている地図には記載されているが、すべてドイツに置いてきてしまったため、インターネットで検索してみたら、よいサイトが見つかった。興味のある方はのぞいてほしい(ただしドイツ語・・・)。
 http://www.kennzeichen.org/index.htm
 1桁都市は、さすがにそれほど多くなく、欠番になっているアルファベットがいくつかあるため、全部で19種類になっている。
 1桁都市のいくつか例をあげよう。まずは初級編。たいていの日本人ならば知っていると思われるものは、"B"、"D"、"F"、"K"、"M"といったところか。"B"はベルリン。同じBから始まるかつての首都ボンは"BN"である。"D"はわれらがデュッセルドルフ、"F"はフランクフルト、"K"はケルン、"M"はミュンヘンである。


 次は中級編。人によっては初級に入るかもしれない。答えを聞けば、ああ、なるほどと思うだろうが、頭文字から都市名を思い浮かべるのはちょっと難しいといったレベルである。これは、"A"、"E"、"H"、"L"、"N"、"P"、"R"、"S"であろうか。"A"はアウクスブルク。これは歴史ではフッガー家で有名だが、現在ではなんか影が薄いなー。"E"はエッセン。これも昔地理で工業都市として習ったなーという人が多いだろう。"H"は大都市が2つあるため、中級としたが、ハノーファーが正解。ハンブルクは上の図の"HH"である。上記のHPによると"Hansestadt Hamburg"とあり、最初の"H"はハンザ同盟都市を表すらしい。いまだにそんな歴史的呼称が残っているのには驚く。"H"で始まる2桁都市で、この"Hansestadt"には"HL"リューベックなどがある。"L"はライプツィヒ、"N"はニュールンベルク、"P"はポツダム、"R"はレーゲンスブルク、"S"はシュツットガルトである。


 さて、上級編であるが、私も調べてみるまではまったく聞いたこともなかった都市が入っている。
 "C"は"Chemnitz"という都市だそうである。どこそれ?という感じで読み方すらおぼつかない。三修社の辞書によると[ムニッツ](中性名詞):(都市名)ケムニッツ(ドイツのザクセン州の都市,1953年から1990年までKarl‐Marx‐Stadtと称された)とある。
 "G"も"Gera"ゲーラというテューリンゲンの都市らしい。
 "J"も"Jena"イェーナというテューリンゲンの都市らしい。こちらの方はイェーナ大学が歴史に出てきたような・・・?
 "V"は"Vogtlandkreis in Plauen, Kreis "とある。何じゃ、こりゃ。
 "W"は"Wuppertal"。上級編で私の知っている唯一の都市である。デュッセルドルフの近くにあるため、たまたま知っているのだが、日本にいるときには聞いたこともなかった。どうも世界で初めてモノレールが開通した都市らしいが、そのモノレールは今も健在である。
 "Z"は"Zwickau, Stadt Zwickauer Land in Werdau, Kreis とある。これもパス。
 軽い気持ちでこの文章を書き始めたが、上級編でどっと疲れてしまった。
 ドイツはまだまだなじみのない地名が多いということなのだろう。誰かが、ある国との親密感をはかるには、その国の固有名詞が50以上いえるかどうかがバロメータだと言っていた。我々にとってもっともなじみの深い外国というともちろんアメリカだが、もし、アメリカで、アルファベット順に大都市をあげていったら、知らない都市はどのくらいあるのかな。
 (2004年9月)


ドイツで驚いたこと その2


 当然のことながら、ドイツ人も誕生祝いや送別会などちょっとしたパーティがある。日本の場合、お祝いをされる人が主賓となり、友人や同僚が金を出し合って招待するのであるが、ドイツでは反対となる。つまり、お祝いされる方が金を出して、友人同僚を招待するのである。会社での誕生日の場合、本人が手作りのケーキとコーヒーなどを用意し、皆にふるまう。みんなはそれを食べながら、30分くらいだべるのである。仕事の場合、公用語の英語ですむが、こういったおしゃべりまで英語で強制できないため、ドイツ語の世界となる。私のドイツ語ではまったく歯がたたないため、秘書と英語でしゃべったり、唯一の日本人のMさんと日本語でしゃべってしまう。なお、これは定時内であるが、既得権として認められている。私のセクションは20人ほどだったので、月に1,2回誕生祝いをやっていたことになる。
 私自身の場合はというと、初年度はさすがに勝手を知らないだろうということで、あえて慣習を破って、ドイツ人の部下たちが祝ってくれた。これにはさすがにじんときてしまった。何しろ私の誕生日は5月5日。そう、日本では祝日のため、会社では祝ってもらったことがなかったのである。2年目は自分でケーキを買って来たのはいうまでもない。
 さて、誕生日の場合はケーキとコーヒーだけであるが、送別会(留別会?)の場合はアルコールが許されるが、ビールとスパークリングワインが定番である。当然、チーズやポテトチップなどのおつまみも必要となる。私の場合、最後の大盤振る舞いということで、なんと300ユーロも投資してしまった。
 (2004年9月)


