30/Mar/2004
Tue
忘れ得ぬ人

a thought



「おお、○○ちゃん、きてくれたんか」
その人は、にかっ、と笑った。

まだ小学校低学年だった私はそれだけでにこにこだった。
奈良 薬師寺の中興の祖と呼ばれる高田好胤氏は、どこまでもかわいらしいお坊さんだった。

多くの人がその笑顔とわかりやすくてちょっと吉本系の説法に魅了され、彼の笑顔の下の熱い願い、そう、「400年前に焼失した薬師寺七堂伽藍の完全復興」に協力したいと写経をした。
当時の価格で1巻1000円。寄付は一切募らない。百万巻写経勧進はいつのまにか軽く目標を超え、「ありえない」復興が実現された。
(復興で活躍した最後の宮大工、「棟梁」西岡氏のことはNHKのプロジェクトXで取り上げられている)

今日は高田好胤氏の誕生日。
いみじくも、薬師寺で毎年行われる行事のうち、最も華やかで有名な「花会式 (釈迦の生誕祭)」の真っ只中の日に、彼はこの世に生を受けた。申し子、とはよくいったものだと思う。

貧しかったため、彼は薬師寺へ、彼の姉は東大寺へもらわれ、美しい姉の方は、「東大寺小町」として、裕福に育った。その姉が祖母の女学校の同級生だったため、祖母は、彼と出会うことになった。その祖母の横に、私がいた。

「ゼリーあるさかい、食べていってな」
彼は香のたきしめられた衣の中に私をだっこして頭をなでながら、いつもそういった。

「管長さん」の、もう、7回忌だという。
だとしても、私の中ではやっぱり今日は、お誕生日おめでとう・・・やね。

いまも貴方は私の中で、こんなにも色鮮やかに、にかっ、と、微笑んでいるのだから。

20/Mar/2004
Sat
おしゃべり

a thought



「見かけによらない、爽やかな弁説で楽しませていただきました。」
司会者の言葉に場内がまた笑った。

2時間、しゃべりっぱなしにしゃべっていた。楽しかった。

お前はそのおしゃべりをなんとかせんとあかん。
父はいつも苦笑する。父のタイプではないらしい(なりたくもないけれども)。

お父さん、違うんだな。

おしゃべりを餌にして今日も元気に生きている、そんなおしゃべり鳥族がこの世にはいるのです。
おしゃべり鳥同士、時間を惜しんで喋りまくっている、しゃべってもしゃべってもすぐにまたおしゃべり鳥同士よりそってしゃべりまくり始める・・・
ヒトに差別はないけれど、区別はあるの(笑)

おしゃべり鳥族の感性、区分違いのお父さんにはわからないだろうなあ(笑)

17/Feb/2004
Wed
天  命





仕事中の1枚
ちょっとおつかれ(笑)




a thought



「これが最初で最後だとしても」それで、いい。


春、ある女性は兼任できない立場に直面した。

たまたま組織に飛び込んできた私に、思いきって彼女は仕事を渡した。仕事に慣れてくれればよい、ここで活躍したいなら、そう思いやって大胆に仕事を渡してくれた気持ちが嬉しかった。

夏、ある女性は予期せぬ妊娠を知った。

もう5年も生まれなかった。妊娠は彼女に入院を余儀なくするものだった。
男勝りに地味に頑張る彼女を「頼れそう!」と、周りでちょろちょろ手伝っていた呑気な私に、
宙に浮いた大プロジェクトが残った。責任をまっとうできないことになる、でも、産みたい。彼女の涙を見た。きっと私にだけ、彼女は泣いた。

クライアントの笑顔まじりの言葉が胸に虹をかけた。
「仕事に代わりはいても、母親に代わりはいない。彼女に絶対出てくるな、そう伝えて下さい。」

秋、ある女性から魅力的な仕事の情報が舞い込んだ。

この組織を私と入れ替えに突然離れた女性だった。
そのチャンスを掴みに行った私は、綺麗な花を見つけたただの子供気分だった。魅惑的な仕事の内容。
どうしても欲しかった。
すでにクライアントに入りこんでいる競合者が複数存在した。がむしゃらに企画書を作成した。その女性が私を思い出して、指名でチャンスを教えてくれたことが身にしみて嬉しかった。期待に応えたかった。

冬、多忙を極めた。
そして・・・・信じられない言葉を聴いた。
組織を異動したばかり、最年少の私に、その人は白髪混じりの頭を下げて言った。

「頑張っていますね。ありがとう。ここをよろしくお願いします。」
「いえ、もうばたばたで・・・」
「貴方が今年度、一番稼いでいると聞いています。」

耳を疑った。空耳かもしれないと思った。私はここではまったくの新人だ。

1年の間に、3人の女性に通常はないことが次々と起こり、その結果は全て、で右も左もわからない私に、多大な職務がやむ追えず渡される方向に動いた。駄目なら駄目で、仕方ないが、とりあえず一番融通が利きそうだから、やらせてみよう。
気がつけば過大なプロジェクトの担当者に自分の名前があった。稼ぎなど気にしたことさえなかった。

きっと、もうこんなことは2度とない。全てが変則的な自体から生まれたものだから、ありえない。
組織の収益に目に見える形で、自らが一番貢献が出来る。すくなくとも自分の責任の下、その1年その組織を、そしてそこにかかわる人を最も潤すことが出来る。

数奇な運命は決していつも楽しいわけではない。この1年誰かをいつも心配している自分がいた。
数奇な運命は、意図して降ってくることは決してなかった。
誰かの気持ちに応えたい、そんな自分を疑わず、ただひたすら、この気持ちを信じつづけた1年。私は極端に不器用な人間で、本当はうまく立ち回ることなど出来ない頑固者。時々こんな頑固さに自己中毒を感じさえする。
けれど、こんな頑固者を勘違いでも立ててくれた人々の気持ちは、墓場まで持っていきたい。

― たとえ明日働けなくなっても、人の世話にばかりなる人になったとしても ―

この1年を心の太陽に、過分な運命と手をあわせる私の姿がきっとそこにありますように。
20/Jan/2004
Tue

patients


奈良薬師寺七堂伽藍回廊
a thought



「そして誰も近寄らなくなった」 そんな末路の悲劇が、大王とその信者には見えないのかもしれない。

ある金融機関のトップセールスマンはその粘り強い営業力で顧客を防衛、獲得していた。

「僕の担当にパチンコ大手の社長がいるんです。毎日足を運ぶお客さんが多くて大繁盛、社長は笑いがとまらない。ギャンブル依存症は日がな一日、店にいますから。彼のところに出向いた時だけれど、店に病みつきのお客さんの話し、随分聞かされました。」

「で、彼が自分のお客さんをなんと呼んでいると思います?俺・・・これを聞いた瞬間、愕然としました。」

「患者。そう、呼んでいるんですよ。」

「自分のお客さんたちを、患者と呼んで笑っていた。 彼の言葉を聞いて、俺は二度とパチンコ屋に足を踏み入れたくないって思いました。」

昨年のわが国の自殺者は遂に3万人を超え、世界でも有数の自殺国になった。
そして、自殺者に多い、50代男性の悩みのトップは生活・経済苦、だ。

自分さえよければ、何をしてもいい。
生活に苦しむ患者に溢れた世の中で、大金持ちの患者製造機のパチンコ大王は果たして幸せになれるだろうか。

(彼の大切な患者達は、見方を変えれば、パチンコ大王の経典を礼賛する信者達にも見える。
自分が楽しいければ、今が楽しいなら、何をしたって、誰が泣いたっていいじゃないか。
大王の経典の名言の読経にいそしむ信者達を、患者、とあざ笑う教祖。
考え深い話をふと口にしたセールスマンの姿がとても印象的だった。一つ一つの出会いを大切にしたい。)

3/12/2003
Tue

「さあ、胸をはって」


HIMURO2003
(代々木第一体育館にて)



a thought



人の幸不幸は人との出会いで決まる、よき出会いを(相田みつを)。

「僕はね、最近、若い男性が本当、自分に自信がないと思うんだよ。
彼らは表面は強がっているんだけど、ちょっとしたことに、脆いんだよ。他人と下げ比べして、気分よくなってみたり、俺なんか駄目だと思ったてみたり・・・・・だけどね。」

その方は長い社会人生活をいとおしむように、続けた。

「なんかのテレビで観たんだけれど・・・今、この世に残っている人間のDNAは、すごく長いヒトの歴史の中で、途中で絶えてしまったDNAもあまたあるというのに、なぜか、生き延びてきたものなんだよ。
いやあ、すごいんだよ・・・統計でいったら限りなく0(ゼロ)に近い確立で、僕達のDNAはここに生き残っている。
1人1人全く違う形で、ね。」

「人類のDNAが誕生して35億年だそうです。ここにいる誰もが、奇跡ですね・・」 私は強く頷いた。

「うん、そうだ、そんなすごい時間をリレーされて受け継がれてきたこの自分を卑下するなんて、とんでもないことだ。
1人1人に価値がないはずがないじゃないか。自虐的になったり、気弱なんてのは、自分に失礼だよ。

気の遠くなるような生存競争に勝ち抜いてきたDNAの持ち主なんだから、胸をはって、
『俺っすごいんだなあ。選ばれし使命を持って生きてきたんだなあ。』、ぐらいの勢いで元気に暮らして欲しいんだよ。
おいおい、自分に自信をなくすなんてとんでもないぞ、僕は部下達にいつもそう思っているんだよ。
どんな奴だってすごい価値があるんだから。」

会食後、人ごみの中に去りゆくその後姿に、深深と頭を下げた。

「さあ、胸をはって」
街行く人々の姿が一層晴れやかに浮き立った一夜。 しっかりと胸に焼き付いて離れない。

14/11/2003
Fri

'Blue Blue Sky'




a thought

晴れ女、それは貴方が側にいる印。

「マルタは現在雨季に入っています。地中海性気候なので365日のうち300日は晴れているんですが、65日のほうに当たっているんですよね。。」

本当にがっくりきた。友人がすかさず私の方に振り返った。
「○○がいるから大丈夫だね!なんてったって強烈晴れ女だから!」
確かに、今年8月の富士山初登頂は奇跡的だった。8月の残りの土日は全て天候が崩れたのに、その週末だけは天の川が見える程の快晴だった。

でも、あれは夏の幸運話。。
マルタは何をどうしても、雨季。こればかりはどうしようもない。
「そうね!」 明るく返事をしながら、「地中海はほとんど雨が降りませんから、この程度の降雨量はたいしたことないんですよ!」という旅行代理店の電話応対を苦々しく思い出していた。


夜、ローマに着き、そのまま一泊した。小雨が降っていた。・・ああ、駄目かもしれない。


「やっぱり晴れたね!」

マルタに向かうアリタリアの窓の下、青空に浮かぶ雲海と、空を映す紺碧の地中海が広がった。

マルタ到着後、首都バレッタを散策している時に再び曇り空が広がったが、教会や宮殿の内部を見学し、街を見晴らす展望台へ向かおうと昼食のレストランを出ると、さっと小雨が上がり、また、晴れた。
「すごいっ、晴れた!!」

マルタにいる間、ずっと晴れが続いた。
ホテルメイドがベッドメーキングで置いてゆく可愛いカードの天気予報は毎日「曇り時々晴れ」だったが、予報は見事に外れていった。

小船に乗って青の洞窟を探検する予定日の前日。
「もし明日、曇ったり、晴れても強風で波が高かったら延期になりますので・・」 
「晴れ女がいるから大丈夫!!」 友人が笑った。



真っ青な地中海、小船は放たれた。 大歓声が上がった。

「おおおおおお!すごいっ、今日は大々快晴!ラッキー!!」


沢山の洞窟が岸壁に顔を覗かせ、青い海が吸い込まれてゆく。夢のような冒険が始まった。
洞窟に滑り込んだ瞬間、エメラルドの輝きが小船を包み、笑いかける。
遠くを行く先発の小船に手を振る人、デジカメを天高く掲げる人。満面の笑みが広がってゆく。

