2003/5/1〜5/30 |
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5月29日(木) 先の日曜日のこと。 レンタルビデオ屋へ行ったら、珍しく、<ピンポン>が棚に残っていた。 レンタル解禁になって以来数ヶ月、いつ行ってもオール貸し出し中だったのに、ラッキ〜〜♪ と、即ゲット。 そして、その夜、ワインを飲みながら、楽しくビデオ鑑賞をした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ のだけれど、 どうやら私は、調子に乗ってワインを飲み過ぎたようだ。 途中で気分が悪くなってきた。 <血中のアルコールの分量が、限界点を越えましたで〜>と身体が言っている。 泣く泣くビデオを途中であきらめ、床につくことに。 幸い、 横になっても、天井はグルグルと回っていなかった。 ここで、天井がグルングルン回ると、相当酔っぱらっている証拠。そして、相〜〜当に気持ちが悪い。 そこまではいっていなかった・・・・・・・けれど、 久々に飲み過ぎてしまった。 酔っぱらうほどには飲まないよう、気をつけていたのに。 25歳の年末に、<痛い目>にあって以来 そう気をつけていたのに。 夫が<痛い目>にあい、飲み過ぎには気をつけるようになった顛末は 4月10日の日記に書いたとおり。 さて本日は、その続きで、私の<痛い目>のお話を。 その25の歳の年末、 私は、友人達との忘年会に出かけた。 仕事の後、梅田のお初天神の飲み屋さんで、飲んで騒いで酔っぱらった。 その頃、 私はあまり上手なお酒の飲み方を、していなかった。 酔っぱらい、テンションが上がって、ワーワーしゃべるのが楽しい♪という飲み方。 なので、適量をわきまえず しゃべっては飲み、どんどん飲み あげく 泥酔しては人に迷惑をかけたことも、1度や2度・・・・・いえ、3度や4度のことでは・・・・・・・・・・・・・・・。 もちろん、会社のつきあいで飲むときは、セーブしていたけれど ともかく、そういう<ガキンチョ>な飲み方を 25になっても、まだやっていたというわけだった。 そう、これは、大学の新入生の飲み方。いい歳をして、いつまでもこんな飲み方をしているなんて!!! と、天が怒ったのか この時、とうとうバチが当たってしまった・・・。 その忘年会でも、私はかなり酔い それでも、終電で下宿へ戻ろうと、阪急梅田駅へ1人で向かった。(←他の人は2次会へ。) 当時、私は、阪急甲陽園という場所に住んでおり そこへは、梅田からだと、途中で一度、支線に乗り換えなくてはならない。 乗換駅で下車し、私は電車を待つべくベンチに座った。 酔っぱらって、立ってるのがしんどかったのだ。 そして、そこで30分ほど、寝込んでしまう。 ・・・女が1人、深夜の駅のベンチで寝込む というので、もうその時の私が、どれだけ泥酔していたか、わかろうというものだけれども ともかく、ふと目覚めて、ギリギリ最終電車には間に合い なんとか下宿へ帰ることはできた。 (・・・・・・・このことに関しては 今でも私は、その当時の西宮市の治安に、感謝している。 サイフも鞄も、何も盗まれなかったし、私も無事だったし。) さて、なんとか無事に下宿にたどりついたのは、深夜の0時半頃だっただろうか。 何度も日記に書いてきたとおり その頃私は、友人と二人 ものすっごくオンボロな、2DKの木造アパートで、共同生活をしていた。 ただ、問題のその夜、友人はいなかった。 年末だから帰省していたのか、はたまた友達の家にでも泊まっていたのか・・・。 ともあれ、友人はいなかった。 これが<痛い目>の原因の一つだ。 もちろん、最大の原因は、私が酔ッパライだったことだけど ともかく 普段なら、その部屋には友人がいて、彼女が先に入浴するから 私が勤めから帰った時には、お風呂にはお湯がはってある。 それが、その夜はなかった。 風呂は空だったのだ。 泥酔したまま、私は、それでもお風呂に入って寝ようと思った。 (↑つく〜〜づく日本人である。 フランス映画などで、風呂どころかシャワーも浴びずに ベッドに潜り込むシーンがよくあるけれど 見るたびにゲーッと思うのは、私だけではあるまい。) ・・・で、 そろそろ何が起こるか、お気づきの方もいらっしゃるでしょうが このお風呂、 今どきの、<蛇口をひねって浴槽にお湯をはる>方式ではない。 