*** First Stage *** 背後で、ぱたんと扉が閉まり、俺は、ほっと息を抜いた。 薄暗い廊下から続く階段を下りてゆく。 少々、荒かった息も、すぐに落ち着いてしまうのは、日頃の鍛錬のせいだな。 ネクタイを弛め、ワイシャツの第1ボタンをはずし、くつろぎかけたところで、どんと肩に手が乗った。 ・・・なんで、こいつは、気配を殺す? 「よぉ、黒羽、ええタイミングやのう。」 闇夜に、にやついた歯が妙に白くて、俺は、顔を引きつらせた。 「平次、休憩?」 「便所や。」 そう言って、服部平次は、脇のトイレへ姿を消した。 「あ、そりゃ、悪ぃ。」 慌てて、ネクタイを締め直し、廊下を走り抜ける。 グッドタイミングということは、なんとか、ステージに間に合ったということだな。 厨房の中が、やけに静かな気がしたが、とりあえず、舞台控え室へと急いだ。 控え室のノブに手をかけたとき、ぱたんと扉の音がした。 ん? その音が気になるが、時間がおしている。 深く考えずに、俺は、控え室に飛び込んだ。 控え室の向こうに、舞台への扉がある。 その扉が少し開いて、ロングヘアとポニーテールが、その隙間から向こうを覗いていた。 「何してんの?」 思わず声をかけると、二人は飛び上がって、こちらを振り向いた。 「快斗君!」 「あちゃ〜、もう少し待ったら良かった。青子ちゃん、舞台に出てしもたわ。」 え?と思った瞬間、ホールで、どっとわく声がした。 やけにまばらな拍手が散り、また、どっとわく。 恐る恐る彼女たちの向こうを覗き込み、あんぐりと口を開けた。 ホールにしつらえられたステージで、スポットライトを浴びていたのは、どことなくあどけなさの残る、俺の大切な幼なじみ。 真ん中で、ひときわライトを浴びている彼女の表情が、真剣そのものなものから、ぱっと明るくなった途端、ホールに、歓声と笑い声と、ねぎらいの拍手。 いや、ほんと、それはねぎらい以外の何ものでもないだろう。 俺は、蘭ちゃんと和葉ちゃんの間をすり抜け、慎重に舞台袖に隠れ、いつもの仕掛けが生きていることを確認した。 「あいつ、いつの間に、覚えたんだ・・・?」 ため息と共に、笑みがこぼれる。 俺のマジックに、子供みたいに喜んでいただけだと思ってたのに。 けれど、初心者も初心者。 あれでは、これ以上の時間は稼げない。 タイマーをセットし、舞台の明かりを一斉に落とすと、客席からざわめきが漏れた。 同時に、小さな奈落に滑り込んだところで、上から、青子が落ちてくる。 すかさずキャッチして、悲鳴を阻止。 とっさの出来事に動転して、手加減無く暴れる青子をしっかり抱きしめ、耳元で囁いた。 「青子、俺だ。」 音楽が流れ、舞台が次第に明るくなってゆく。 それでも、奈落の中が薄暗いのは、この上に、巨大な箱が乗っかっているせい。 「やっ、なっ・・・!」 ステージの上で、緊張しまくっていたせいか、やけに、大人しくならねぇ。 「青子っ!」 もう一度、小声で叫ぶと、ようやっと、大人しくなり、潤んだ瞳が、飛び込んできた。 「・・・快斗・・・。」 「どうだ?ステージに立った感想は?」 いつだって、強気な青子だから、そんな風に言ってみたのだけれど。 「・・・っ・・・遅いよ・・・。」 その瞳から、大粒の涙がこぼれてしまったのを見て、俺は心底反省する羽目に。 アンダースタディは、ちょっときつかったな。 それでも、何とか、舞台を取りやめずに頑張ろうとした青子に、思いがあふれ、頬に唇を寄せ、こぼれ落ちた涙を、そっと拭う。 次に視線が絡まったときには、お互い、どちらからともなく唇を重ねていた。 不安だったせいか、青子は素直に俺を受け入れ、そっと、背中に腕を回す。 愛しさが止まらなくなりそうになるけれど、俺は、そっと青子の体を離した・・・。 「ここまで、サンキュ。あとは、俺が引き継ぐから。」 奈落がゆっくりとせり上がってゆくのを感じながら、俺は、もう一度、軽いキスを落とす。 