私の前に5人、横に1人、船頭さんが後ろに。 合計8人。
いや・・・・ここには9人。もう1人、いる。

天下の晴れ男、山男だった私の祖父がそっとそばで微笑んでいる。

突き抜ける青空。海の輝き。
こぼれるような笑顔の祖父が脳裏をよぎった。

13/10/2003
Mon

「見つめる」



Hanabi2003-6






a thought






頂いたBirthdaywine
とっても美味しいです
銘柄は当分密にして
おきます:-)
Thanks


彼女の温かな視線の向こうに、「真実」があるような気がした。

「〜って絶対ヤンキーだよね。」「あ、そうだね、ヤンキーだね。」
そんな会話が飛んだ。 ふと・・・・質問した。

「みんな、ヤンキーヤンキーって気軽に言うけれど・・ヤンキーって、何かな・・。前から気になっていたの。定義というか・・」

「なんていうのかなあ。不良のイメージなんだけれど、茶髪で駅前でたむろしてるような・・・」

「刹那的・・・なのよ。」  隣の席の彼女が突如、口を開いた。

成人式に小学校の同級生がヤクザの黒塗車から紋付袴姿で登場することもしばしば、というエリア (注:あくまでも普通の居住地区だが、一部に大きな裏組織が存在している) の公立中学校を、彼女は卒業している。

「ああ、それそれ!確かにね。」 表現を考えていた友人が相槌を打った。

彼女は続けた。
「決してね、根は悪い人達じゃないの。むしろ純粋。とっても純粋なの。でもね、自分の行動がどう言う結果を招くか、他人にどう影響するか、長期的には何も考えられないの。その時の自分の感情だけを見ているから・・。
その時、楽しくなれればそれでいいと思っている。今、が楽しくなるには、みたいな。 ヤンママ、ヤンパパの存在もその時楽しくて、その時好きだから、という感情に従ってるから、当然なの。彼らは好きな人にはとっても一途よ。・・・でも、好き、も<その時>、の感情だから・・・ね。」

自分が好き、ということがどういう結果になるか、相手にどう影響するか、はまるで考えていない。自分の感情だけを見つめる、そして徐々に自己を否定するものに排他的になる、というのはうつ病など精神病患者にもありがちな行動だ。
・・・しかし精神病患者というのは、突然変異的な者、というよりも、風邪をひきやすい体質、と同じで、こころの風邪をひきやすい体質を持つ者、をいう。
精神病患者に似た刹那的な行動をとる彼らも、心の風邪をひきやすい「免疫力の低下」を同じように持つのかもしれない・・・。

「彼らはね、刹那的で、そして、もうひとつ・・・みんな、さみしいの。」 
彼女は私の心の問答を聞いていたかのように口を開いた・・

「さみしくなければ、刹那的でもあんな行動はとらない。ご家庭に何らかの精神的な孤独を産み出す事情があるケースが殆どなの。 とにかくね、さみしいから目立ちたい。どんな方法をとっても、目立ったら、嬉しい。
だから、わざわざ、アウトサイダー的な行動をとるのよ。自分達は違う、目立つということを、あまり努力しない方法ですぐに実現できるのは・・・」

「グレちゃうのが楽だよね・・」 もう1人の友人が続けた。

「根は純粋、でもさみしくて刹那的だから、結局はやくざの中でもいいように、騙され、こき使われてさんざんな目にあったり、有頂天になっていたら一気に転落したり、一生使われっぱなし、だったりなの。大物になるやくざに、ヤンキーはいないわ。彼らは長期的、戦略的だから。」

先を考えさせず、その場その場で有頂天にさせておいて、使い道がなくなったら切り捨てる。「黒い戦略」のシナリオの中で消えて行く運命を与えられても気がつかず、その日を謳歌する若者達。
この世から「刹那と孤独」を撲滅する知恵を持つ人がいたら、その人こそ誰もが待ち望む「賢者」、のような気がした。


・・・会話を通して彼女が持つ「見つめる」瞳に、はっとさせられた。もしも、彼女のような人がヤンキー予備軍、「刹那的でさみしい」子供、の教師、親戚、だったら、ヤンキーは生まれてこないのかもしれない。

「1人1人接すると、とっても純粋でピュアないい子達なの・・・」
中学校時代、自分とは異色のクラスのヤンキーに、そっと知恵に溢れたその瞳を向ける彼女の姿が頭をよぎった。

全ての人に、よき出逢いを。

4/10/2003
Sat
「おもてなし」


Hanabi2003-5

a thought

ホスピタリティ、を考えるプロジェクトが身近に動いている。

最近、おもてなし(流行の言葉で言えばホスピタリティ)に興味津々な自分がいる。
人それぞれの「柔らかな空間」の提供の仕方を感じとる時の楽しさ、かも知れない。

この頃よく訪ねる美容院の担当のN氏は、本人的には「ジャワ系」、らしいけれど、私にはかなり「ホスピタリティの天使」的存在となっている。
爽やかな笑顔とキラキラした瞳の奥の輝きに、不思議なくらい嬉しくなる。 スモーカーなので、始終私の「嫌煙洗脳」攻撃を受けているが、彼なりに爽やかな笑顔にむけた歯磨きは、がんばっている(笑)
成果の笑顔は、花マル。

彼をみていて思うホスピタリティの教訓は、相手の意向を、出来るだけ自然体でわざとらしくならないように汲もうとする意志の大切さ。
自分を大だし、で受け入れられればいいが、世の中そうはいかないので、何かと気を遣ってみる。
そんなことは当たり前のようだけれど、当たり前には出来ない努力の行動であり、才能でさえもある。
うまく頭を使わないとそもそも相手の意向を汲み取ることさえもできない。それどころか、全くの勘違いをしているケースも少なくない。
自らが疲れない程度の気遣いで相手の意思を汲み取る事が出来る人は、凄い才能の持ち主だと思う。

とはいえ、N氏もなかなかタバコが手放せないところを見ると「疲れない程度」の気遣いで高度なホスピタリティを提供できる域にはいまだ達せず、奮闘中の様子。
実はそうやって健闘している姿もホスピタリティの一つ、というところがミソ、だったりするのだけれど・・(笑)

大切にされている、と言う感覚が、ホスピタリティの真髄。勘違いでも誤解でも、そう感じられる関係作りが出来るかどうかがビジネス、そして人間関係のベストな状態のキー。
疲れずに大切に思いあえる関係が、もっともっと、増えたら。

(マイ・ホスピタリティ編  友人から日本では手に入らないというブルーマウンテンを頂く。早速、よろこびいさんで祖母やヘルパーさん、お客様にだしてみる。大好評・・・なるも風邪で香りがわからない・・。)

21/9/2003
Sun
「成長 CGX1」

Hanabi2003-4

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貴方の時間を大切に。

「さすがにもうないとは思うんだけれど・・・」  歯科医は焦った。 

歯が痛いので歯医者に行った。レントゲン写真を手元に症状を聞きながら先生は言った。
「もしかするとまだ顎の骨とか、成長しているかもしれないから、専門医にも見てもらった方がいいなあ。しかし、さすがに社会人でいまだに骨が成長しているというのは・・・・ない、かも知れないけれど。」

今年に入ってわが国でも発表されたばかりだが、「長寿遺伝子」、というものが存在する。
長寿者に保有割合の高い遺伝情報、CGX1(4番目の染色体上にある)。米国ハーバード大学の研究チームによって2001年に発見された。

生物学的には、生き物の寿命=成人になるまでの時間×5、という。 

遺伝的要因に環境的要因が積算されて生きているとすると、現代のヒト、は、とにかく寿命を縮めたいかのように映る。
どの人の意見もあまりに生き急いでいる、と感じてしまうのは、のんびり成長を続けるこの体を支配するDNAのせいだろうか。

ゆっくりしいや。遺伝子が語りかける。そう・・・それは私の「正解」。

短命な人のDNAは結論を急がせるように仕組まれているはずだ。そうでなければ、寿命が尽きてしまう。

そうだとしても、生き急がないで。 歯科医院からの帰り道、そんなことを思った。

15/9/2003
Mon

「リスペクタブル」



Hanabi2003-3

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たった1つの言葉がその人を十分過ぎるくらい、表していた。

「100回話したら、100回気分が悪くなるオトコなのよ」  彼女は言った。 

「どんな事を言うの?」

「『彼女達はとてもリスペクタブルだよ』 とかいいつつね、『だけど、せっかくリスペクタブルなんだから、〜べきだね』って小馬鹿にしたご意見がつく。なんかねえ、いちいち感じが悪いの。」

リスペクタブル。 respect(尊敬する)+able(可能な) の複合体。

彼女の言わんとしている「彼」がどんな思考回路なのか、この言葉で一発でわかったような気がした。
ネイティブがどう使用しているかは預かり知らないが、彼は日本人だ。レポート作成の世界では、不必要にカタカナが多いのは「本質はわかりませんが」もしくは「ちょっと誤魔化しますが」、「格好だけよく見せたいのですが」という意識が働いているのではないかという疑いを読者にもたらす。

しかも、リスペクタブル。
尊敬が出来る、という言いまわし自体、分別めいていて、既に尊敬の念、という感覚を失っている。
「尊敬」は心から「ああ、尊敬します!」と沸きあがってくる素晴らしい感情だ。
尊敬「できる」 などという表現を好む事自体、尊敬という念・感情を、そもそもこの人は理解(経験)していないのではないか、と思わせる。
その人物は当然の如く、仕事をしても、肩書きは偉くてもリスペクトされていない。無理もない。リスペクトを誤解している人間がリスペクトされたくてとる行動は、ことごとく、徹底的に的外れだ。

「最悪ね」 海外生活が長い彼女に、私は即答した。

7/9/2003
SunA



「判決は下さないで」



Hanabi2003-2

a thought


嫌いになる、嫌悪する、それは最後の手段。

「○○ちゃん、嫌いになったら、だめだからね。」 
仕事で関わっている女性は、じっと私を見つめた。

「最低限、仕事においては、絶対に駄目よ。これはね、自分のため。嫌いになったら、自分の行動が制限される。
沢山の人が関わることができれば、仕事の成果は大きくなる可能性も高まるの。多くの人を巻き込めれば巻きこめるほど、大きな仕事が出来るのよ。
ただ、多くの人が集まれば、自分にあわない人だって多くなる。本当に好きになる人なんて、多くはないんだから。」

「だから、コツは、嫌いにならない事。
この人はここが悪いな、ここが凄いな、と分析だけにとどめておく。危害を加えられないなら、好きにも嫌いにもなっては駄目。
嫌いになるから、行動が変わって相手に危機感を与えてしまって攻撃されることだって多いの。
分析はしても、最後の最後まで判断はしない。大事な事よ。」

女性として男性社会を生き抜き、そして家庭をも育んでいる彼女は究極の戦略家であるとつくづく感じることが多いが、それ以上に慈愛深い人だということを折に触れ、感じ取っている。

そうだ、彼女の言う通り、判決は最後の手段にしよう。でも、これだけは反論させて。

素敵な貴方に素敵、という判決を下さない事、これだけは至難の技。


7/9/2003
Sun@
「自由な存在の重さ」


Hanabi2003-1


a thought


誰の事も気遣わないでいい自由、それは自分の存在価値を失うことを意味している。

「存在ののレベルが変わるんだ」 
彼は就職せずに学生を続ける男子学生の背中をバシッと叩いた。

「うだうだ勉強とか言ってないで結婚のことも考えろよ」

「奥さんが出来て、子供が出来た。みろ。俺は昨日までの俺じゃないんだぜ。俺なんて昨日まではいてもいなくてもよかった。仕事なんて変わりはいくらでもいる。俺が死んだって、誰も心底はどうでもいい。エラそうなこといったってサ、大したことはないんだよ。偽らず、カッコつけず、よーく考えてみろ。仕事だ?友達だ?そりゃあ、お前がやつらにとって、いたにこしたことはないかもしれないが、いなくても・・・なあ、そんなもんだろ。」

「ところが、だ。俺がいることに大きな意味がある人間が、2人もできたんだ。妻と子供。俺は、変わった。」

「昨日までの俺とは、レベルが違う。 俺が生きている意味が一気に増大した。これは素晴らしい事だよ。」

彼は時々、場外ホームランを飛ばす。仕事でも、薀蓄でも。
幸せな人生を送るDNAを持つ人間というのは自らの存在意義を作り出す事に長けた人である。これは間違いない。

子供は授かるか、これだけはわからないから後回しとしても、男性である貴方の結婚論は、「地球外ホームラン」、自らの存在意義の向上に努める私の心の中に、鮮やかな光を残していった。


