編集長の独り言
■ドイツで驚いたこと その1
このページもすっかりご無沙汰してしまった。前回の日付を見たらなんと2003年8
月!なんと一年も更新していなかったことになる。
書きたいことがなかったわけではないが、忙しさにかまけてしまった。少しずつで
もこまめに書き留めていくようにしよう。
さて、ドイツに行って驚いたことがいくつかあるが、その一つはドイツ人(少なく
とも日本人から見たいわゆるガイジン)に道を聞かれることである。これは私だけで
なく、何人かの日本人も同様な感想をもらしていた。道を歩いていると、いきなり
「すみません、XX通りにはどういったらよいのでしょう?」と聞かれるのである。も
ちろん、ドイツ語でである。行ったばかりの時は、まずいきなりドイツ語で話しかけ
られ、面食らう。また、ドイツ語が聞き取れたとしても、場所は当然わからないた
め、しどろもどろで「すみません、わかりません」ということになる。
聞かれるのは道ばかりではない。コインランドリーでは機械の使い方を聞かれたり、
両替を頼まれたり、スーパーのワイン売り場では、「イタリアワインのseccoとは
ドイツワインのtrockenのことか」と聞かれたりした。
ドイツに赴任する十年以上も前に、新婚旅行でドイツを訪れたことがあり、
そのときにも道をきかれるという経験をした。それはミュンヘンで夜遅く、妻とホテルへ
向かっているときだった。街頭のともる比較的明るい道ではあったが人通りはまったくなく、
車の通りもまばらであった。そこへ一台の車がすうっと近づいてきて、我々の
横に止まった。そして長身の男が降りてきた。我々に一瞬緊張が走った。結局道を聞かれただけだったが、
このときはさすがにびびってしまった。
ミュンヘンの場合は、ほかに人通りもないため、仕方ないと思うが、デュッセルド
ルフの場合は他にドイツ人もたくさんいるのに、よりによってなぜ明らかに外国人と
わかる人間に道を聞くのだろう?私はイタリア人を奥さんに持つ、在独二十数年のM
さんに聞いてみた。Mさんもそれは昔から不思議に思っていたという。「イタリアで
もイタリア人は多分日本人には道を聞かないでしょう。でも、イタリアの場合は、
何人かのイタリア人に聞いて違う答えが返ってきたら日本人に聞くかも知れませんね。
いい加減に答えるイタリア人と違って、日本人は、知らないときは知らないって言いますから。」なるほど、日本人が道を聞
かれるというのは、ドイツあるいはデュッセルドルフの現象で、また、イタリアには、イタリアの事情があるようである。別の機会にMさんはこうも
言った。「イタリアでも日本でも、里帰りすると僕らはガイジン扱いなんですよ。でも
デュッセルドルフでは特別扱いされないので居心地がよいですね」
どうやら、日本人が道を聞かれるというのは、デュッセルドルフが国際都市であるため、
我々がガイジン扱いをされていないからのようである。しかし、ドイツに来たば
かりの頃はよく聞かれたのに、ドイツ語も地理もわかるようになってからは
あまり聞かれなくなったのはどう説明づけられるのだろう・・・。
(2004年8月)
■「Prêt-à-manger」のつづき
しばらくごぶさたしてしまった。単なるフォローネタで申し訳ないのだが、先日ある本を読んでいたら、
「Prêt-à-manger」は、フランス政府が正式に決めた、「fast food」のフランス語訳だとの
記述があった(何の本だったかは思い出せないのだが...)。ふぅん、そうすると「Prêt-à-manger」は
単なる造語ではなく、正式なフランス語の借用ということになる。ただし、「Prêt-à-manger」の
1号店ができたのは1986年で、こちらの方が先に名乗った可能性もある。
早速、日本の「プレタ・マンジェ」のホームページを検索したところ、次のように書いてあった。
※プレタ・マンジェ(Pret A Manger)とは、「ready-to-eat できたての食事」というフランス語の造語です。
フランス語の造語というのは、まだ許せるにしても、「ready-to-eat できたての食事」はアカデミー出版も顔負けの「超訳」だよなぁ...。
ちなみに英国の本家の方のホームページをざっと見たが、「Pret A Manger」(英語風のため、アクサンなし)とは
どういう意味かという記述は見つからなかったが、ふつうの「prepared」や「fast」foodに使われる添加物を排し、
品質を追求しているというくだりがあった。英国人は説明抜きで、「Pret A Manger」のおよその意味はわかるからかもしれないが、