  写真は会員のページでごらんいただけます



■土曜日はインマーマン


  会員のページでごらんいただけます。


ドイツで驚いたこと その1


 このページもすっかりご無沙汰してしまった。前回の日付を見たらなんと2003年8 月!なんと一年も更新していなかったことになる。
 書きたいことがなかったわけではないが、忙しさにかまけてしまった。少しずつで もこまめに書き留めていくようにしよう。
 さて、ドイツに行って驚いたことがいくつかあるが、その一つはドイツ人(少なく とも日本人から見たいわゆるガイジン)に道を聞かれることである。これは私だけで なく、何人かの日本人も同様な感想をもらしていた。道を歩いていると、いきなり 「すみません、XX通りにはどういったらよいのでしょう?」と聞かれるのである。も ちろん、ドイツ語でである。行ったばかりの時は、まずいきなりドイツ語で話しかけ られ、面食らう。また、ドイツ語が聞き取れたとしても、場所は当然わからないた め、しどろもどろで「すみません、わかりません」ということになる。
 聞かれるのは道ばかりではない。コインランドリーでは機械の使い方を聞かれたり、 両替を頼まれたり、スーパーのワイン売り場では、「イタリアワインのseccoとは ドイツワインのtrockenのことか」と聞かれたりした。
 ドイツに赴任する十年以上も前に、新婚旅行でドイツを訪れたことがあり、 そのときにも道をきかれるという経験をした。それはミュンヘンで夜遅く、妻とホテルへ 向かっているときだった。街頭のともる比較的明るい道ではあったが人通りはまったくなく、 車の通りもまばらであった。そこへ一台の車がすうっと近づいてきて、我々の 横に止まった。そして長身の男が降りてきた。我々に一瞬緊張が走った。結局道を聞かれただけだったが、 このときはさすがにびびってしまった。
 ミュンヘンの場合は、ほかに人通りもないため、仕方ないと思うが、デュッセルド ルフの場合は他にドイツ人もたくさんいるのに、よりによってなぜ明らかに外国人と わかる人間に道を聞くのだろう?私はイタリア人を奥さんに持つ、在独二十数年のM さんに聞いてみた。Mさんもそれは昔から不思議に思っていたという。「イタリアで もイタリア人は多分日本人には道を聞かないでしょう。でも、イタリアの場合は、 何人かのイタリア人に聞いて違う答えが返ってきたら日本人に聞くかも知れませんね。 いい加減に答えるイタリア人と違って、日本人は、知らないときは知らないって言いますから。」なるほど、日本人が道を聞 かれるというのは、ドイツあるいはデュッセルドルフの現象で、また、イタリアには、イタリアの事情があるようである。別の機会にMさんはこうも 言った。「イタリアでも日本でも、里帰りすると僕らはガイジン扱いなんですよ。でも デュッセルドルフでは特別扱いされないので居心地がよいですね」
 どうやら、日本人が道を聞かれるというのは、デュッセルドルフが国際都市であるため、 我々がガイジン扱いをされていないからのようである。しかし、ドイツに来たば かりの頃はよく聞かれたのに、ドイツ語も地理もわかるようになってからは あまり聞かれなくなったのはどう説明づけられるのだろう・・・。 (2004年8月)


■「Prêt-à-manger」のつづき



 しばらくごぶさたしてしまった。単なるフォローネタで申し訳ないのだが、先日ある本を読んでいたら、 「Prêt-à-manger」は、フランス政府が正式に決めた、「fast food」のフランス語訳だとの 記述があった(何の本だったかは思い出せないのだが...)。ふぅん、そうすると「Prêt-à-manger」は 単なる造語ではなく、正式なフランス語の借用ということになる。ただし、「Prêt-à-manger」の 1号店ができたのは1986年で、こちらの方が先に名乗った可能性もある。
 早速、日本の「プレタ・マンジェ」のホームページを検索したところ、次のように書いてあった。


 ※プレタ・マンジェ(Pret A Manger)とは、「ready-to-eat できたての食事」というフランス語の造語です。


 フランス語の造語というのは、まだ許せるにしても、「ready-to-eat できたての食事」はアカデミー出版も顔負けの「超訳」だよなぁ...。
 ちなみに英国の本家の方のホームページをざっと見たが、「Pret A Manger」(英語風のため、アクサンなし)とは どういう意味かという記述は見つからなかったが、ふつうの「prepared」や「fast」foodに使われる添加物を排し、 品質を追求しているというくだりがあった。英国人は説明抜きで、「Pret A Manger」のおよその意味はわかるからかもしれないが、 あえて、「prepared」「fast」foodとの差別化を図っているのに「ready-to-eat」と明示的に説明してしまうのは マイナスになってしまうからだろう。
(2003年8月)


