里山オーナーの話(3)


2004年 1月11日(日) <手入れの成果・1>

小学生の頃、私はとても太っていた。
ズバリ肥満児だった。
小学3年までは、普通というか、いたって平凡な体型だったのだけれども
4年生になった頃から太りだした。
あの頃は確か、毎月、身長と体重を計測されいて
その体重の折れ線グラフが、ズンドコズンドコと上昇しだしたのだ。
理由は簡単。
4年生になったとたん、本を読むのが好きになり
毎日、図書館で本を借りて帰っては、おやつを食べながら、夕食まで読むのがクセになったから。
それまでは、学校から戻ると
おやつもそこそこに家を飛び出して、友達と山や田んぼで遊び回っていた。
それが、突然インドア派になったのだ。
ダラダラダラダラお菓子を食べながら好きな本を読む・・・というのは、
大人になった今でも、ものすごくハッピーだけれど
小4の私にとっても、極楽だった。
しかし、
極楽と引き替えに、私は脂肪を身にまとうことになってしまった・・・・・。

どれくらい肥満児だったかといえば、確か、小5の夏休み
肥満の子供を対象にした
保健所指導による、1泊2日の<生活改善キャンプ>みたいなものがあり
それに参加するかしないかで、親と担任の先生が話し合いをしていた
というくらいだから、
かなりのもの。
結局、
わずかのところで体重が参加基準を下回り(本っ当にわずかだったと思う)
キャンプには行かなかったのだけれど
参加候補児童になったというだけで、もう充分、生活は改善されなければならなかったはずだった。

が、
その後も変わらず、私は太っていた。
変わらず、おやつを食べながら本を読み続けていた。
大人である今なら、
これじゃイカン!!と、間食をセーブするなり、縄跳びでも始めるなりするだろうけれど
そこは子供の悲しさ。
おやつがあれば、あたりまえのように食べてしまい
<食べない>などということは、まったく考えられなかったのだ。
あああ、いよいよ甘やかされていたんだな・・・私・・・。

今、思い出しても、これでいじめられなかったのは、本当に幸いだったと思う。
それでも、
やはり、からかわれてイヤな思いはした。
イヤだったら、おやつを止めろ!と
自分の過去に言えるものなら、言いたいところなのだが。


そんな状況が一変したのは、中1の春。



今でも、よ〜〜〜〜〜く覚えているけれど、中学入学直後にあった身体測定で
私の身長は155p。
体重は53sあった。

そして、こういう体型だからか、それとも、もともとの能力のせいなのか
小学4・5・6年の3年間
体育の成績は、ずっと<2>。
走らせると、クラスでダントツの最下位、もしくはブービー賞が定位置だったのだ。

なのに
何故か
何を思ったのか、
私は、中学の入学式の翌日、
バレーボール部に入部してしまう。


あの体型。あの運動能力で・・・。

今考えても、当時の自分が何を考えていたのか、全くわからない。
クラブに入るなら、テニス部かバレーボール部
とにかく、<クラブと言えば、運動部に入るものだ!>と思い込んでいたふしがある。
そうして入ったバレー部が
以前、日記にも書いたとおり、ものすっごく<体育会系>のバリバリの部で
私が中3の夏には、とうとう全国大会まで出場してしまった・・・という事実は
もう、ご存じの方は、充分ご存じのはず。


そんな部に入ってしまった私の生活は、当然、激変した。


毎日、朝は7時から40分間の朝練。
夕方は4時から6時まで「ファイト!オーー!!」。

それまでの、100倍・・・とは言わないけれど、50倍くらいは運動をし
家に帰れば、おやつを食べる間もなく、夕食。
さあ〜〜、これで体型が変わらなかったら、異常だと思う。
はたして
私の外見は、生活同様激変した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・らしかった。

らしい・・・というのは、
恐ろしいことに、私はこの、自分の変化に全く気がつかなかったから。
何故か?
ようするに、中1当時の私が
自分を鏡で見る習慣が、全然なかったからだ。

そりゃ、学校へ行く前に髪くらいはとかすから
その際、顔だけうつる小さな鏡は見る。
見ると言っても、ろくに見ちゃあいないけど、まあ、見る。
けれど、全身のうつる鏡となると・・・・・。
母のドレッサーの前で、全身をうつして自分を見たことなんて、・・・私、あっただろうか?????
今どきの中学生に聞かせたら、
あきれてひっくり返られそうだけれど
でも、
当時の田舎の中坊の女なんて、多かれ少なかれこんなもんだったんじゃなかろうか??
                                            (え?違う??)

