Galerie 1



「あじさい・1」 =Hydrangea 1=Hortensia 1
mars 1988=March 1988
F100(1620 x 1303)

 この作品は1988年に制作しました。かなり前の作品をご覧いただいた訳は制作歴を見ていただきたいとの思いからです。
 これを制作したころは、何度目かのスランプに陥っていました。
 スランプの訪れは当然の帰結でした。制作は生業を終えた後のわずかな時間のほとんどを費さないと作品の完成もおぼつかない状態であったため、創作能力の向上には必須とされる充電をするゆとりがなっかのです。結果、筆が止まった分だけ開き直ってあそぶことが多くなりました。
 あそびとは、分野を限定しないで本を読んだり、美術以外の事でおもしろいことをやっている人とコンタクトをとったりとか、バードウォッチングや近所の植物園に行くなど、ぶらぶらすることでした。
 そうしたとき、たまたまあじさいが目に留まったのです。あじさいには、幼いころの気まずい思い出があって、あまり注視することもなく過ごしてきたのでしたが、その時はすぐに家にとって返し、スケッチ箱一式を持ち出して写生をしました。描きたい、という気分が突然訪れたことを一瞬いぶかりながらも、久しぶりで集中できました。
 描き始めるにあたって決めた方針は、写真よりも克明に描く、ということでした。なぜ、今まで決して手を染めてはならないと思っていた、写真よりも・・・だったのか。
 じつは、当時、絵で表現する能力のないことを思い知る状況になっていて、追い詰められた気持ちで今までやったことのない最悪の一手で描き始めたのです。それさえできなかったら筆を折ろうとまで考えていました。
ところが、はじめてみるとたいへんおもしろかったのです。最悪と思い込んでいた方向へ進んだはずでしたが、その過程で得たものは、それからの私の作家精神を支える芸術的経験といえるものでした。
 さて、描き始めてみると、たちまち、これは並大抵のことではないという壁に突き当たりました。壁とは、最適の表現技法として採ろうと思った、ぼかしの技法を修得してこなかったということでしたが、それは、何枚か描くうちに修得できました。
 こうして、写実に徹して数年過ごすうちに、思いがけず感動に出会うこともありました。
 ある時、描こうと思っていた球あじさいに物が触れて、数枚の花びらが取れてしまったのですが、どんなふうに花びらをつけているのか見たいと思っていたところだったので中を覗いてみました。そこには、、細かく枝分かれした花柄が見えていて、初夏の陽を受けた花びらから光がしみこんできているとでもいうのでしょうか、数十の花柄すべてが、やわらかい光を放っていたのです。それは、たとえて言えば、夕暮れ時に灯したろうそくと、そのとき思わずかざした手のひらの指が光に透けて見える状況にも似ていました。
 描くための球あじさいを選ぶときは、私の手法だと完成までに数週間かかることもあるので、いくつかの花びら開いて色づき始めたころあいのものを選びました。そうして選んだものは、球あじさいとはいえ、決して球状にはなっていないのですが、最初に開き始めた花の形も大きくなり色も充実してくるころには、固いつぼみだった花たちも次々に開いてきて、全体の形態も大きく豊かな球状になっていきます。一つ一つの花びらは、形も大きさも微妙な違いを見せて、それぞれがしっかりと自己主張しつつも、互いに肩を寄せ合うように咲いて、大きな球をつくっていく様子は、好ましい家族や社会のありようを彷彿とさせて見飽きることがありませんでした。 
 そのようにして雑学の範囲を広げたり、無我の境地で写生をしているうちに絵を通して何を発信するかをつかむ手がかりを蓄積できるようになりました。
制作意欲が盛り返してくる感触でした。
 ごらんいただいている作品はこのような経過をとおしてつかんだテーマを元に制作したものです。
 私を惹きつけずにはおかないあじさいの魅力と、私が外に向けて発信したいと思ったメッセージを合体させるような思いで描き上げました。




     「球になろうとするあじさいB」 =Hortensia 2=Hydrangea 2
                         juin 1989 = June 1989
                         S60(1303mm x1303mm
)


    
   
「あじさい 2012−1 宇宙と大地と陽に育まれて」

制作年月日 2012/10/19
サイズ P20 (727mm x 530mm)

  この作品は、あじさいをモチーフにした写実的表現の近作です。 
2012年7月19日に着手しました。このあじさいは毎年、自宅近くの
空き地で花を咲かせていましたが、夏の強い日差しの影響で、萎
れてしまうことが多かったのです。近年、近くの山桜がしっかりと枝
葉を広げてきて、あじさいは、午後からの半日影のもとで元気に咲く
ようになりました。
 色も形もすばらしく、すっかり魅せられて、早速描くことにしました。
花弁の形や重なり様、色のグラデーション、コントラストなどについ
て細心の注意を払って描き込みました。描いている最中、木漏れ日
が差し込んできて、視覚がかき乱されて、スケッチの場所としては、
不適切と改めて思ったのですが、目を休めては、瞳を凝らして見て
いるうちに木漏れ日がもたらす陰影や透き入るような透過光の幻
想的な色調に魅せられて、それを描き切ることに全力を注ぐことと
なっていきました。
《陽は普く光を行き渡らせて、すべてのものを輝かせようとしている
ことに感動を覚えたこと》そのことが今回の写実で得た大きな収穫で
した。
 背景は、旅先などで出会った風景や、子や孫たちの住んでいる土
地の風景などを元に描くことに決めていました。10月末ごろ、米作を
している息子が収穫したての新米を送付してきて、その際に添えら
れた写真には、まだ水が張られているであろう青田が、半径20mほ
どの円形に焦げている様子が写し出されていました。説明では、
「7月中旬ごろに、自分が育成中の水田に雷が落ちた。」とありました。
さらに読み進めると、「田に雷が落ちると豊作になるという言い伝えが
あると、ご近所の年寄りから聞いた。(雨)に(田)と書いて「雷」となっ
ていることに気がつくと、言い伝えを信じてもよいと思った。円形の焦
げ跡はその後自然に回復し、やや小粒ながら美味な実が稔り、収穫
できた。」と結んでありました。このレアなトピックスを、作品の構図に
取り入れて描こうと思ったことから、このような作品となりました。


A la tete = To home
A la Galerie 2 = To Gallery 2