(出会い、それは今の仕事を続ける事の意味をつよく感じる瞬間)
30/8/2003
Sat
'an aggressive
storyteller'

(闘い人の文化論
)





a thought

「イギリスにこんなジョークがあるんすけどね」 奇才落語家 立川談志師匠の言葉。

「金持ちの坊ちゃんが小学校で自分の事について作文にかいたんすけどネ。下々に気を遣ってやっぱし自分は貧乏だってことにして作文を書いたんすよ。」
『僕は貧乏です。お父さんも貧乏、お母さんも貧乏、弟も貧乏、妹二人も貧乏。みんなみんな貧乏です。だからとっても貧乏です。』

『料理人も貧乏、バトラーも貧乏、庭師も貧乏、ばあやも貧乏、家庭教師の先生も、沢山のメイドも、馬の調教師も、みんなみんな貧乏です。』

談志は言った。
「このイギリスのジョーク、今の日本そのまんまなんじゃないかってね。」

「新幹線が走ってますけど貧乏です。高層ビルがどんどん建ってますけど貧乏です。デパートには品物がわんさかあるけど貧乏です。次の日何も食べるものがなくて困ったことはないけど貧乏です。コンビにでは24時間なんかあるけど貧乏です。イタリア料理、フランス料理、ロシア料理、韓国料理、なんでもあるけど貧乏です。長靴もスニーカーも持ってますけど貧乏です。傘は2本もあるけど貧乏です。嫁さんがアクセサリーに毛皮持ってますけど貧乏です。パチンコ屋、麻雀屋通ってますけど貧乏です。携帯もCDも持ってますけど、貧乏貧乏、貧乏です。」

「今日は江戸時代の文化について語れって言われて来て、まだ(1時間近く)なにもしゃべってないんだけどね」

「江戸の連中、あきらめも多少はあったかもしれないけれども、結構豊かだと思って生きてた人々でね。そう考えると、今の時代の文化と比べると、大江戸文化って言うのは、ずっと『豊かな』文化だった。そんなわけでございます。」

にたっと笑ってお辞儀をし、彼は退席した。

東京都23区の某区が主催した、大江戸400周年記念事業後半のメイン、特別公演 「立川談志 江戸文化を語る」 。
とりとめなく迷走するかに見えた文化小噺の「オチ」に、会場からわれんばかりの拍手が起こった。

波瀾に満ちた落語家人生50年。現在は糖尿病、喉頭ガン、食道ガンと闘い、
余命いくばくもない、と言われるやせ細った姿の奇才。
脳内がさっぱりする、大笑いをありがとう。 こんなすがすがしい笑いはなかなかもらえない。

アグレッシブな語りとは裏腹にどこか哀愁漂う立ち姿。この世へのカウントダウンに入った彼に、一期一会、間にあった。

彼の影が幕の向こうに消えるまで、力の限り拍手を続けた。奇才の光にいま少しの時間を。

with special thanks to K

19/8/2003
Tue
'Risk taker'



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「リスクをとらないのなら、それは銀行ではない。」 タッド・バッジ氏(43)の言葉。

日本初、外国人が単独で邦銀頭取の座についた。 東京スター銀行(破綻した東京相和銀行の営業譲渡により誕生)のNHKインタビューはとても印象的だった。

流暢な日本語も印象的だが、次の言葉はもっと印象的だった。
「銀行の役割はリスクをテイク(take=とる)することです。」  
バッジ氏は断言した。さらにインタビュアーをしっかりと見据えて、念を押すようにこう言った。
「リスクをとらないのなら、それは銀行ではないのです。」

「日本の産業は中小企業の頑張りで支えられてきました。」
バッジ氏は就任後、新規に開拓した企業にスピード融資を続けている。 リスクは高いが将来性のある企業を後押しするタイミングを逃さないように、融資決定まで長くて2日。 他の銀行が後回し、もしくは無視する案件をバッジ氏直轄の組織が審査する。オフィスを慌しく駆け抜けながら、まるで上司に話すようなトーンで彼は審査チームにこう言った。
「何か決めたいときは僕のこの携帯にすぐ電話して下さい。それではどうぞよろしくお願いします。」

インタビュアーが最後の質問、として、これだから日本人は、と言わんばかりの質問をした。
「バッジさんは銀行の頭取としては43歳という若さですが、この事についてどう思われますか?」

彼ははっきりとした口調で即答した。 「私の年齢の若さはメリットではありません。」

「私のメリットがあるとすれば、それは、アイデアとリーダーシップ。 トップに必要なのはアイデアとリーダーシップであって、これは年齢の問題ではないのです。」

質屋状態の融資、消費者金融まがいの金利稼ぎ、時間外手数料・他行利用手数料コレクション。
こんな情けない業務に奔走する日本を代表する都市銀行群に、この忘れ去られたバンカースピリットの言葉が素直に響く余力があるのだろうか。

リスクをテイクできないなら、銀行ではない。 久々に胸がすっとする、言葉。

7/8/2003
Thu
'HELLO'

Higher than
Heaven


日本一高い場所から
こんにちは


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「ご来光よりも素敵なものが見られるかもしれませんよ」 預言者の言葉。

2日大安吉日、生まれて初めて富士山を目指した。 高度2300メートルから3800メートルまで、仮眠なく一気にのぼり、一気に降りる。 その過酷さを知らなかったとはいえ、今こうやって呑気にPCを叩いている自分が嘘のようだ。

直射日光と夜間平均気温5度と言う頂上付近の寒さ、世界遺産登録がNGとなった設備、夏期の大混雑の中の崖登り、全てを乗り越えて、3日の美しい「ご来光」を目指した。一生に一度、ドラマチックな事があっていい。 簡単に手に届くものに、感動も美もないことは今までの人生で学んできた。
「そんな情熱も、はまりこむものも、なくって・・・」とは、生涯何度も聞いてきた言葉だ。

違う、違うよ。 沸き上がる情熱の対象は、降ってくるものではない。 自ら掴み取りに行って初めて、生まれいずるもの。

疲労と、眠気、高山病、何度も意識が遠くなりながら、赤く燃えるご来光、眼下に広がる甘く柔らかな雲海、そして達成感を手に入れた。 予想をはるかに越える厳しさの向こうに広がる、甘い世界。

しかし、本当の驚愕は予想だにしないところから舞い降りてきた。

偶然、限りなく細く、温度の低い月が現れた日だった。ぼんやりと赤い月を眺めながら、バスは5合目に辿りついた。。
夜中、ヘッドライトをつけて登る人々。 
その頭上に今まで体験した事のない世界が、広がっていた。

月の光の薄い暗い夜。 星はこれでもか、と言わんばかりに輝き、頭上に星のない場所を探す事は難しかった。星砂の満杯に入った箱を思い切りひっくり返したような夜だった。
星はこんなにも大きかったのだろうか。 

一生思い出に残る、生まれて初めてがもう一つ、そこにはあった。

 − 頭上にどこまでも走る、天の川 −

ヘッドライトをつけた人々は見渡す限り何もない傾斜を、まるで星のように、星に向かって、歩いていた。
「ロマンチック」 同行者がつぶやいた。
「星になっちゃ駄目だよ」 皆が笑った。

出発日、たまたま担当で自宅に来ていたヘルパーの女性が、登頂経験者だった。
富士山に今日登るのだ、と聞くやいなや、彼女は掃除の手を止めて、即座に真顔でこういった。 「それは・・・星が綺麗かもしれないですよ」 
何人か登山経験者の話は聞いたが、直前のこの言葉だけが、「星」 を語っていた。

流れ星が何度も視界をよぎる。 97年にバンド復活をかけて登ったhydeの後を追って、バンドの2度目の復活を祝い軽い気持ちで目指した山は、どこまでも厳しく、手足が腫れるほど過酷だった。

過酷。そして、ロマンチックな夜を私の中に残していった。

頂上付近の大混雑で、7時間が9時間、と大幅に遅れて辿りついた10合目。
全員が揃った。hydeが入ったという食堂に「絶対行く」と半分倒れそうになりながら主張する私に、皆が笑った。
食堂に向かって歩き出したその瞬間、それは起こった。
あまりの驚きで、気絶しそうだった。 「おお、よかった・・・ね」、同行者達がつぶやいた。

朝7時を示す携帯アラームが、腰のポケットで力強く鳴り響いた。
’HELLO’ hydeの新曲。

人生は奇跡と喜びに、満ちている。 
富士山 − 貴方を好きというには、貴方は厳しすぎるけれど、身に余るロマンチックな一晩を、感謝しています。

21/7/2003
Mon











PURE
931days


the answer

















Case of HIMUROパンフ&
5日のラルクのコンサートで
「虹」演奏中に頭上に
降り注いだ羽

「ありがとう。ほんまに楽しかったわ。ありがとう。」 今日の朝食時も祖母はにっこりと微笑んで、繰り返した。

20日、埼玉スーパーアリーナを数万の人が埋めた。2000年12月31日代々木第2体育館 ファンクラブ限定ライブ。
3列向うで輝いていた男は、2年と7ヶ月、その姿を消していた。

931日間。ラルクが消えていた期間と全く同じ、1日も変わらない。弾むような気持ちの序曲は、931日と決まっているようだ。
「15分でこれだけの席が埋まったって、LAで聞いたんだよ。こんなに待たせたのに、ここにいる奴らは本当に「濃い」 連中だっちゅうことだね。」 
恥ずかしそうに彼は笑った。

彼は、消えない。絶対に戻ってくる。空白の931日間、ファンクラブをやめることはなかった。

1960年生まれの彼にとって、そのキレのある黒豹のようなライブ構成はそろそろ限界に近いかもしれない。それでも、絶対、間違いなく彼はまた現れる。普遍だからこそ変になってしまう時間において、彼は納得ゆくまで身を潜めている。
そうだ、今度こそ、彼の大ファンである祖母と一緒にライブに行こう。考えたくはないけれど、少なくとも私よりはライブに参戦できるチャンスが薄くなりつつある彼女を連れて、行こう。

7月20日限定 15周年記念ライブ、Case fo HIMURO at さいたまスーパーアリーナ。 

氷室京介、42歳。3児の父である彼が4時間にわたる長編ライブを引っさげて戻ってきた。

自分の持てる世界への、飽くなき一途な追求。そして、その世界を理解し、こよなく愛するファン達に向けての、限界に挑戦しつづける奉仕精神。
会う度に、彼は確実に老いる。しかし、老いた自分を、日々変化する自分を変わらず愛させるプロ魂。
ファンの期待、彼の才能への憧憬に、あくまでも真摯に応えようとする姿勢が、今まで以上に深く、人々の心に衝撃を送りこんでくる。
カッコつけパフォーマンス、見栄、尊敬されたい思い、無限の自己愛。誰だって若い時には持っている。
けれど、そんな甘い考えでは到底成り立たない、自分の世界へ人々を誘いこむ勇気と信念と努力。
それは本人がどう語ろうと、どこまでもピュアな思いに満ちていて、愛さずにはいられない。

彼の一途な根性を心から愛する人々への奉仕精神が、ステージに溢れている。
「こんな俺を、好きなことだけやってきている俺を、応援してくれているみんなのお陰です。」

貴方の姿勢に多くのものを与えられるから、皆は必死に「応援」という形で返しているだけ。
好きなことにかけるその類稀な情熱と溢れる愛に、ほだされているだけ。
貴方のような人には、何回人生をかけても巡り会えないこともあるだろう。
私は信じている。ピュアな想いに勝るものはない。 ピュアな想いを追いつづける姿は、私の人生の理想。 流されないピュアな姿勢を求め続ける貴方の姿に、私はいつもぞっとするくらい嬉しくなってしまう。
「こんな男がいるのだ」