■βカロテン


 先日テレビを見ていたら「βカロテン」という言葉を使っていた。おや、「βカロチン」では?と 思って見ていると、「βカロチン」というのはもともとドイツ語からの呼び方で、今後は英語からの「βカロテン」 という呼び方に統一するとのことであった。
 このように、英語の勢力はますます広がり、反対にドイツ語の立場はますます弱くなってきている。病院の カルテも英語になっているらしいし、ドイツ語の学習者も減っているそうである。三田ではテレビ講座のテキスト もドイツ語は扱っていないところが多い。そう言えば、国連の公用語にもなっていない...。イラク問題の国連で の議論を見ていても、英、仏、ロ、中、西の代表はは自分たちの母語でしゃべっていたのに、ドイツ代表は英語で 話していた。ドイツ語を苦労してかじった身としてはいささかさびしい気がする。
 ドイツ語以外の外国語も肩身の狭い思いをしているようだ。「スコール」という清涼飲料水があるが、これは たしか昔は「skål」と「a」のうえに丸があったはずだったが、今会社の自動販売機で売られているものには 丸がなく、「skal」になってしまっている。また、仕事の上でも、長さの単位に「Å」(オングストローム) を使わず、「nm」(ナノメートル)を使うようになってきている。もっともこっちのほうはあまり言葉自体とは 関係ないかも知れないが...。
 ドイツ語がマイナーになってきているのは、現代のドイツ文化があまりぱっとしないせいでもあるだろう。 ドイツにいたとき、テレビをみても、ポップス系の音楽番組はアメリカからの輸入もんが多いし、ドイツの音楽 番組はというと、いわゆるVolksmusik(民謡)のようなものになってしまう。
 一方、フランス文化はファッションと食の分野で独特の地位にあるため、フランス語も堅調である。最近のコマ ーシャルでもフランス語を学ぶ女性がでてくるものが目に付くし、日本にも店のある、イギリスのサンドウィッチ 屋さんの名前にもフランス語が使われている。「Prêt-à-manger」は「prêt-à-porter」 からの発想のネーミングだと思うが、英語に訳すと「ready to eat」であり、理にかなった命名である。以前、日本の建て売り住宅の名前で「プレタメゾン」というのが あった。これも「Prêt-à-manger」と同様、「prêt-à-porter」からの発想であろうが、 こちらの方はちょっとおかしい。「Prêt-à」のあとは動詞が来なければならず、 「Prêt-à-habiter」(habiterはliveの意味)とでもいうべきであろう。
(2003年4月)


■ホタテ貝のつづき


 前々回のこのページでホタテ貝の話にふれたが、先日NHKの番組で、この起源について説明していた。番組はスペインのサンチャゴ(チリのではない)への巡礼の話を紹介していた。いいつたえとして、昔、サンチャゴへの巡礼者が嵐にあい、おぼれそうになった。そのとき彼が、「サンチャゴ!」と叫ぶと奇跡が起き、助かったというのである。そのとき体についていたのがホタテ貝であったため、巡礼者はホタテ貝を身につけるのだという。そう、「サンチャゴ」はスペイン語で聖ヤコブのことのことである。私は「mise en bouteille」のときのような爽快感を覚えた。(2003年2月)


■ブロードバンドがやってきた


 
多忙をいいわけにして、ずっとこのコーナーをサボってきたが、今日は久々のアップデイト、しかもインターネットネタである。
 帰国してから、ブロードバンドというやつをやってみたくていろいろ検討してみたが、なかなか決心がつかなかった。本命は価格の安さ、導入の容易さの点からADSLだったのだが、どうもウチの近所は途中が光ファイバーでつながっているそうで、ADSLはつながらないとのことであった。頭にくるのはウエッブ上のリストではADSL導入可能地域になっているのだが、実際に申し込むと、不可という返事が返ってくるのである。
 残るはケーブルTVと光ファイバーであるが、ウチの近所のケーブルTVはすこぶる評判が悪い。解約時に法外な装置の撤去料を取られ、そのうえ通常のテレビも見られなくなったというような話も聞いた。かくなるうえは、ちょっと高いが、清水の舞台から飛び降りるつもりで光ファイバー導入を決めた。光ファイバーもプロバイダ料込みのものと回線のみのものがあるが、NICKホームページの読者の便宜を考え、アドレスが変わらないように、回線のみのBフレッツにした。
 またユーザーとしての私の不満とは別に、妻はインターネット接続時の配線がじゃまになると文句を言っていたため、無線LANで接続することにした。

 そんなわけで、導入した光ファイバーであるが、公称100Mbps、NTT直結で85Mbpsくらい、プロバイダ経由では35Mbpsくらいになってしまう。さらに、家の中の無線LANは11Mbpsのを使っているが、暗号化をかけると3.5Mbpsくらいに下がってしまう。それでもモデムに比べると格段に早い。川井さんに以前忘年会の写真を送ってもらったが、なんと8MB(!)のサイズであったため、モデムではあけられなかったので、そのまま放っておいた。ところが今回は、ほんの20秒ほどでダウンロードできたのである。
 
 我が家はブロードバンドになったとはいえ、まだまだモデムの読者も多いはず。重いホームページにならないように気をつけなくては。
 今回はパソコンオタクのホームページのようになってしまい、申し訳ない。(2003年2月)
 