ともあれ、
自分の変化に対する認識ゼロのまま、私は日々を過ごした。
中学入学後14日目にして
近所のおじさんが

「うっわぁぁぁぁぁ!痩せたなぁぁぁぁぁぁぁ!」

と、目を点にして(本当に点だった)言ってくれなければ、いったいいつまで気づかずにいたのやら。
どうやら私は
中学入学2週間にして、肥満児から標準体型に移行したらしかった。


アンデルセンの<みにくいアヒルの子>という有名な童話。
あれを読んで

「しっかし、自分の外見がそこまで変化してるのに、気づかんかぁ??」

と思う人は多いでしょうけれども、
気づかない時は気づかないもんです。
ただ、あの白鳥の子の場合、
ヒナ鳥時代の黒い羽毛が、ワラワラワラワラと抜けていくのを
「妙だわ」と思わなかったのか?という疑問は残りますが。



・・・しかし
それにしてもわからないのは、私の両親だった。
近所のおっさんが仰天するくらい私が痩せたというのに、
毎日顔を見ていながら
「あんた、痩せたんと違う?」
の一言も無し。
でも、これは、毎日見ているからこそ、変化に気づかなかったんだろうと思う。今となっては。
実際、私だとて
ウエストが細くなり、セーラー服のスカートがユルユルになっていくのに、全く気づかなかったんだし。
おっさんに言われて、初めて変化を自覚し
それから、スカートが合わなくなっているのにも気がついた・・・
というくらいに、わかっていなかったのだから。
変化って、そういうものなんでしょう。





さて、我々が、借りた山の整備を始めたのは、スギ花粉シーズンの終わった昨年5月のこと。
以来、8ヶ月半
黙々と、山を綺麗にしようと努力してきたつもり。
が、
何度山へ通っても
自分達の区画を見て感じるのは

「・・・・・全然綺麗になってへんやん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

という絶望感ばかり。
草はボーボー。
落ち葉は厚くつもり、落ち葉の中には倒木や枯れ枝が見苦しく散在し・・・。

が、しかし、
先日、CD−Rを整理していたら
デジカメで撮った、整備の初期の頃の山の風景が残っていて、
それを見て、まぁぁ驚いたのなんのって!!!



↑これは、昨年5月、私達が借りた区画を、下の田んぼのあぜ道から見上げたところなのだけれど
なにせ竹がビッシリ生い茂っていて、区画内に入って行くことが出来ず



仕方がないから、切り開いて、↑このように階段も作って、侵入ルートを作ったのだ。これが今や



↑ 
・・・・・いったい、もう、何のために多大な苦労をして階段を作ったんだか・・・・・・・・・・。
そして



これは、区画の中腹部から下を見下ろしたところ。
真ん中あたりに立ってる、黒い物体はシュロ。
密生する竹と、ボウボウの草で、とてもシュロまで近づくことが出来なかったのだけれど
これが今、どうなってるかと言うと・・・



わ〜〜〜〜〜ん!下の通路まで見渡せるじゃあないですかっ!!わ〜〜〜んわ〜〜〜んんっ。



つくづく、
しょっちゅう見ていては、変化なんてわからないもんなんだなと思った。
中学の時の、あれと同じで。

そう言えば、<老い>というのも、ある日突然気づいて、愕然とさせられるものだけれど
どうか
この、山の写真を見比べた時ほどのショックではないことを祈りたい。
今度<老い>を自覚した時の衝撃が・・・どうか。


昼: うどん屋<枡屋>にて
   かけ小190円、おでん(こんにゃく)90円


2004年 2月2日(月) <手入れの成果・2>

さて、高橋家が香川県主催の<里山オーナー制度>というものに応募して、
何故か高倍率をかいくぐり、当選してから、ちょうど一年。
漫画<山仕事は楽し 3>にも描いた通り、夫婦揃ってスギ花粉症ゆえ
実際に山の整備を、へっぴり腰で始めたのは、昨年の5月のこと。
そして、この9ヶ月、やってみてどうだったかと言うと・・・。



「自分で自分を誉めたい」

かつて、アトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルを取った時、有森裕子選手は、こう言いました。
私は、自画自賛というのは、大変に見苦しい行為だと思っております。
思ってはおりますが
あの時の有森選手のように、人間、自画自賛せずにはおれない時もある・・・・・!


