〜サル(1)  山王=大山咋神(オオヤマクイノカミ)の猿
日吉大社の祭神、大山咋神(オオヤマクイノカミ)は、「山王権現」とも称される。
また比叡山の地主神でもあり、山王と比叡山のイメージから「猿」が神使とされた。
猿像には、「神猿像」と「子連れ夫婦像」の二つのタイプが゙ある。
日吉大社
大津市坂本にある日吉大社は、全国3800社といわれる山王系神社(日吉神社、日枝神社、山王神社など)の総本宮である。
日吉大社は大山咋神(東本宮)、大巳貴神(西本宮)の二神をを祀る。
山王とは山の神を意味し、また日吉=日枝で比叡山のことをいう。
なお、東京永田町の江戸山王日枝神社は徳川家歴代の将軍に崇敬された。
     (
滋賀県大津市坂本5-1-1)

(写真・右)棟持ち猿
日吉大社・西本宮楼門の四隅の棟をそれぞれ猿が支えている

 
大山咋神(オオヤマクイノカミ)について
日吉大社の祭神・大山咋神は、「古事記」に「大山咋神(オオヤマクヒノカミ)。またの名は山末之大主神(ヤマスエノオオヌシノカミ)。この神は、近淡海(ちかつおおみ)国の日枝山に座す。また葛野(かずの)の松尾に座す。鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり」
とあるように、近江国(滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まったのが最初で、後に松尾に鎮座した。
治山、治水、農耕の守護神とされた。
大山の主であり、比叡山(天台宗・延暦寺)をはじめ、広く地主神として祀られ崇められる。
山王(大山咋神)の神使は「猿」
大山咋神(山末之大主神)の、山の神(山王)という神格と比叡山の猿とが結びついて、猿が山王の神使になったとされる。
猿像には下記のA・B、二つのタイプがある。公私の両面を表わしている像ともいえる。
A「神猿」像〜烏帽子をかぶり、正装して御幣・鈴などを持つ
「神猿」と書いて「まさる」と読む。
「まさる」は「魔が去る」または「勝る」の意であり、厄除け、魔除け、守護にご利益があるとされる。

左右画像は
江戸山王日枝神社の「神猿」
(神門の左右)

B「子連れ夫婦」像〜片方が子猿を抱き、桃など持つ

猿は繁殖力、分娩の軽さ、子供への愛情の強さなどの性質から夫婦円満、子授け、安産、子育て、家門繁栄にご利益があるとされる。
なお、桃を持つ猿像もあるが、桃は邪気を払う力を持ち、不老長寿の得られる食べ物とされる。

「子連れ夫婦」像の由縁〜なぜ猿像は夫婦とされ、対の片方は子猿を抱いているのか?

「夫婦で子連れの猿像」は、猿の家族的愛情表現だけではなく、古事記の大山咋神は「鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり」(前述)の故事に基づくものと思われる。
加茂玉依姫
(タマヨリヒメ)が川遊びをしていると、川上から丹塗りの鏑矢(かぶらや)が流れてきた。
姫はこの矢を持ち帰り、寝床に刺し置いたところ、妊娠し男子を出産した。
この子(別雷命
=ワケイヅチノミコト)の父神が誰だか判らなかったが、成人式の時「お前の父神に酒をあげなさい」と言われると、別雷命は杯を持って天に昇っていったので、父神が大山咋神であることが判った。(大山咋神が鏑矢に化身していたことが判った)
この故事から、大山咋神(日吉・松尾大社の祭神)と加茂玉依姫(下賀茂神社の祭神)とは夫婦とされ、両神の子は加茂別雷命(上賀茂神社の祭神)とされた。
なお、この話には類似の諸話もあって大物主神にまつわる話だとも、父神は火雷命(
ホノイカヅチノミコト)であるともいわれる。