荘厳なブダ城に見下ろされる街。
煌びやかなチェコに対して、厳格な気が満ちています。

破壊と再建を繰り返した王宮は、苦難を風格に変える
そんな男性的な強さを静かに漂わせています



ブダペストでは、日本に留学していたという現地女性がガイドにいらっしゃいました。彼女の話は鮮烈に印象に残っています。

人間に対する鋭い観察眼が会話の端々に伺える女性でした。際立ってあざやかなブラウスを着ていたのを何故か覚えています。

「この目抜き通りに大使館が並んでいます。でも、日本の大使館はあの丘の上の高級別荘地の中です。
日本人はパスポートを無くしたらあそこまでとりにこい、ということ。なんのためにある大使館なのでしょうか。みなさん、大変ですね」


「甘さ控えめ、というお菓子の表示が日本では沢山あります。でも甘いものを食べたいからこそ、お菓子を食べるのでしょう?
甘いものを食べたーい、と思って甘さ控えめ、なんて私達にはちっとも魅力的な言葉じゃない」
「ハンガリー人、あの温泉にごろごろしています(公共大温泉で屋外にあるセニーチェ温泉)。

ハンガリー人は色が白いので不健康に見えるから、焼いていないのは嫌なのです。だからお日様が照っていると焼いている。
皮膚ガンで死んでもいいから焼くんです。実際、死亡原因の2位が皮膚ガンなのに。」

「日本で楽しかったこと?それは夜遊びよ。六本木とか。日本にいる間遊びに遊びました。ここには無いからね。」

非常に冷めた目線の向こうに、どこか哀愁を感じたのは私だけだったのでしょうか。

「市内にブランドのお店はあったんですよ。シャネルとかね。でも誰も見てるだけで買えないからつぶれちゃいました。
バッグ1個12万、私のお母さん、『欲しいけれど、お給料1カ月分じゃ買えないわ』そう言ってました(笑)」

 「隣の芝は青い」といいます。人は生まれ持って与えられた幸せには、次第に慣れて鈍感になってゆく。
そこにある「当然」が決して当然ではないことに気がつかない。与えられたもの、であることに・・・・・
私にとってシャネルバッグ1個など、彼女の街の美しさの前では塵ほどの価値さえも感じないものだった。

幸福は、幸せの青い鳥が自分の手の中にあることに気付けるかどうか、ただそれだけの事なのではないか。

そんなことを学ぶためにまた、未熟な管理人は迷宮を離れ、旅に出かけます。
掲載写真の
無断転載を禁じます
(真珠色のラビリンス)
ブタペスト ブダ城周辺)

−世界遺産指定 ハンガリー首都ブタペスト−
共産政権崩壊後、チェコと共に急速に発展するハンガリー。
荘厳な王宮に見下ろされる「ドナウの真珠」ブタペストは
温泉、ワイン、豊かな食材・・・東欧きっての農業立国の誇りに満ちています。

トップ アイコン
入口ヘ戻る(Top)

訪れた国々
表示数は訪問回数
(トランジットの都合で1日、などは除く)
欧州
Europe
米国大陸
America
アジア他
Asia,etc
スイスSwiss 4
フランスFrance 3
イタリアItaly 5
オランダ
Netherland 1
スペインSpain 1
ベルギー
Belgium 1
ドイツGermany 2
イギリスUK 1
ギリシアGreece 1
オーストリア
Austria 2
チェコCzech 1
ハンガリー
Hungary 1
US 1
(only San
Francisco)
カナダ 1
Canada





バリ島 2
Bali
ハワイ 1
Hawaii
タイ 1
Thailand
エジプト 1
Egypt




直線上に配置

T. 海外旅行の迷宮 / Travellig Abroad
迷宮第4室 真珠色の部屋/  Part 4  the pearl gray room

直線上に配置

迷宮第4室にまで、お越し頂いた皆様に
世界三大貴腐の一角トカイワインを捧げましょう。
悠久の砦の静けさと、デザートワインの甘さにつつまれた一時を。甘い眠りを誘う部屋をご案内致します