というわけで、スミマセン。うざいでしょうけれど、書かせて下さいませ。



↑さて、これが入植直後・・・じゃなかった、整備を始める直前の、我が里山。杉林の斜面。
20年分の落ち葉が厚く積もり、その中に杉の倒木やら枯れ枝やらが転がりまくり
落ち葉のため、林床には、まったく草が芽吹かず・・・



↑すごい状況に、「どないしたらええのん???」と、ぼう然として区画を見回っていた我々。
9ヶ月後



↑いらない木を伐採し、落ち葉を集めて腐葉土を作る場所をこしらえ、20年分の落ち葉をかいた杉林。



(結構落ち葉が残っていますが、寺の境内を掃除してるわけじゃないので、そこはまぁ大目に。)

↓びっしり生え狂っていた竹も



切って切って切りまくった。7・8・9月の3ヶ月間で、100本くらいは切ったはず。
今が江戸時代なら、私達は竿ダケ屋になれる。
そして一面の竹林は、今





遊歩道が出来つつある・・・・・・・。あああ、人間、やれば出来るんじゃないの。

さらに、ログビルダー(ログハウスの職人)である義弟がテーブルとベンチを作ってくれたので



とてもとても見栄えが良くなったような気がする、我が区画。
あああ、自画自賛は本当に本当に見苦しいものですが
でも、今回は、ちょっとだけ自分達を誉めてやりたい・・・・・・・・・・。



ところで、山の持ち主であるマスターTさんが、山の手入れにまで手がまわらなくなってから、20年。
昨年、20年ぶりに人が山に入って整備を再開すると、えらいことが起こったそう。
なんと、20年ぶりに

マツタケが出た!!

そう、以前は採れていたマツタケ、この20年、全く姿を見せなかったらしいのだ。
それが昨秋、唐突に現れた。
出た区画のオーナーさん、ホックホク♪♪・・・と言いたいところだけれども、
なにせ、マツタケが採れるなんて誰も(マスターTさんさえも)考えていなかったので、
うっかり足で踏んづけて粉々にしてしまったそう・・・。(おいたわしや・・・)
けれども、これで、
区画内にアカ松の生えているオーナー達の、目の色が変わった。
残念ながら、昨年は、最初に出た区画しか出現しなかったようだけれど
さぁ、今年は出るか??マツタケ。
これも山の整備が再開されたので、山の神サマがほうびをくれたのかしら???
・・・・・・・でも、我が区画、杉はあっても松は無い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



というような、9ヶ月。
自分でも驚くくらいのめり込んだのは、何度か日記に書いてきた通り
これが、ものすごいストレス解消になったから。
いよいよ気がふさいでどうしようもなかった時も、山仕事をして帰ると元気が出た。
多分夫も、同じだったんでしょう。
でも、そこまでハマっちゃうと・・・・・。

昨日の日曜日で、一応、スギ花粉休暇に入った、我が高橋家。
その山からの帰り道、思ったのは

「・・・来週から、私、休みの日に何したらええの・・・・・?????」

ああ、
無趣味のまま定年退職を迎えたおっさん&おばはん達の気持ちが、一瞬わかったような気が・・・。


2004年 5月4日(火) <鹿登場!??> 

随分と前のことになるけれど、私達夫婦が北海道へ旅行した時のこと。
大沼公園という、広い自然公園で、我々はバードウォッチングを楽しんでいた。
当時、夫は鳥の写真を撮ることに熱中しており
その時も、でっかい望遠レンズを付けた一眼レフカメラを抱え、一所懸命被写体を探していたのだ。
そんな夫の目の前に、ゴジュウカラという鳥が登場。
この鳥、
頭を下に向けた状態で、木の幹を垂直にトトトトと降りられるという
非常に変わった特技を持つ鳥で、我々が実物を見たのは、この時が初めて。
当然、夫は大喜びで、ゴジュウカラを熱写しだした。
私は後ろに立って、夫の熱写が終わるのを待つ。

その時、
私の視界の端に、何か動くものが。
振り向いた瞬間、目が合ったのは一匹のエゾリス。
数メートル先の木の枝を、トコトコ移動中だったそいつと、私は0.5秒、見つめ合ってしまった。

次の瞬間
エゾリスがとった行動は
ピタッ!!と動きを止めてしまうこと。
多分、敵と会ったら、静止する習性があるんだろう。
じっとしていることで、敵に居場所を悟られない・・・とインプットされてる生き物って多いから。
というわけで、エゾリスは
私と目があった時の姿勢(身体を起こして、後ろ足で座った姿勢)のまま、枝の上で固まった。
ただ・・・

その時、そいつがいたのは
周囲にまったく葉っぱが無い枝の上。

さぁ見て下さい♪
と言わんばかりの、丸見えの場所だった。そこでピタリ!と固まってしまっては・・・・・。


もちろん、私は大喜びだ。
エゾリスを刺激しないよう、押し殺した声で夫を呼ぶ。

「ちょっとちょっと!ええもんが来てるで!」と。

<ええもん>と聞き、夫もすぐさま振り向いた。
振り向いて、エゾリスが直立不動の姿勢で耐えている、木の枝の方を見た。
見て、1秒、2秒、3秒経過。・・・・・5秒・・・・・・・・・・・・・・・

「どこに?何が?????」


びっくりした。
目の前のあの動物が見えないのか??気がつかないのか???
あんな花道の役者みたいに、丸見えのあれが???どうなってんの夫???

