狼(1)〜秩父(秩父鉄道沿線)のオオカミ
B. 三峯神社以外の沿線10社〜その2 |
椋神社は秩父地方にしかない神社で、同名の神社が5社ある。
この神社は、日本武尊の東夷征伐の折、道に迷ったのを猿田彦命に助けられたことから、後に、日本武尊が猿田彦命を祭神として祀り、椋神社とした。 同名の5社すべてが延喜式内社とされている。(吉田町椋神社の項参照) この神社の脇に、破風山への登山口がある。 |
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石段上の鳥居の横に、日本武尊に因むiオオカミ像はある。どこか気の弱そうな像である。 | |
石段上山門 左右 奉納 昭和32(1957)年10月吉日、奉納・石工 島崎八十吉 |
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椋神社入り口 (破風山への登山口) |
椋神社は、猿田彦を祀る社で、秩父地方にしかない神社名で、同名の社が5社あり、いずれも、延喜式内社とされている。
由縁 日本武尊が東征の折、この地を通ったとき、山深く霧で道がわからなくなった。このとき尊の持っていた鉾から光が飛んだので、不思議に思って飛んだ方に行ってみると、井泉の傍らの椋(ムク)の大樹の側に猿田彦大神が現れて、尊を東方の赤井坂まで案内して姿を隠された。 日本武尊の士気は大いに上がり東夷平定の功を成し遂げることが出来た。日本武尊はこの成功を喜んで、自分の鉾を御神体として猿田彦大神を祀り、永く東国の鎮守たれと祈請された この神社は、龍勢煙火(りゅうせいのろし)の神事や、「秩父事件」の舞台としても有名である。 オオカミ像とお札 猿田彦大神を祀った日本武尊に因み、その眷属の山犬(ニホンオオカミ)の像が奉納されている。 また、「服従神犬」(神のお使い)としてオオカミの姿の入ったお札を頒布している。 |
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オオカミ像 石階段上の鳥居の前、左右 |
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明治38年(1905)12月 秩父石工 石田吉蔵 |
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椋神社拝殿 |
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龍勢煙火(りゅうせいのろし)
日本武尊の鉾から光が飛んだとの故事から、吉田町椋神社では、古くは吉田河原で火を焚き、火のついた木を投げて、火薬が出来てからは、火薬を使って火の光を飛ばすことを工夫して奉納した。 これが龍勢煙火である。 秩父事件 明治17年(1884)11月、吉田村の椋神社において、悪徳の金貸しや政府の失政を批判し、貧民の救済を訴えて起こした日本近代史上最大の農民蜂起。 4日後に鎮圧された。 |
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城峯神社 本殿正面石段上 左右 オオカミ像 |
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奉納 大正8(1919)年4月15日 奉納石工 東京青山 石勝 |
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