里山オーナーの話(12)


2006年2月13日 <寒冬の結果・・・> 

暖かい冬が何年も何年も続いて、その地球の気候の変化に慣れきってしまっていた私と夫。

今年は様子が違った。
北の地域の何メートルもの大雪と比べたら

「そんなもの、雪が降ったうちにも入らん」

と言われそうだけれども、
ここ香川県でも、
私は、生まれて初めてこんなに何度も雪が降るのを見た
と思うくらい
何度も何度も雪が舞い、山間部では、それが積もった。

おかげで、我が里山も雪景色。

結果、スノータイヤを付けていない我が家の車では、恐ろしくて山仕事に行けない
という日が、何度もあったのだ。

↓これは、やっとの思いでたどり着いた、とある雪の日の里山の畑。



ソラマメも白菜も大根も菜の花も、皆、皆、雪に埋まっております・・・。





気の毒に・・・。

それでも
まだ雪だけなら
雪の下と言うのは、案外暖かいものだから、
重みで茎が折れてしまわないかぎり大丈夫なのだろうけれども
この寒い冬は、
これまでに無かった被害を、私達の畑にもたらした。
<霜>の害である。
この雪の日の後日のことだけれど、とある朝、里山の畑に出かけて
私が目にしたのは
ビッシリと霜に取り付かれ、グッタリうなだれた、我が野菜達の哀れな姿。

ああもう、こりゃあかん

と思った。
夏の日照りもひどかったけれど、この霜ってのもひどい。
もう、野菜達、皆ヨロヨロである。

おそらくこうやって、毎朝毎朝霜に付かれ、日中の日差しでちょっと溶け
でもまた翌朝フリーズ
ってなことを繰り返してきたんでしょう。
野菜たちの成長は、もうすこぶる悪い。
ここの畑、秋冬は、ちと日当たりに問題があるってこともあるのだけれど
本当に成長悪し。
そして、元気無し。



↑ソラマメはグッタリ。



↑白菜にいたっては、とうとう一株も結球しないまま、しおれ始めた・・・・・。とほほ。
大根も、正月のお雑煮用みたいな、細い細いのしか出来なかったしなぁ・・・・・。



ただ、そんな中、一人気を吐いているのがこいつだ!!



↑ニンニクである。
さすがは滋養強壮の源。
こいつには、雪も霜も、例年に無い寒さも関係無いらしい・・・・・
かどうかは、初夏に掘り出してみないとわからないのだけれども
今のところ、目に見える被害が無いのはこいつだけ。

頑張ってくれニンニク!頼りにしてまっせ!



と言うような、寒冬の結果の我が畑。
昨年の秋冬の畑もひどい結果に終わったけれど、今年も・・・結構きついことになりそうな。
ソラマメは、果たして立ち直ってくれるのか?
ニンニクは、見た目どおりやってくれるのか??

ビニールで囲いをしたり・・・と言う細かなケアが出来ない以上、
後は運を天に任せて春を待つのみです。
頑張ってくれよぅ。みんな。


2006年2月20日 <穀物の収穫は・・・> 

小学校の1年生か2年生の時の国語の教科書に<小さい白いにわとり>
という話があったのだけれども、この話、ご存知の方いらっしゃるだろうか?

物語は
小さい白いにわとりが、畑に麦を蒔くところから始まる。

  小さい白いにわとりが、みんなにむかって言いました。
  「だれがむぎをまきますか?」
  
  ぶたは「いやだ」と言いました。
  
  いぬも「いやだ」と言いました。
 
  ねこも「いやだ」と言いました。
  
  小さい白いにわとりは、ひとりでむぎをまきました。


しばらくして、小さい白いにわとりは、再び言う。
「だれがむぎをかりますか?」
当然、ぶたもいぬもねこも「いやだ」と言い、小さい白いにわとりは、一人で麦を刈るのだった。
この調子で
「だれがこなにひきますか?」「だれが(粉を)パンにやきますか?」
と、そのつどにわとりは、皆に聞き、皆は「いやだ」と言い
小さい白いにわとりは、一人でそれらの作業をし、
さて、そうこうするうちにパンが焼きあがった。