会場の半分以上が男性だった。最新型アリーナの男性トイレの方が長蛇の列となる光景は異様だった。

「兄貴ー!」「おにいちゃあーん」「兄さ〜ん」「かっこいいぜー」「愛してるぜ」
「頑張れよ!俺も頑張る!」

彼の官能的で鍛えられた歌声に 多くの女性が魅了されている一方で、
おびただしい数の男性からこんな声があがっていた。
人間は弱いから、彼ほど強く生きられない人が殆どだろう。ピュアに生きる、のも稀有の「才能」だから。
でも、そんな姿に、才能に、素直に憧れる男性達を見て、素敵だ、思わず笑みがこぼれた。

全てを手に入れようとする時、全てが手から零れ落ちる。
素直に他者に与えられた才能を賞賛できる時、人は自らだけに与えられた才能を存分に伸ばす心の素地が出来る、ということを、彼の姿がいつも示してくれる。
自分が不得意とする作詞は、才能ある詩人に全面的に任せている。また、他人の色々な才能に彼自身も惚れこむ、心酔する、好奇心旺盛な男だ。彼自身の世界がはっきりしているからこそ、違いがわかるのだと思う。


群馬の喧嘩坊主が、一途に追求した42年。

この世に生を受けた「自分」を、他の誰でもない、「自分」として受けた生を、本当に愛するということ、大切にするということ。

「自己愛強すぎるんじゃないの」 といった批判の的になるのは、中途半端にしか「自分」を 愛してあげないから。
自分の世界への一途な追求は、ピュアな思いは、誰をもの憧れと尊敬を集めてやまない。

今の時代に思うこと。 もっともっと、本気で自分を愛してあげて。 大切にしてあげて。 そんなに素敵な 「あなた」 なのだから。

祖母は車椅子で障害者席から、私と親友はファンクラブ席から、氷室、15年目の夜を祝った。
(親友は車椅子での遠路参戦を手伝ってくれた。感謝しています。)

友人に感謝の言葉を交わし別れた帰り道、疲れがどっと襲った。

腕にのしかかる車椅子の重さ、数日前に負傷した足の痛み、コンサート会場に向かう最中の負傷 (車椅子リフトに、怪我をしていない方の足を挟まれ叫んでしまった) の痛みが、一気に全身を襲った。それでも、幸せだった。

針の穴を通すような狭い愛かも知れない。けれど、燃える思い、それは確実に、変わらずこの胸にある。 針の穴だからこそ、数多く、広く感じてみないとどれがピンと来るかわからないし、それでも滅多に来ない。
しかし、だからこそ人生が鮮やかに彩られている。 一生懸命、色々な人の才能に感銘して、引きこもらずに生きることが出来るのは、自分の世界を追求する副産物。これまた幸せだと思う。

先日、まだ大学在学中の職場の女性がこう言った。
「そんなに何かに熱中できて、本当に羨ましい。 いいなあ。そう言うものが私、ないんです。 彼氏もいるんですけれどね・・○○さん、もう、その時になると目が輝いて、幸せが全身からほとばしってます。 私もそんな風な思いが、欲しい。」

ラルク、氷室、931日のひたすら待ちつづけた想いへの、強烈でピュアな回答。
滅多に出会えない輝くような想いと尊敬と情熱、前進する力を与え続けてくれる彼ら。
2003年は一生思い出に残る年になる。

ピュアなものに憧れ続ける貴方達が、だからこそ半端じゃなくピュアな貴方達が、大好き。
なんと言って言いかわからないくらい大好き。

ライブの興奮と疲れ。家に着くとすぐに眠ろう思った。なんとなく、出かける前にチェックしたPCのメールだけ、もう1回開くことにした。
新しい21日付でたった1件だけ、メールがダウンロードされてきた。

NY在住のサイキックリーディング(守護霊・前世を写真・面会等でみる女性だとか・・)からのメール。

6月中旬、1日5千アクセスを越える女性向けの可愛らしいワンクリック大手占いサイトに、ネットサーフィンで偶然行き当たった。 私がネットを使い始めた頃からあった老舗サイトだが、一度も行き当たった事がなかった。

なんとなく 「お得」 そう、と毎月2名の無料鑑定プレゼントに応募して、そのまま忘れていた。1カ月近く忘れていたら、当選通知が来て仰天した。そういえば写真を1週間ほど前に送った記憶がある。

その鑑定結果が今、目の前にあった。

今年の11月から来年の4月にかけて「不安からの解放」「安らぎ」「安心」をキーワードとする運命の事象が訪れると言う。
さまざまな鑑定結果の最後に、「貴方の守護霊からの言葉」、が伝言されていた。

『心のより所はたくさんあっても
  最終的には自分を信じることが未来へ繋がっています。
  
               自分に勝るものは自分以外にはないのです。』

我慢強く本当に好きなものを探し、忍耐強く到来を待ちつづける子供の頃からの癖。
呆れられても、ピュアなものへの想いを持つ人間が大好き、な私にとって、これ以上の素敵な回答はなかった。
背筋を電気が走った。

待ちつづけたファンに何度も 「ありがとう」 と繰り返し、マイクを両手でさっと挟み、祈りのポーズを一瞬、観客に気付かれない程度にとった氷室。そんな一瞬の姿が脳裏をよぎり、「素敵・・・」、朦朧とつぶやいたまま、ベッドに倒れこんだ。
15th anniversary、931日の夜。


15/7/2003
Mon








盂蘭盆会
(あなたがいるから)







a thought

「それは自分の子に対してだけだったから」 

7月15日、関東圏では盂蘭盆会(うらぼんえ)にあたる。

仏教そのものを信心するか否かはほとんど哲学の世界。 しかし、注目すべきは、仏教といえば、の開祖 釈迦が実際に生きていた紀元前500年頃の世界において、既に人の心のあり方への重要なメッセージが確立され、2000年以上の時を超えてその思想が受け継がれている、と言う事である。
仏教そのものの是非はさておき、時を経ても色褪せないものには何らかの真実があるのかもしれない。

盂蘭盆会(うらぼんえ)   
釈迦の優れた弟子の一人、目連(もくれん)の母が、地獄の一つである餓鬼道から救済された日である。お盆と言う言葉を知っていても、この盂蘭盆会の意味を知る人は多くはない。
目連にとって母は素晴らしい女性だった。愛に溢れて目連を育てた。そして息子の幸せを何より願い、亡くなった。

愛に溢れて育った目連にとって、母は女神。 しかし修行の末、天界、地界が見えるようになった目連の瞳に映ったもの、それはあまりにも残酷な光景だった。
母は、日夜飢えに苦しみ、殺し合い、互いの肉を貪る餓鬼道の醜い亡者へと転落していた。

なぜ、目連の女神は餓鬼へと転落したのか。
自分の息子にとってだけ、彼女は女神だった。二人の幸せのためなら手段を選ばず、他の者はどうなっても預かり知らぬ、それが彼女の生前の姿だった。目連はそれを、知らなかった。

目連は釈迦に問う。どうしたら、母を救えますか。
釈迦は苦しみ喘ぐ目連にこう答える。僧たちをもてなし、ふるまいなさい。

この単純な、一見ありきたりな回答に集約された、時を越えて受け継がれている含意がある。

僧は自分の身近な利益とは全く無縁の者達の幸福を祈る姿の象徴。その僧たちをもてなす、行為は、出来る限り多くの人に自分が出来る限りの利益を折半しようとする姿。

この話が意味するもの、それは、自分だけよければよい自己利益重視、さらには自分に都合のよい愛のあり方への固執、への警告、である。

結局そんな生き方は目先は楽でも、殺し合い、貪りあい、お互いを破滅させる餓鬼、の世界を生み出すだけに過ぎない事を、2000年を超える哲学が語っている。
1人でも生きられる、誰も必要としないほど力がある、など、一見素晴らしそうに見えて、人として、不幸な姿であろう。
互いに支えあおうという共存型の姿、多くに幸福をもたらそうとする姿。

与えるばかりに見えて、目の前に輝くばかりの幸福がそっと、微笑んでいる。


   - 今日の歌詞 -   「あなた」 (L'Arc-en-Ciel)

眠れなくて 窓の月を見上げた 思えばあの日から
空へ続く階段をひとつずつ 歩いてきたんだね

何も無いさ どんなに見渡しても 確かなものなんて  
だけど うれしい時や悲しい時に  あなたがそばにいる

地図さえない暗い海に浮かんでいる船を
明日へと照らし続けてる あの星のように

胸に いつの日にも輝く あなたがいるから   涙 枯れ果てても大切な あなたがいるから

嵐の夜が待ち受けても 太陽がくずれてもいいさ

もどかしさに 邪魔をされて うまく言えないけど
たとえ終わりがないとしても 歩いてゆけるよ

胸に いつの日にも輝く あなたがいるから   涙 枯れ果てても大切な あなたがいるから

to your heart  to your heart to your heart  I need your love and care

7/7/2003
Mon
幸せの虹





a thought





今回のツアーTシャツは毎日限定で7日間で7色。
友達が代理で買ってくれた7月2日販売の緑を着ています。

ツアーペンダントをつけてもう、しあわせ。


「しあわせは いつも自分のこころがきめる」 
書家であり詩人である、故 相田みつをの言葉。

待ちに待った931日。 2000年12月6日、東京ドームライブを最後に活動を停止していたラルクアンシエル(L'Arc〜en〜Ciel)が七夕に復活宣言した。
もう2度と、会えないのではないか・・・・さすがに不安だった。
1996年、初めて100万枚を突破した彼らのCD、Trueを手にした時から恋に落ちて一筋、ずっと応援し続けてきた。以来、東京のライブは1ツアー1回以上、必ず参加した。

今回のライブSHIBUYA SEVEN DAYS2003は、忘れかけていた輝きをまた、私の中に戻してくれた。
メンバーの個人活動が続き、新しい曲が出ないままの久々のライブはラストライブ、の噂もあった。

絶対に違う。彼らはそんなに柔じゃない。信じていた。

誰しも、自分だけの世界観がある。けれど、それをうまく表現できたり、共有できたりすることは案外難しい事だと思う。
ラルクの初期の世界は私の琴線、愛してやまない世界をそのまま、見せつけてくれた。衝撃だった。夢が、現実として、そこにあった。そしてそれが彼らに出会うまでも既に5年以上、インディーズとして結成した1991年から地道に続けられていた事にも衝撃を受けた。華やかなプレイの陰に、好きな世界に理解を得ながら生き残るための、膨大な苦労と思考錯誤、ファンへのサービス精神と自分たちの世界への飽くなき挑戦が、あった。

普遍性。時代の先端を行くような扇動的なソニーのマーケティングとは裏腹に、彼らに流れる普遍性。柔らかく、流されない。普遍だから、時には、変。そんな姿がいとおしくて仕方がない。

旧メンバーの1人が覚せい剤不法所持で逮捕されグループから抜けた97年。このときも、もう駄目かと思われた。しかし6ヶ月の活動停止後の東京ドームの復活ライブは4分で売り切れた。
その日、ボーカルは熱を出して点滴をうって舞台に現れていた。半年のブランクの不安に必死で、そして最後にはファンの大きな感動に包まれて感極まっていた彼の表情が忘れがたい。

今回のツアーでも遠くからはわからないが、双眼鏡の向こうの彼は、何度も厳しい表情で次の動作の確認を行い、体は楽しそうにファンの熱狂に応えるように振舞いながらも、苦しそうな、倒れそうな表情があった。実は倒れそうなので座っている、という場面もあった。本当に体の弱い人だけれど、プロの男だ、そう思う。音楽が好き、を超えて奉仕精神まで行ってしまっている。

2003年7月4日、思いもよらぬプレミア席がまいこんだ。ファンクラブの更新を忘れて脱会になっていた私は、2年ぶりのいきなりのツアーの先行予約が出来なかったが、思いは通じた。

祖母だけは私のラルク熱に理解を示した。
「うちも若いとき、●●さん(女優)の大ファンでな。彼女が老いぼれはって、ファンがみんな忘れても、老人ホームにいかはる前の数日間、私はお世話させてもろうた。人気があってもなくても、うちはあの人が大好きやった。あの瞳、そしてお母さん孝行なところ、全てに惚れたんや。だから本当の友達にもなれた。あんたの気持ちはようわかるで。」

7月5日祖母の誕生日。夕方5時開演。届いたチケットと見て驚いた。5列目、5番。私のラッキーナンバー5が並んでいた。

もっと大きな衝撃が、会場で私を手招いていた。

チケットチェックを何回も受けながらアリーナをどんどん前へ進む。中央通路から5席目。前から5列目のシートをどきどきしながら見た。他の人が座っていた。表示には「8列5番」とあった。わけがわからなかった。

