〜ウシ(1)  牛頭天王(須佐之男命・素戔鳴尊)の牛 - 1
牛頭天王(ゴズテンノウ)は、インドの祇園精舎の守護神といわれるが、日本に渡来してスサノオノミコトと同一視されるようになった。
 
(注)スサノオノミコトを古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔鳴尊」と書く
「蘇民将来之子孫也」
牛頭天王(武塔神とも言う)(=スサノオノミコト)が求婚(妻問い)の旅の途中、宿を乞うと、弟の巨旦将来は裕福なのに断わったが、兄の蘇民将来は貧しいのに宿を貸しもてなしてくれた。
そこで出立の際に、
「疫病が流行ったり、災いが降りかかったら、蘇民将来之子孫也と書いた札をかけ、茅の輪を腰に着けなさい」と言い置いた。
帰路、牛頭天王は、宿を断わった弟の巨旦将来(小丹長者)一族を疫病で滅ぼしたが、
蘇民将来之子孫は言われたとおりにして難を逃れることができた。
そのとき「我はスサノオの神だ」と名乗ったともされる。
               
(備後風土記逸文、上田市信濃国分寺の「牛頭天王之祭文」など)

この故事から牛頭天王(=スサノオノミコト)は疫病を鎮め、災いを防ぐ神として崇拝された。

牛頭天王坐像
  
大阪府指定有形文化財
   中仙寺(堺市石原町4-50)
   木造・平安時代後期

本像は、もとは隣接する八坂神社に祀られていたもので、明治の神仏分離に際して中仙寺に移されました。牛頭を頭上に戴いています。

堺市Webページより
(http://www.city.sakai.osaka.jp/)

京都の八坂神社(祇園社)の祭神、「牛頭天王=スサノオノミコト」はその強力な神格から、京に流行る疫病や次々と出没する怨霊を鎮める霊力を持つ祭神として祀られた。
牛頭を頭上に憤怒の形相をしたこの祭神に、怨霊退散を祈った「御霊会(ゴリョウエ)」(貞観11年6月7日〜869年)が、今日の「祇園祭」の起源とされる。
牛頭天王(=スサノオノミコト)は、祇園さん、天王さま、天王さんとも呼ばれる。
明治の神仏分離以降は、祭神名は、仏教系の牛頭天王ではなく、
神道系のスサノオノミコト(須佐之男命・素戔鳴尊)とされるようになった。
頭に牛頭を戴くことなどから、牛が神使とされる。

牛島神社(祭神:須佐之男命)
神社の名前は、天武天皇の時代(701-764)に、向島から両国にかけての地域に国営牧場がもうけられ、牛島と呼ばれていたことに由来するといわれる。
折り曲げた足から、今にも立ち上がりそう!

建立年;安政6己未年3月吉祥日(1859)
石 工;角治郎            
願 主;仲乃郷村大工久次郎       

この社の縁起書によると、貞観2年(860)神託によって、慈覚大師が須佐之男命(スサノオノミコト)を郷土守護神として祀り、この社を創起した…とある。
慈覚大師が通りかかったとき、古老から「師わが為に一宇の神社を建立せよ、若し国土に悩乱あらば、首牛頭を頂き、降魔降伏の形相を現わして、天下の安全の守護たらん」との神宣があったとされる。
東京都墨田区向島1-4-5
東武伊勢崎線業平橋駅下車、徒歩10分