  小さい白いにわとりが、みんなにむかって言いました。

  「このパンだれがたべますか?」

  ぶたは「たべる」と言いました。

  いぬも「たべる」と言いました。

  ねこも「たべる」と言いました。

  さて、小さい白いにわとりは、みんなに、なんとこたえたでしょう。


これが、この物語の終わりである。結末を生徒達に考えさせる授業なのだ。
まぁ小学生だから
「みんなにパンを分けてあげて、でも、次からはみんなも手伝ってねと言う」
なんて答えを期待されていたんでしょう。
それはともかく、
ぶた・いぬ・ねこが、あまりと言えばあまりにも強烈な連中だったため
私はこの話、ものすご〜〜くよく覚えていたわけなのだった。





さて、去年の夏、里山の畑に蕎麦(そば)が蒔かれたのは、里山オーナーの話(10)にも書いたとおり。



↑この左側のところが、蕎麦の畑で



↑こういう風に、芽を出し、これがスクスクと腰の高さくらいまで育ち、
サワサワと風に揺れる小さな白い花を、満開に咲かせ



やがて、↑こんな、小さな茶色い蕎麦の実をビッシリと実らせた。
もちろん、この蕎麦畑を作ったのは、我々夫婦ではなくて、同じ里山オーナーのMさんという方。
その方が、一人で畑を起こし
蕎麦を蒔き、この畑にしたのだった。
で、
蕎麦というのは、比較的手がかからない作物らしく
その後は、特に草を抜いたり肥料をやったり・・・ということもなかったのだけれども
これが、どえらい大仕事になったのは、
収穫と、それ以降のことだったのだ。


蕎麦の収穫は、確か、昨年の11月半ばくらい・・・だったと記憶している。
Mさんが手鎌でザクザクと刈り取っているのを、畑仕事に来た我々夫婦も手伝ったのだけれども



まぁ、なにせ、↑この広さである。写真に写っているのは畑の一部で、本当はもっともっと広いのだ!
ここにビッシリと生えている蕎麦を、手で刈る。
草抜きをしてないので、雑草も混じってる奴を
なんとか雑草をより分けながら刈ったのだけれども、まぁー、時間がかかること&面倒くさいこと!
それでも、
そんなのは、まだまだ序の口だったのだ。

ここから先は、またMさん一人でおやりになったのだけれども
この、刈り取って束にした蕎麦を
稲穂を干すように、高い木の杭にかけて干す。
干して2〜3週間後
脱穀をするのだけれども
これもまた、手作業だった。
もちろん、プロの農家なら、機械で脱穀するのだろうけれども
Mさんは
マスターTさんの農機具小屋の前の地面にビニールシートを敷き、
そこに乾いた蕎麦の束を置いて、棒でバシバシたたいて、蕎麦の実を分離していた。
蕎麦の束、
かなりの量があったので、これだけでも、相当時間がかかったのだけれど
脱穀してからが、また大変だ。

この蕎麦、
収穫の直前に雨に打たれ、地面に倒れてしまったのも多かったせいで
杭に干した時点で、かなり土にまみれていた。
だから、脱穀した蕎麦の実にも、結構、石ころやら土やら、ゴミやらが混じっていたのだ。
それらと蕎麦の実を分離するのに
Mさん、
マスターTさんちの業務用の大型扇風機を借り
両手ですくった蕎麦の実を、扇風機の強風の前で、パラパラと地面に落とした。
すると、強風で、小さな土とかゴミとかは吹き飛ばされ
重い蕎麦の実は、下へ落ちる。
上手い具合に。
が、
これ、1回や2回やったくらいでは、綺麗にはならないのだ。
もう、かなりしつこいくらいに、何度も何度も、すくい上げては落としすくい上げては落とし
うでがだるくなりそうなくらい、それを繰り返した後、
やっと蕎麦の実は蕎麦の実だけに

・・・・・・・なるはずがなく!

風に飛ばされなかった重い小石が、しっかりと、まだ蕎麦の実には混じっているのだった。
これを、
今度は、手でより分けるのだ。

ひっえーーーーー!!!