席にはもう私以外、全員がついていた。みながこちらをみて微笑んだ。
中央ブロックはステージのせり出しにあわせて、3列目までがなかった。

5列、とは、前から2列目、のことだった。

はきそうなくらい、しあわせ。辛抱強く待った日々が、寂しかった日々が吹っ飛んでいった。
彼らがいたら、何も要らない。

・・・かは、実際どうなのかよくわからないけれど(笑)、そしてメンバーのMCは相変わらず滅茶苦茶だけれど、そう、こんなにもはじけるような幸せに包まれることが出来る自分が、そんな出会いがある自分が、最高に、幸せだと思う。
恍惚の中で、誰かを幸せにしないとバチがあたってしまう気がした。彼らのように、すさまじい数の他人に熱狂的な幸せを与えられるすべも私にはないけれど、せめていつも1人、そう言う人があるなら、生きている甲斐が、レベルが、違う。せめて一人に幸せ、と感じてもらえる自分を目指して。

幸せの虹はいつも、この心の中に。
こんなにも強烈な幸せを何度も何度も、ありがとう。これからもずっと、変わらず、大好き。

27/6/2003
Fri
地 図



a thought



「思いが通じたのかな!」 Aさんは目を輝かせた。

「明日朝、W社さんへインタビューに行くんだけれど、○○ちゃんも一緒行く?メンタルヘルス興味あるよね?」 
慌しく社外へ出かけていく様子のAさんが、大きな鞄を抱えて振りかえった。

「はい、是非!」 2つ返事をした。
「あ、じゃ、またここに戻ってくるから。明日朝一だから。詳細は戻ってきてから!」 Aさんは飛び出していこうとしていた。

いつも気遣って下さるAさんをあわてて呼びとめた。 「あ、もし何でしたら、携帯にでも集合場所を連絡頂ければ、明日直行で行きます。無理にここに戻ってこられなくても!」 「大丈夫、大丈夫!じゃあ。」

Aさんは忙しい。自分の仕事で時間などないのに、それでも合間に仕事を手ほどいて下さっている。
夕方Aさんが慌しく戻ってきた。明るく仕事の報告をして周囲を笑わせている、Aさんの声が聞こえた。しばらくして、また慌しく作業を始めたようだった。

随分経ってから、明日訪問する企業の地図をネット検索して打ち出してAさんに渡そう、そう思った。

なんと言う会社だったかな?とあれこれ探して、その会社の地図が見つかった。
自分用も含めて2枚、印刷ボタンを押して印刷機に向かった。 丁度その時、Aさんが立ちあがって、先に印刷機のところに辿りついた。
「あ、あれ?○○ちゃん、もしかしてこの地図今、打ち出したの?」 「はい。1枚をAさんにお渡ししようと思って。」

「わあ、思いが通じたのかなあ!」 印刷機の上に出てきた3枚をAさんがめくった。同じサイトの同じ地図が3枚、並んでいた。

「すごいね〜、同じ時に全く同じことをやって。これ、○○ちゃんに渡そうと思って打ち出してた。」
「本当ですか?やだ、これAさん用のもう1枚なんです!」 「え!それなら、これもらっとくよ!」
Aさんも私も打ち出してすぐにとりに行ったから間違いない。全く同時に同じページが3枚、印刷機から出てきた。

また時間が経って、今度はあるサイトのページを持っていって、訪問企業の面白い特徴をAさんに話した。
「あ、そこ、さっき見てた(笑) あはは。同じこと、同じように調べて。通じてるね!」

思いが通じる。相手へのいたわりが、その根底には不可欠だ・・・。Aさんの私へのいたわりが、Aさんの行動より早く、私に届いているような1日だった。

思いが通じる。それは、心に「おなじ地図」を描く瞬間なのかもしれない。 
全く同時刻に印刷機に打ち出された、あの3枚の地図のように。

21/6/2003
Sat
KAORI

a thought

「どうして涼しい顔で対応できるんだろう?」 当時、私にとっては超人的、この世の不思議だった。

Mさんは、業界ではある意味、経営者より有名な人だ。その「おそろしさ」を語るだけで一晩あかせそうな、奇怪な行動をとる。 
しかし、Mさんがどんな人であれ、私は彼の仕事におけるずば抜けた部分をもって、尊敬したいと思った。けれど・・・・

あの香りだけはどうしても駄目であった。 - KAORI − 私だけではなく閉口する人が多い彼の特徴だ。
夏の生ごみ・・・・のような香りを漂わされるにあたり、どうしてもすべての好意的思考がとまってしまう。

にもかかわず、ある上司はいつも平然と長時間Mさんの相手をしていられるのである。 
奇跡奇怪でしかない、そう思った。

私が避難退席から戻ってくると、上司は「Mさん、うるさいでしょう。」 そう言って、気の毒そうな顔をした。

「い、いえ、そ、そうではなくて・・・・」 Mさんの訪問は頻繁になっている。ああ、言ってしまおう。
「もう、あの匂いで気分が悪くなって座ってられないんです。拷問ですよ・・・・○○さんはどうして大丈夫なんですか?△さんも耐えられないっておっしゃってますし・・・」

「ああ、女性だけじゃなくて、Mさんと同じ部署の部下の男性達もよくそういってますよ。消臭スプレーをまいたとか、ゴルフでも自分の車には絶対に乗せない・・・とかね。」


「僕ね、あんまり鼻がきかないんですよね(笑)」

「・・・・!」

コロンブスの卵。 におわないものは嫌なはずもない。 五感のうちの何かが敏感だということはある意味、ハイリスクハイリターン。楽しみも大きいが苦しみも大きい。上司は「Mさん対応」はバッチリ、彼と話しながらさくさくと仕事を進めることができるが、香りがわかりにくいため食事の楽しみはない、と言う。私は全くその逆である。

快適に生きてゆく上で、自分にとって嗅覚は思考をとめる程の決定的な要素である事をMさんによって学んで、それはいまだにとても感謝しているのだけれど、その感謝の気持ちがまた、彼の香りで今日も飛び去ってゆく・・・

自分で金科玉条に思うことも他人にとっては大したことがない、それはよくあることだし、逆に、自分では大したことじゃないと思うことが他人にはミラクルだったりする。 また、自分では些細な事、と思うことが他人には致命的、また、その逆もある。

だから悩む事はない、といえばないが、悩んだほうがMさんの「夢」は早期達成される気がしてならない・・・

言ってもれえるうちが花。 今日、仕事でそんな話題が出て、Mさんを思い出した。治したくて治らないこともあれば、気づかなくて治せないこともある。せめて後者を排除できるように、その場その場で爽やかに注意してもらえる上司・仲間を持ち続けられる、無関心と自己愛の時代にこれは本当に難しい事だけれど、そんな自分でいられたら。

20/6/2003
Fri
同一性の追求

science

「ヒトは同一性を追求する高度な能力を持つ」 目から鱗。

ヒトの皮膚はほぼ20日で完全に入れ替わる。 つまり20日前を形作っていた細胞はもうこの世には2度と存在しないのである。そして、昨日、否、1秒前の自分と今の自分は細胞で見れば「違う自分」となっている。 骨も皮膚も内臓も刻々と入れ替わっている。

医学的にみれば昨日と同じ自分はもうないのであり、決して同じ「自分」ではないのに、小学校の自分、大学の自分、おじいさんになった自分、と、ヒトは「自分」という枠組で、この世に時間を超えて物理的条件を超えて同一のものが存在すると意識する。

この物理的には違うものを同一に考える事が出来る、その働きを、「脳」が司どる。脳に支障をきたして記憶が形成されないために、毎日、自分が誰で、この人は妻で、と認識しなおさなければならない人がいる。

何十年にも渡って多岐で詳細な思い出を持つ、覚えている、ということは、人間の高度な脳のシステムを表している。 すっかり変わってしまった故郷の町や、年老いた友人でさえも「同一なのだ」と考える事に意味を感じ、行動をおこす生物、ヒト。
確かにもの忘れや痴呆がすすめば、ヒトとして十分な生活は送れなくなってしまう。

過去の自分も今の自分も未来の自分も違うけれど、同じ。
物理的に変化してゆく中に、同一性を追求する事が出来てこそ、ヒトとして脳を活躍させているということができる。

温故知新
時間を超えた同一性の追求があって初めて意識される概念。そして、ヒトのDNAに与えられた宇宙の呪文。時代と時代、人と人、そして自分の中の違いを超えて、同一性を求める意識。ヒトという種の優勢的な繁栄を支えてきたシステムの意外な真実に驚きを隠せない。
  
(子供にもわかる医学、という授業を義務教育にしたら、もっと幸せな人生を実感できる人が増えるのではないか・・・そんな事を考えます)
15/6/2003
Sun
Well-being


a thought

「健康とは」  
「身体的、精神的、社会的に良好(well-being)な状態を言う」

WHO(世界保健機構)の定義。

20歳より健康な70歳だって当然いる、これが高齢者研究の進んだ欧米での、いや全世界でのコンセンサスとなっている。
加齢と共に身体的に衰えても、社会的に良好な状態に向かえば、その人の「健康」は保たれる。
近年、高齢者のベンチャー企業への斡旋が進んできている。彼らがj時間と共に蓄えた人脈、話術、経験が、立ちあがったばかりで、夢は大きいが経営基盤の不安定なベンチャーにとって重宝であるという。

人間は群れてこそ、個性も発揮できる。人間という群れに、個性を個性と認識されて初めて自己実現が可能となる。
肉体は老化しても社会的に良好な人であれば、人として健やかな状態が続いてゆく、もしくはレベルアップさえしてゆく。

「私はね、怒ったんだよ。会議の席上で相手をこてんぱんにする男をネ。人の前で社会的に恥をかかせるようなことは出来るだけ避けなきゃいかん。攻撃はその相手にだけしっかり伝えればいい。その人を社会的に貶めるような事はするもんじゃない、ってね。だから、私ははしごを外さないやつだって、言われてきたんだよ。」

齢75歳にして某大手地上TV局の顧問。 40年後の夢に向けて、40年間社会活動を展開。横断歩道を走って渡る。

「○○さん、ま、待って下さい!」 
スーパーおじいちゃんの「健康」な姿に明るい気持ちがはじけた。 横断歩道を駆け抜けるおじいちゃんの背中、いや、その輝かしい健康オーラを思いきり追いかけた。

11/6/2003
Wed
前頭葉と
扁桃体


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「同じ殺人でも」 ベストセラー作家であり解剖学博士として著名な養老孟司は語る。 

俗に言う「キレる」脳の構造は明らかになっている。おでこの奥にあたる部分の脳、前頭葉の機能が低下している状態にある。この部分は行動の抑制(ブレーキ)を司っており、幼児期には低活性であるが(赤ん坊に目の前のヒヨコを触るなといっても言う事を聞かないように)、成長と共に本来であれば発達する。
しかし、何らかの理由でこの部分の活性が落ちると、ヒトは行動を抑制できなくなる。麻薬中毒者はこの前頭葉が犯されてしまうため様々な問題行動を展開し始める。
そして、このような前頭葉の機能低下は、衝動殺人犯の脳に特徴的である。

一方、キレているわけではなく、非常に冷静に、連続殺人を犯すようなケースがある。同じ殺人であっても、このようなヒトの前頭葉は、「捕まる事がないように」 行動を統制する極めて高い機能を発揮している。
では、前頭葉ではなく何が問題なのか。
脳には扁桃体という個所があり、(そのヒトなりの)善悪の判断を司っている。連続殺人犯はこの部分の活性が異常に高い。つまり、ある判断に対して過剰に反応し、行動に移して行く暴走型のアクセル=扁桃体が存在する。
養老氏によれば、この「連続殺人型」の脳構造の発見者もまた、「連続殺人型」の脳だったという。つまり、「連続殺人者とはどんな人間か。突き止めたい。」という異常なまでの執念の持ち主だったからこそ、画期的な発見ができた。発見した学者は連続殺人者の少ないロンドンを研究にならんと嫌がり、アメリカへ住まいを移したほどであった。