浴槽に<ガス風呂沸かし機>がくっついていて 水をはった浴槽を沸かして入浴する 昔ながらの奴だったのだ。 浴槽に、私は、水をはった。 そして風呂沸かし機に、点火した。 そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そう、私は畳に突っ伏して、眠り込んでしまった。 ふいに目が覚めたのは、午前4時。 浴室から、ゴボゴボという異様な音がしていた。 0.5秒後、 「風呂、火ぃつけたままや!!!!!!!!」 と、気づき 私は風呂場へ突進。 プラスチックの風呂のフタは、すでに反り返って変形し、 変な臭いを発していた。 あわててフタを取りのけたけれど それは、もう、やけどしそうなほど、高温になっていた。 そして浴槽は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 別府温泉の<地獄の湯>って あんなんではなかったですかね????? ともかく、浴槽の湯は、ゴッボンゴッボンとあぶくを吹き、煮えたぎり 蒸発して、水位は、浴槽の半分くらいにまで減っていた。 その水位を見た瞬間だ。 ことの重大さを知ったのは。 風呂の沸かし口・・・というのだろうか? 沸いたお湯が、浴槽に出てくるところ あの沸かし口と、水位が、 もうあと5センチ、というところまで、湯は蒸発してしまっていたのだ。 あと5センチで、空焚き! ・・・その風呂沸かし機に、自動消火装置がついていたのかどうか知らないけれど ついてなかったら????? そう、このオンボロアパートは火事だ!! なにせ、オンボロなのだ。 窓枠がサッシじゃなくて、木の枠というくらいのオンボロなのだ。古いのだ。 そりゃあもう、よく燃えることだろう! おまけに時間は、未明の4時。 2階建て、10戸の住人は、グッスリと眠り込んでいる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・間違いなく、大惨事だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・目覚めるのが、あと10分遅かったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ガスを消して、私は床にへたり込んだ。 冷や汗が背中を流れた・・・・・・・・・・・・・・・ と、書きたいところだけれど ぼう然としすぎて、それさえなかった。 はたから見たら、その時の私の顔には、間違いなくこう書いてあっただろう。 「神サマ。もう酒は飲みません。」 ともかく、間一髪のところで、惨事は回避された。 私1人ならともかく、アパートの全員を、えらい目にあわせるところだったのだ。 人の命を奪ってしまうところだったのだ。 想像するだけで、今も身がすくむ。本当に怖い。 そして、こんなトンマなことをやった罰なのか 翌日から、私は高熱を出して、3日寝込むことになる。 年末の寒い時期、 0時半から4時まで、布団も敷かず、着のみ着のままで眠り込んでいたのだから当然だ。 しかし、寝込みながら、布団の中で私は考えていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・誰が、あの時、起こしてくれたんだろう・・・・・・・・?と。 何を変テコなことを! と言われそうだけれど あまりにも間一髪すぎて、そう考えずにはいられない。 なにせ、4月4日の日記にも書いたとおり、 そのアパートには、何かいたのだから。 私に関係のある何かだったのか、アパートそのものに関係があったのか 肝心の金縛りの最中に、固く固く目を閉じていたので 今でもそれはわからないけれど ともかく、あれと今回の<火事の回避>は、まったくの無関係ではないのでは・・・・・??? などと思えたのだ。 4月4日の日記に書いた <もう一度あった、あれっ?と思うこと>というのが、これ。 さて、 <間一髪のところを、誰かに助けられた>と考えた私は大いに反省した。 以来、泥酔するような飲み方は、していません。(←・・・酒そのものは、止められなかったわけですね。) しかし、心を入れ替えつつも、 ときたま調子に乗って、日曜日のようなことになってしまうことも・・・。 