2003/4/1〜4〜30

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4月23日(水)

生まれて初めて外国へ旅行したのは、21歳の夏のこと。

その一年前から、必死でお金を50万円貯め
それを握りしめてイギリスへ行った。
大学の夏休みの一ヶ月
友人と二人、リュックを背負い、イギリスを一周したのは、もう光年の彼方・・・・・・・・・・・・・・。
でも、ロンドンで
バスの運転手が「28(トゥエンティーエイト)ペンス」を「トゥエンティーイト」
と発音した時のことは、今でも忘れられない。

「本当に エイト を アイト って言うんだ!」

と、私は心の中で小躍りしたのだ。

話には聞いていたけれど、
<なまりのある英語>を、直に聞いたのは、私はそれが初めて。
そりゃ、それまでにも
字幕付きのアメリカ映画やらイギリス映画やらを観てはいたけれど
語学がからきしダメだった私は
英語のセリフを聞き取ろうなんて、はなから考えて無かったし
字幕と画面を見るので頭はいっぱい
たとえ、イギリスの俳優が「today(トゥダーイ)」なんて言っても
気づくわけがなかったのだ。
それが 「トゥエンティーアイト」 である。
方言丸出しである。
ラブリ〜〜〜〜〜〜〜〜♪♪

日本から遙か彼方の国が、急に、リアルなお隣さんに感じられるようになった一瞬だった。

以来、「英語ったって、色々あらぁな」
と思い続けていた私なのだけれども・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





4月になり、NHKラジオ&教育TVの各種講座が、また新しくスタートしている。
ワタクシ高橋は
数年のサイクルで、英語の講座をやりたくなる人間なのだけれど
今年は、久し振りに、その数年ぶりの波がやって来たようだ。
なので、ラジオ&TVの講座の内容を
NHKのHPなどで色々と調べていた。
調べてみて驚いた。
知らない間に、世界がこんなに変わっていたなんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?



少し前まで、NHKの英語講座というのは
徹底して<アメリカ英語>の世界だった・・・と思う。
講師はアメリカ人、もしくはアメリカへの留学経験のある人々。
matterを「マラー」と言い、waterを「ワラー」と発音しては
「さ、では繰り返して皆さんも発音してください。」
と強要してくる人の集団であったのだ。私の記憶している限り。

私は、そういうアメリカ式発音が、どうにも好きになれず
たまにアメリカナイズされていない
<世界標準>とでも呼びたくなるような発音の、日本人の先生が登場した時などは
「神サマ〜〜〜〜〜〜〜」と拝みたくなるほど嬉しかった。

もちろん、それは個人の好みの問題なので
聞き、しゃべれるようになるのなら、どういう英語でもいいはずなのだけれど・・・・・・・・・・・・・。

ただ、そういう講座をラジオで聴き続けていた結果
私は、ある日、自分の耳が、えらいことになっていることに気がついたのだ。
それは

アメリカ大統領の演説は
内容はまったくわからないものの、単語はキャッチできるのに
イギリスの首相の言葉は、すべて「モグモグモグモグ」に聞こえてる!ということ!



うそぉ〜〜〜!えらいこっちゃぁ〜〜〜〜〜!!

と、気づいた瞬間、
頭から血の気が引きましたね。
そんな偏った耳になってしまっていたなんて。
世界中の人々と、一番手っ取り早くコミュニケートするためのツールだと思っていたのに
メージャー首相(当時)のセリフが
「モグモグモグモグ」なんて、そんなっ・・・。


思わず、(まだパソコンが、それほど一般的ではなかった時代なので)葉書を取り出し
NHKにあてて
「頼むから、アメリカ一辺倒ではない英語の授業をしてください!
アメリカの発音だけ聞き取れるようになっても困るんです!」
と、嘆願書をしたためた。
加えて
「アメリカ式言い回しや、アメリカ式の物の名前ばっかり教えないで〜〜!!!」とも。

そう、問題は発音だけではなかったのだ。
あくまでも、私の聞いていた(あるいは見ていた)範囲での話だけれど
NHKの番組においては
何故か、テキストの例文の舞台は、そのほとんどがアメリカであり
例え舞台が日本であっても
そこでは、エレベーターは、<リフト>ではなく、あくまでもエレベーターであり、
地下鉄は<サブウェイ>であり
ビルの一階は、the first floorと教えられ
久し振りに出会った友達には 「Long time no see!」 などと
UCLAの学生が言うような言葉を教えられ・・・。(↑一応、インフォーマルな表現ですとは断ってたけど。)