「何がって、あれ、あれ・・・。わからへんの??エゾリス・・・」

<ス>を言い終わらないうちに、夫は言った。

「ア〜〜〜ホ。
あれは
置物じゃ。
大沼町の観光課の人が、観光客喜ばそうと思て
ぬいぐるみ置いとるのに、決まっとるでないか!!」



「えええーー!??ち・・・、違う!違う!本物」


「アッホやのーーー。
おまえみたいな人間ばっかりやったら
ホンマ、大沼町観光課の人も、やりがいあるでーーー。
ワッハッハッハ!!」



と、大笑いしつつ、
エゾリスの置物の方へ顔を向けた夫が見たのは
もちろん、
スキを見て脱兎のごとく逃げ去るリスの後ろ姿だった。


まったくアホはどっちじゃ!


後日、なんでまた、ぬいぐるみなどと思い込んでしまったのか、と夫に問うたらば
野生動物が、人間の目の前で、あんなにじっとしているわけがない
普通なら、人の気配で一目散に逃げるはず
と思ったから、との答え。
確かに、我々がギャーギャー言い争っている間中
すぐそばの枝の上で、じーーっとしていたリスも変な奴だけど・・・・・。でも・・・・・。
つくづく
人間とは、思い込みが激しいもの。
「そんなはずはない!」と、いったん信じてしまうと、なかなか素直に物事を見られないもののようだ。

だから、
私も夫も信じなかった。
先の4月30日、夫の父からこういうメールが届いた時も。

義父からのメールは、こういう内容だった。

<今日、朝早くに里山へ行って、淡竹(はちく)のタケノコを取って来ました。
7時頃行ったのですが、鹿がいました。タケノコを取っているのを、じっと見ていました。
びっくりしました。>




夫「足の長い犬の見間違いじゃ」

私「ジャージー種の子牛が、
どっかの牧場から逃げてきたんと違うか」


私の父(←たまたまその日、会う用があったのでこの話をしたところ)
「いったい何を鹿と間違えたんやろのー」


もう誰も、はなから信じない。
義父、完全に妄想人間扱いである。
だって奈良の大台ヶ原とか、屋久島とかならわかるけれど、
いくら田舎だと言ったって、あの里山のあたりに鹿がいるなんて話、聞いたことが無い。
イノシシや猿ならともかく。

が、

いたのである。
本当に。

翌、5月1日、山の整備に行ったわれわれは、遭遇してしまった。



あああああ〜〜〜!望遠レンズ無しのデジカメしか持っていなかったのが悲しい。
矢印の白い部分が、鹿のお尻の白い毛です!わかりますか〜??




最初に鹿と出会ったのは夫なのだけれど、夫によると
山の斜面に、レモンを植えるための穴を掘っていたところ、背後で足音がしたそう。
「あ、他の里山オーナーの誰かが来たんやな〜」
と思い、あいさつしようと振り向いたところ、鹿がトストストスと、後ろを歩いて行ったと言う。

大慌てで、離れて作業していた私を呼びに来た夫。
急いで二人で戻ってみると、鹿は、反対側の斜面を、悠々と登って行った。若葉を食べながら・・・。
                                            (写真はその時の様子)


すみませんでした。お義父さん!

・・・でも、写真が無ければ、私のこの日記だって妄想狂扱いだったかもしれない。
それくらい、意外な動物の登場だったのだ。
・・・いったいこの鹿・・・野生なんだろうか?
周囲に人がいるのに、あまりにも無防備な・・・。まさか捨て鹿?
でも、他のオーナーさんの証言によると、こっちがそばへ寄ろうとすると逃げるのだとか。
だとすれば、やはり野生?

例の、畑を荒らしまくったイノシシ達だけれど
10年前までは、香川県にいなかった野生動物だと聞いた。
徳島県と高知県の間にある四国山地に生息していたものが、段々と香川県へ移動して来たとか。
鹿も、もしかしたら移動しているんだろうか?
この鹿は、群からはぐれてしまったんだろうか?

謎だらけの鹿の登場だけれど、できることなら農作物へ被害を及ばさずにいて欲しい。
そして、おだやかに共存していられたら・・・
と思うのだけれども、現実はそう甘くないだろうな・・・とも思う。
でも、せめて、あの鹿とは平和に暮らしたい。今は。

というわけで、鹿との再会が楽しみな、5月の里山です。
鹿よ、畑の作物には手を出さないでいておくれ。どうか。



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