■ネクタイとクロアチア

 ずうっと昔、故遠藤周作氏のエッセイを読んでいて、おやっと思ったことがある。以前フランスに留学していた遠藤氏がイタリアへ 旅行に行ったが、イタリア語がわからない。そこで、フランス語の語尾をイタリア語風に替えてごまかしたというのである。ここまでは よい。が、例として、ネクタイのことを「ネクチーノ」と言ったというのである。当時、私はフランス語やイタリア語でネクタイを 何というかは知らなかったが、漠然とおかしいなという印象を受けた。「neck tie」というのはあまりに即物的な、がちがちの英語で ある。ファッションの本場フランスではもっと違う言い方をするに違いないと思ったのである。
 実は、ネクタイはフランス語では「Cravate[クラヴァットゥ]」、イタリア語では「Cravatta[クラヴァッタ]」、ドイツ語でも 「Krawatte[クラヴァッテ]」という。ドイツ語の単語帳とイタリア語の辞書によると、これは「クロアチア」がなまったもので、 昔クロアチア人の騎士が首にスカーフを巻いたことに由来するらしい。独仏伊にはモノとともに名前も伝わったが、英国へは名前だけが 伝わらなかったようである。
 
一般にヨーロッパは共通の文化の根を持っているためか、異なる言語でも似たものが多い。
 前回、ずぼらをして「白菜」を英語で何というか調べず、アップロードしてしまったが、知人の佐々木さんから、「chinese cabbege」と 教えていただいた。現在パリに短期留学中の佐々木さんによると、フランス語では「chou chinois」というそうである。実はドイツ語では 「Chinakohl」というのだが、英独仏いずれも「中国キャベツ」という意味なのは面白い。
 また、「タンポポ」もフランス語では「dent-de-lion」、英語もこれから派生した「dandelion」だが、ドイツ語もなんと「Löwenzahn」 で、同じ「ライオンの歯」という意味である。葉のギザギザを見て、たまたまフランス人、ドイツ人(当時フランス人、ドイツ人という 概念はなかっただろうが便宜的にこういう)が同じ発想をしたのか、それともどちらかが先にあって、もう一方が単純に訳したのかは わからない。
 ナスは英語では「eggplant」だが、独仏では「Aubergine」といい、雰囲気的にフランス語からの借用っぽい。ただし、 ドイツ語では「Eierfrucht」という言葉もあるらしく、直訳すると「卵の果実」である。これも英語と発想が同じだが、ナスを果実と認識 しているのがちと違う。ちなみに「Eierfrucht」という言葉は辞書では見つけたが、スーパーで見たことはない。

 さて、いままで、英独仏で同じものを見てきたが、「ネクタイ」のようにで英語だけ別格というのも結構目に付く。例えば「家具」で あるが、英語ではご存じのとおり、「furniture」というが、ドイツ語では「Möbel」、フランス語では「meuble」である。独仏ともに「mobile」と 同じ語源であり、独仏では家具は持ち運びするものという認識である。ちなみにドイツではキッチンも家具の範疇に入っていて、引っ越しの時は 持って行ってしまう。私も家を借りたときはキッチンはおろかカーテンレールや電灯さえなく、がらんどうの箱状態であった。カーテン レールや電灯は自分で付けたのだが、コンクリートに電動ドリルで穴を開ける作業は生まれて初めての重労働であった。日本でいうボール盤が ドイツ語のBohrmaschineからきているのもそのとき初めて知った(それまでボール紙と同じ「board」が語源だと思っていた)。
 ホタテ貝はフランス語では「coquille Saint-Jacques」、ドイツ語では「Jakobmuschel」というらしい。なぜかは知らないが、どちらも聖ヤコブの 貝であり、キリスト教文化が香るところがヨーロッパヨーロッパしていてよい。ところが、英語では「scallop」というらしく、あまり面白く ない。(2002年9月)


■デュッセルドルフのドイツ語事情その2


 前回、デュッセルドルフの日本人のドイツ語学習事情について紹介したが、今回はデュッセルドルフのドイツ人の話すドイツ語 について書いてみたい。
 ドイツにはいくつか方言があるらしいのだが、デュッセルドルフのドイツ語は大きく分けて、「低地ドイツ語」というやつの仲間にはいるらしい。 学校などで習う、いわゆる「高地ドイツ語」というやつといくぶん違っているらしい。
 まず、発音についていうと、「R」の発音が特徴的である。大学でドイツ語を習うまでは、ドイツ語の「R」は巻き舌で発音するものと 思っていたが、現在では、バイエルンなどの南の方でしか巻き舌で発音されていないようである。テレビの「ドイツ語会話」では、うがいを するように、のどちんこを震わせる「のどびこ音」を教えていた。デュッセルドルフの「R」の音はほとんどのどびこも震わせない、のどの奥から [ハ]のように発音する、いわゆる「パリのR」と似た発音である。驚いたことに件の早稲田出身の先生は、この「R」の発音記号を「バッハ(Bach)」の [ハ]と同じ[x]で表していた!!(ちなみに文具で「イクシーズ」というブランドがあり、「[ixi:z]」と表記されていたが(現在もあるかな?)、 これは明らかな誤りである。これではせいぜい[イヒーズ]としか読めない。)ただし、アナウンスなどで、はっきりと言う場合は、巻き舌で発音する こともある。デュッセルドルフの日本人学校の日本人のドイツ語教師は、「R」を巻き舌で発音するように教えていた。ドイツ語を習い始めた うちの子供達は、先生の教える発音と実際の発音の違いに気づき、舌を巻くか巻かないかが大きな関心事となっていた。街で人が話しているのを 聞き、「あっ、巻いとぉ!」と言うのを聞くと、たいていイタリア人だったりする。子供の観察力には大人も舌を巻いてしまう...。