そういう何もかもが、私は不満だったのだ。
ろくに聞けず、しゃべれもしないくせに不満だったのだ。
いやいや、
ろくに出来ないからこそ、気づかないうちに、アメリカ式にはめ込まれてしまうのが
ものすっごくイヤだった。

それで、なんだかやる気を失い・・・・・・・・
数年経って、またやる気を起こし・・・・・・・・・・・・・・
やってみたら、またアメリカ式がほとんどなのでイヤになってきて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また数年経って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


ってなことを繰り返して10数年。

ところが、
この春やり始めた教育TVの講座は、
何もかもが昔とは違っていた。
本当に、仰天するくらいに!!!!!



火曜の夜の講座は<スピーキング>。

講座の先生は、日本人の女性である。
この人は、かなりアメリカンな人なのだけれど
アシスタントの青年二人は、1人はアメリカ人で、もう1人はイギリス人。
そして、先生はこの二人に、ことあるごとに
「この場合、アメリカではどう言うの?イギリスでは??」と確認する。
更に、
毎回登場して、英語でインタビューに答えてくれるゲストが
今日はモンゴル人、次の週はカメルーン人・・・・・と、まぁ、意表をついてくれること!!
これ、本当に、あの、アメリカの植民地と化していたNHKの講座!??????

と、喜んでいたら、
水曜日の<リスニング>は、もっとすごかった。

リスニングの教材は、イギリスBBC放送が作ったドラマ。
ロンドンのプロサッカーチームを舞台にした、青春群像劇なのだけれど
これの登場人物が、また、ものすごくグローバルなのだった。
ロンドンだから当然と言えば当然なのだけれど
まず、
主人公は、ラテンアメリカから来た青年だし
主人公のライバルは、生粋のロンドンっ子だし(←なので、彼のセリフは、モグモグモグとしか聞こえないし)
主人公の恋人はイタリア系だし(←で、この女性が、また、女装した香取慎吾君にしか、私には見えないし)
チームの監督は
きっちり「today(トゥダーーーイ!)」なんて言ってくれるし♪♪!
というわけで、
私はもう、TVの前で、キャッキャッキャ♪とはしゃいでしまったという次第。

ああ〜〜〜、時代は確実に変わっているのだなぁ・・・・・・・・・・・・・・・
と、感じ入ってしまった、この数週間だった。
ともあれ、おかげで、今回のやる気は、しばらくは続きそうであります。
期待してまっせ!NHK!!


(・・・しかし、それで言うなら
小林克也が教育TVでやっている<日本に住む外国人のための、日本語講座>も
秋田弁とか名古屋弁とか
各地の方言に対応していかないといけないのだろうなぁ・・・・・いずれは。)


4月19日(土)

知り合いの家には、タンスが8つあるという。
我が家のタンスは、クローゼット式が3つ+引き出し式が1つの計4つ。
なので、そのお宅、我が家の倍あるわけである。
家族構成も、ご夫婦とお子さん2人の4人家族で、我が家(夫婦2人)の倍いるのだけれど
それにしても、<8つ>とはなかなか豪快なことだ。

「たくさんあるから、春夏用衣類のタンスと、秋冬用タンスとに分けてて
おかげで衣替えしなくてすんでるのよ〜。わっはっは♪」

とは、その方の弁。
大豪邸に住んでいらっしゃるわけではないので、8つのタンスは、そりゃもう邪魔だそうだけれど
なるほど!
そういうメリットもありましたか!
と笑ってしまった。
昨日メールで、「衣替えをした」「しない」というやりとりをしていた際のことである。



一気に暑くなって、初夏の到来を思わせた、この数日。
半袖の衣類を、早う出しておかねば!
と、タンスが8つも無い我が家は、本日大慌てで、やりかけの衣替えを完了させた。
しかし、やりながら
私は段々気分が悪くなってきた・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Tシャツが多すぎる・・・・・。


数年前、ユニクロがご近所に開店して以来
こりゃあ安くて便利〜〜♪と、
寝間着用に、あるいは部屋着用にと、Tシャツをホイホイ買っていた私。
特に、2年前の春夏用から登場した、速乾性のTシャツは大のお気に入り。
それまで速乾性のシャツというと、
アウトドア用品店で売っている値の張る物ばかりだったから
そりゃもう、調子に乗ってユニクロのシャツを買った。買ってしまった。買いましたとも!
が、
その結果が、いつの間にやらこんなことになっていたなんて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あらためて見ると、引き出しの中は、ものすごい量のTシャツに埋め尽くされているではないですか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・すごくイヤだったけれど、数えてみた。


38枚。

38枚!?