注:文字の表示環境は「中」が最適です。WinIE対応。
第5室への扉はこのページ内にあります
雨のドナウ河に沿って
ブダ城へ向かう
@ブタペストへはウィーン(オーストリア)からバス入り。雨に煙るドナウ川はビシェグラード要塞(13世紀)から撮影
Aセンテンドレに途中下車。ハンガリー芸術の故郷とされる街。美しい中世の石畳の街
B雨の中のセンテンドレは神秘的。美しい石畳と3つの美術館を楽しめます。
Cブタペスト、城のあるブタと街のペストを最初につないだくさり橋(上下)。
D夜の外出です。両岸に2頭のライオンが配されたくさり橋。
1849年完成。第2次世界大戦で破壊。1949年復元。
E下はライトアップされたブダ城。確か0時くらいまでです。こんな世界に憧れて、また管理人は消えようとします(笑)1242年砦を建設、以後破壊と再建の歴史の末、15世紀にルネサンス様式へ。
H(下)ブタペスト、英雄広場。1896年マジャール人ハンガリー制服千年記念で建造。中央の大天使ガブリエルとその真下のマジャールの長、7人。
Fブタペストへ向かう途中、ハンガリーカトリック総本山のあるエステルゴムへ。写真の大聖堂は1869年完成。高さは71.5メートル。
G絵の男は初代ハンガリー国王イシュトバーンで、ロー法王から国王としてうけた王冠が描かれるのが特徴だそうです。
像がない!
像がない!
     ↓
Iなんと列柱上にあるはずの14体の歴史上の貢献者(王や貴族)の像は、修復中のため1体もなし、という珍しい写真となりました(笑)
J聖イシュトバーン大聖堂。建国千年記念に間に合わず(笑)54年かけて1905年に完成しただけあってハンガリー最大、かつ凝った造りは見事(左右の写真)。
らぶらぶ@漁夫の砦(注:親友)
↓国会議事堂
K漁夫の砦にて。背景はマーチャーシュ教会。13世紀ベーラ4世の命で王宮と共に建設。
L漁夫の砦1905年完成ネオロマネスク様式。白い尖塔と回廊で作られ、真っ白な姿が王宮の褪せた色と対照的。設計者は中世の城壁材を利用してわざわざこの砦作った。まぶしいくらいいい天気でした。ハンガリーは物価が安く、この近くの手作りレース店も高いとは言え破格のお値段。ハンガリーレースも実は有名。
らぶらぶ@マーチャーシュ教会(注:親友(笑))
M歴代王族の戴冠式が行われたマーチャーシュ教会の中でも目立つ尖塔は15世紀になってマーチャーシュ王の命で建設。だからマーチャーシュ教会、と呼ばれます
Nダヌビウス・ホテル・ゲッレールト(温泉ホテル)にて。1913年建設のゴージャスなアールヌーヴォー様式の温泉で、観光客が集まります。波のプール、ライオンの口から水がでてくる絢爛室内プールあり。波のプールを見学にだけに来ていたアメリカ人らしい男の子集団は何だったんだろう?ロッカールームの担当のおば様は怒ると怖いです(笑)
闇に浮かぶマーチャーシュ教会
吸い込まれそうな影をたたえます
O(上)漁夫の砦からみた国会議事堂。691室と巨大。ハプスブルグの支配が終焉を意味する1867年のオーストリア=ハンガリー二重帝国の成立を記念して建設された民族独立の象徴。残念ながら議事堂は工事中で正面画像は撮りませんでした。
Qくさり橋と聖イシュトバーン大聖堂。王宮側から撮影。
Pトカイ地方で造られるトカイワインは世界三大貴腐ワインの一つ。美味しくて沢山買い込みました。日本に輸入されると値段がつりあがるのです(笑)その他パプリカなどの香辛料も沢山市場に並んでいます。案外知られてませんがフォアグラ、激安です。
R聖イシュトバーン大聖堂
1906年完成ネオ・ルネサンス様式
初代国王イシュトバーンはキリスト教に改宗、マジャールの部族宗教信者にキリスト教を布教した。この改宗は実は非常に政策的なもの。改宗と熱心な国民への布教活動によって、弱小国ハンガリーが欧州の大国の仲間入りを果たしたのです。イシュトバーンはローマ法王より功績を認められて戴冠を受けることによって、欧州の一角をなす国家が誕生したことを周辺諸国に知らしめたのです。
次はどの部屋をご案内致しましょうか
王宮、崩壊と再建の歴史
1387年 砦が王宮に改築される
1541年 オスマントルコがブダを占拠。王宮は火薬庫に使用。78年爆発崩壊
1686年 ハプスブルグがブダをオスマンから奪う。
1770年 マリアテレジアによりバロック式王宮として再建
1848年 ハプスブルグからの独立革命(失敗)により王宮崩壊
1904年 再建と拡張の末、ネオバロックの巨大王宮誕生
1945年 第2次世界大戦により王宮崩壊。戦後50年代に再建。
1956年 再建後まもなくハンガリー動乱(ソ連軍により制圧。死者数万人・・・)王宮崩壊
1980年代 ようやく1904年当時の様式で再建
闇に浮かび上がる中世の王宮は特筆されるべき美しさ

メール アイコン
迷宮の扉リクエスト(E-mail)



第5室への扉
to the 5th room

海外旅行の迷宮
to the labyrinth of
travelling abroad

言葉の回廊
to the corridor
my profile&diary

潤いの庭
to the healing garden

囁きの砦

to the Fortress
of Visitors' Wispers

BBS