そんな時は、思い出す。 あの浴槽の、煮えたぎった湯の水位を見た瞬間の、身もすくむ思いを。 本当におっそろしかった、あの光景を。 なので、今、私は反省中・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 皆様、どうぞ良いお酒を。 昼: タイ風サラダ ヤムウンセン(茹でたタコ、キュウリ、新たまねぎ、三つ葉、春雨、干しエビ) きのこ汁(ぶなしめじ、えのきだけ、マイタケ、薄揚げ)、ウーロン茶 5月25日(日) かつて、高村光太郎は書いた。 <僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる。> その通り! バリバリと、切り開いたぞ。道! ・・・・・・・・・・・・それにしても、人間とは勝手なもの、とつくづく思う今日この頃。 この一ヶ月、 山へ行っては、行く手をさえぎる木を切り倒し、枝をはらい、草を刈り、 ゴーゴーと自然をなぎたおしてきた。 踏み荒らされた落ち葉の下で右往左往する蟻やら何やらは まるで、怪獣映画で逃げまどう東京都民のよう。 しかし、そういう人間が、家へ戻れば ベランダのプランターに、ゴーヤやバジルを植え やれ芽が出たの、何センチ茎が伸びたので、大騒ぎをするのである。 もし今、誰かが我が家のベランダに忍び込んで <梅造>を バッキリ切り取っていったら 私は「鬼ー!悪魔ーー!!」と叫ぶはず。 ・・・・・いや、人間ってそういうものなんでしょうが 本当に、勝手な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ともあれ、ひと月前は、タンポポ全盛期だった里山も、今は、アザミが主役。 昨日は、山の中で、サンコウチョウとカッコウが鳴いていた。 夏がやって来ています。 昨日土曜日の昼: 香川県仲南町のうどん屋<矢坪>にて 冷たいぶっかけうどん小 250円、おでん(豆腐)80円 ※このひと月、山仕事の後、里山の近くのうどん屋でうどんを食べて帰る というパターンを続けていて、 中讃(香川県中部地域)は、本当にうどん屋の黄金郷だ!ということを 今さらながら、再確認した我々。 そう、里山は、中讃にあるのです。 そして、このあたりは 何と言うことのない、普通のお店のうどんが、高松市民にしてみれば 最上級の美味しさ!!! しばらく高松市内ばかりでうどんを食べていたので 今さらだけれど、頭を殴られたようなショック。 おかげで、山仕事へ行く楽しみが出来ました。 5月19日(月) う〜〜〜〜〜〜ん・・・これが自分だったら・・・・・・・ どうしただろう?? と考えてしまった。SARSの問題。 新聞・TVでも大騒ぎになっているとおり、 SARSに感染した台湾人の医師は、我が香川県にもやって来ていた。 しかも、連絡船という、とても閉鎖された場所に長居しつつ。 騒ぎが始まった最初の頃、私が思ったことといえば 「熱が出た時点で、旅行を中断したらいいじゃないの!このお医者さん! あちこち動き回って、メッチャ迷惑!!!」 だった。 正直とても腹立たしかった。ご本人には悪いけれど。 でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 自分がこの人だったら・・・・・・・・どうしたかな・・・??? 旅行を止めて、「SARSかもしれません」と病院へ駆け込んだだろうか??? ・・・いや、やっぱり <まさか自分が>という気持ちで、旅行を続けたような気がする。 ちょっと熱っぽいのは、疲れが出たからで、まさか、SARSじゃないよ、なんて考えて。 段々そんな気がしてきた。 新しい感染症と言えば、20年前にWHOが正式に認めて命名した<エイズ>のことを思い出す。 1983年の初め頃だったか 新聞・雑誌などで、<アメリカで流行している原因不明の奇病>という扱いで エイズのことがニュースになり始めた。 やがて、ヨーロッパでも感染者が多く出ているというニュースも加わった。 WHOも、それにエイズという名前を与えた。 が、 今回のSARSの騒動に比べると、 当時の、我が国の巷のリアクションは、かなりのんびりしたものだったと思う。 