(2006.1.21掲載)
クリスマスが近づくとフィンランドの家々では,窓辺にろうそくをともします。
(カンテレのクリスマスコンサートにて)
|
---|
心温まる,良くできた話だが科学的にあり得ない間違いである。
2重のガラスの間は,広くても8pから10cm程度。外側のガラスは外気温と同じ-20℃にもなる一方,内側のガラスは部屋の室温と同じ+22℃程である。中間の空気層は0℃前後になるので一人暮らしをしていた私は,冷蔵庫代わりに牛乳やソーセージをこの狭いスペースに保存していた。ここでろうそくの火を燃やしたらまもなく,急激な温度差で外側のガラスが割れるであろうし,たとえ割れなくても封じ込められた空気が酸欠になり,まもなく炎が消えるであろう。
この話は,クリスマスとは直接関係ない。12月6日のことを言っているのである。1917年のこの日,109年にわたるロシア統治から独立を宣言したフィンランドの独立記念日(祝日)である。
独立宣言をしたもののフィンランド国内は,自由主義者・資本家と共産主義者・労働者との対立で,一発触発の険悪な社会状況となっていた。年が明けて2月,自由主義者・資本家の白軍と共産主義者・労働者の赤軍が内戦に突入した。フィンランド人同士が血を流して戦うということはかつてなかったことである。3ヶ月続いた戦いで双方ともに多くの犠牲者を出し,5月,ようやく内戦は白軍の勝利で終結した(そのいきさつは拙稿A,拙稿Bをご覧ください)。
この時の戦争犠牲者を弔い,現在の平和を祈念する意味でろうそくがともされるのである。勿論2重窓のガラスの間ではなく,部屋の内側の窓台(内側から見ると出窓のように見えるその台)の上である。
(ローソクは国旗の色にちなんで青と白,2本飾るのが習わしです。この写真は室内側から撮影したもので,それぞれのローソクの直接光とガラスに映った反射光が写っています。反射光は内側ガラス,外側ガラスの2枚であることが分かります。)
私は1967年のこの日,ヘルシンキの大聖堂広場で行われた独立記念式典を見に行ったことがある。ケッコネン大統領の式辞や国歌斉唱,万歳三唱など一通りのセレモニー後,大学学生団旗を先頭にアレクサンデル通り→マンネルヘイム通り→アルカディア通りを通ってヒエタニエミ墓地まで行進し,そこでまた慰霊式が行われた。行進の途中で通りに面した窓辺,窓辺にこのろうそくが灯っているのを私は見た。
念のためフィンランドに40年以上住む日本人の友人に聞いてみた。
私 > ローソクでこんな話を思い出しますが,これって本当でしょうか?。
友人> 貴方の言うとおり無理です。
独立記念日は習慣として,国旗の色の半白半青のローソクを対で窓辺に飾り,午後6時から各地で戦死者の墓まいりします。燃えているローソクは見た以上にかなり高い所まで高温になり,下手するとカーテンに飛び火して毎年,2−3件火事が有ります。今は本物でも豆電球入りローソクのイミテーションでもやはり窓やカーテンから充分な余裕を取ってテーブルか,壇に置くのが一般的です。
90年代以降に建てられた家屋では3重窓で,昔のガラスの幅よりかなり狭くなりましたのでローソクを入れることなど,とても無理です。