あえて、「prepared」「fast」foodとの差別化を図っているのに「ready-to-eat」と明示的に説明してしまうのは
マイナスになってしまうからだろう。
(2003年8月)
■βカロテン
先日テレビを見ていたら「βカロテン」という言葉を使っていた。おや、「βカロチン」では?と
思って見ていると、「βカロチン」というのはもともとドイツ語からの呼び方で、今後は英語からの「βカロテン」
という呼び方に統一するとのことであった。
このように、英語の勢力はますます広がり、反対にドイツ語の立場はますます弱くなってきている。病院の
カルテも英語になっているらしいし、ドイツ語の学習者も減っているそうである。三田ではテレビ講座のテキスト
もドイツ語は扱っていないところが多い。そう言えば、国連の公用語にもなっていない...。イラク問題の国連で
の議論を見ていても、英、仏、ロ、中、西の代表はは自分たちの母語でしゃべっていたのに、ドイツ代表は英語で
話していた。ドイツ語を苦労してかじった身としてはいささかさびしい気がする。
ドイツ語以外の外国語も肩身の狭い思いをしているようだ。「スコール」という清涼飲料水があるが、これは
たしか昔は「skål」と「a」のうえに丸があったはずだったが、今会社の自動販売機で売られているものには
丸がなく、「skal」になってしまっている。また、仕事の上でも、長さの単位に「Å」(オングストローム)
を使わず、「nm」(ナノメートル)を使うようになってきている。もっともこっちのほうはあまり言葉自体とは
関係ないかも知れないが...。
ドイツ語がマイナーになってきているのは、現代のドイツ文化があまりぱっとしないせいでもあるだろう。
ドイツにいたとき、テレビをみても、ポップス系の音楽番組はアメリカからの輸入もんが多いし、ドイツの音楽
番組はというと、いわゆるVolksmusik(民謡)のようなものになってしまう。
一方、フランス文化はファッションと食の分野で独特の地位にあるため、フランス語も堅調である。最近のコマ
ーシャルでもフランス語を学ぶ女性がでてくるものが目に付くし、日本にも店のある、イギリスのサンドウィッチ
屋さんの名前にもフランス語が使われている。「Prêt-à-manger」は「prêt-à-porter」
からの発想のネーミングだと思うが、英語に訳すと「ready
to eat」であり、理にかなった命名である。以前、日本の建て売り住宅の名前で「プレタメゾン」というのが
あった。これも「Prêt-à-manger」と同様、「prêt-à-porter」からの発想であろうが、
こちらの方はちょっとおかしい。「Prêt-à」のあとは動詞が来なければならず、
「Prêt-à-habiter」(habiterはliveの意味)とでもいうべきであろう。
(2003年4月)
■ホタテ貝のつづき
前々回のこのページでホタテ貝の話にふれたが、先日NHKの番組で、この起源について説明していた。番組はスペインのサンチャゴ(チリのではない)への巡礼の話を紹介していた。いいつたえとして、昔、サンチャゴへの巡礼者が嵐にあい、おぼれそうになった。そのとき彼が、「サンチャゴ!」と叫ぶと奇跡が起き、助かったというのである。そのとき体についていたのがホタテ貝であったため、巡礼者はホタテ貝を身につけるのだという。そう、「サンチャゴ」はスペイン語で聖ヤコブのことのことである。私は「mise en bouteille」のときのような爽快感を覚えた。(2003年2月)
■ブロードバンドがやってきた
多忙をいいわけにして、ずっとこのコーナーをサボってきたが、今日は久々のアップデイト、しかもインターネットネタである。
帰国してから、ブロードバンドというやつをやってみたくていろいろ検討してみたが、なかなか決心がつかなかった。本命は価格の安さ、導入の容易さの点からADSLだったのだが、どうもウチの近所は途中が光ファイバーでつながっているそうで、ADSLはつながらないとのことであった。頭にくるのはウエッブ上のリストではADSL導入可能地域になっているのだが、実際に申し込むと、不可という返事が返ってくるのである。
残るはケーブルTVと光ファイバーであるが、ウチの近所のケーブルTVはすこぶる評判が悪い。解約時に法外な装置の撤去料を取られ、そのうえ通常のテレビも見られなくなったというような話も聞いた。かくなるうえは、ちょっと高いが、清水の舞台から飛び降りるつもりで光ファイバー導入を決めた。光ファイバーもプロバイダ料込みのものと回線のみのものがあるが、NICKホームページの読者の便宜を考え、アドレスが変わらないように、回線のみのBフレッツにした。
