雪嵐、星の屑 (1)
アテナからマルスにもたらされたのは、氷の山を何千メートルと登り、雪原で多くの竜と戦ってなんとか神殿に辿り着いたアリティア軍にとっては最悪の報せだった。
体力には自信があるですら、さすがに疲れを感じる道程で、休ませなければならない者も多い。
辿り着いたとはいえ、神殿内も竜や盗賊が多く、ゆっくりと休むことなど出来ない。
そんな状況で、背後からの奇襲。
「くそっ・・・天気なんかお構いなしかよ」
ルークはそう言いながらも、再び剣を手に取った。
この場で話を聞いてしまった以上、出撃するしかない。何しろ相手は。
「暗殺者か・・・」
ロディも馬をひと撫でした。アンリの道をたどる騎士たちは、馬に随分と無理をさせている。
だが暗殺者の襲撃であれば、自分も出ると、決めているのだ。
「マルス様、体力の残っていない者が多くいます。陣を下げましょう。私たちが出ます。いいわね、ルーク、ロディ」
ロディは静かに頷いた。
ルークも、先のまったく見えない吹雪の、それでも先を睨むように見据えた。
「・・・見つけたら、無理やりにでも連れ帰ってやるよ」
彼女はいるだろうか。
間違い無く、3人の脳裏には同じ人物が浮かんでいる。
「分かった。ジェイガン、陣を下げてくれ。戦いに出す者は慎重に選ばなくては・・・」
まともに前も見えない吹雪の中で、連戦をくぐり抜け体力の落ちている者たちの中から、誰が戦えるだろうか。
さすがに3人では辛すぎる。
マルスはちらりと本陣に視線を向けた。出来る事なら、誰も戦わせたくは無い。心からそう思う。
だが、サポートしてくれる人物を数名は選ばなくては、たちの負担が大きすぎる。
「アテナも戦う」
危険を知らせてくれたアテナが、当然のように言った。
「マルス王子。俺はあちらで好きにやらせてもらう」
いつから聞いていたのか、ナバールは一方的にそう告げると吹雪の中へ姿を消してしまった。
「あっ、ナバール殿・・・!お一人では・・・」
「おれが手伝おう。まだ動ける。奴について行ける自信は無いがな」
の横をすり抜けて、エッツェルがナバールを追って走った。
「ナバール、エッツェル、ありがとう!」
申し訳ないことだが、頼れる彼らに頼るしかない。マルスが大声で礼を言ったが、既に2人とも吹雪に覆い隠されて見えなくなっていた。
「マルス様、私も出られます!」
カチュアの申し出に、しかし別の場所から声がかかる。
「やめた方がいい。この悪天候の中、シューターの攻撃を避けられないだろう」
「ジョルジュ・・・シューターがいる?」
急にかけられた声にも驚いた様子は無く、マルスは静かに尋ねた。
「ええ。・・・オレも出ましょう」
「みんな、ありがとう。どうか、無理をしないでくれ」
はこくりと頷いて、弓を手に取る。
ジョルジュを見上げると、彼は小さく頷いて、二方向を順に指差した。
「あちらか・・・そうでなければあちらだろうな。指揮官は」
片方は、ナバールが向かった方角で。
「残った方には、オレが行こう。当たりだといいが」
彼はそう告げて、やはり吹雪の中へ姿を消した。
一人一人、見えなくなっていくことに、は大きな不安を抱く。
厳しい瞳で空を見上げると、まだ昼間であるはずなのに、黒く渦巻いていた。
陽の光など、かけらも見えない。
厚い雲と舞い踊る木の葉が、どうしようもなく不安を強めた。
◆◇◆◇◆
ナバールとエッツェルを除く者には、単独で本陣から遠ざかりすぎないように、定期的に陣へ戻るようにと指示が出た。
カチュアとアテナに本陣を任せ、自身も吹雪の中へと身を投じている。
時折、彼女を正確に狙ってきているシューター。
どれぐらい戦っただろうか。半歩先すら危ういほどの視界の中、暗殺者たちはまったく危なげなく戦っていて、幾度も危機に陥ったが、どうにか生き延びている。
他のみんなは大丈夫かしら、と一息ついた彼女に、飛んでくる矢。
荒れ狂う風に、空気の震えもうまく感じ取れない。
冷えていく身体に危険を感じ、は一度マルスの元へ戻ることにした。
本陣からはそう離れなかった。
あまり離れると、戻れる自信が無かったから。
白いのか黒いのか、わからないほどの世界が広がっている。
怖い。
手の届かない場所で、誰かを失ってしまったら。
そう考えてしまう。
マルスだけではない。彼を護ろうと思えば、彼の周りの誰をも死なせてはならない。
戦いの中、それはとても甘美な夢で、それでも現実にすることが彼女の使命。
ナバールかジョルジュは、敵の指揮官を見つけただろうか。
それがもし、求める「彼女」だったら・・・?
どうすればいいのだろう。
手の届かない場所で、彼女を失ってしまったら。
カタリナを取り戻す為に手を貸してくれると言ったジョルジュの言葉を思い出し、は小さく首を振ってその想像を無理やり頭から追い出した。
◆◇◆◇◆
そろそろ戻れるだろう、という距離で、人の気配に息を潜める。
手を矢にかけたところで、その空気には覚えがあり、緊張を緩めた。
「ジョルジュ殿、ですか?」
の声に、彼は一瞬、動きを止めた。
本当にほんの一瞬であり、吹雪に遮られる視界の中、はそれを見逃したが。
「戦況はどうだ?」
いつもとまるで変わらない、優雅ささえ感じる声。
「こちらは無事です。そちらには何か・・・」
敵の手がかりが見つかっただろうか?続けて尋ねようとしたの言葉はそこで途切れる。
ジョルジュが彼女の言葉を最後まで聞かずに、口を開いたからだった。
「敵の指揮官は恐らく、撤退した」
「本当ですか!?良かった・・・」
「ああ。だが、残念だな・・・。今日は本当に、運が無かったらしい」
彼の浮かべた笑顔は、限りなく優しく暖かく感じられて、言葉とはまるで合っていない。
「いいか、一人で無理をするな」
「・・・ジョルジュ殿?先に一度、下がりましょう。冷えていらっしゃるのでは」
強く吹きつける雪に刺され、自身も寒さに震える。
他の者たちは大丈夫だろうか。とにかく今は一度、本陣へ戻ろうと、はジョルジュに手を伸ばした。
けれど。
「お前にだけは、会わないようにと思っていたんだがな・・・・・・」
そのままジョルジュがその場に崩れ落ちる。
思わず受け止めようとしたの左手は、彼の指先を掠めた。
ひやり、と。
この雪よりも、もっと冷たいものがあるとは思わなかった。
は一瞬、助け起こすのも忘れて自分の左手を驚いたように見つめた。
「・・・ジョルジュ殿・・・!」
呼びかけても、倒れたままで。
じっとしていては、すぐにでも吹雪に埋められてしまいそうだった。
まだ生きているのを確認すると、は彼を雪から救い出す為、一生懸命引っ張った。
いくら彼女が力があると言っても、体格差のせいで持ち上げることは出来ない。
とにかく本陣まで戻らなくては。
「・・・死なせない・・・」
誰も、死なせはしない。
こころ優しい、彼女の主の為に。そして、自分自身の絆の為に。
出来る限り彼の身体に負担をかけないように注意を払いながら、は主の元へと急いだ。
[ 次 ]