SARSに比べて、致死率が圧倒的に高かったにもかかわらず。 アジアでの感染者が、まだほとんど出ておらず よくわからないけれど、遠いところで流行っている怖い病気・・・という感じで。 実際、私など どういう病気なのか、最初は、本当にわかっていなかった。 免疫力が落ちて、肉腫を併発して亡くなる方が多かったせいで 皮膚病の一種のように、接触感染するのかと思っていた・・・ それくらい知識がないままだったのだ。 そんな1983年の夏。 生まれて初めての海外旅行に、私は、ためらわずに出かけた。 エイズのことは、もちろん頭にあったけれど、 でも、それで旅行を止めようなどとは思わなかった。 一年も前から、一生懸命お金を貯めてきたのだ。 それも、当時、私にとっては絶対的な存在だったグレート・ブリテンへの旅行だ。 止められるはずがない。 そりゃちょっとは怖いけれど、でも、まさか自分は罹患するまい なんて思って。 この時点では、まだ<接触感染するんじゃないか>と思っていたわけだから 今考えると、実に楽観的だったと思う。楽観的すぎるというか・・・。 そして、考えてみれば、危険な感染症はエイズだけじゃない。 肝炎。 これも相当怖い。 けれど、中国や台湾、東南アジアへ旅行する際 私は、この病気の心配をしたことがあっただろうか?? 何も考えず、屋台で食事をしてたのではなかったか??? このことを思い出すにつけ、 巷でどういう病気が流行っていようと 人間、自分がそれにかかる・・・とは、まず思わないもんだ ということを、強く強〜〜〜〜〜〜〜く実感する私である。 SARSにかかったまま旅行を続けた医師も、やっぱり同じだったんだろうなぁ・・・と思う。 「メッチャ迷惑」なんて、どうして私が彼を責められようか・・・・・・・。 とはいえ、 <まさか、自分が>という態度は、もう改めねば。少なくともSARSに関しては、と思う。 インフルエンザの流行時期と同じように すくなくとも手洗い・うがいはやらねば。 もし、香川県で発症者が出たら、外へ出るときはマスクもするべきだろうな。やっぱり。 私が気にしすぎてるんだろうか?? でも、SARS関係のTVニュースで、 北京や香港のかなりの数の人が、いまだマスクなしで出歩いている姿を見るにつけ 「・・・これって、エイズの情報を知りながら コンドーム無しで、見ず知らずの相手とセックスする人と同じじゃあ・・・・・・・・・・・・・・」 などと思ってしまう私。 やはり、気にしすぎってことはないと思うのだ。感染症に関しては。 自分だけならともかく、家族や友達にも迷惑かけてしまうことだし。 朝: 目玉焼き、サラダ(サニーレタス、トマト、ブロッコリーのスプラウト) 豆乳ヨーグルト(バナナ入り) フランスパン2切れ、オリーブオイル、紅茶 5月11日(日) 随分以前の映画だけれど 確か、メル・ギブソンが主演した<フォーエバー・ヤング>という映画があった。 とある理由で、冷凍睡眠装置に入ったメル・ギブソンが、40年たって蘇生し 40年前の若い姿で、昔の恋人に再会して・・・・・ というストーリィだったと思う。 細かなエピソードは、きれいさっぱり忘れてしまったけれど ひとつだけハッキリと覚えているのは 恋人の弟も、何かの理由で一緒に冷凍睡眠してしまい、40年後に目覚める。 弟は、重い腎臓病・・・だったか、肝臓病だったかで 40年前は、有効な治療法もなく、もう余命は期待できない状況だった。 それが、目覚めて、病院へ行ってみたら 医学が格段に進歩しており 医者に渡された薬が、なんと、40年前の物の半分くらいの大きさだった。 そう、映画の最初のほうで 弟君、薬を飲むシーンがあったのだけれど ウズラの卵・・・とまではいかないものの う〜〜ん・・・・・、そうですな、 親指の爪くらいはありそうな、すごくでっかい錠剤を、苦しそうに飲んでいた。 それが、40年後には、ごくごくちっちゃな錠剤になっていたのだ。 そのうえ治療法も その薬で、血圧を上げるだったか下げるだったか とにかく40年前の治療法とは、正反対になっていたのだった。(←怖い〜!) 40年たって再会した、メル・ギブソンと恋人が、どうなったかはまったく覚えていないけれど ・・・いや、ハッピーエンドの話だったのは覚えているけれど どうやってハッピーエンドにたどり着いたかは、てんで覚えていない。 