「同じ殺人でも、衝動殺人と連続殺人では犯す人間の脳の構造が違う。殺人を防ぐ、それはそのヒトの脳の構造にあった教育を行う事である。」

ヒト、を知る。

それはヒトがヒトとして幸福にいきるための究極の学問である、という彼の考え方に感銘する。ヒトを無視して、経済や科学、文化、教育、法律、その他の社会システムを考えたところで、ろくな結果は生まれない。金も法もシステムも、全てはヒトが、その頭の中で考え出したものに過ぎないからである。 ヒトの創造物がヒトというベースを離れる時、ヒトにとって誤った方向に、滅亡に追い込む装置にさえ「発展」する危険性がある。

教育の原点は 「ヒト」に興味を持てる人間を作り出すこと。
養老氏が医者であるだけでなく、ベストセラー作家であることに、21世紀の日本という社会に差し込むうっすらとした光を感じることができる、そんな気がしている。

(養老孟司さん 1942年生まれ 北里大学教授、東京大学名誉教授。最新刊「バカの壁」は彼のインタビューを編集者が再構成している分、養老氏本来の切味が発揮されていないとか・・・(笑))
3/6/2003
Tue
Wonderful
friendsC

強いから、では

なくて・・・


a thought

「嫉妬しちゃったの」 

今年、まあ君は3浪してやっと医学部に入学した。 ご両親は私大医学部にかかる莫大な資金厚めに一族を奔走した。

まあ君は本当に可愛い男の子だった。 色白でつぶらな瞳、華奢な体、はにかんだ表情。 全てがいじらしかった。 
無理もない、彼は心臓に重大な疾患を抱えて生まれ、幼稚園で大手術を行った。 そんなはかなさがどこか滲み出ている少年だった。

繊細なまあ君は妹が出来てまもなく、お父さんと一緒に寝る事になってから様子がおかしくなった。 食欲がなくなって日に日にやせ細ってしまった。 医者の診断は幼児の自閉症、だった。
お母さんの愛情が妹に向けられ、体が弱くいつも両親の心配に包まれていたまあ君から、「おにいちゃんのまあ君」が求められた。
まあ君はそれに耐えるにはまだ何もかも幼かった。

まあ君は沢山のいとこ達と共に私に会うたびに、はにかんで、そして甘えた。
みなが大騒ぎして暴れる中、彼は静かに私の側にいた。つかず離れず、でも、とてもいい子にして、私が他の子供の暴れぶりに苦笑すると、すぐに察して「だめだよね?おねえちゃん。」と理解を示して見せた。
他のいとこがいない時、彼はエレベーターから一直線に走ってきて、ちっちゃな体いっぱいに私に抱きついた。
大きな黒目で無心に私を見上げてにっこりと笑うまあ君。 何もかもがいじらしかった。

いつもそう。
子供の頃から、私は相談され、甘えられ、とにかく子供に愛された。たとえ自分が子供であっても、そうだった。
今でも見知らぬ子供、赤ん坊によく微笑みかけられる。 
私自身、孤独にとても弱い子供だった。見せかけの愛情では満足できない、「本当の」孤独が大嫌いな子供だった。子供同士の大騒ぎで誤魔化す事が出来ないほど親の多忙さが受け入れられない子供だった。
だからかもしれない。孤独が嫌いな子供、そしてそんな子供の心が住み着いている人に、とても愛されてきた。

「私ね、貴方のHPを見ていて、嫉妬しちゃったの。」
彼女は半分冗談、半分本気でメールしてきた。 長女の彼女には年の近い妹がいて、さらにまた体の弱い年下の兄弟が出来、一番多感な時期に、親の愛情がどんどん次の子供へうつってゆくという体験をしている。

まあ君と同じ、彼女もまた、根が真面目で頭がよく、そして繊細。だから、人の愛情に過敏過ぎてしまう。

「嫉妬しちゃったの」
この言葉を見た瞬間、まあ君の顔が脳裏をかすめた。
貴方の繊細な心を受け止められる程、私は強い人間ではない。 ただ、強くないと自らわかっているからこそ、そんな私などを強いと慕ってくれる存在を  −まあ君を、そして貴方を−  愛しいと思う。

人は強いから必要とされるのではなく、必要とされるから強くなれる

「ひよわな乙女をいじめないで・・・。鋼のオンナになっちゃうじゃない(笑)」
そっとメールにつぶやいた

25/5/2003
Sun
Wonderful
friendsB

ヴァイオリンに

咲いた花


a thought



初音さんが夢で見た私?(03年5月現在)

「いくらでももって来て下さいね」 ともちゃんのお母様は満面の笑みで応えた。

ともちゃんは全国、全世界を演奏会でめぐり、私も働くようになって、顔を会わすことはめずらしくなった。 


ヴァイオリンを胸に抱いて一筋、大きな花が開いている。


「たまらんなあ」 ともちゃんはまだ幼い頃、ベランダに出てきてわざわざヴァイオリンを奏でた。とても得意そうに。
しかし、その音たるや、すさまじいものがあった。 近隣住民は、皆、ちいさなともちゃんの被害者だった。

その後、ともちゃんはご家族の熱い支援に支えられ、芸大付属高校へと進んだ。真面目に一心に働くお父様と、お父様の収入を補うべく家内ビジネスに熱心なお母様。全てはともちゃんのためだった。
そんなご両親の一心さを受け継いで、ともちゃんもヴァイオリン一筋、わき目も振らず邁進した。

「上位の方は途中で留学しちゃったんですよ。だから繰上げ当選なんです(笑)」 

繰上げ当選で主席で卒業できれば、文句はない。ともちゃんは主席で芸大のヴァイオリン科を卒業した。

5月のある日、ともちゃんのお母様に用事があって、家を訪ねた。
「久しぶりにね、CDを出したんですよ。」

「わあ、買いますね。サインもらっちゃったり(笑)」

「あら、何枚でももって来て下さいね!」 お母様は本当に嬉しそうだった。

損保営業マンとして単身赴任、現在は病に臥されているお父様と、ひたすら娘のヴァイオリン愛を支援するお母様の大きな愛情に包まれた1枚。

 − 恋人はヴァイオリンなお姉様、 ともちゃんに、そして何よりもご両親に、熱い応援を送ります − 
川田知子 
1991年、東京芸術大学を首席で卒業。第5回シュポア国際ヴァイオリンコンクール優勝。
新CD「オペラ座のヴァイオリン弾き」が4月23日に発売されました。
http://www.japanarts.co.jp/html/JA_artists/violin_viola/0227_kawada/info.html 

25/5/2003
Sun
Wonderful
friendsA

「個性」

a thought

「個性的ってね」 彼女は小学校と大学院をイギリスで過した。

「私って個性的だから、とか自分で言う人に限ってたいして個性的じゃないのよ。ちょっと人と違う事をしている、ということをいってるらしいんだけど、それは単に違う事をしたというだけであって、その根本を聞いてみると、なんだか滅茶苦茶平凡だったりするのよね。魅力的じゃないのよね。」

私は思わず言った。 「そうそう、だって個性的って言うのは人と同じ事をしているのに何故か周りとなんだか違う、そう言う人をいうのよ。何も人と違う事をする必要はなくてね(笑)」

「それそれ、その通り!目立ちたい、かっこよくみられたい、注目をひきたい、ひがんでる、そう言うところから来るパフォーマンスの違いじゃなくて、そうよ、誰もがやっている事をやっても、やっぱり、滲み出る違い。それが個性なのよ。」

彼女と話していると気持ちがすっとする事が多い。彼女jを採用した格付会社の人事はなかなかの腕前だ。

「私、○○さんは個性的だって思うわ!」

「・・・・・いいんだか・・・」 キラキラ溢れる彼女の個性にしばし赤面。
同じ友達でもこういう友達に恵まれる、というのは私の恵まれた「個性」。それだけは胸を張って、貴方に伝えるわ。

24/5/2003
Sat
Wonderful
friends@

「感性」

a thought

「おかしいな・・・」 医者は友人の前で首をかしげた。

「本当にきこえるんですか? 普通、こんな高い音はきこえないんだが・・・。」

人の死期を悟ってしまう友人。 どうしても会いたくなって本当に久しぶり(数年)に食事をセッティングした後、友人がすぐに亡くなった経験を何度ももつ友人。友人は幼い頃、生後まもなく亡くなった妹の死が理解できず、妹の名前をつけた人形をどこへ行くにもまるで本人が生きているかのように連れて歩いていた。 
人の魂への感性が敏感なのだろう。

この友人が最近、風邪で熱を出し、その後これまた不思議な現象をひき起こしている。

家の電気機器がうるさい。女性や子供の高い声が異常に耳に響く。クラシックのCDをかけると今までと違うように聴こえる。
冷蔵庫など家電がうるさくて眠れないのに耐えかねて、友人は耳鼻科へかけこんだ。

医者はただただ驚くばかり。 科学的にも、彼女が人の耳が捉える以上の音を捉えている事が証明された。
風邪が治っても、変化なし。本人的には五月蝿いので勘弁して欲しいという。

この迷宮の愛好者でもあるウルトラ感性の友人とは、仕事を通してほんの少し会話しただけだったが、何故かその後ずっと、仕事を超えて交流が続いている。
麻痺した感性を作り出すと言われるこの社会で、共にいつまでも輝くような感性を。

今日もここでゆっくりしていって下さいね。海外の学会で会うかな?(笑)

8/5/2003
Thu
勇者たち

a thought

「感謝します」 メールの最後の言葉に心が震えた。

こうした方がいいのに、どうしてそうしないのか? ある仕組みを目にした時、率直にそう思った。
率直にその仕組みを有用と思う人間として複数の人にメールを書いた。 
「どうしてそうしないのでしょう。そう、しましょう。」

数分後、滅多にメールでは返事が来ないある人の名が、受信フォルダに入った。 2行メールだった。

「ずっといいたかった事をいってくれました。  感謝します。」


強い立場を利用するならば、いくらでもそうさせる事は出来る。
しかし、発言者の立場が強ければ強いほど、 「提言」 であっても、それは相手の心の中で 「命令」 に、化けやすい。
痛いほど、その人は理解していたのだろう。

その人は、相手が受け入れられない可能性を孕む事、依頼、指示は、目を見て言葉で、インタラクティブに伝達していた(たとえそれが、本質的に命令であったとしても)。
しかし、相手への賞賛はできる限り形に残して、しっかりと送り届けてきたのだ。


たった2行のメール。 本当に力を持つ人間の美学に触れた瞬間に、ただただ心が揺さぶられた。

(どんな人も皆、勇者の卵を心に抱えています。その孵化の仕方がわからなくて悪戦苦闘する日もある。でも、誰も皆、本当は勇者の未来を目指して生きている。さあ、私も含め、頑張れ、頑張れ。)

−今日の歌詞−

色付く舗道は懐かしい 風の香り
誰もが胸の奥によく似た夕陽を持ってる
枯れることを知らない 涙の色は今でも
夢を語った あの頃と同じ

ALONE
僕らは それぞれの 花を 抱いて生まれた 巡り合うために
ALONE
空を 見上げれば ひとり がむしゃらな 情熱がふわふわと 笑うよ

I was born to fall in love
You know We're all alone
Hold your dream it never ends
Naked eyes in the sky...
4/5/2003
Sun
新しさ

金塊の山

a thought

「追えば追うほど虚しくなるもの」 二人の言葉の回答は同じである。

NHK ETV特集に出演した美輪明宏にインタビュアーの女性がこう言った。
「やはり、美輪さんの魅力とは、いつの時代でも先端を走っているというか、一歩先を行く、というところでしょうか。時代がそれについてくる、だからこんなにも長い間、ファンが絶えないという!」

美輪はきっぱりと否定した。
「新しいものがよくて、古いものはダサい。 こんな馬鹿げた考えを<常識>のように流布して洗脳していること、マスコミやメディアの大罪の一つですよ。」
「例えば、服や髪型。 新作、最新モデル、ニューウェーブって、話題にしてもてはやす。 なんと目新しい、なんと素敵。 違うでしょう。 美容師は新しい髪型が得意だから、素晴らしいのでしょうか。そうではないんでしょう。 ああ、この女性を最も美しく見せる髪型はどんなものだろう。それを追求するのが、真の美容師。 彼らのすばらしい存在意義でしょう。」