またユーザーとしての私の不満とは別に、妻はインターネット接続時の配線がじゃまになると文句を言っていたため、無線LANで接続することにした。
そんなわけで、導入した光ファイバーであるが、公称100Mbps、NTT直結で85Mbpsくらい、プロバイダ経由では35Mbpsくらいになってしまう。さらに、家の中の無線LANは11Mbpsのを使っているが、暗号化をかけると3.5Mbpsくらいに下がってしまう。それでもモデムに比べると格段に早い。川井さんに以前忘年会の写真を送ってもらったが、なんと8MB(!)のサイズであったため、モデムではあけられなかったので、そのまま放っておいた。ところが今回は、ほんの20秒ほどでダウンロードできたのである。
我が家はブロードバンドになったとはいえ、まだまだモデムの読者も多いはず。重いホームページにならないように気をつけなくては。
今回はパソコンオタクのホームページのようになってしまい、申し訳ない。(2003年2月)
■ネクタイとクロアチア
ずうっと昔、故遠藤周作氏のエッセイを読んでいて、おやっと思ったことがある。以前フランスに留学していた遠藤氏がイタリアへ
旅行に行ったが、イタリア語がわからない。そこで、フランス語の語尾をイタリア語風に替えてごまかしたというのである。ここまでは
よい。が、例として、ネクタイのことを「ネクチーノ」と言ったというのである。当時、私はフランス語やイタリア語でネクタイを
何というかは知らなかったが、漠然とおかしいなという印象を受けた。「neck tie」というのはあまりに即物的な、がちがちの英語で
ある。ファッションの本場フランスではもっと違う言い方をするに違いないと思ったのである。
実は、ネクタイはフランス語では「Cravate[クラヴァットゥ]」、イタリア語では「Cravatta[クラヴァッタ]」、ドイツ語でも
「Krawatte[クラヴァッテ]」という。ドイツ語の単語帳とイタリア語の辞書によると、これは「クロアチア」がなまったもので、
昔クロアチア人の騎士が首にスカーフを巻いたことに由来するらしい。独仏伊にはモノとともに名前も伝わったが、英国へは名前だけが
伝わらなかったようである。
一般にヨーロッパは共通の文化の根を持っているためか、異なる言語でも似たものが多い。
前回、ずぼらをして「白菜」を英語で何というか調べず、アップロードしてしまったが、知人の佐々木さんから、「chinese
cabbege」と 教えていただいた。現在パリに短期留学中の佐々木さんによると、フランス語では「chou
chinois」というそうである。実はドイツ語では 「Chinakohl」というのだが、英独仏いずれも「中国キャベツ」という意味なのは面白い。
また、「タンポポ」もフランス語では「dent-de-lion」、英語もこれから派生した「dandelion」だが、ドイツ語もなんと「Löwenzahn」
で、同じ「ライオンの歯」という意味である。葉のギザギザを見て、たまたまフランス人、ドイツ人(当時フランス人、ドイツ人という
概念はなかっただろうが便宜的にこういう)が同じ発想をしたのか、それともどちらかが先にあって、もう一方が単純に訳したのかは
わからない。
ナスは英語では「eggplant」だが、独仏では「Aubergine」といい、雰囲気的にフランス語からの借用っぽい。ただし、
ドイツ語では「Eierfrucht」という言葉もあるらしく、直訳すると「卵の果実」である。これも英語と発想が同じだが、ナスを果実と認識
しているのがちと違う。ちなみに「Eierfrucht」という言葉は辞書では見つけたが、スーパーで見たことはない。
さて、いままで、英独仏で同じものを見てきたが、「ネクタイ」のようにで英語だけ別格というのも結構目に付く。例えば「家具」で
あるが、英語ではご存じのとおり、「furniture」というが、ドイツ語では「Möbel」、フランス語では「meuble」である。独仏ともに「mobile」と
同じ語源であり、独仏では家具は持ち運びするものという認識である。ちなみにドイツではキッチンも家具の範疇に入っていて、引っ越しの時は
持って行ってしまう。私も家を借りたときはキッチンはおろかカーテンレールや電灯さえなく、がらんどうの箱状態であった。カーテン
レールや電灯は自分で付けたのだが、コンクリートに電動ドリルで穴を開ける作業は生まれて初めての重労働であった。日本でいうボール盤が