ユニクロで買った物も
ユニクロ以前の物も
襟の付いたポロシャツやスキッパータイプの物も
ぜ〜〜〜〜〜んぶ含めての数だけれど
それにしても
38枚!

もちろん、これは半袖だけの数だ。
長袖の物までいれると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はジャクリーン・オナシスかイメルダかい???????


ともあれ、1人の人間の衣類としては多すぎる。
たとえ、そのうちの10枚は寝間着用で、
それを着て絶対に人前には出られないのだとしても、多すぎると思う。





ずいぶん昔、
たしかananで読んだ記事だと思うけれど
ロンドンの女の子達のおしゃれ事情を特集したページで
彼女たちのワードローブがいかに少ないか
必要最小限の物を、いかに上手に着まわししているか
について、書いてあったのを覚えている。
<綿のコートや薄手のセーターを、一年中上手に着回して・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>
などという記事を読み
当時の私は
「う〜〜ん、カッコイイわねぇ・・・。」
とは、もちろん思えず

「バーーカ。
夏でもウールのセーターを着るような土地の人間は、そりゃ一年中同じ服を着回してりゃいいんだから
ワードローブは少なくていいよ。
へっ。こちとら、夏は熱帯、冬は寒帯。
春夏と秋冬で、きっちり服を入れ替えなきゃならないんだから!
服が増えたってしょうがねーーーーーーだろ!!けっ!」

などと、腹の中で毒づいたもの。

けれども、20年近くも前のこんな記事を、今でもこんなによく覚えているというのは
やはり、ロンドンの女の子達の、
すごくミニマムなタンスの中身に、憧れるものがあるんだろうな・・・と思う。
気候が違うから、同じには出来ないけれど。

・・・・・でも、
出来ないにしたって、何にしたって
やっぱりTシャツ38枚は多すぎる!

と、反省した土曜日。
<衣替え>の習慣のある、四季のある地域ならではのおしゃれの楽しみ
というのも、やはりもう少し少ないワードローブで楽しまないと・・・・・・・・・。


昼: ニラとホタテの和え物、冷や奴
   みそ汁(長ネギ、ブナシメジ、油揚げ)、ウーロン茶


4月16日(水)

賛成:6136票
反対:6134票
その差、わずか2票。 2票!???????



この日曜日、全国各地で選挙が行われていた。
我が香川県でも、県議会議員選挙があった。

同時に、高松市のお隣のK町では、高松市との合併の是非を問う、住民投票も行われていたのだった。

上に書いた
<わずか2票差>
というのが、その投票結果。


月曜日に、この結果を新聞で見た時思ったのは
「なんとまぁ、劇的な!!」
ではなく、
「・・・・・・・・・・・なんとなく・・・・、胡散臭くない・・・・・・・・・・・・・・・・・・?????」。
なにしろ、2票差なんだから。12票差ではなくて。


という私の勘は、あながち的はずれではなかったようで
翌日の火曜日
新聞の香川県版に、こんな記事が載った。
<無効票の中に反対票>。

要約すると、こういうことである。
  
  この住民投票で、無効票が234票出た。
  で、この中に<反対!>or<反対(はんたい)>と書かれたものがあったそうだ。
  公職選挙法68条1項によれば、
  賛否以外の余計な表記をした票は、無効になるそう。
  が、
  有効とされた賛成票の中には
  <讃成><賛成>などと、間違った漢字で書かれたものもあったという。
  これを知った、合併反対派が
  票の有効無効の判断基準を、町の選管に問いただし、不服の申し立てをした・・・・・・。



う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
記事を読む限り(情報源はこの記事だけなのだが)、相当に胡散臭い気がする。
例えば選挙で、立候補者の名前を間違えて書いたら
それは無効票になるはずなんだし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜むむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と、
イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜なものを感じてしまった私。

そして、感じた瞬間「あ!」と思った。
そうか・・・・・これか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





巷をにぎわせるベストセラー<アホでマヌケなアメリカ白人>。

お読みになった方も多いでしょうけれど
私は、全然予備知識が無い状態で読んだもので
読みながらぼう然としてしまう部分があった。
それはつまり
<現ブッシュ政権が誕生する際、大統領選挙の集計で、大もめにもめた>
という事実を、
これを読むまで、完璧に忘れてしまっていたということ。