「それを・・・新しくないと駄目だと言った恐怖感さえも与えるメディアの罪、恐ろしいですね。新しいもへったくれもない。いいものはいい。時代を超えて普遍ですよ。」

「人間の欲望はエベレストの山の高さまで金塊を積み上げても満たされる事はない。」 ある歴史家の言葉だったと思う。

テレビ番組で「彼氏は1000万以上の収入がないとね。」といっている女性がいた。家に来ていたヘルパーさんが、「ああ、こう言う女の子、多いんですよ。何様のつもりでしょう。」そうつぶやいた。
それもそうだが、こう言った女性を愛する、もしくはこう言った女性にもてることを標榜する男性は大変だ。1200万の収入の彼に、彼女は満面の笑みと賞賛を心から与えるだろう。無邪気に胸に飛び込んでくるだろう。 しかし、1500万の彼が新たに目の前に現れれば、その満面の笑みと愛情表現は「即時に」そちらに移ってゆく。 そこにはなんの悪気も自己矛盾もない。ただ、そう言う尺度なだけ、なのだ。 その女性が悪いわけでも、冷淡なわけでもない。しかし、そういう女性を好きになる彼にとっては、女性はマテリアルで冷淡、としか思えないのだろう。どっちもどっちな話ではある。
そんな女性はいつも、もっと上の収入を稼ぐ「いい男」がテレビの向こうにいて、現状にため息が出る。男性もしかり。彼の「理想の女性」は、いつも億万長者を探しているから気が気ではない。

新しさとお金。この2つを追い求めるならば、そこには救いがない。新しいものは常に生まれ、ゴールがない。お金は集めれば集める程、それを操る高度な精神性を要求してくる。

米国のギャンブル億万長者追跡調査では行方不明者が多い。
世界の船舶王と再婚したジャクリーンケネディ。その娘は常に誘拐防止のガードマンに囲まれ、結婚相手も「身元を明かさず」探すしかない。
巨額の金がもたらすマテリアルな人脈、マテリアルな世界の罠がそこにはある。


(ジャクリーンケネディの娘の話は笑えない話です。叩かないですむなら、石橋は叩きたくないものです、ね・・)

28/4/2003
Mon
Strategy
&
Tactics

a thought

「絵で書くとこんな感じですね」 黒板に教師は2本の線を描いた。

1本の長い線。 そしてもう1本は長い線の上を右に左に蛇行する線。

経営学の授業だった。他の授業内容はあまり覚えていないが、この「絵」と説明だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「この長い直
「絵で書くとこんな感じですね」 黒板に教師は2本の線を描いた。

1本の長い線。 そしてもう1本は長い線の上を右に左に蛇行する線。

経営学の授業だった。他の授業内容はあまり覚えていないが、この「絵」と説明だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「この長い直
「絵で書くとこんな感じですね」 黒板に教師は2本の線を描いた。

1本の長い線。 そしてもう1本は長い線の上を右に左に蛇行する線。

経営学の授業だった。他の授業内容はあまり覚えていないが、この「絵」と説明だけは鮮明に脳裏に焼き付いている。
「この長い直線が戦略。ストラテジー。そして蛇行している方が戦術、つまりタクティクスをつなぎ合わせたもの、です。」

今、あらゆる産業界、病院経営、政府において、「戦略論」がスポットライトを浴びている。 
もはや模倣では救われない程、日本の社会は成熟している。戦後の模倣による「熱狂的なおっかけ経済」が終焉を迎えた今、わが国は、「自らの意思決定」を行われなければならなくなった。

追い続けてきた見本はもう、どこにもない。勿論これからも真似していてもよいが、文化背景の違う国の「幸せ」がそのまま幸せになるほど、無個性な、また歴史のない国などない。
コピー国、コピー企業、コピー社会に甘んじ、自分、が消えてゆく瞬間を恐れる心がようやく日本人にも芽生え始めている。
そんな今、必要とされているのが、ストラテジー研究である。何を成功とし、幸せと考えるのか。 
成功や幸せは絶対的に何か、を学ぶのではなく(そもそもそんなものはないから)、独自の成功や幸せを作り出すためのノウハウを学ぶのが戦略論、と言ってよい。
人生で言うならば哲学。組織で言うなら共通の成功概念。

米国においてここ数年で成長している応用経済学で、MBAの授業で採用されている戦略経済学。他者の思う幸せ・掴んだ成功事例をそのまま模倣するのではなく、何故それが幸せなのか、成功なのか、また「成功・幸せ」はあまたあれど、それが生み出される過程に共通する「意思決定」は何かを考える。 米国内でこの研究が推進されているのは不思議ではない。既存のものに囚われない、それが彼らの思考だかからだ。
日本において戦略論に光があたりつつあるのは、米国を真似するのではなく、彼らから学ぶとはどういうことか、が、真に理解されつつあるということだろう。


戦略が決まれば、あとは戦術によって大きな目標からの乖離を防いでゆく。

ここで重要なのは、「戦略なくして戦術なし」 ということである。

戦略のない戦術は、その日暮し、場当たり的、ああ言えばこういう、万事権現様の言う通り、の世界、経営、人格を創造する。
若い世代の無気力、エイズ蔓延、企業・社会における心療系疾患の増大、ちょっとしたことで切れる思考回路、カリスマ登場への憧れ。
全てが戦略なき戦術的な生き方、の顛末を示している。

今の社会を作り出す人々は「戦略」的思考の出来る人間でなくてはならない、心からそう思う。
日々の暗いニュースに触れるたびに、後ろ向きになるどころか、大手外資系戦略コンサルM社や中堅のB社で学んだ日の前向きな自分が蘇ってくる。

何も出来ないかもしれない。「おまえはどうなのだ」と自分に問い掛ける時、スーパー劣等生な自分がいる。しかし劣等生だからこそ、問題解決へのインセンティブも大きいに違いない。
自分を信じて、戦略的な社会を、長期的視野に立った本当に豊かな社会を、考えてゆきたいと思う。

(4月最後の大安にふさわしいテーマにしてみました:笑)
24/4/2003
Thu
届かぬ花

a thought

「たった1日だけやった」 祖母はつぶやいた。
春の花が街中を賑わす季節。 いつものように可愛らしいチューリップが店頭で笑う。

「この花束はどう?」 チューリップのつぼみを指差して、私は祖母を見た。 次の瞬間、しまった、そう思った。

「チューリップはいらん。」 

仏壇に飾るための花束を選んでいた。
この時期になると色の種類が豊富で福福しいチューリップのつぼみにどうしても目が止まってしまう。
そして、うっかり祖母に買おうと提案し、毎年、断られる。

12月に急性白血病で倒れた祖父を病室に寝泊りしてつきっきりで看病した祖母。僅か1ヶ月少しで12キロやせ、それ以上頑張れば祖母が死んでしまうと誰もが懸念した。 憔悴しきっていた。

1月のある日、
「1日だけもいいから、頼むから家に戻ってゆっくりして。風呂でもゆったり入って眠らないと駄目だ。」 
周囲にそう説得されて、祖母はようやく帰宅を承諾した。
「もう病院には戻ったら駄目だ」 父は祖母に懇願した。

帰宅した翌日、祖母の足はとりつかれたように再び病院へと向かっていた。

1月下旬の寒空の下、久しぶりに病院の外の世界が目に入った。
「そや、あの人の病室にお花、もって行ったろう。」 祖母は1軒の花屋の色鮮やかな店頭で立ち止まった。

早咲きのチューリップのつぼみを腕いっぱいに抱え、祖母は病室へと少し心弾ませてあがっていった。
エレベーターを降りた祖母を迎えたのは異様な光景だった。
祖父のいる個室のドアは開け放たれ、大きな機材が所狭しと運びこまれていた。慌しく看護婦や医者が出入りしている。

「ご危篤です。」

たった1日前まで、血液中のガン細胞が0になるまで戦い、祖母と冗談を交わしていた祖父が、延命装置に囲まれて眠っていた。祖母は声を失って立ちつくした。 腕の中のつぼみの輝きだけがあたりに色を放っているようだった。

「うちがおじいちゃんを死神から守りきれなかったんや。あそこまで頑張ったのに、あの日帰ってしもうて、うちは負けたんや。」

「そんなことない。これ以上看護させたらおばあちゃんを殺してしまうって、おじいちゃんが死に急いだんよ・・・ほら、おじいちゃん、慌てもんやったから(笑) 苦しむところ、見られたくなかったんや。かっこつけやった、おじいちゃんは。」

祖母の好きなユリの花束をそっと買い物篭に入れて、私達は花売り場を離れた。

届かぬ花、それは私にとって二人の愛情の印にさえ見える。だからこそ毎年、愚かな提案を祖母に繰り返してしまうのだろう。

6/4/2003
Sun

出たら目

a thought


「決していい加減という意味ではない」 衝撃を受ける言葉。

サイコロ1つを何回か振れば、1から6が6分の1の確立で出ることは、予測がつく。
しかし、次の1回で何が出るかはわからない。

「デタラメ」とは決していい加減、ということを言っているわけではない。 

デタラメ=出たら目 
あらゆる事象の結果は人間にとって絶対的な予測は出来ない、「出たら、目」、なのである。
人間の頭で考えてもコントロールなど決して出来ない、わからない事が在る。当たり前だけれど、人はなかなかそれを自覚できない。だから、大なり小なり何事も「思うがまま」にしたいと考える。
しかし、人間の頭で考える「思うがまま」が本当に幸せな状態なのか、それはわからない。

思うがままにしたい、と努力する事は、実は自分の頭の限界を超えて授けられる大きな幸せを放棄しているだけかも知れない。

ままにならない、だからこそ、幸せ。

自分の身に何があろうと、それは宇宙の流れ、大きな意志の一貫であることは間違いない。
そう思うと、大きな宇宙の意志の一つであるお互いを尊重し、そして、一人でも多くの「宇宙の意志から生まれた存在」を理解し、皆で考え、「人」としての幸せに向かって前進する。

そしてあらゆる結果に対して、「出たら目」で在る事を潔く覚悟する。

長寿も短命も病気も老衰も、本当に不幸、だなんて思うことはない。
全て幸せ、と受け入れられる心を持つ事が出来る、幸せの光がうまれくる瞬間。

27/3/2003
Thu
最悪の美談


a thought

「捕らえられたアメリカ兵が拷問を受けていることには関係なく」 
米国大統領ブッシュは真面目な面持ちで周りを見渡した。

たった今、フロリダからの大統領演説ライブが終わった。

信じられない。

背後にアーミーウェアを着た沈痛な面持ちの兵士達を従えた画像をカメラに撮らせながら、米国大統領は言った。

「捕獲した負傷イラク兵を米軍側の治療部隊は治療しているのだ。
先ほどイラクの米軍と話をしたが、彼らは、
『イラク側に捕獲された兵士が拷問を受けていても、われわれはイラク兵を救護する。負傷者を救護すること、それがわれわれの使命だからだ』 そういっている。」

ブッシュは感無量という顔をした。拍手が起こった。

米兵とイラク国民、一体どちらが多く死んでいるのか。
大量の死者の山と瓦礫に埋もれた大地を生み出しながら、僅かなイラク兵の治療を謳い、僅かな米兵への拷問と比較してアメリカの「美しさ」、を叫ぶブッシュ。
拍手をする人々。

巨額の資金をかけた安っぽい内容のハリウッド映画。
その制作発表の全世界向け発信と勘違いしているのであれば、それは許される事ではない。

25/3/2003
Tue

いますが
ごとし


a thought

「在如」 祖父のガン闘病で12キロも痩せ、死後、顔が変わるほど泣きはらした祖母。

故 薬師寺の高田好胤(祖母の女学校時代の友人の弟だった)から、あたたかい字の色紙が届いた。
その人を思う気持ちがあれば、そう、貴方の側にだんなさんはいはるんやで。