ふわりとまぶたを閉じて、俺のキスを受けていた青子は、ぱちりと目を開くと、にっこり微笑んだ。 「頑張ってね。」 それだけで、充分。他に何にも要らねぇだろ? 俺はウィンクすると、舞台に仕掛けられた通路から、青子をそっと外に出した。 乾いた音がして箱の壁面が外に倒れ、煙幕から姿を現した俺の手許には、かわいい白ウサギが1匹残された。 「お前、主の留守をよく守ってくれたな。・・・けど、代役を務めるには、もうちょっと、練習が必要だぞ?」 ウサギに向かって真剣に話す俺に、驚きと失笑がわき上がる。 まるで、青子みたいにふわふわなそいつをシルクハットに収めると、それを脇に持ち、恭しくお辞儀をして、両手を広げたなら・・・ 「 Ladies and Gentlemen , it's show time ! 」 小さな小さなホール。 ここが、オヤジの出発地点だとは知らなかった。 当初、よく、寺井ちゃんが、押さえてくれてたもんだと感謝する以上に、驚き、半ば呆れたものだった。 しかし、寺井ちゃんがオーナーとして持っていたわけでなく、オヤジの熱烈なファンだったここのオーナーが、寺井ちゃんに店の運営を依頼してきたらしい。 気楽に一杯引っかけられ、且つ、ショータイムがあるこの店で、俺は、主にショーを受け持っている。 店自体は、酒とショーを楽しみに来る場所だからというのが徹底していて、スタッフは、皆、そろいの白いシャツと、黒いチョッキ、そして、黒いスラックスをはいている。 これに、ホール係は黒の短いギャルソンエプロンを巻き、厨房は、長くて白いのを巻くという寸法。 そして、ショーに重点を置いているため、飲み屋のくせに、閉店時間は意外と早い。 おかげで、余所で出来上がってしまって、くだを巻くような奴が来ないから、女性客にも評判だったりする。 新一と平次は、それなりに、警視庁からの出動要請があったりするから、たまに、来ない日もあるが、それぞれの彼女は、元々青子がらみで、バイトを始めてるから、よほどのことがない限り、バイトの日には来る。 バイトは、1週間に2クルー。 俺たちの他に、もう一組バイト達がいるらしい。 俺のショーは、マジック専門だけれど、そちらは、ジャズミュージシャンの卵達だと聞いた。 彼らの都合で、俺たちが4日詰めてる。 毎日、1時間弱の、簡単なショーをするけれど、たまに、平次の横文字の歌が聴けたりする。 ・・・あいつに、こんな特技があったとはね。 全く、沢庵でみそ汁な醤油人間かと思ってたのに、人は見かけによらねぇ。 新一はといえば、小さくなってた一件のせいか、表だって、自己アピールするようなことはなくなった。もちろん、捜査1課から電話が入って、手伝いに行ってるが、紙面を賑わすようなことはなくなった。 探偵の考えてることなんて、わかんねぇし、別にわからなくてもいいと思ってるから、聞きもしないけどな。 そんな感じで、ここは、いつしか、俺たちのたまり場になっていた。 閉店時間間際、俺は、暖かな白熱灯の下、アンティークなレジを働かせる。 見た目アンティークでも、中身は最新式にしてくれりゃいいのにと思うのだが、寺井ちゃんは、これがいたくお気に入りだ。 尤も、多少時間がかかるが、こういう小道具すら、客にとっては、雰囲気の一部なのかも知れない。 ショーを披露した人間としては、この場が、観客に直に挨拶する場でもあるので、ここには、必ず、俺か、都合がどうしてもつかなければ、寺井ちゃんが立つことになっていた。 すっかり手際が良くなったスタッフ達が、静かに、しかし着々と片づけを済ませ、最後の客が帰ったあとは、一斉に、ホールの明かりが灯され、ばたばたと掃除が進む。 札勘を終え、同時に会計処理をしていた寺井ちゃんが、よし、と、顔を上げる頃には、スタッフは、帰る準備をし始めるというのが、定着していた。 そして、今夜も、時計が終了時刻を打った。 |
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