そうだ、そうだよ!!何週間も、毎日毎日、
集計のやり直しがどうのこうのと、NHKやCNNのニュースでやっていたじゃないか。あの時。


・・・・・・・・寄る年波で物忘れがごっついとはいえ
本当に、完全に、忘れきっていた。
あんな大騒ぎを。
やはり、いくら世界に影響力を持つ権力者とはいえ
自分で投票するわけではなし、選挙運動をするわけではなし
それに何と言っても、結局は<よその国の最高責任者>の選挙なんだし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということで、見事に、記憶が、光年の彼方に飛び去っていたのだろうな・・・・・・・・・・。



というわけで


<アホでマヌケなアメリカ白人>の著者、マイケル・ムーア氏は、
この著書の中で、メチャクチャに怒っている。怒り続けている。
その怒りの最大の部分は
<現大統領が、この、大変に怪しい選挙戦を、いかがわしいやり方で勝った>
と、彼が確信している点にある。

けれども、私は
読んでいる最中、このモーレツな怒りに、ちゃんとついて行けなかった。
本を読む限り、
「うっわ〜〜〜〜〜。これが本当だったら(←もちろん、私が実際に、見たり調べたりしたわけではないので
この本だけで、すべてを判断するわけにはいかないのだけれど)
やっとれんなぁ。
ムッチャクチャ腹が立つわい!!」
とは思うものの、
ムーア氏の怒りの温度を1000度くらいとすれば
私のムカツキ温度は、せいぜい46度くらいじゃなかったかと思う。
そう、平熱+10度くらいが、せいぜい・・・。
・・・・・・・だってなにせ、
自分が投票したわけではないのだから。
自分の国の選挙ではないのだから。
そりゃあ、私だってアメリカ政府は嫌いだけれども
嫌いと言いつつ、この本を読むまで
選挙の時の騒動を、完っ璧に忘れてしまっていたくらいなのだから。


が、
K町の、住民投票の、この怪しげな問題は
これも自分が投票したわけではないんだけれど
充分に身近で、
<アメリカの大統領選の不正問題>より、はるかにはるかに、はるかに
イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜な感じだった。私にとって。

そうか、これか。
この感じか。
<アホでマヌケなアメリカ白人>の著者の感じた不快さは、これに近いのか。





果たしてこの後、K町の住民投票がやり直しになるのかどうなるのか、まだわからない。
そして、本当のことがどういうことなのかは
新聞記事だけでは判断できない。
ただ、
この<イヤな感じ>は、絶対に私は覚えていようと思う。

他人の怒りや悲しみや不快感を
私は、どうも、理論的に理解することが出来ないようだ。
自分の感情に引き寄せて理解する
という方法でしか、私は人を理解出来ないと
40年生きてきて、最近ようやくわかってきた。

だから、忘れないでいようと思う。絶対に。


朝: ゆで卵、野菜炒め(エリンギ、ブラウンマッシュルーム、ナス)
   サラダ(トマト、ブロッコリーのスプラウト)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、紅茶
昼: 鶏肉のコチジャン煮(鶏肉、厚揚げ、油揚げ、赤ピーマン、にんにく)
   ナスとシソのサラダ、豆乳、ウーロン茶


4月10日(木)

近所のスーパーへ買い物に出かけたら
途中、道の真ん中に<ゲロリン>。
酔っぱらいの<ゲロリン>。
あやうく踏んで、エンガチョ切らねばならないところだった。あぶない。あぶない。

そう、今は4月。
会社には新入社員、大学には新入生がやって来て、なにかと飲み会がある季節だった。
若いもんが、舞い上がって、グイグイ飲んで<ゲロリン>。
若い年代ならではの飲み方というか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
でも、やがては、何か痛い目を見て
吐くまで飲むようなことはしなくなるのだろうな、みんな。
飲み過ぎで身体を壊すとか
ケンカとか、色々、色々と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





夫は、7〜8年前、この<痛い目>にあった。
埼玉県に住んでいた時だ。

飲み会があり、最終電車も終わっていたので
同僚と一緒に、タクシーに乗り合わせて社宅へ帰ってきた夜。

後日、同僚が言うには
夫は、社宅の門の前で、皆と一緒にタクシーを降り
しかし、何故か社宅の門をくぐらず
「んじゃ、おやすみ〜〜〜」と言い残し、スタスタと社宅の前の道を歩いて行ったそうだった。
皆は
<あ、コンビニで買い物でもしてから部屋へ帰るねんな>
と思い、夫の後ろ姿を見送ったそう。
しかし
それから約3時間。
夫は行方不明になってしまったのである!