ドイツ語のBohrmaschineからきているのもそのとき初めて知った(それまでボール紙と同じ「board」が語源だと思っていた)。
ホタテ貝はフランス語では「coquille Saint-Jacques」、ドイツ語では「Jakobmuschel」というらしい。なぜかは知らないが、どちらも聖ヤコブの 貝であり、キリスト教文化が香るところがヨーロッパヨーロッパしていてよい。ところが、英語では「scallop」というらしく、あまり面白く ない。(2002年9月)
■デュッセルドルフのドイツ語事情その2
前回、デュッセルドルフの日本人のドイツ語学習事情について紹介したが、今回はデュッセルドルフのドイツ人の話すドイツ語 について書いてみたい。
ドイツにはいくつか方言があるらしいのだが、デュッセルドルフのドイツ語は大きく分けて、「低地ドイツ語」というやつの仲間にはいるらしい。
学校などで習う、いわゆる「高地ドイツ語」というやつといくぶん違っているらしい。
まず、発音についていうと、「R」の発音が特徴的である。大学でドイツ語を習うまでは、ドイツ語の「R」は巻き舌で発音するものと 思っていたが、現在では、バイエルンなどの南の方でしか巻き舌で発音されていないようである。テレビの「ドイツ語会話」では、うがいを
するように、のどちんこを震わせる「のどびこ音」を教えていた。デュッセルドルフの「R」の音はほとんどのどびこも震わせない、のどの奥から [ハ]のように発音する、いわゆる「パリのR」と似た発音である。驚いたことに件の早稲田出身の先生は、この「R」の発音記号を「バッハ(Bach)」の
[ハ]と同じ[x]で表していた!!(ちなみに文具で「イクシーズ」というブランドがあり、「[ixi:z]」と表記されていたが(現在もあるかな?)、
これは明らかな誤りである。これではせいぜい[イヒーズ]としか読めない。)ただし、アナウンスなどで、はっきりと言う場合は、巻き舌で発音する こともある。デュッセルドルフの日本人学校の日本人のドイツ語教師は、「R」を巻き舌で発音するように教えていた。ドイツ語を習い始めた
うちの子供達は、先生の教える発音と実際の発音の違いに気づき、舌を巻くか巻かないかが大きな関心事となっていた。街で人が話しているのを 聞き、「あっ、巻いとぉ!」と言うのを聞くと、たいていイタリア人だったりする。子供の観察力には大人も舌を巻いてしまう...。
また、「・・・ig」と表記される語は、標準語では[・・・イヒ]と発音されるが、デュッセルドルフでは[・・・イク]と発音される。デュッセルドルフには
高級ブティックが軒を連ねる「ケーニヒスアレー(Königs allee)」という通りがある。これは地元の人は[ケーニクスアレー]と
発音している。なんと、地下鉄の案内までも[ケーニクスアレー]と言っている。
ところで、有名な話だが、ドイツ語の相づちに「Ach so.」というのがある。これは、日本人には「あっ、そう」と聞こえ、意味も全く
日本語と同じである。また、デュッセルドルフの方言で、語尾に「・・・ネ(ne)?」とつける場合がある。これは英語でいうと、「isn't it?」
とか、「don't you?」などといった類の付加疑問に相当するため、日本語で「・・・ね?」というのとよく似ている。そのため、私も
ついつい英語でも使ってしまう。
この「Ne」というのは、デュッセルドルフ辺りでは、標準語の「Nein(ナイン)」に代わって、「No」の意味でも使われる。この辺では
「Nein」というのをついぞ聞いたことがなく、みんなネーネー言っている。
当時、私はよく、会社の近所の韓国料理屋やデュッセルドルフ市内の韓国カラオケスナックに行っていたのであるが、面白いことに韓国語の
「ネー」は「Yes」の意味なのである。ドイツ語で「No!」と言っているのを、韓国語と間違えて、つい...ということはなかったのだが..。(2002年9月)
■にせの友達
ドイツのスーパーで買い物をしていて気が付いたのであるが、商品の名前の書かれている札のことをドイツ語で「エチケット(Etikett)」と いう。「何で礼儀作法が???」と不審に思ったのであるが、その後、ワインに興味も持つようになり、フランス語でワインのラベルを「Etiquette」と いうのも知った。フランス語の辞書で引くと、1)(商品・荷などの)札, ラベル, レッテル, 値札.(三省堂 『クラウン仏和辞典』)とあり、3)として (宮廷や公式の場での)礼儀作法, エチケット 《着席順位の札を身につけたことから》とある。つまり、もともと宮廷や公式行事での名札が語源で、 それから我々におなじみの深い礼儀作法という意味があとからできたらしいことがわかる。調べると、ドイツ語には「Etikette」という、礼儀作法