 また、「・・・ig」と表記される語は、標準語では[・・・イヒ]と発音されるが、デュッセルドルフでは[・・・イク]と発音される。デュッセルドルフには 高級ブティックが軒を連ねる「ケーニヒスアレー(Königs allee)」という通りがある。これは地元の人は[ケーニスアレー]と 発音している。なんと、地下鉄の案内までも[ケーニスアレー]と言っている。

 ところで、有名な話だが、ドイツ語の相づちに「Ach so.」というのがある。これは、日本人には「あっ、そう」と聞こえ、意味も全く 日本語と同じである。また、デュッセルドルフの方言で、語尾に「・・・ネ(ne)?」とつける場合がある。これは英語でいうと、「isn't it?」 とか、「don't you?」などといった類の付加疑問に相当するため、日本語で「・・・ね?」というのとよく似ている。そのため、私も ついつい英語でも使ってしまう。
 この「Ne」というのは、デュッセルドルフ辺りでは、標準語の「Nein(ナイン)」に代わって、「No」の意味でも使われる。この辺では 「Nein」というのをついぞ聞いたことがなく、みんなネーネー言っている。
 当時、私はよく、会社の近所の韓国料理屋やデュッセルドルフ市内の韓国カラオケスナックに行っていたのであるが、面白いことに韓国語の 「ネー」は「Yes」の意味なのである。ドイツ語で「No!」と言っているのを、韓国語と間違えて、つい...ということはなかったのだが..。(2002年9月)


■にせの友達

 ドイツのスーパーで買い物をしていて気が付いたのであるが、商品の名前の書かれている札のことをドイツ語で「エチケット(Etikett)」と いう。「何で礼儀作法が???」と不審に思ったのであるが、その後、ワインに興味も持つようになり、フランス語でワインのラベルを「Etiquette」と いうのも知った。フランス語の辞書で引くと、1)(商品・荷などの)札, ラベル, レッテル, 値札.(三省堂 『クラウン仏和辞典』)とあり、3)として (宮廷や公式の場での)礼儀作法, エチケット 《着席順位の札を身につけたことから》とある。つまり、もともと宮廷や公式行事での名札が語源で、 それから我々におなじみの深い礼儀作法という意味があとからできたらしいことがわかる。調べると、ドイツ語には「Etikette」という、礼儀作法 と言う意味の女性名詞もあった(Etikettは中性)。英語では、名札の意味はもともと入ってこなかったか、途中で消えてしまったらしく、辞書には 載っていない。

 このような言葉は他にもあり、例えば「Chef」という言葉だが、これはドイツ語ではふつう「上司」という意味で使われる。英語には、(日本語にも) この言葉は料理とともに入ってきたらしく、英語・日本語ともに、料理長あるいは単に料理人をさす言葉となっている。
 この様に、異なる言語間で形は同じだが、意味がちがう言葉をフランス語で「faux ami」といい、「 (翻訳などで間違える)まぎらわしい語.」と 辞書にも載っている。 直訳すると「にせの友達、不実な友」となる。最近、ドイツ語にも「falsche Freunde」という、まったく同じ意味の言葉があるのを知ったが、 こちらの方は辞書に出ていなかった。英語でも「false friend」なる言葉を探そうとしたが見つからなかった。
 独英の「falsche Freunde」にどんなものがあるか例をあげてみよう。「Kaution」は「注意」ではなく、「敷金」の意味だし、「Protokoll」は「外交 儀礼」や「ネットワークのプロトコル」ではなく、「調書」や「議事録」の意味、「Fabrik」は工場、「Labor」は実験室....。といった具合である。
 仏英になると、独仏よりももっとあるのではないだろうか。泉邦寿著「フランス語を考える20章」(またまた白水社)によると、1066年の「ノルマン征服」と その後のおびただしい量のフランス語とフランス文化の流入が原因としていて、例として、「lecture」、「film」などをあげている。フランス語では、 「lecture」は読むこと、「film」は映画のことを意味する。
 私が今、すぐに思いつくものとしては、「appointement」があるが、これはなんと「給料」のことである。(2002年9月)