「今日は帰ってくるの、えっらい遅いなぁ〜〜・・・・・・・。」
と、気をもんでいた私に、夫から最初の電話がかかってきたのは
深夜も1時半を過ぎた頃ではなかろうか。

あきらかに酔っぱらった声で、夫は言う。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんか、・・・・・・どこにいるのかわからへんねん・・・・・・・・・・・。」


は?????? What do you mean???


つまり、
何故かは知らないが、社宅の前から歩き去り
何を考えて、どこをどう歩いたのかもわからないが、そのあげく、
夫は、今、自分がどこにいるのか、わからなくなってしまったらしい。

しかし、
ここどこ?と聞かれても、私にわかるわけがないじゃないですか!
「目印は?なんか、看板とか学校とかないの!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・無い。」

どうやら、住宅地の真ん中にいるらしく
目印になる建物もなく、真っ暗で人も通らず
進退きわまってしまった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・らしい。

「ともかく、もうちょっと歩いて見る。」
と言う夫を、私は部屋で待つしかない。
携帯電話も無かった時代。
途中で公衆電話を見つけて、電話してくる夫を待つしかなかった。

警察に連絡しようか、どうしようか・・・・・・と頭を抱えつつ
こういう時は、悪い想像ばかりが頭を駆けめぐる。
酔っぱらって歩いている夫なのだ。
フラフラしてるところを、トラックにひかれるんじゃないか?用水路に落ちるんじゃないか?
道で寝てしまって車にはねられるんじゃないか???????オヤジ狩りに会うとか???????



長い長い夜だった。
その後、2度ほど
「やっぱり、どこかわからん・・・・・・・・・・・。」
ってな電話をかけたあげく
やっと、夫は帰ってきた。疲労困憊して。
最初の電話から、3時間。
夫がさまよい歩き初めてからだと、多分、4時間くらいはたっていたかもしれない。

ともあれ、ケガもせず、無事に帰ってきたのだ。
神サマ、ありがとうございます!!

とは言え・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、いったいどこを歩いていたのか?????


翌日、夫の断片的な記憶をつなぎ合わせ、地図をたどると
どうやら夫は、5〜6キロは離れた場所まで行って、帰って来ていたらしい。
往復10キロ以上である。
これはもう、狐か天狗にだまされて、馬糞でも喰わされていたに違いない!
                              いや絶対に。




ともかく、
そういう<痛い目>にあって以来、夫は、外で酔っぱらうほどには飲まないよう、気をつけるようになった。
                                       (家では、もともと酔うほどには飲みません。)
<痛い目>の原因は、どうやら日本酒だった・・・と自分なりに考え
日本酒も飲まないことにした。
夫も、やっと分別ある大人に(もう、すでに、充分すぎるくらいおっさんだったけど)なったわけだった。

そう、お酒の好きな人間は
こうやって<痛い目>を見て、やっと、バカな飲み方をあらため、
<飲み過ぎ&醜態&二日酔い>などの悪い友人達から手を切り
大人になれるのだと思う。

「あら、お酒は好きだけれど、ワタシはそういう情けない飲み方はしたことないわ〜」

などとおっしゃる、立派な方も、世の中にはいらっしゃるかもしれないけれど
多くの凡人は<痛い目>にあわないとわからない。
多分。
そう思う。



さて、私の<痛い目>は、25歳の時にやって来た。
例の、西宮のオンボロ木造アパートに住んでいた時のことだ。
そして、先日の日記に書いた
「あれっ??」と思う、後日談も、その時にあったこと。

その<痛い目>の話は、では、後日あらためて。


昼: 鶏肉と大豆の煮物(鶏肉、大豆、にんじん、さやいんげん、しょうが)
   小松菜とワカメの炒め物(小松菜、ワカメ、ちりめんじゃこ)、ハイビスカスのお茶
       (↑この料理は、小松菜、ワカメ、ちりめんじゃこを
         ごま油で炒めて、しょう油で適当に味付けするだけの超簡単料理。
         なのに、美味いです♪しかも、カルシウム超たっぷり。)