と言う意味の女性名詞もあった(Etikettは中性)。英語では、名札の意味はもともと入ってこなかったか、途中で消えてしまったらしく、辞書には
載っていない。
このような言葉は他にもあり、例えば「Chef」という言葉だが、これはドイツ語ではふつう「上司」という意味で使われる。英語には、(日本語にも)
この言葉は料理とともに入ってきたらしく、英語・日本語ともに、料理長あるいは単に料理人をさす言葉となっている。
この様に、異なる言語間で形は同じだが、意味がちがう言葉をフランス語で「faux ami」といい、「 (翻訳などで間違える)まぎらわしい語.」と
辞書にも載っている。 直訳すると「にせの友達、不実な友」となる。最近、ドイツ語にも「falsche Freunde」という、まったく同じ意味の言葉があるのを知ったが、
こちらの方は辞書に出ていなかった。英語でも「false friend」なる言葉を探そうとしたが見つからなかった。
独英の「falsche Freunde」にどんなものがあるか例をあげてみよう。「Kaution」は「注意」ではなく、「敷金」の意味だし、「Protokoll」は「外交
儀礼」や「ネットワークのプロトコル」ではなく、「調書」や「議事録」の意味、「Fabrik」は工場、「Labor」は実験室....。といった具合である。
仏英になると、独仏よりももっとあるのではないだろうか。泉邦寿著「フランス語を考える20章」(またまた白水社)によると、1066年の「ノルマン征服」と
その後のおびただしい量のフランス語とフランス文化の流入が原因としていて、例として、「lecture」、「film」などをあげている。フランス語では、
「lecture」は読むこと、「film」は映画のことを意味する。
私が今、すぐに思いつくものとしては、「appointement」があるが、これはなんと「給料」のことである。(2002年9月)
■デュッセルドルフのドイツ語事情
デュッセルドルフは人口約60万人のうち、6千人が日本人である。100人に1人というと、多いような少ないような数であるが、実際は
居住しているところや仕事場が限られているため、そこでの日本人密度はもっと高い。したがって、日本人相手の商売も十分成り立つ。
通称「日本人通り」とも呼ばれているインマーマンシュトラッセは日本領事館、JAL、ホテルニッコー、高木書店、日本料理店、日本食材店が
軒を連ねている。
日本人相手で画期的な商売の一つに、語学学校がある。日本人駐在員、というよりむしろその奥様方をターゲットとした学校で
ある。なにしろ、たいていの企業は、駐在員の現地生活支援のため、語学補助金を出している。それも結構まとまった金額であり、しかも
使う方も自腹ではないので大盤振る舞いのため、そこを狙ったうまい商売が成立するのである。
なによりも特徴的なのは、ドイツ人の先生が、日本語でドイツ語を教えてくれるのである!妻が最初に行った学校の先生は、早稲田に留学した
ことのある、奥さんが日本人のスラブ系ドイツ人であった。家の近所にも日本語のできるドイツ人の先生が経営している語学学校があり、
子供と妻はそこにも通った。そこは、実際教える先生はドイツ語での授業で行っていたらしいが、授業料の交渉などは日本語だそうである。
授業料の交渉はともかくとして、個人的には、成人の場合は文法の学習は母国語の方がわかりやすくて良いと思う。
さて、前に述べたように、デュッセルドルフは日本人相手のインフラが整いすぎているため、よっぽど意志が強くないと、ドイツ語なしでも
生活ができてしまう。とくに日系企業の場合、社内の公用語が英語というところが多く、そのためドイツ語があまり上達しない人が多い。
私自身はというと、Berlitzに通ったのだが、6ケ月コースを2年がかりでやっと終えた。日本にいたときも少しはできたのだが、そのときよりも
なんだか力が落ちてしまったような気がする。これは、ドイツ語が、日本にいるときよりはるかに高いレベルを要求されているためであろう。
とはいえ、実生活に密着したドイツ語という点では、やはりドイツに住んでいるといないとは大違いである。スーパーに売っているものの名前などは
ドイツ語で言えても、英語で言えないものも多い。例えば白菜は英語ではどういうのだろう?
