行ってきました猿島へ!
猿島再訪(上)で紹介したように猿島は自然においても考古学的にもまたレジャースポット
としてもなかなか魅力的な島だが、もっと猿島の廃墟部分にしぼって散策しよう!
というのがこの猿島再訪(下)であります。
猿島要塞は島の中央に露天の切り通しがあり、それに続くレンガのトンネル、島の中腹
西岸部に配置される砲台跡、現在展望台になっている監視塔跡で概ね構成されている。
(切り通し)
監視塔跡 トンネルに続く切り通し 切り通しの兵舎と弾薬庫:
現在はベニヤで塞がれている
巾4m長さ160m程の切り通しの東側に入り口がレンガで造られた兵舎と弾薬庫が並んで
いて、西側にも施設が存在した跡があるが、大半が埋められている。
この切り通しの自然崩壊の状態は激しく、地面から三分の一ほど埋まっているところもある。
現在は危険なのでバリケードで立ち入り禁止になっているが、もちろん探索のために世話人は
立ち入った。兵舎は中国の地下住居みたいに切り通しの脇をくりぬいてアーチ型の天井を持つ
間口5m奥行き15mぐらいの空間で窓は切り通しに面して2ヶ所しかない。
住環境としてはかなりヒドイ部類だろう。弾薬庫の脇には間口の狭い搬入用通路があり、
一番奥で縦方向の昇降路につながっている。昇降路の上の開口部には吊り下げ用フック
なんかが残っているが、当時は弾薬の運搬にずいぶんと効率の悪いことをしていたみたいだ。
もっとも実戦に使用されることもなかったようだが・・
昇降路の上の開口部 昇降路を覗いてみる(よくわからない?)
(謎の地下室)
地下室を降りる 地下室の中:扉はない
切り通しの上のほうを散策すると地面に空洞があって地下への階段が見える。
枯葉に埋もれた階段を下りていくと扉のない謎の地下室がある。六畳一間ぐらいの大きさで
何に使用されていたかはよくわからない。切り通しに面して小窓が付いているが、
切り通しからは見上げる状態になるのでなかなか気付かなかった。気付いてもそんな高い
ところへ上れないのであきらめていたら、
もっと上のほうにある地下室の窓だったのは以外であった。
地下室の小窓:地下室側から見る 地下室の小窓:切り通し側から見る
(トンネル状地下壕内司令部跡)
巾4m長さ90m程のトンネル状地下壕内には兵舎や司令部が並んでいる。
その中央部に島の断崖に抜ける階段があった。現在は入り口が塞がれてその階段は
上れないが、以前の記憶をたよりに想定した断面が下の図だ。
トンネルから階段を上ってくるM氏とI氏(1978年)
ンネル内の司令部と階段入り口:現在はベニヤで塞がれている
ここの施設は地下の中で二階建になっているが二階部分の床がろくろくなかったので階段を
上りきったところから内部をみると怖いものがあった。猿島再訪(上)でも紹介したが、
そこの断崖の中央部からはなかなか眺めがいい。また行きたいところだが、
今は島の最上部から岸壁沿いにロープで下りるほかないようだ。
その位置から真下の海岸に軍の隠し波止場があるらしいが、
ここへのアプローチは海からしか出来ない。
(砲台跡その他)
コンクリート製砲台跡:見るものはない 樹木に侵食されていくコンクリート製構築物
(アンコールワットを思わせる)
砲台は昭和16年に設置されたものらしいから猿島要塞としては一番あたらしいものだが、
現在は地面に直径6mぐらいのコンクリートの縁を残すのみだ。
後部に階段が付いていて地下に下りていけたようだがすっかり埋められている。
そんな訳で茂みの中にあるやつなんかは地面に注意してないと発見できない。
全部で砲台は5座あるが、そのうち一つだけ歯車のような形をしているのが不気味だ。
その他砲台と同じような時期に建設されたと思われるコンクリート製構築物が林や茂みの中に
点在しているが、木の根っこがせり出してコンクリートをパカッと割っているところなどは
自然浸食の激しいアンコールワットの遺蹟を彷彿させる。
昭和のころのものは致し方ないとしても、明治初期の建造物だけは本当になんとかして欲しい
と思う。軍事施設遺産となると何かごつごつしたイメージがあるが、猿島要塞は猿島再訪
(上)にも記したようにロマネスク様式、フランス積みレンガ建造物はどことなく優雅で
日本でも数少ない。貴重な遺産なのにこういった物は好きな人にしかなかなか理解されない。
そして保存されたとしてもセンスのない保存をされたりする。
ところが、こうした世話人の心配をよそに猿島を一大テーマパークにする構想がもちあがって
いる。以下神奈川新聞2002年2月15日のホームページの記事を転載する。
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