在如 「在るが如し」 。

誰かを大切に思う気持ちを本当に持てる人は幸福(シアワセ)。
大切な人が側にいて、その人とまるで一緒に生きるように自分が2倍にも、3倍にも増強される。

誰かに嫌な思いを持って生きる人はつらい。嫌な思いの人とともに足かせをはめられながら生きるようなもの。

祖母は自分をすり減らして祖父を看病した。当時、その病と戦う事は大変なことだった。
損得を越えたところにある思い。誰かのために損をしてもいいから、と思える気持ち。それは損などが気にならない程の心の財産を得ている証拠かもしれない。

その色紙を眺めて祖母は言った。

「せやな。おじいちゃんは一緒にいはるんや。いますがごとし、うちと一緒にこれからは生きるんや。」


 - 今日の歌詞 -

どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために
好きなものは好きと言える気持ち
抱きしめてたい

そしていつか誰かを愛し その人を守れる 強さを
自分の力に 変えてゆけるように

25/3/2003
Tue




a thought

「イスラムのテロは」 アメリカのワールドトレードセンター爆破の時、あるオランダ人の政治学者がこう語った。

「いくらテロそのものを攻撃しても駄目なのです。テロ活動者を制裁しても問題は解決しない。」

彼は眉をひそめた。

「テロとは貧困という名の泥沼から沸きあがってくる蛾のようなものです。」

飽食を極めるアメリカと貧困に苦しむ第3世界。
同じ地球上に存在する貧困という泥沼をそのままにして、害虫退治をいくら叫んでも、沸きあがる害虫は光を目指してまたこの地上に舞い上がる。

イラク攻撃に右往左往する人々に今一度、その意味を問い掛けてみたい。

12/3/2003
Wed
しあわせの夢

a sixth sense

「何の夢やったかいな?」 祖母はヘルパーさんに笑いかけた。

その日、ヘルパーさんが来る時間になっても、祖母は起きてこなかった。 一度、「もうヘルパーさんがきはるよ(いらっしゃるわよ)。 そろそろ起きんと!」 そう起こしに行ったが、生返事がかえってきただけだった。
いつもより疲れているのだろうとそっとしておいたが、ヘルパーさんが来たので無理やりに起こした。
足のマッサージがあるから、起こさなくてはならない。 それでも祖母はなかなか起きてこなかった。

「起きようと思ったんやけど、なんか夢見ててなあ。起きられへんかった。」 祖母はヘルパーさんに申し訳なさそうに笑いかけながらのそのそと起きてきた。

「何の夢だったの?」 
「なんやったかなあ・・・・?」

午後、来客の思わぬ提案で、お洒落なイタリアンレストランにランチに行く事になった。 車を出していただいたので、思いきって祖母も出かける事になったのだ。
そのレストランは週替わりでランチコースを出していた。 中でも手打ちのスペシャルパスタが入ったコースが自慢の店だ。

コースのハイライトの一つ、本日のパスタがテーブルに運ばれてきた。 驚くほど沢山の渡りガニがのせられていて、殻まで柔らかく、美味だった。そのレストランは何度もランチで利用しているが、この大量渡りガニのランチパスタは初めてだった。

パスタが見えないくらいの渡りガニ・・・ その時、祖母が声をあげた。

「ああ、思い出した。今日の朝見てたんは、カニの夢やった。」

「そりゃまた、予知夢ですね!」 みんなが笑った。

もう半年以上、渡りガニなど料理もしていない。 いきなり祖母の夢に出てきたカニは何を意味しているのだろう。
それはさておき、そのランチの集いは本当に楽しい心に残るものだった。

こんな予知夢なら祖母に沢山見て欲しい。 幸せの夢は、カニの味。

28/2/2003
Fri
真夜中の声

a fact

「いやあ、何で起きてきたん・・?」 祖母がベットから呼びかけた。

先週の金曜日の深夜、いや、正確には土曜日22日になったばかりの深夜、夜中息苦しくて目が覚めた。
枕もとの時計を確かめた。 「1時59分・・・。 地震かしら?」

子供の頃から、夜中に地震が起こる時、その発生数分前に必ず目が覚めてしまう、というあまり楽しくない癖を持っている。 ただ寝苦しいと言うよりもパッチリと目が覚めてしまう、そんな現象で、しばらく何事か?とじっと布団の中で天井を眺めていると、突然地震が起こる。
最初の何回かは気がつかなかったが、小学生にもなるとさすがに「変だ」と思うようになった。
余震に敏感に気がつくのかもしれない、とも思ったが、それにしては起こるまでに多少、間があり過ぎる。

この日もパッチリと目が覚めて眠れなくなった。
すると突然、祖母の部屋から慌しく動く音、電気のスイッチやドアを開けようとする音が夜の沈黙を破ったから驚いた。
しばらくして静まりかえったが、何か胸騒ぎを感じて急いで祖母の部屋に向かった。

部屋は真っ暗で、祖母はベットに入っていたので、トイレに行く振りをして戻ろうとした、その時だった。
「どうして起きてきたんや。実は変なことが起きてなあ。」

「どうしたの?ちょうど2時ごろ目が覚めちゃったので何となく寝れないなあって、起きてきたの。」
「いやあ・・・・」
「どうしたの?」
「寝ていたら耳元ではっきりと 『電話!』 って、男性の声がしてなあ。びっくりして起きたんや。 嫌な胸騒ぎと電話とらなあかんって飛び起きたけど、誰もおらんし、電話もなってない・・・。それでも心が騒いでな、電気つけて時計見たら丁度2時やった。電話のところまで何とか行こうとしたんやけど・・・」

「はじめはな、病気で危ないと昨日お嫁さんから電話があった○さんがついに亡くならはったんか、って思ったんやけど、あんたが降りてきたから、びっくりしてなあ。あんたに伝わるなんて、なんやろう。」

同じ22日、その後2件の電話があった。ともにずっと前からスケジューリングされていた23日の予定の事だった。
23日、私はどちらの予定にも出向く事がなかった。

今日になってふと手帳を見ると、22日は仏滅、23日は大安吉日。 
消化しないほうがいい予定、そんな風に誰かが私を呼びとめたのだろうか。
23/2/2003
Sun
ロートルの
言葉

a thought

「頭がいいって、どういうことだと思うかな」 温かな瞳の中で静かな炎が上がった。

目の前には、少年の瞳を持った老兵が座っている。
老兵、彼にふさわしい言葉だ。 社会の裏側をうまく処理し、組織を守ってきた。 
彼は荒波に当たる度に、「組織とは?」を自問自答した。 そして、その組織が抱える10万以上の家計を維持する、それが「組織のため」、すなわち「組織と言う<人の集団>のため」の真実、であるという結論に彼は行きついた。

そんな彼との会話の機会が、突然私に訪れた。

「頭がいい、ということを、世間はよく、もの覚えがいいとか、数字に強い、とか、何かが人より速く出来る、そうイメージしがちだね。」

「しかし」 彼は、嬉しそうに微笑んで続けた。

「頭がいい、というのは、必要な事を、必要なときに、出来る、ことをいうんだよ。 そして、頭が悪い、とは、不必要なことを不必要なときにやる、ことを言うんだ・・・ね。」

夢にも思わなかった一人の老兵、いや哲学者との出会いがそこにはあった。

「労働人口6000万人の中で、ばったり二人は出会うんだよ。運命としかいいようがない出会い、互いにいい関係を作りたいね。」 彼の瞳が鈍い光を放っている。

激しく心が揺さぶられ、ただただ、頷くことしか出来なかった。

(この言葉をここに備忘録として残す事は、今の私にとって、まさに必要な事を必要な時に行う行為、そう思います。この出会いを導いた全てに、心から感謝します。)
3/1/2003
Fri
天使への想い
(新年ご挨拶)
a thought


明けまして
☆おめでとうございます☆

海外旅行の迷宮の
管理人CSFを
今年も宜しく
お願い申し上げます

「多くの人が命をかけて渡ったんですよ」 ガイドの方が言った。

フランス北部にある海に浮かぶ修道院、モンサンミッシェルでの休日。 日本語に直訳すれば「聖ミカエルの山」が、幻想的な姿を目の前にあらわしていた。

宮崎駿氏の 「天空の城ラピュタ」 の世界をそのまま現実に持ちこんだような、要塞色の強い概観を見せている。
海岸から4キロ、海に浮かぶ岩山をそっくりそのまま、修道院とその門前町に変えてしまった中世の一大プロジェクト。
海上80メートルの修道院には、大天使ミカエルがまつられており、天使教のメッカとなっている。
鎧をまとい、剣を振りかざす、天国の門を守るミカエル。その勇敢な美しさは人々の崇拝を集めてやまない。

満ち潮の時には、まさに空と海の「青」 の中に、影の濃い蜃気楼のように浮かんでいるモンサンミッシェル。
海岸から8キロの彼方に潮がひいた時には、蜃気楼は 砂上の楼閣へと変貌する。

わずか40分でこの景色が入れ替わってしまう。つまり、海岸から砂の上を渡っている最中に潮が満ちてくれば、命の危険に晒される事になるのである。実際、道路が渡されるまでは、何人もの巡礼者の命が失われてきた危険な巡礼地であった。

人々は何故、そんなにしてまで天使を愛するのだろう。キリスト教国のみならず、天使、という存在は世界中で人気が高い。
神、と言う存在の話に牙をむく人間は少なくないが、天使、の話になると寛容な意見が多くなる。いや、むしろ、色々な商品のモチーフとして広く受け入れられてきてさえいる。

天使のキーホルダーを付けて歩いていたとしたら? そうではなくて、神、のキーホルダーをつけて歩いていたとしたら? 後者を異常視する人は少なからず、であったとしても、前者を見咎める人は少ないだろう。 なぜだろう。

天使は全能ではない。それぞれに役割を与えられている。 
自らに与えられた役割を徹底して追求する、「神が全能であるための一部」、それが天使である。

全能ではないから愛される。 全能ではないから人の心に残る。 
全能ではない、これはそのまま、特定の使命を与えられて生まれし者、を意味している。

ある人の生きる姿が、「天使」である、と人々に想われる、そして人々の心に深く残る、
それはその人が、「ひたむきに、ひたすらに、自らの生の使命を追っている時」 に他ならない。

天使が国境を超えて広く愛されるこの時代に・・・
天使、になりたいと想う。

(ちなみに私はキリスト教徒でも熱心な宗教人でもありません(笑)) 
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名前: CSF 誕生日: 10月28日 仕事:プロジェクト運営 習い事:グランドハープ 運動:水泳◎陸上× 結婚:^-^
size:157,45,81,60,85 中高:皇室系女子校 大学:本郷キャンパス 嫌い:威張る人 好き:一生懸命 夢:ずっとラブラブ

趣味:海外旅行(中世の街並、世界遺産とリゾート。東京育ちゆえ敢えて現代都市は選ばず)、料理(6年の女子校教育で料理ノート4冊)、カラオケ(肺活量4000cc、80sとラルクを歌う)

はまり:氷室京介、ラルク、デジカメ、財テク

愛用:健康サプリメント、フレグランス

プチ楽:デスクの花、主催の情報交換会
実家:江戸時代−柳沢藩御用商人、明治大正昭和初期−貴族院選挙権保有&満州鉄道株主の豪商、現在医者家系に変化。私は長女のため昔風に言えば、後継ぎ。当主教育を受けました。本人は金融系。 タイプ:慢心の怖さを知り、経済感覚のしっかりした方。苦楽を共にし、共に発展して行きたいという結婚願望の持ち主。花も実もある人生にしましょ♪

全ての愛情は求め奪う姿勢からではなく、正面から向き合い育てる姿勢から発生する。 If you think'Yes', we are friends or more.....


迷宮の管理人の
   長所かつ短所

お年寄り大好き
(ウンチク好き)

当主・お嬢様教育
(金蒔絵箱いり・恋愛は古風、保守、スピリチュアル、戦前思考ですみません)

商人の血筋、しっかり系
(耳年増)

好きなものは針の穴、見聞は広め 
(一応笑顔で応対

新しいもの好き
(文明は偉大)

大食い 体力はない
(焼肉♪)

身体成長が非常に遅いDNAプログラム 
(医者も驚)

おしゃべりな人見知り
(わかりにくい人やなあ)

おしゃれ好きな硬派 (勘違い、なされぬよう)

ーご来訪者様へー

迷宮回廊へのご来訪、有難うございます。どうぞごゆっくりとお過ごし下さい。