ところで、ドイツ語の学習というと忘れられない人がいる。毎晩10時頃に見回りに来る会社のガードマンで、頭のはげたいつもにこにこした
おじさんである。いつも立ち去るときに、「チュース(さようなら)」というので、われわれ(日本人出向者)は、「チュースおじさん」と呼んでいた。
ある時から私は彼にドイツ語のことわざを教えてもらうようになった。1日一つでも続けると相当な数になる。最初はPOST-ITに書いて、パソコンの
モニタに張っていたのだが、どんどん増えてきたので、パソコンに入力した。このデータは今でも残っていて私の宝物になっている。頭の
中に残っていないのが、ちと寂しいが...。(2002年9月)
■シンデレラの靴
先日のA新聞の「天声人語」(といえば分かってしまうか...)にシンデレラの靴の話が載っていた。シンデレラのガラスの靴は 実は毛皮の靴だったというのである。もちろん、「天声人語」のことであるから、これは単に前振りで、 そのあと田中真紀子の話へと続き、「退場」だけはシンデレラ風であるが、物語の世界からは遠い現実の世界である、と結んでいる。
ところが私の手元にある本には、さらにそれがガセネタだったという話がのっている。田桐正彦著の
「フランス語語源こぼれ話」(白水社;たまたま、「天声人語」の参照している本も白水社刊である。)によると、作者シャルルペローは、銀栗鼠の毛皮と言う意味のヴェールvairのつもりだったが、
この言葉が古語だったために理解されず、誤ってヴェールverre「ガラス」と印刷されたという説があり、有名な辞典にもそう載って
いるそうである。しかし、ペロー自身が、はっきりとverreと書いており、また、サンドリヨン(シンデレラ)以外の話にもガラスの
靴がでているため、口承民話の「金の靴」をペローが意図的に「ガラスの靴」に変えた可能性がつよいというものである。そして、
教訓として「逆説にまどわされてはいけない。鋭くかっこよい逆説より、昔からみんなの知っているあたりまえのことが大事。」と
結んでいる。
う〜ん、確かに逆説がもっともらしいと、ついそちらの方を信じてしまうなぁ...。
逆説ではないが、この話でふと気づいたことがある。それは、三田にある「永沢寺」という寺の読み方である。この読み方には[えいたくじ]と[ようたくじ]の
二つがある。ローカル紙のコラムによると、もともとは[ようたくじ]と読むのが正解だったようである。それをのちに読み書きのできるようになった人々が、
[えいたくじ]と誤読するようになったらしい。現在はお寺そのものは[ようたくじ]、そのあたりの地名は[えいたくじ]と読むようである。ちなみに
[ようたくじ]のような、仏教用語に多い、いわゆる呉音の、特殊な読み方を「和尚読み」、また逆にそれを過剰に一般化して「普通の」読み方にしてしまうのを
「百姓読み」と言うようである。
たしかに、地名などの固有名詞は、漢字で書いた場合の「まともな」読み方に変化してしまうようである。東京の「秋葉原」はもともとは[あきばっぱら]
と呼ばれていたそうだし、京都の「七条」も義父に言わせると[ひっちょう]が「正しい」読み方だそうである。
さて、すでに書いた「Mise en bouteilleの謎」とならんで、もうひとつ気になっていることがある。それは「Les Hallesの謎」である。
「les Halles」というのは、パリの中央市場のことであるが、この読み方が曲者である。「les」は[レ]、「Halles」は[アール]と発音
するため、そのまま単純に読むと「レ・アール」となるのであるが、フランス語には、例のリエゾンというヤツがあり、この場合、普通は
「les」の「s」を発音するようになり、[レ・ザール]と発音される。
ところが、また、規則があって、「H」にはリエゾンするものとリエゾンしないものがあり、「Halles」の「H」はリエゾンしない、いわゆる
有音の「H」であるため、結局「レ・アール」と発音するのである。
以上は、教科書的な説明であるが、「les Halles」の話を妻とすると、そんなことはない、パリの語学学校では「レ・ザール」とわざわざ
直されたと、いつも言い争いになってしまう...。確かに、[あきばっぱら]や[ひっちょう]のような、教科書どおりではない発音の可能性も否定
できない。
さて、真相はいかに?(2002年8月)
■ドイツ人の英語
ドイツに来た出張者が驚くことがある。それはドイツでは英語が通じないことである。特にこの傾向はアメリカ出張経験者に 多く、アメリカでは全く苦労しなかった人が、いきなり食事もできないというパニックに遭遇するのである。こちらは、「あたりまえ
や、ドイツやもん」と思いながらも、「そうなんですよ、大変でしょう」とドイツ生活の大変さをアピールすることも忘れない。
もちろん、空港や大きなホテルなどでは通じるが、ふつうのレストランや田舎のホテルでは通じないと思った方がよい。出張者では