が、 その弟君が、ラストシーンで お姉さん(メル・ギブソンの恋人ね)から、腎臓だか肝臓だかを移植してもらって 元気になった というのは、今でもそのシーンが頭の中に浮かぶほど、記憶に残っている。 ストーリィの本筋より、妙な細部が記憶に残ってしまった映画の典型・・・・・・・。 今年、スギ花粉症のため、耳鼻科に行き ふと、この映画のことを思い出してしまった。 理由は、 何年かぶりに、飲み薬を処方してもらったら、以前とは相当に変化していたから。 薬が、とても小さくなっていたうえ 日に3回飲まなければならなかったものが、夕方、たった一度飲めばよい ってなことになっていたのだった。 いや、ビックリした。 飲み薬を止めたのは、もう6〜7年前になるだろうか。 当時の花粉症の薬は、上に書いたとおり、日に3回飲まねばならなかった。 そして、 飲めば、ものすっごく眠くなった。 飲んだことがある方なら、よくおわかりでしょうが いったいどれだけ多くの患者が、これにひどく苦しみ、内服薬での治療をあきらめたのか?? そのあきらめた1人として、私は聞きたい! ともあれ、飲み薬はダメだと見切って以来、マスクを着けたり、洗濯物を部屋に干したり・・・ といった対処法と、 シソなどのサプリメント&鼻スプレーで、春をやり過ごしてきた私。 状況が変わったのは、今年、<里山>を借りたからだ。 当然、花粉のシーズンが終わるまでは、山には行かない!と思っていたのだけれど オーナー会議やら研修やら なにやかやで、どうも山へ行かなければならないみたい・・・・・・・・・・・ ってなことで、いよいよ困った。 そんな時、折良く TVで<今年から病院で使われ始めた花粉症の新しい薬>が紹介されていたのだ。 そしてそれが、以前とは違って <眠くならない>というではないですか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホンマかいな??????? と思いつつ、 ワラにもすがる思いで耳鼻科へ行ってみたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そう、<フォーエバー・ヤング>のようなことになっていたのであった。 そして、その新薬は、実際、とても良く効いた。 毎朝、起き抜けに、ダラダラと出っぱなしになる鼻水 (↑多分、起きたとたん、身体の血行が良くなるので ズバズバ出てしまうのでしょう。) これがピタリ!とおさまった。 信じられない! おまけに、本当に眠くならない! 「以前より少なくなったとはいえ、副作用としての眠気は、多少ありますから 薬は夕食後に飲んでね」 とお医者様は言ったけれど、 全っ然眠くならない。 おかげで、しっかり夜更かしして、映画を見てしまったほどだ。 それくらい、副作用がなかった。 素晴らしい。 医学の進歩のおかげで、ついに長年の苦しみから解放された・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ はずだったのだけれど。 ここに、(もしかしたら私だけかもしれないけれど)、重大な副作用が起こってしまった・・・・・。 便秘。 それくらいが何だ! と怒り出す方もおられるでしょうが 私には、そりゃもう重大な副作用だ。 そりゃ〜〜、一日に、何の苦労もなく3回<大>が出る人なら平気でしょうけれど 私は、かなり苦労をし、体調を整え、 それでやっと一回<出る>人間。 それが、花粉症薬のせいで出なくなったとなっちゃぁ・・・・・・・・・・・。 というわけで、私はこの画期的に効く薬を、泣く泣くあきらめた次第。 便通を取るか、鼻水の出ない鼻を取るか を秤にかけて、お通じを取ったわけだ。 もちろん、営業職や接客業の人なら、便通を捨てるかも。 なので、 「便通が何よ! 3日便秘してもいい、この鼻水が止まるなら!!」 とおっしゃる方 どうぞ、来春からは、新しくなった花粉症薬を、ぜひお試し下さい! 私と同じで、以前の薬の経験から 飲み薬をやめておられる方も、きっといらっしゃるでしょうから。 もちろん、 <お通じ>に自信のある方なら、ためらわずトライされることをお薦めします。 ともあれ、5月。 今年の私の花粉症も、やっと終了した模様。 