■デュッセルドルフのドイツ語事情

 デュッセルドルフは人口約60万人のうち、6千人が日本人である。100人に1人というと、多いような少ないような数であるが、実際は 居住しているところや仕事場が限られているため、そこでの日本人密度はもっと高い。したがって、日本人相手の商売も十分成り立つ。
 通称「日本人通り」とも呼ばれているインマーマンシュトラッセは日本領事館、JAL、ホテルニッコー、高木書店、日本料理店、日本食材店が 軒を連ねている。
 日本人相手で画期的な商売の一つに、語学学校がある。日本人駐在員、というよりむしろその奥様方をターゲットとした学校で ある。なにしろ、たいていの企業は、駐在員の現地生活支援のため、語学補助金を出している。それも結構まとまった金額であり、しかも 使う方も自腹ではないので大盤振る舞いのため、そこを狙ったうまい商売が成立するのである。
 なによりも特徴的なのは、ドイツ人の先生が、日本語でドイツ語を教えてくれるのである!妻が最初に行った学校の先生は、早稲田に留学した ことのある、奥さんが日本人のスラブ系ドイツ人であった。家の近所にも日本語のできるドイツ人の先生が経営している語学学校があり、 子供と妻はそこにも通った。そこは、実際教える先生はドイツ語での授業で行っていたらしいが、授業料の交渉などは日本語だそうである。 授業料の交渉はともかくとして、個人的には、成人の場合は文法の学習は母国語の方がわかりやすくて良いと思う。
 さて、前に述べたように、デュッセルドルフは日本人相手のインフラが整いすぎているため、よっぽど意志が強くないと、ドイツ語なしでも 生活ができてしまう。とくに日系企業の場合、社内の公用語が英語というところが多く、そのためドイツ語があまり上達しない人が多い。
 私自身はというと、Berlitzに通ったのだが、6ケ月コースを2年がかりでやっと終えた。日本にいたときも少しはできたのだが、そのときよりも なんだか力が落ちてしまったような気がする。これは、ドイツ語が、日本にいるときよりはるかに高いレベルを要求されているためであろう。 とはいえ、実生活に密着したドイツ語という点では、やはりドイツに住んでいるといないとは大違いである。スーパーに売っているものの名前などは ドイツ語で言えても、英語で言えないものも多い。例えば白菜は英語ではどういうのだろう?


 ところで、ドイツ語の学習というと忘れられない人がいる。毎晩10時頃に見回りに来る会社のガードマンで、頭のはげたいつもにこにこした おじさんである。いつも立ち去るときに、「チュース(さようなら)」というので、われわれ(日本人出向者)は、「チュースおじさん」と呼んでいた。 ある時から私は彼にドイツ語のことわざを教えてもらうようになった。1日一つでも続けると相当な数になる。最初はPOST-ITに書いて、パソコンの モニタに張っていたのだが、どんどん増えてきたので、パソコンに入力した。このデータは今でも残っていて私の宝物になっている。頭の 中に残っていないのが、ちと寂しいが...。(2002年9月)


■シンデレラの靴


 
先日のA新聞の「天声人語」(といえば分かってしまうか...)にシンデレラの靴の話が載っていた。シンデレラのガラスの靴は 実は毛皮の靴だったというのである。もちろん、「天声人語」のことであるから、これは単に前振りで、 そのあと田中真紀子の話へと続き、「退場」だけはシンデレラ風であるが、物語の世界からは遠い現実の世界である、と結んでいる。
 ところが私の手元にある本には、さらにそれがガセネタだったという話がのっている。田桐正彦著の 「フランス語語源こぼれ話」(白水社;たまたま、「天声人語」の参照している本も白水社刊である。)によると、作者シャルルペローは、銀栗鼠の毛皮と言う意味のヴェールvairのつもりだったが、 この言葉が古語だったために理解されず、誤ってヴェールverre「ガラス」と印刷されたという説があり、有名な辞典にもそう載って いるそうである。しかし、ペロー自身が、はっきりとverreと書いており、また、サンドリヨン(シンデレラ)以外の話にもガラスの 靴がでているため、口承民話の「金の靴」をペローが意図的に「ガラスの靴」に変えた可能性がつよいというものである。そして、 教訓として「逆説にまどわされてはいけない。鋭くかっこよい逆説より、昔からみんなの知っているあたりまえのことが大事。」と 結んでいる。
 う〜ん、確かに逆説がもっともらしいと、ついそちらの方を信じてしまうなぁ...。


 逆説ではないが、この話でふと気づいたことがある。それは、三田にある「永沢寺」という寺の読み方である。この読み方には[えいたくじ]と[ようたくじ]の 二つがある。ローカル紙のコラムによると、もともとは[ようたくじ]と読むのが正解だったようである。それをのちに読み書きのできるようになった人々が、 [えいたくじ]と誤読するようになったらしい。現在はお寺そのものは[ようたくじ]、そのあたりの地名は[えいたくじ]と読むようである。ちなみに [ようたくじ]のような、仏教用語に多い、いわゆる呉音の、特殊な読み方を「和尚読み」、また逆にそれを過剰に一般化して「普通の」読み方にしてしまうのを 「百姓読み」と言うようである。
 たしかに、地名などの固有名詞は、漢字で書いた場合の「まともな」読み方に変化してしまうようである。東京の「秋葉原」はもともとは[あきばっぱら] と呼ばれていたそうだし、京都の「七条」も義父に言わせると[ひっちょう]が「正しい」読み方だそうである。