4月4日(金)

突然だけれども、<金縛り>にはいくつかの種類ある。

ひとつは、人が眠りから目覚める時。
意識は覚醒しかかっていて、周囲の物が見え、音も聞こえる・・・・・・・・・・・・
なのに身体は全く動かせない状態。
生理現象だけれど、これはかなり苦しい。

また、別のひとつは、<何か>が身体の上に乗っかってて、身体が動かない状態。
当然、生理現象ではなくって(もちろん、エッチな話でもなくって)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これはとっても怖い。



本日、中村うさぎさんの<ダメな女と呼んでくれ>というエッセイ集を読んでいたら
うさぎさんが<金縛り>にあった時のことが書かれてあった。
エッセイに書くくらいだから
当然、上記の<金縛り>の、後者の方のことだ。

実は私も、霊感などまったく無い人間なのだけれど
これまでの人生で2回だけ、<金縛り・後者>にあったことがある。
その、私があった時と、うさぎさんのあわれた時が、エッセイを読むとそっくりなのだった。
状況が・・・ではなくて、その時取った行動がそっくりだった。
怖い経験ではあるけれど、思わず笑ってしまうくらいに。



独身時代、
私は友人と、西宮市の、すっごくボロい木造2階建てのアパートに住んでいた。
場所は、甲陽園という高級住宅街。
まさに<鶴の中の掃き溜め>のようなアパートだったけれど
住んでいる人達は、皆、ゴミの出し方もきちんと守るし、
ゴミ収集場の掃除も、交代でちゃんとする、感じの良い人達ばかりだった。
そんな2DKのアパート(←関西では文化住宅と言う)を
友人とシェアして住んでいたのだ。

住んで一年以上たった、ある夜
最初のそれが起こった。

ふと目覚めると、なぜか、身体がまったく動かせない。
足の親指一本、動かせない。
動かせないだけなら、<金縛り・前者>の生理現象だけれど
異様なのは、
寝ている胸のあたり
そのあたりの布団の上に、あきらかに<何か>いるのである。
いる・・・と言うより、・・・・・・・・・・立っている・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・???
ちょうど大人の握り拳くらいの大きささの物が、布団の上にあるのがわかるのだ。
その部分だけ、布団が沈んでいるのが、はっきり感じられる。

「こっ・・・これはもしかして、話に聞く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

ものすごく怖い目にあっている
と、わかった瞬間
私は頭の中で<南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏〜〜>とお経を唱えだした。
何故か!?

昔々に読んだ、山岸涼子さんの<幽霊談>という、
実際に山岸さんが経験された、怖い怖〜〜〜〜〜〜い、ものすっごく怖い体験を漫画にされた
そりゃあもう恐ろしい漫画があるのだけれど
あの中で、
夜中、寝ている自分の足元に、誰かがいるのに気づいた山岸さんが、おもわず
<南無阿弥だ仏 南無阿弥だ仏>と、一心不乱に唱えた
というエピソードがあり
それをを思い出したからだった。
  (その時、山岸さんは、どうしても 南無阿弥陀仏の <陀>の字が思い出せず、
  そこだけ平仮名の<だ>になってしまったそう。)

そしてお経を唱えながら、
私は堅く目を閉じていた。
絶対に目を開けるまい!と思っていた。


中村うさぎさんのエッセイで、笑ってしまったのは
うさぎさんも、何かが身体の上にいる・・・とわかった瞬間
<絶対に私は目を開けない!と心に誓った!>と書いてあったから。
<何がいるのか、見てしまったら怖いじゃん!>と。

そう、
好奇心に満ちた人なら
ここで目を開けて、<何か>が何か??を知ろうとすることだろう。
でも、私はまっぴらごめんだ。
私はホラーがものすごく苦手な女。
映画の<シャイニング>を観る時、3分の1以上は、目をつむっていた女。
<何か>なんて絶〜〜〜〜〜〜〜〜対に見たくない!!!
見るもんですか!!!


