反省会を兼ねた会議が終了し、俺は彼女と肩を並べながら、本庁の玄関を出た。
 気の早い台風が、どんよりとした空気さえ、吹き飛ばしてしまったかのように、星空を見せている。
 「へぇ・・・珍しいわね。こんなに星が見えるなんて。」
 官庁街を歩きながら、俺も、意外に鮮明な星空を見上げた。
 「でも、都会のプラネタリウムが盛況なのも、わかる気がしますけどね・・・。」
 皇居があるせいで、この辺りはまだ灯りが少ないけれど、眠らない街の真ん中に立てば、夜には星が見えるということすら忘れてしまうだろう。
 「そうね・・・。そうだ、ね、日比谷公園に行ってみない?」
 「え?今から・・・ですか?」
 思わず声がうわずる。
 「ん?これから何か用事があるの? 」
 今頃?とでも言いたげな表情で、見上げる彼女に、ぶるぶると首を振った。
 「いえ、無いですけど・・・日比谷・・・公園・・・ですか?」
 「あそこなら、意外に灯りが少ないから、結構見えるかもよ。」
と言って、元気よくそちらへ歩き出す彼女に、慌ててついて行く。
 ・・・もしかして、わかってない?土曜の夜で、灯りが少ないってことは・・・

 そこそこ人がざわめく入り口付近は、水銀灯などもついていたが、繁る木々のトンネルを抜けてゆくと、いきなり、暗く広い場所に出た。
 彼女の感嘆の声が漏れる。
 「すごいわ、高木君。結構見えるじゃない。」
 その言葉通り、高いビル街の向こうに、普段よりも多くの星が煌めいている。
 「へぇ・・・」
 なんて言いながら、俺は、無意識に、大きな三角形を探していた。
 ・・・確か、頭のてっぺん近くにあるとかなんとか言ってたよな・・・
 「高木君なら・・・」
 ためらいを含んだ静かな声に、ふと見やると、彼女が同じように天頂を見上げている。
 「どうする?」
 「・・・はい?」
 「・・・さっきの、プラネタリウムの話・・・。聞いてたんでしょ?」
 咄嗟に答えが出なかった。
 考えれば考えるほど、オルフェウスよりもあっさり振り向いてしまって、呆然としている自分しか見いだせない。
 もっと、格好良く、彼女をこの腕の中に収めてみたい気もするけれど、どう考えても、そんな自分が想像もつかない。
 「あの・・オルフェウスより早くに、振り向いてしまうんじゃないかと・・・。声も聞こえないし、姿も見えないとなると、やっぱり不安ですし・・・」
 暫くしてから、困惑しながらも、正直に答えた俺に、彼女は軽やかに笑った。
 「それでこそ、高木君よね。」
 ・・・それって、喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら・・・。
 「あ、でも、あれじゃないですか?オルフェウスは、死んでしまうわけですから、そうなれば、エウリディケのいる冥界へも行けるわけですし・・・。」
 のどの奥で、くつくつと笑っていた彼女が、やがて、はぁ〜っと、ため息をもらした。
 「冥界で出くわす方だって、辛いじゃない。自分のせいで、彼まで冥界の住人になってしまうんだもの。」
 ・・・そういうパターンもありか。
 
