5.とさづくり





いつも通りそっと起き出したつもりだった。
「……パパ?」
「ん、起こしたか。悪い。まだ寝てていいぞ?」
いつもならまだあと1時間以上は眠るノエルが、目をこすりながらベッドから降りてきた。
「ううん、もう起きる!朝だよね!」
目をこすり終えると、ノエルは意外とスッキリとした顔で元気よく宣言した。
最近気になっているのだが、一番早く起きるレオンがベッドの一番奥というのはどうだろうか。寝る位置を変えた方がいいな、と考えていると、ノエルが不思議そうな顔でこちらを見上げている。
「パパ、起きるの早いんだね。ママも起こすの?」
「いや。まだ起こさない」
答えながら抱き上げる。産まれた時には片手におさまりそうなほど小さかった息子も順調に育ってきて、そろそろ片手で抱っこするのは辛い重さになってきた。
「じゃあなにするの?」
「ママを起こす前に、弁当を作るんだ。一緒に作るか?」
なんとなく尋ねてみれば、彼は目をキラキラさせて大きく頷いた。
「うんっ!」
まだフレイが息子に料理を教えているところは見たことがないが、自分が先に教えたっていいだろう。なにしろ男同士だ。
「よし、いい返事だ。じゃあ、あっちに行こう。ママを起こさないように、静かにな」
抱っこから下ろして自分で立たせると、ノエルは声をひそめて「はぁい!」と答え、嬉しそうにレオンの腕にぶら下がった。


「さて、じゃあ今日は……カツオがあるな。土佐造りにするか」
「とさづくり?」
「ああ。パパは焼き魚が好きなんだ。ノエルが作ってくれるようになれば、嬉しいからな。よく見て覚えてくれ」
せっかく、初めての料理なのだから、自分の好物を作らせたってバチは当たらないだろう。残念ながらフーインイカやドクニジマスは扱いが難しいからフレイに任せるとして、普通の焼き魚なら初料理にも向いているはずだ。
さばくところは自分でやってしまおうと包丁を取り出すと、ノエルはわざわざ踏み台を持って来てちょこんと隣に立った。
「おさかなさん、切るの?」
「切るぞ。少し離れてろ」
「はーい」
「よい、しょっと……」
なかなか手早くさばいてはいるのだけれど、やはり初めてさばかれる魚を見るノエルには衝撃的な光景らしい。「あっ、血が」とか「わっ、わわっ!」とかきゃあきゃあ悲鳴を上げながらレオンの背中に隠れるようにして手元を覗きこんでいる。
「よし」
さばいたカツオの一節を取り、串を適当に刺して、レオンはノエルを振り向いた。
「今から焼くが、どうする?やってみるか?」
「……うんっ!」
恐る恐る、それでも力強く頷いて、ノエルは両手を差し出した。
串をしっかりと握らせると、「わっ、おもいっおもいっ」と呟きながら、それでも一生懸命持ち上げる。
あえて手伝うことはせずに、直火であぶるように指示すると、熱さに耐えながらもじっと我慢して両手をいっぱいに伸ばしていた。
「うまいじゃないか」
褒めると真剣な顔が途端にほわんと崩れて柔らかな相好になる。
その表情がフレイにそっくりで、嬉しくなってがしがしと大きく頭を撫でた。
「よし、そろそろいいぞ。こっちに持って来てくれ」
用意していた冷たい水に、焼けたカツオを漬けさせる。
「できたの?」
「ああ、できた」
よくやったな、ともう一度頭を撫でてやると、ノエルはぴょんぴょんと飛び跳ねて抱っこをせがんだ。「またいっしょにつくってね!」抱き上げるとそう言って、「パパだーいすきっ」とくっついてきた。フレイが可愛いのとはまた違って、どうしようもなく可愛いノエルに、幸せと一緒に現実感が強くなる。


ずっと以前フレイに、「しあわせすぎて夢か現実かわからなくなる」と言ったことがあった。
その時は本当にそう思っていた。過去に忘れられ、未来を失ったと思っていた自分が、愛する人に恵まれ、幸せな時間を手にしたことに、まだどこか不安があった。
けれど今は、フレイを愛し、ノエルを守り、この街で、人々とともに、この時間の中を、生きていく。守りたいものも、見ていたいものも、逃せない瞬間もたくさんあって。
(――今は、夢なんて見てる暇がないな)


「パパ?どうしたの?」
ふいに黙り込んだレオンに、抱きついたノエルが首を傾げる。
「いや……ノエルが可愛いから、見惚れてた」
「えへへ、そう?あのねー、エルミナータおねえちゃんもそう言ってたよ!」
「……エルミナータさんが?」
なんとなくそれは良くない気がする。
キールもすっかり大人になってしまったし、まさか次はノエルに目を付けたか?
いやいやいくらなんでもそんなことは……まあいい、今度それとなく釘を刺しておこう。
「そうか。良かったな。……さて、そろそろママを起こそうか」
「うん!ママ、おべんとー食べてくれるかな?ぼくが焼いたよって、言ってもいい?」
「もちろんだ。きっと、すごく喜ぶ」
「そっかあ……うれしいねっ!」
「そうだな、嬉しいな」
「ぼく言ってくる!」
ぴょん、と抱かれた腕から飛び降りて、ノエルはまだまだ速くはない足でとてとてと隣の部屋へ駆けて行った。
「まーまーーー!あさだよーーーっ!」

一日中元気なことだと苦笑しながら、明るい光の細く差しこむ窓の、カーテンを大きく開ける。
「ん?ルーニーか」
ルーンに祝福された幻想的な空気が、窓から見える畑に広がっていた。
「えっ?!ルーニーですか!やったぁ!ノエル、今日はママと一緒に畑に行こっか」
「うん、行くー!」
いつの間にこちらに来たのか、相変わらず起きたてでもスッキリと気分の良さそうなフレイが、楽しそうにノエルを誘って。
「レオンもいっしょに行きませんか?」
変わらない笑顔でにこにこと笑うから。
「ああ、たまにはいいな」
やっぱり可愛いフレイにはとっておきのキスを落として。
この優しい街で幸せな時間が続くことに、自分の生きてきたすべてのことに、今は感謝して。
レオンは両手を広げると、フレイとノエル、二人まとめてぎゅっと抱きしめた。


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