見たくないまま、必死にお経を唱え続けること・・・・・・・・・・・・・・・・何分くらいだろうか?
今にして思えば、多分、1分も経っていなかったのかもしれない。
突然、
バッ!と飛び上がったように
それはいなくなった。
瞬間、
私の身体は動いた。

それがどこへ行ったのかは知らないけれど、
その後も、ひたすら目を閉じたまま
私はお経を唱えていた。<南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・・・・・・・・・・・・。>
唱えながら、どうやら眠ったようだった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





2度目がやって来たのは、それから何週間後だったか、何ヶ月後だったか
もう記憶にないけれど
ともあれ、再びそれはやって来た。

1回目と全く同じで、身体は動かず
布団の上に、握り拳くらいの大きさの何かがいた。
2度目なら慣れるか・・・・・・・・・・・・・と言えば、まったくそのようなことはなく
私は相変わらず、堅く目を閉じたまま<南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏>と唱え続けた。

しかし、
2度目はさらに怖かった!

前回、バッと飛び退くようにいなくなったそれは
今回、私の身体の上を、
トトトトトトと<歩いて降りた>のだ。
胸から右の頭の方へ
猫の足くらいの大きさのものが
トトトトトトトトと、歩いて降りて行った・・・・・・・・・・・・。


ギョオェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!


絶対、絶対に目なんか開けるまい!!
何がそこにあろうとも
私は決して見ませんよ!!!



なんとも言えなかったのは、
フスマ一枚隔てた隣の部屋で、2度目の時は友人が起きていて
                          (↑当時大学院生だったので、大変に宵っ張りな人だったのだ。)
私が金縛りでウンウンうなっている間中
フスマの向こうで、彼女はコホンとせきをしたり、本のページをめくったり・・・。
そういう音が、私の耳に、はっきりと聞こえていたことだった。
むこうは、なん〜〜〜〜〜〜にもないというのに、こっちは・・・・・・・・・・・。

そして、これだけ音がはっきり聞こえているということは
五感は、まったく普通の状態だということ。
ってことは、じゃあ、やっぱ、目をあければ、そこには・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
(ああ〜〜〜っ!やっぱり目を閉じていて良かった!・・・・・・・・・・本当に良かった・・・・・・。)



こんなことが2度もあれば
やはり私も考えてしまう。
何故??と。
この先、ひんぱんにこういうことがあるのも、勘弁して欲しいし。

そういうわけで、思いつきだけれど
以来、会社へ行く途中にあるお地蔵さんに、私は、ちょくちょくお参りするようになった。
そして、お地蔵様のご加護かどうかわからないけれど
それからは<何か>は来なくなった。
やがて私と友人は、その部屋から引っ越して行った・・・・・・・・。





一体、あれは何だったんだろう?????

ある人は、「きっと、それは寝ぼけていたんだよ。」と言うだろうし
別の人は、「そのアパートに何かいたんではないの??」と言うかもしれない。
それ以前にもそれ以後も、
私は<金縛り・後者>にあったことがないので
ひょっとしたら、「何かいた」説が有力なのかもしれない。

ただ、今にして思うのは
あの頃、
20代前半から半ばにかけての数年間。
私は、自分のことしか考えていなかった。
本当に、自分のことだけだった。
これからの人生、どう生きよう・・・・・・ということで、頭が一杯で
離れて暮らす両親のことも
祖父母や、昔世話になった人達のことも
祖先のこともなにもかも
全く考えてなどいなかった。

両親にも、ろくに電話もせず、手紙も書かず、帰省もさぼり墓参りもせず
また、若さにかまけて健康に注意を払うということもなく
自分が元気でこうして働き、生きているということを
誰かに、何かに感謝するなんてこと
チラとも考えなかった日々だった。

それが、お地蔵さんに手を合わせるようになってから
世の中に対して、漠然と
<ありがたいな>
という気持ちがジワジワとわいてきたように思う。なぜだか。
・・・それくらい、何かに必死にすがりたい気持ちだったのかもしれない。
ともあれ、
自分が無事であることを、周りのものに、感謝したい気持ちになってきたわけだった。


あれは、だから
どこかの誰かが、若気の至り塊のような私に対して
<ええかげんに目を覚ましなさいよ!>と、教えてくれていたのかもしれない・・・・・・・。

などと、非現実的なことを考えるのは
あの後、件のアパートで
「あれっ?」と思うことが、もう一度だけあったから。

その話は、また後日に。


朝: ゆで卵、野菜炒め(ナス、緑ピーマン、エリンギ)
   サラダ(カイワレ、トマト、きゅうり、ブロッコリーのスプラウト)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、紅茶
昼: ナスと豚肉の味噌炒め(ナス、緑ピーマン、豚肉、厚揚げ、ショウガ)
   トマトのスープ(トマト、玉ねぎ、干しエビ、卵)、コーヒー


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