 「佐藤さんなら、そんなふうに思うんですか?」
 いつの間にか俯いていた彼女が、「え?」というふうにこちらを見やる。 
 「えっと・・・その・・・なんていうか、オルフェウスは、彼女を完全に失ってから、生きた心地はしていなかったんじゃないでしょうか。ていうか、もうそ の時には心が死んでたというか。それは、確かに、現世の生を手放してしまったわけですし、その点については、確かに、不幸なことだったのかもしれません が・・・。」
 段々話しているうちに、日本語が怪しくなってきた。
 暗闇の中で、ビルの光を反射する二つの瞳が、息を潜めて、俺の言葉を待っている。
 「でも・・・あの、なんていうか、オルフェウスにとっては、そこがどこであっても彼女の傍に居ることが幸せなことだったんじゃないでしょうか。」
 ・・・あ、俺の言いたいこと、伝わったかな?
 じっと、俺を見つめていた彼女が、軽くため息をついた。
 「捜査1課の刑事にしちゃ、ちょっと問題発言じゃない?」
 その言葉の中に、困惑したような、呆れたような、でも少し、からかうような響きが込められている気がする。
 「え?あ、はぁ、まぁ、物語のことですし、現実問題ってのは、この際抜きにして・・・」
 なんと答えてよいのかわからず、慌てて言い訳すると、いたずらそうな瞳が微笑んだ。
 「冗談よ、冗談。真に受けないで。」
 ひらひらと手を振って、彼女はくすくすと笑った。
 ・・・でも・・・
 確かに、物語は現実離れしているかもしれないけれど、俺達にとって、死が意外に身近に転がっているというのは、現実のことだ。
 「・・・結果が、幸か不幸かということよりも、彼女と出会って、起きたことの全てが、彼にとって、運命として受け容れられたような気もするんですけど・・・。」
 ぽそっと呟くと、彼女が、笑いを止めた。
 暫く、沈黙が続く。
 ・・・俺、なんか、まずいこと言ったっけ・・・
 内心、冷や冷やしながら、俺は彼女の言葉を待った。
 「全て・・・?」
 夢の中を漂うような声で、彼女が呟く。
 「・・・冥界でのことも、絶望も・・・?」
 じっと見つめる瞳が、俺を捉えて離さない。
 「ええ。全部・・・。」
 そう言いながらも、知らず知らず、鼓動が早くなる。 
 ・・・もし・・・、そう、考えたくはないけれど、もし彼女がエウリディケのようなことになったら、俺は一体どうするだろう?
 きっと無様な姿をさらしながら、じたばたとあがいて・・・
 ふと、彼女が狙撃されたときのことが、頭をよぎる。
 今、思い出しても、背筋が凍るような思いをした。
 それが、現実となったなら・・・
 ・・・そういうのを、想像を絶する・・・と言うのだろうか。
 
 俺が、心中すったもんだしているうち、彼女は、ふぅっと大きなため息をついた。
 「やっぱ、エウリディケになんか、なりたくないわね。」
 思いもかけず、明るい声。
 「はい・・?」
 予期せぬ言葉に、ついていけない。
 「大切な人にあんなに辛い思いさせた挙げ句に、命まで奪ってしまって・・・。そんな人生ごめんだわ。」
 そう、きっぱり言い切って、彼女は、俺を見上げた。
 「ね、高木君。」
 その瞬間を、俺はどれ程愛おしく思っただろう。
 明日なんて、誰も知らない。
 今のすぐ後に、何が起こるかなんて、誰も知り得ない。
 だから、誰でもその瞬間を一生懸命生きてるわけで。
 大切な人だから、大切な瞬間(とき)だから、どんなことが起こっても、自分の選んだことを悔やんだりしたくないし、どんな瞬間にも、真剣になれる。
 きっと、彼女も、同じ思いを抱いたのだ・・・。
 どうなるかわからない未来に、びくつきながら生きていたら、それこそ、後悔だらけの人生になってしまいそうだ。
 そんな人生に、彼女を付き合わせるなんて、とんでもない。

 「行こっか。」
 半歩前を、彼女が歩き始める。
 その軽やかな後ろ姿に、胸を熱くしながら、ひっそりと思う。
 ためらいも、もちろん後悔も、もう、要らない・・・と。
 

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なぜにこんなに長くなってしまったのだろう・・・。
 因みに、土曜の夜の日比谷公園の暗がりは、
アベックで埋め尽くされているのです(爆)。
心の中でそう思っていても、
高木君にためらいは捨てられません(何の?笑)。



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