ないが、イギリスからの転勤者(日本人)とレストランに行き、彼が英語で注文したら、「Ich verstehe kein japanisch(日本語は
わかりません)」と言われてしまった...。
会社のドイツ人に、ドイツでは何パーセントくらいの人が英語ができるのかと尋ねたことがある。彼はちょっと考えてから、「30 パーセントくらいかな」と答えた。う〜ん、あまり多くない。日本とどっこいどっこいかもしれない。私が、同系統の言葉だから
簡単ではないのか、というと、いや、そんなことはない、難しいのだと言う。さらに、日本びいきの彼は、日本人が中国語を習う方が 簡単だろうという。私は、日本語と中国語の違いを延々と説明するはめになってしまった。
一般に、大国意識を持った国の国民は外国語が苦手のようである。アメリカ人が最たるものであるが、英語がデファクトスタンダードと
なった今日では、必要性も感じないのであろう。逆に小国といわれる国では、英語がよく通じるようである。実際、以前行ったノルウェーでは、ほとんど
英語が通じたし、レストランのメニューもバイリンガルになっていた。ドイツのおとなりのオランダでも同様である。
会社は全欧州対応なので、公用語を英語にしているため、英語ができることが採用の条件になっている(もちろん日本からの 出向者は別ですよ)。一般に、日本人とは逆に、しゃべる方は得意だが、書く方特に文法がいまひとつという場合が多い。日本人からすると
ぺらぺらしゃべっている人でも、メールには「I sended〜」とか、「I runned」などと書いてくる。これは文法規則の過剰な一般化であるが、
また、母国語の 干渉というやつがある。つまり、独製英語とでも言いたくなるようなものをときどき見かけるのである。たとえば、「take a picture」というところを
「make a photo」というたぐいである。これは「Foto machen」というドイツ語の直訳であろう(ちなみにドイツ語では「Photo」は「Foto」と
つづられ、同様に「telephone」も「Telefon」となる。ま、読みやすくてよいのだが....。) 不思議な表現に出くわしたとき、それはドイツ語で何というか考えてみると納得できる場合がある。
私の上司(日本人)が秘書に「What time do you stand up in the morning?」と聞かれ面食らったという。ドイツ語で「起きる」は
「aufstehen」というが、「auf」は「up」に、「stehen」は「stand」にそれぞれ相当する。秘書はそれを直訳したのであろう。私の
上司はあえて「I don't stand up in the morning because I'm old.」とセクハラぎりぎりの応答をしたそうである....。(2002年8月)
■気になる言葉
最近、ファミリーレストランなどで気になる言葉がある。「〜してよろしいでしょうか?」というべきところを「〜してよろしかったでしょうか?」と 過去形にするのである。「追加のご注文はよろしかったでしょうか?」とか、「お皿お下げしてもよろしかったでしょうか?」である。
ドイツに行く前には耳にしなかったため、ここ一、二年のことであろう。
まさか、canとcould、willとwouldの関係のように、日本語でも過去形にすれば婉曲的な言い方になると思っているわけでもないだろうが....。
どうも気になるので、なぜこんな言い方をするのかどなたか教えて欲しい。
■mise en bouteilleの謎
(ワインあるいはフランス語に興味のない方は読み飛ばして下さい)
ドイツにいるときからワインに興味を持ち始めた。残念ながら、あの甘いリースリングのドイツワインが好きでなかったため、 もっぱらフランスワインを飲んでいた。ドイツでは10マルクから30マルク(600円から1800円)の間で結構おいしいものが飲めるのである。
さてフランスワインのラベル(フランス語ではエチケット)の下の方には普通「mis en bouteille〜」
という句が書かれている。英語に直訳すると「put in bottle〜」(putは過去分詞)となる。さらに詳しくいうと「(Wine)
put in bottle〜」つまり「〜でボトルに詰められたワイン」という意味である。
さらにフランス語の名詞には男性・女性の区別があり、 過去分詞はその影響を受け、主語(この場合は修飾される語)が男性ならなにもつかず、女性ならうしろに"e"がつく。この場合、ワイン、
フランス語でvinは男性なのでmisはmisのままなのである。
少なくともあの日まではそう信じて疑わなかった...。ある日、いつものようにスーパーからワインを買って、ラベルを見て驚いた。 そこには「mise
en bouteille〜」と書いてあるではないか。vinは男性のはずなのに...。修飾される語は実はvinではなかったのじゃないか...?