5月7日(水) <カスピ海ヨーグルト・豆乳バージョン>についての続報です。 5月2日の日記で、 豆乳でも<カスピ海ヨーグルト>は出けます! と書いたワタクシ。 確かにそれは本当でしたが、その後、ここに新たな事実が。 それは、 豆乳だけで<カスピ海ヨーグルト>を作り続けることは無理らしい、ということ。 理由は、多分、豆乳だけでは脂肪分が足りないから・・・ではないかと思われます。 実際に作ってみた我が家の結果はというと 牛乳で作った<カスピ海ヨーグルト>を、タネとして、豆乳100%に入れる。 ↓ 豆乳だけでヨーグルトになる。 が、しかし、この<豆乳だけで作ったヨーグルト>を、タネとして、更に豆乳100%に入れると・・・・・ ↓ かなり大量に入れても、ヨーグルト状にはならない。固まらない! が、豆乳と牛乳を半分ずつにしたものに、<豆乳だけで作ったヨーグルト>を入れた場合は・・・・・ ↓ 無事、固まる。<カスピ海ヨーグルト>が出来る。 もちろん、牛乳100%に入れても、無事出来るでしょう。 ということなので、結論として <カスピ海ヨーグルト>を作る場合は、 豆乳バージョンと牛乳バージョンを交互に作るか 豆乳&牛乳の混合物で作るか・・・・・のどちらかで。 ネット上で<豆乳でのカスピ海ヨーグルトの作り方>を調べた場合も 牛乳&豆乳で作るように と、ほとんどのサイトが書いてありました。 ええ、我が家は、あえて<豆乳100%>で実験してみて、あえなく敗北したわけです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・人の言うことは素直に聞け、と、今、神サマの声が・・・・・・・・・。 というわけですので、 豆乳バージョンをお試しの方 ご注意下さいませ! さて、日曜日に山仕事へ行って来ました。 ヘルメットに首手ぬぐい。 我ながらなんと凛々しい姿。(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。) 低木を切って切って切りまくり、枝を払いまくり やっと、通路らしきものが出来ました・・・・・・。 手前にあるのは、夫が竹を切って作ったベンチ・・・というか座る場所。 落ち葉の上に直に座ると、ダニやらシャクトリ虫やらアリやらが、はい上がってくるので。 よく働いたお土産は シャツにへばりついていた、でっかい青虫。 翌日、脱衣カゴから、洗濯物を洗濯機に入れようとして 転がり出てきたそいつに、思わずのけぞってしまった・・・・・・・・・・・・・・・・・。 昼: 鶏肉の炒め煮(鶏肉、サヤインゲン、人参、しいたけ、コンニャク、にんにく) ピーマンの辛子あえ(赤ピーマン、緑ピーマン、ちくわ)、ハイビスカスとローズヒップのお茶 5月3日(土) 山笑う季節。 我が家のベランダの<梅造>も笑う。 緑の葉を広げて、スクスク成長中。 スクスク成長・・・・・・・・・・・って、盆栽にはあるまじき態度かもしれないけれども。 ともあれ、初夏を迎えて、<梅造>も少し衣替え。 とのさんからいただいた、<アリスのティー・パーティ>シリーズのフィギュアを飾りました。 トランプの庭師。(こんな顔のおっさん、近所に1人はいそうな・・・。) 下は、ようやく芽を出したバジルの鉢に置いてみた、クロケー中のアリス。 高松も、初夏です。 謝謝、グラーツィエ、サンキュー・ベリィ・マッチ、どうもありがとうございました。とのさん。 5月2日(金) 金は天下の回り物。 私の懐へは、ちっとも来てくれないけれど、きっとどこかで遠回りをしているのでしょうね。早よ来てね。 ところで、お金の代わりに、先日我が家へ回って来た物がある。 <カスピ海ヨーグルト>。 そう、巷で流行中のあれである。 周囲にも、作って食べている人は何人かいて 以前から、「タネあげようか〜?」とは言われていたのだけれど あれを作るのには、牛乳が必要。 でも、我が家は牛乳を飲まない家なので、お断りし続けてきた。 なんで牛乳を飲まないか・・・と言うと 私が健康上の理由から、あまり乳脂肪分を取りたくないことが、ひとつ。 もうひとつは 夫婦揃って、メチャクチャに豆乳が好きだから。 実際、我が家の冷蔵庫は、買い置きの無調整豆乳に占領されていて もう、牛乳を買って入れておく余地など無し。 