第二海堡(かいほう)探索記(下)

つぐまるの廃墟アワーにもどる
第二海堡探索記(上)にもどる
海ほう写真館へ


「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」


第二海堡に行ってきた!

行った状況は探索記(上)に記したが、行ってどうだったかを
(下)で説明したいと思っていた。が!
いまひとつよくわからん所なのでありますこの第二海堡というところは・・・

軍事施設であった関係かあまり公開されている資料がない。インターネットで調べても
決定的なものはなく、以前にここに半分住んでいるような釣り人の話から情報を得たり、
図書館にいってここを調べている人などもいるらしいけど、
成果はあまり上がらないようだ。世話人も集めていたスクラップ等の手持ち資料と
2001年の現地探査、そして1979年にここを映画のロケ地として使用した
「蘇える金狼」のビデオなどを参考に想像しながら島を検証してみた。

島は海底に落とした砕石を海面まで積み上げて、そこから2mの高さまで御影石で
人工基盤をつくりコンクリートと御影石の防波堤をめぐらしている。
そして戦略上の関係か東京湾側に折れる格好でブーメラン型をしている。
東京湾側は概ね兵站部門(弾薬貯蔵、兵舎、司令部などで300名ぐらい駐留していた
らしい)が設置されていたようだ。太平洋側(浦賀水道)には砲台を並べ、
それこそ撃って撃って撃ちまくるという按配だったのだろう。
(結局一度も撃つことはなく、戦後米軍に撃ちまくられた)

こんな配置だったみたい

砲台は大砲を据付けるための円形の桶みたいなものが中心にあって、その廻りを壁が
レンガで天井がアーチ型のコンクリート製の通路(回廊)がグルッと取り囲み、
その上を亀の甲羅のようにコンクリートで円錐台の形に覆っているというパターンで
構成されていたようだ。全体で直径は25mぐらいだ。その砲台が全部で14基ほどあり
島の両端と中央部の3ヶ所はひと回り大きな砲台があったようだ。各砲台はそれぞれ
地下通路でつながっていて随所に入り口跡が残っている。

こんな断面だったみたい



埋めなくてもいいのに・

東京湾側の兵站部門の地下構築物は防波堤に面してオープンの
長い通路とアーチ型の入り口がとってあり、その壁面は
オランダ積のレンガが積まれてなかなか美しい。
明治時代の軍事廃墟に共通した趣だ。現在はしっかり
埋められているが、中には掘り返す人もいるみたいで入り口の
上部がこっそり見えている。中を覗くと地下通路が続いている。


レンガの煙突跡

 

 ちょっと掘り返された入口   ちょっと覗いて見た!地下壕が続く


中はよくわからない

島の中央部には直径30mくらいの地下空間があった。
その上部にはトーチカがあり、床に機銃を据付けた跡も
残っている。その中心の地下空間の廻りにドーナツ状の
回廊があったが、その上の地上部分が崩壊して露出した
回廊の寸断された部分はトンネルのようにも見える。


東京湾の入り口にはこの第二海堡以外に第一海堡、第三海堡と同じようなのが二つある。
どれも海底に砕石を落として作った人工島だが、水深は第一海堡5m、第二海堡10m、
第三海堡40mであった。この深さを見ると第三海堡がいかに難工事であったかが
わかる。大正12年の関東大震災による被害はこの水深に比例しており、
第一海堡はそれほどでもなかったが、第三海堡はほとんどの構築物が倒壊して水没した。
現在はただの岩礁にしか見えないが、潜ってみたら海底遺蹟状態になっているだろう。
何も知らないダイバーがこれを見たらムー大陸の端っこだと言い出すかも知れない。

こんな崩壊断面みたい

第二海堡の被害は第一海堡、第三海堡の中間ぐらいだったらしいが、土台となっている
海中の石が崩れ、それにつられて海に向かってズルズルと崩壊している状況が島の
全周囲にわたってよくわかる。まず防波堤が水没し、それに引きずられて亀の甲羅の
ようなコンクリートの円錐台型装甲がパカッと割れて崩れ落ち、中心の砲台から分離して
中の地下通路が剥き出しになり、その天井が崩れてグシャグシャになっていく
というのが各砲台の基本崩壊パターンのようだ。コンクリートも今では考えられない
ことだが、鉄筋が全く入っていないので本当にパカッという感じだ。


パカッと割れたコンクリート
の円錐台型装甲


砲塔部分と分離


あとはグシャグシャ

 

探索の途中でまだ内部に潜り込めそうな入り口があり、地下に埋められる以前の写真を
見ると結構深い階段を下りているようだ。中に入る誘惑にかられたが、入ったら遭難
間違いなしだ。そこまで危険をおかす意味はない。ここで遭難するのは雪山で
遭難するよりタチが悪い。ヘンなとこに入っちゃったらもう絶対見つからないと思う。


割れめから地下に潜るパワーはない

こうしてあっと言う間に3時間がたち、岸壁に戻って帰りの船を待つことにした。
釣り人たちも集まってきた。釣り人たちのグループから離れてポツンと立っている
世話人に向けて釣り人たちはドッと不信と恐怖に満ちた視線を浴びせてきた。
世話人は自分で思っているよりかなり場違いな人物になっているらしい。
よほど怪しい人物に見えるらしい。いっしょに船に乗るのはイヤそうだ!

だけど世話人が朝早くからこんなところまできて釣りをする人の気持ちがわからない
のと同じくらい釣り人は朝早くからこんなところまできて廃墟を見てシビレている
人の気持ちがわからないのだろう。それはもう仕方のないことだ。


機関砲の台座の後か?

1997年に海上保安庁の消防訓練施設が増築されてから穴という穴、入り口という
入り口は全て埋められ、地下も封鎖されてしまった。第二海堡フリークたちにとっては
一大事だったらしい。世話人も早くここを訪れていればよかったと後悔している。

廃墟物は短命なので何時急になくなるかわからない。見るときを逃すと絶対見れない。
そう思うと20年近く行っていない猿島が気になってきた。
あの時入れた地下壕にも入れなくなっているかもしれない。

次は猿島に行こう。

 ちょっとシュールな海ほう写真館はこちらへ