などといろいろな可能性を考えたがよくわからない。会社の人間も周りにはフランス人はいないし、疑問を残したまま日本に帰国した。
しばらく忘れていたが、ワインの専門家に聞く機会があり、聞いてみた。しかしこれはワインというよりむしろフランス語の問題だったため 彼も悩み、他の人に聞いてくれた。それは彼のお母様で、大学でフランス語を教えている方だという。彼女の説は、misの修飾する語は銘柄で、 その性によりmisあるいはmiseになるのではないかという説である。つまり修飾される語がvinではなく、Chateauなんとかなどの銘柄だという 説である。確かに、Chateauは男性で、それが付くワインは多いため、つじつまは合うのだが、もっと女性の銘柄があってもよいのではないか。
釈然としないまま、念のため辞書で「mise」を引くと、「mettreの名詞形」とあり、ごていねいにも〜 en bouteilles (酒を)びんに詰めること.
(三省堂 『クラウン仏和辞典』)という例文までついていた。時を前後して、件の専門家からもこの「mise名詞説」を示唆するメールが
飛び込んできた。う〜ん、こちらの方がもっともらしいかな...。と思いながら最後の詰めができずに、また日がたった。
そんなある日、ドイツのときの会社のフランス人からメールが入ってきた。会社の人間も周りにはフランス人はいない、とさきほど書いたが、 実は彼は体をこわして長期療養をしていたのであった。メールは、短いもので、「日本に帰ってからどうしているの?」という内容らしいことは
アクサン記号が文字化けしていてもかろうじてわかった。渡りに舟とばかりに、「mise en bouteille」のことを聞いてみた。
彼の回答は明快だった。「そのとおり。miseは名詞で、正確にいうとla mise en bouteilleだ。」私は、長い間苦しんだ便秘がなおったような
爽快感を感じた。(2002年7月)
■fightingとパイティングとファイティング
(韓国・朝鮮語に興味のない方は読み飛ばして下さい)
いやぁ、ワールドカップのドイツ、特にゴールキーパーカーンの活躍は凄かった。5月の例会では、ドイツの労働時間の 少なさばかりを強調してしまった感があるが、限られた時間・明確な責任が与えられると、ドイツ人はその集中力と 徹底さですばらしい力を発揮する。まさにあれがドイツの真骨頂である。
ところで、ハングルの応援垂れ幕を見て気がついたことがある。韓国のスタジアムからの映像を見ていると という垂れ幕が目に付いた。これはあえてアルファベットで 表記すると「paiting」である。韓国語には[f]という子音がないため、[f]の発音を持った外来語が入ってくると、
その[f]の音は[p']('は息を伴う)の音に変わる。「coffee」は「コピ」となり、「if」は「イプ」となる。ここまで来たら 懸命な読者はもうおわかりであろう。そう、「fighting」の韓国語の訳語である。
ところが、日本からは在日韓国人のインタヴューの映像が流れてきた。それを見ると、垂れ幕には、
と書かれていた。アルファベット表記では「hwaiting」である。多分、「fighting」の日本語訳「ファイティング」をさらにハングルに
表記したものであろう。
の方は辞書に載っているが、 の方は載っていない。ということは、日本人が「パイティング」と
聞いてもすぐには「fighting」とわからないように、ネイティブ韓国人もと
聞いても(あるいは見ても)すぐにわからないかもしれない。たぶん「whiting」というスペリングを想像するだろう。
同じ英単語が日韓それぞれの外来語になった場合、違った発音になるというのはおわかりいただけたと思うが、さて、韓国語で[メガド]と発音する、
アメリカ人の人名は想像がつくだろうか?実はあのMcArthur「マッカーサー」である....。(2002年7月)
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