これの、ほんのごくごくごく一部、丼鉢一杯分くらいを、持って帰って
私はより分けてみたけれども
一日10分ずつやって、5日かかった!
根を詰めてやると手が動かなくなって、仕事に差しさわりそうなので
1日10分!と決めてやったのだけれども
まぁ、根気のいる作業だった。
これを結局、Mさんは、一人でより分けたのだ。


かくして、やっと蕎麦の実は、蕎麦の実だけになった。


この次の作業<粉ひき>は、さすがに業者に機械でひいてもらったそうだけれども
蕎麦が蕎麦粉になるまでは
いや、本当に、
気が遠くなるような、根気の要る作業の連続だったのだ。ほとんど、はたで見ていただけだけど。
                     (いや、一応、自分は自分で、別の山仕事とか畑仕事とかしてたんですよ。)

つくづく、穀物の収穫は大変だと思った。
種を蒔いて収穫するまでは、野菜や果物に比べて、あまり手間はかからないのだろうけれど
収穫してから保存できるようにするまでが・・・・・もう大変。
米や麦、ヒエやキビも同じなんでしょう。
これに比べたら、野菜なんて、
ホント、
収穫して食べるまでが、簡単だ。
で、
戦前までは、こんな感じで、皆、穀物を収穫していたんだろうなぁ。
大変だよ
と、しみじみ感じた。

お米には七人の神様がいる

と言うけれど、この大変さを知ったら千人いる!と言われたって、素直にうなずく、誰だって
と思う。



それにしても、この一連の<蕎麦の収穫>を見ていて、何度も思い出したのが
あの
<小さい白いにわとり>だった。
物語では、小さい白いにわとりが、麦を蒔くところからしか書かれていないけれども
当然、
畑を耕し、畝を作るところから一人(一羽?)でやっているのは間違いない。
もちろん、
機械化なんてされてそうにもないメルヘンの世界の話だから
全部、人力(鳥力)での農作業だろう。

大変でっせーーー!!!これ。

小学生の時の私は、この

小さい白いにわとりは、最後に何と答えたでしょう??

に何と答えたのか。
全く覚えてないけれども
子供の頃の私は、大人が望むような答えをちゃんと言う、とっても小ざかしいガキンチョだったから
きっと最初に書いたような
<パンはあげるけど、次からは手伝ってね>みたいなことを答えたんじゃないかと思う。



今なら。

山仕事・畑仕事で第一次産業というものの大変さを、チラッとでもかいま見、
かつ、蕎麦の収穫を見て来た今となっては


「ほな、なんぼ払うんや?」


くらいのことはねー。絶対に言う!!





さてさて、
この大仕事の後に粉となった、蕎麦なのだけれど
一部は、今年の年明けの新年会にて、里山オーナー仲間で、蕎麦を打って食べた。
それでも大量に残った蕎麦粉。
我が家でも、たくさんもらって帰り、食卓に乗せた。

と言っても、我々夫婦には、蕎麦を打つ根性は無いので
イタリア料理のニョッキにしてみた。

ニョッキと言うのは、本来は、小麦粉を水で練り、小さくちぎった物を茹で
トマトソースであえたり、スープに入れたりする
日本食で言うと<すいとん>とか<団子汁>のようなものなのだけれども
これを蕎麦粉で作ってみたのだ。



まず、蕎麦粉8・小麦粉2くらいの割合のものに、塩少々と水を加えて練り
↑の状態にし、



↑これを適当な大きさにちぎって、好きな形に整え、
熱湯に放り込み、浮き上がってきたところをザルに上げ



熱々のトマトソースとあえる。歯ごたえがあり、美味しかったですよ♪♪
また、別の日に作ったのは



菜の花と赤ピーマンと黄ピーマン、ベーコン、ニンニクと唐辛子を入れたペペロンチーノ風。
これも、おいしゅうございました。
次は、そばがきにしてみようかなぁ。



・・・・・などと書くと、まるで私が作ったようだが、料理したのは夫である。
すみません。
蕎麦を育て、収穫したのはMさんで、ニョッキを作ったのは夫。
と言うことは、食べているだけの私は・・・・・
もしかして、ぶた・いぬ・ねこか???



(でも、一応、このページ作って結果報告したし・・・・・。あかんか?)



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