 さて、すでに書いた「Mise en bouteilleの謎」とならんで、もうひとつ気になっていることがある。それは「Les Hallesの謎」である。
 「les Halles」というのは、パリの中央市場のことであるが、この読み方が曲者である。「les」は[レ]、「Halles」は[アール]と発音 するため、そのまま単純に読むと「レ・アール」となるのであるが、フランス語には、例のリエゾンというヤツがあり、この場合、普通は 「les」の「s」を発音するようになり、[レ・ザール]と発音される。
 ところが、また、規則があって、「H」にはリエゾンするものとリエゾンしないものがあり、「Halles」の「H」はリエゾンしない、いわゆる 有音の「H」であるため、結局「レ・アール」と発音するのである。
 以上は、教科書的な説明であるが、「les Halles」の話を妻とすると、そんなことはない、パリの語学学校では「レ・ザール」とわざわざ 直されたと、いつも言い争いになってしまう...。確かに、[あきばっぱら]や[ひっちょう]のような、教科書どおりではない発音の可能性も否定 できない。
 さて、真相はいかに?(2002年8月)


■ドイツ人の英語


 ドイツに来た出張者が驚くことがある。それはドイツでは英語が通じないことである。特にこの傾向はアメリカ出張経験者に 多く、アメリカでは全く苦労しなかった人が、いきなり食事もできないというパニックに遭遇するのである。こちらは、「あたりまえ や、ドイツやもん」と思いながらも、「そうなんですよ、大変でしょう」とドイツ生活の大変さをアピールすることも忘れない。
 もちろん、空港や大きなホテルなどでは通じるが、ふつうのレストランや田舎のホテルでは通じないと思った方がよい。出張者では ないが、イギリスからの転勤者(日本人)とレストランに行き、彼が英語で注文したら、「Ich verstehe kein japanisch(日本語は わかりません)」と言われてしまった...。

 会社のドイツ人に、ドイツでは何パーセントくらいの人が英語ができるのかと尋ねたことがある。彼はちょっと考えてから、「30 パーセントくらいかな」と答えた。う〜ん、あまり多くない。日本とどっこいどっこいかもしれない。私が、同系統の言葉だから 簡単ではないのか、というと、いや、そんなことはない、難しいのだと言う。さらに、日本びいきの彼は、日本人が中国語を習う方が 簡単だろうという。私は、日本語と中国語の違いを延々と説明するはめになってしまった。
 一般に、大国意識を持った国の国民は外国語が苦手のようである。アメリカ人が最たるものであるが、英語がデファクトスタンダードと なった今日では、必要性も感じないのであろう。逆に小国といわれる国では、英語がよく通じるようである。実際、以前行ったノルウェーでは、ほとんど 英語が通じたし、レストランのメニューもバイリンガルになっていた。ドイツのおとなりのオランダでも同様である。

 会社は全欧州対応なので、公用語を英語にしているため、英語ができることが採用の条件になっている(もちろん日本からの 出向者は別ですよ)。一般に、日本人とは逆に、しゃべる方は得意だが、書く方特に文法がいまひとつという場合が多い。日本人からすると ぺらぺらしゃべっている人でも、メールには「I sended〜」とか、「I runned」などと書いてくる。これは文法規則の過剰な一般化であるが、 また、母国語の 干渉というやつがある。つまり、独製英語とでも言いたくなるようなものをときどき見かけるのである。たとえば、「take a picture」というところを 「make a photo」というたぐいである。これは「Foto machen」というドイツ語の直訳であろう(ちなみにドイツ語では「Photo」は「Foto」と つづられ、同様に「telephone」も「Telefon」となる。ま、読みやすくてよいのだが....。)  不思議な表現に出くわしたとき、それはドイツ語で何というか考えてみると納得できる場合がある。
 
私の上司(日本人)が秘書に「What time do you stand up in the morning?」と聞かれ面食らったという。ドイツ語で「起きる」は 「aufstehen」というが、「auf」は「up」に、「stehen」は「stand」にそれぞれ相当する。秘書はそれを直訳したのであろう。私の 上司はあえて「I don't stand up in the morning because I'm old.」とセクハラぎりぎりの応答をしたそうである....。(2002年8月)

  
■気になる言葉


 
最近、ファミリーレストランなどで気になる言葉がある。「〜してよろしいでしょうか?」というべきところを「〜してよろしかったでしょうか?」と 過去形にするのである。「追加のご注文はよろしかったでしょうか?」とか、「お皿お下げしてもよろしかったでしょうか?」である。 ドイツに行く前には耳にしなかったため、ここ一、二年のことであろう。
 
まさか、canとcould、willとwouldの関係のように、日本語でも過去形にすれば婉曲的な言い方になると思っているわけでもないだろうが....。
 どうも気になるので、なぜこんな言い方をするのかどなたか教えて欲しい。


