Private Lesson 




 「・・・!っつっ・・・!!」
 快斗は思わず、声をあげ、口元を腕でおおった。
 口の中に、金臭い味が広がる。
 その隙に、青子は、自分の右腕をつかんでいた快斗の手をふりほどいた。
 「・・・な・・・何すんのよっ!!」
 肩で息をしながら、目の前の快斗を睨みつける。
 目に浮かぶのは、涙と、憤りと、悲しみと・・・とまどい。
 「何って・・・」
 こすった腕を見ると、うっすら血がついていた。
 「快斗が、そんなことするなんて・・・そんなこと・・・エッチ、色魔、変態!!」
 どこで、どういう風に、そんな言葉を覚えてくるのかという思いが、一瞬、快斗の頭の中をよぎったけれど、違った思いが急速にふくらんでゆく。
 何故、そこまで、言われなければならない?
 この状況で。
 「ああ、そうだよ!色魔に変態で悪かったな。男なんてのはな、いつだって、そうなんだよ。」
 好きな女に触れて、その全てをものにしたいと思うのは、全然不思議じゃない。
 健全なる青少年であれば、なおのこと。
 しかも、一応、彼氏と彼女として、だ。
 「開き直る気?!」
 青子の怒りに、呆れが加わった。
 「それに、大体、のこのこ、そんな格好で、俺の部屋に来て、その気がないなんて、思うわけねぇじゃねぇか。」
 因みに、彼女の出で立ちは、細いストラップのサンドレス。
 一時流行ったような、下着と変わらないようなものほどではないが、普段、隠れている首から肩のラインが、丸々見えるというのは、かなり、目の毒かも知れない。
 少なくとも、彼にとっては。
 ちょっと、横を向いたりして、首筋から、鎖骨の間のくぼみにかけた辺りがあらわになると、実際のところ、IQ400の頭脳も、機能停止してしまうほどだった。
 「何よ、それ。じゃ、青子が悪いって言うの?」
 さもお前が悪いと言わんばかりの快斗の勢いに、再び青子の目に涙が浮かぶ。
 でも、それは、殆ど悔し涙に違いない。
 「俺を何だと思ってんだよ。人が好いだけのでくの坊なんかじゃねぇからな!」
 好きな彼女に手も出さない、なんて、そっちの方が怪しすぎる。
 「・・・快斗の、バカ!大っ嫌い!!」
 青子が、快斗に背を向け、飛び出していったとき、彼は一体何をしていたか。
 ・・・泣きそうな声で「大嫌い」と叫んだ青子に、初めて、我に返っていたのだった。
 その目には、くっきりと、しなやかな背中を焼き付けながら。


 ・・・なんて、暢気なことしてる場合ですか?快斗君。
 時は黄昏、逢魔が時。
 普段のポーカーフェイスさえ、かなぐり捨てさせるほどの魅力を振りまく彼女を、一人で外に出してもいいものなのか。
 それに。
 「色魔」や「変態」で、この先過ごせるわけないでしょう?
 彼女をその腕の中に抱きとめたいのなら。


 「・・・っるさいっ!」
 誰に言うともなく、怒鳴りつけると、彼は彼女を追って、晴れ上がった夕立の後を、飛び出していった。
 もちろん、上着をひとつ、ひっつかんで。



 「っかしいな。どこ行ったんだ?あいつ。」
 一雨来て、涼しくなった夕暮れ時。
 どんな雑踏でも、絶対、すぐに見つけだす自信はある。
 ・・・が。
 快斗の家を出れば、間違いなく通るはずの道筋に、青子の姿はない。
 できる限りの場所を思い浮かべ、足を向けてみるけれど、なかなか見つけられない。
 ・・・いくらあいつでも、そんな遠くへは・・・。
 不安が胸に広がるにつれ、後悔の念も一緒に広がってゆく。
 彼女がお子様なのは、わかっていたはずなのに。
 時折、どきっとするようなことを言うくせに、その実、全然わかってないなんてこと日常茶飯事で。
 それが、今日はどうして・・・。
 わかってる。今日は、青子がいちだんと可愛く見えたのだ。
 もちろん、いつにもまして、可愛くあでやかに見えたのは、間違いなく、青子の出で立ちのせい。
 目のやり場に困るほど、青子の素肌は眩しくて。
 ねぇねぇと、腕を引かれたり、傍らに寄り添われたときには、心臓が幾つあっても足りないほどだった。
 そんな、(快斗にとって)目眩するような一日を過ごした後、夕立に降られた2人はあたふたと快斗の家まで駆け込んだ。
 夕飯を食べてくる、と言って出かけたため、快斗の母は出かけていて。
 快斗のパーカーを引っかけさせてもらったおかげで、青子はあまり濡れなかったが、快斗の方はずぶ濡れになってしまい、自室に着替えを取りに行こうとしたのだが・・・
 ひどくなる一方の雷雨に、一人取り残されるのを恐れた青子は、制止の声も聞かずに、快斗の部屋までついてきた。
 狭い部屋で2人きり。 
 彼の理性が、これで限界だったとしても、誰が責められよう?
 ・・・とまぁ、そういう次第。

 着替える快斗のために、後ろを向いたその背中が、あまりに無防備で、却って誘ってるような気がしてしまって。
 ・・・なんてのは、いいわけだ。
 姿を見つけられないと言うことは、それだけ、必死に、自分から逃れた青子に思い当たらざるを得ない。
 方々歩き回って、ついに諦めた快斗は、仕方なく家へと足を向ける。
 ・・・泣かせちまった・・・
 あんな形で、泣かせたくはなかったのに・・・。

 『黒羽君、大変だね〜。青子相手だと。』
 気の毒げに、からかうクラスメート達が、脳裏をよぎる。
 「けっ、大きなお世話だ。」
 『青子、わかってるようで、てんでわかってないものね。』
 「そんなこたぁ、百も承知だよ。」
 『でも、そこが、可愛いのよね〜。』
 「・・・」
 そう、誰よりも、あいつのことなんて、わかってるはずだったのに。
 
 すっかり暗くなってしまった玄関の扉を開けても、そこに、青子の可愛いサンダルはなかった。
 そのことが、胸の底に、苦いおもりを落とす。 
 どうして、あのとき、すぐに謝れなかったのだろう。 
 そうすれば、こんな後味の悪い思いをすることもなかったのに。
 ・・・そう、たとえ、快斗の言い分に、圧倒的な分があったとしても。



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