そういうわけで、縁の無かった<カスピ海ヨーグルト>。 しかし、それは、世の中を回り回って、確実に私のところへ近づいていたらしく 先週、ついに夫の実家から我が家へやって来たのだった。 そう、夫の両親から 「いらんな〜〜?」と言われれば、頑固には断りづらいもの。 それに、 ・・・・・・・・ちょと食べてみたいかも・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんてぇ好奇心もうずいたし・・・・・。 かくして、我が家も、先週から<カスピ海ヨーグルト保菌者仲間>である。 めでたしめでたし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なのだが 一昨日、夫が言いだした。 「このタネ、豆乳に入れたらどうなるんやろう??」と。 言いたくなる気持ちはわかる。私もチラッと、そう思ったのだ。 でも、本当に豆乳にタネを入れてみようとは、全然思わなかった。 だって、変な化学反応が起こって、腐ったらイヤではないですか!????? が、夫は実験した。 エリンギの入っていた発泡スチロールのトレイに、100ccほどの豆乳とヨーグルトのタネを入れ 実験を開始してしまったのである。 (↑ここで、湯飲みとかタッパーで実験をしなかったのは やはり、無惨に腐った時のことを、夫も考えたんでしょう。) 「どうなるんや〜!?! とにかく、あんたがモルモットやで。あんたが食べまい!」 と、夫に言い渡し 私が責任回避したのは、言うまでもない。 しかし、・・・・本当にどうなるんだろうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 という不安をよそに、 5時間後、そっと容器をのぞいてみると なんと、 豆乳は、見事、ヨーグルト状に固まっているではありませんか!?? できるんや・・・・・・ と、私は息をのんだ。 でも、食べなかった。 そう、モルモットはあくまでも夫なのである。 私は待った。 モル夫・・・・・・・・・・・・・いや、夫が会社から戻って来るのを。 「うん、ちゃんと出来てるで。 ビミョウに豆腐の味がする。」 モルモット君は言った。 帰宅した夫は、さっそく<豆乳カスピ海ヨーグルト>に挑戦したのだ。(勇気あるよなぁ。) 言われて、好奇心のうずいた私も、チャレンジしてみたけれど 確かに、ビミョウに豆腐の味。 そして、この味には覚えが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 そう、 これは以前、スーパーで見かけて買った<豆乳で作ったヨーグルト>(←これが商品名) あれの味では・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?? ・・・考えてみれば、スーパーにそういう商品があるってことは 豆乳でヨーグルトが作れるということだった。 加えて、その後ネットで検索してみたら <カスピ海ヨーグルト 豆乳>のキーワードで、もぉ出るわ出るわ。 そして、検索の結果 もう、すでに多くの方が、豆乳でカスピ海ヨーグルトを作っておられ それだけではなく、 ヨーグルトの教祖(?)京大の家森教授が すでに<豆乳で作る本>まで出版しておられる・・・ということがわかったのだった。 検索によれば、 豆乳にも脂肪分があるので、ヨーグルトは出来る。 が、牛乳に比べれば少ないので タネを多めに入れる必要がある・・・そうで ・・・・・・・・・・ようするに、事前にちゃんと調べてから始めれば、なんでもないことだったのだわ・・・・・・・。 とは言え、無事に豆乳ヨーグルトが出来るまでの、ハラハラとドキドキとワクワクは 結構・・・イヤかなり楽しかった。 これで、牛乳を買い続けなくてもいいとわかったことだし 我が家的には、めでたく一件落着。 ただ、豆乳でヨーグルトが出来たってことは・・・・・・・・・・・・・・・・ じゃあ、牛乳に<にがり>を入れれば、<ミルク豆腐>が出来るのか?という、新たな疑問が、また・・・。 昼: 厚揚げと野菜の炒め物(厚揚げ、豚肉、シイタケ、赤ピーマン、緑ピーマン、にんにく) 野菜のマリネ(玉ねぎ、人参、きゅうり)、ハイビスカスとローズヒップのお茶 過去の日記へ トップページへ戻る |