■mise en bouteilleの謎
 (ワインあるいはフランス語に興味のない方は読み飛ばして下さい)


 
ドイツにいるときからワインに興味を持ち始めた。残念ながら、あの甘いリースリングのドイツワインが好きでなかったため、 もっぱらフランスワインを飲んでいた。ドイツでは10マルクから30マルク(600円から1800円)の間で結構おいしいものが飲めるのである。
 さてフランスワインのラベル(フランス語ではエチケット)の下の方には普通「mis en bouteille〜」 という句が書かれている。英語に直訳すると「put in bottle〜」(putは過去分詞)となる。さらに詳しくいうと「(Wine) put in bottle〜」つまり「〜でボトルに詰められたワイン」という意味である。
 
さらにフランス語の名詞には男性・女性の区別があり、 過去分詞はその影響を受け、主語(この場合は修飾される語)が男性ならなにもつかず、女性ならうしろに"e"がつく。この場合、ワイン、 フランス語でvinは男性なのでmisはmisのままなのである。

 
少なくともあの日まではそう信じて疑わなかった...。ある日、いつものようにスーパーからワインを買って、ラベルを見て驚いた。 そこには「mise en bouteille〜」と書いてあるではないか。vinは男性のはずなのに...。修飾される語は実はvinではなかったのじゃないか...? などといろいろな可能性を考えたがよくわからない。会社の人間も周りにはフランス人はいないし、疑問を残したまま日本に帰国した。

 
しばらく忘れていたが、ワインの専門家に聞く機会があり、聞いてみた。しかしこれはワインというよりむしろフランス語の問題だったため 彼も悩み、他の人に聞いてくれた。それは彼のお母様で、大学でフランス語を教えている方だという。彼女の説は、misの修飾する語は銘柄で、 その性によりmisあるいはmiseになるのではないかという説である。つまり修飾される語がvinではなく、Chateauなんとかなどの銘柄だという 説である。確かに、Chateauは男性で、それが付くワインは多いため、つじつまは合うのだが、もっと女性の銘柄があってもよいのではないか。
 釈然としないまま、念のため辞書で「mise」を引くと、「mettreの名詞形」とあり、ごていねいにも〜 en bouteilles (酒を)びんに詰めること. (三省堂 『クラウン仏和辞典』)という例文までついていた。時を前後して、件の専門家からもこの「mise名詞説」を示唆するメールが 飛び込んできた。う〜ん、こちらの方がもっともらしいかな...。と思いながら最後の詰めができずに、また日がたった。

 
そんなある日、ドイツのときの会社のフランス人からメールが入ってきた。会社の人間も周りにはフランス人はいない、とさきほど書いたが、 実は彼は体をこわして長期療養をしていたのであった。メールは、短いもので、「日本に帰ってからどうしているの?」という内容らしいことは アクサン記号が文字化けしていてもかろうじてわかった。渡りに舟とばかりに、「mise en bouteille」のことを聞いてみた。

 
彼の回答は明快だった。「そのとおり。miseは名詞で、正確にいうとla mise en bouteilleだ。」私は、長い間苦しんだ便秘がなおったような 爽快感を感じた。(2002年7月)


■fightingとパイティングとファイティング
 (韓国・朝鮮語に興味のない方は読み飛ばして下さい)

 
いやぁ、ワールドカップのドイツ、特にゴールキーパーカーンの活躍は凄かった。5月の例会では、ドイツの労働時間の 少なさばかりを強調してしまった感があるが、限られた時間・明確な責任が与えられると、ドイツ人はその集中力と 徹底さですばらしい力を発揮する。まさにあれがドイツの真骨頂である。
 
ところで、ハングルの応援垂れ幕を見て気がついたことがある。韓国のスタジアムからの映像を見ていると という垂れ幕が目に付いた。これはあえてアルファベットで 表記すると「paiting」である。韓国語には[f]という子音がないため、[f]の発音を持った外来語が入ってくると、 その[f]の音は[p']('は息を伴う)の音に変わる。「coffee」は「コピ」となり、「if」は「イプ」となる。ここまで来たら 懸命な読者はもうおわかりであろう。そう、「fighting」の韓国語の訳語である。
 
ところが、日本からは在日韓国人のインタヴューの映像が流れてきた。それを見ると、垂れ幕には、 と書かれていた。アルファベット表記では「hwaiting」である。多分、「fighting」の日本語訳「ファイティング」をさらにハングルに 表記したものであろう。
 の方は辞書に載っているが、 の方は載っていない。ということは、日本人が「パイティング」と 聞いてもすぐには「fighting」とわからないように、ネイティブ韓国人もと 聞いても(あるいは見ても)すぐにわからないかもしれない。たぶん「whiting」というスペリングを想像するだろう。
 同じ英単語が日韓それぞれの外来語になった場合、違った発音になるというのはおわかりいただけたと思うが、さて、韓国語で[メガド]と発音する、 アメリカ人の人名は想像がつくだろうか?実はあのMcArthur「マッカーサー」である....。(2002年7月)


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       2005/06/25から