狼(1)〜秩父(秩父鉄道沿線)のオオカミ
B. 三峯神社以外の沿線10社〜その3 |
由緒 人皇第十二代景行天皇の41年、皇子日本武尊は東夷御征討の御帰路にこの里に到られ、当山に霊畤を設け、遥かに大和?火山の皇宗神武天皇の御陵を拝して、東夷平定の由を奉告なされた。そして、自ら矢を納めて、大山祇命を祭って一山の守神と崇められた。これが、当山の起源であり、当村矢納の地名もこの古事によるものである。その後、藤原秀郷が平将門の弟将平を討ったとき、城峯の社号を拝受した。
オオカミ像とお札 日本武尊に因んで、階段上・拝殿前に一対の山犬(オオカミ)像が奉納されている。由縁などから、オオカミ像は、祭神の大山祇命というより、大山祇命を祀った日本武尊に拘わる神使と見た方がよさそう。お札も頒布されている。 |
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大正6(1917)年5月吉日奉納 |
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奥之院(神山山頂)
神社の背後の神山の山頂に奥の院(奥社)がある。 神社から30分ほど山道を登る。 山頂は杉檜林の中にある平坦地で、板で覆われた石祠が祀ら覆われた石祠が祀られている。 |
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奥之院 神山からの景色 |
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日本武尊と神社(由緒) 境内掲示より
人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊は東国平定の帰途当山に登られ三柱の神を祀られた。これが当社の創め。また、登山の途中で尊は山火事に遭われ進退きわまったが、このとき、多くの巨犬(御眷属の山犬・オオカミ)が現れて火を消し止めて尊を助けた。 その後、麓の玉泉寺の境内に宝登山大権現として祀られ、明治元年(1868)の神仏分離令により寺と神社は分離した」。 尊が登山に先立ち禊(みそぎ)をされた「玉の泉」は今も社殿の背後の玉垣内に遺る。別当寺だった「玉泉寺」の寺名はこの「玉の泉」に由縁する。 また、山火事に際して、巨犬が火を消し止めて尊を救ったことから、「ホド山」は、古くは「火止山」であったが、後に現在の「宝登山」に改められた。 オオカミ像とお札 奥社は里宮からロープウェイで5分、そこから徒歩で25分程登ったところにある。 この奥社の門前に一対のオオカミ像がある。また、火災盗難他災難除け、五穀豊穣、養蚕倍盛、交通安全などにご利益があるとするお札は(下の)本殿の社務所で頒布している。 |
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宝登山神社(奥社)の前のオオカミ像 昭和6年(1931)11月奉納 |
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宝登山山頂から荒川の流れと長瀞・秩父盆地(正面は武甲山) |
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宝登山神社里宮 社標と桜 宝登山神社 拝殿 |
開花天皇の皇子が東国巡行の折、この山で国家安泰を祈願した。
その後、日本武尊が東征で武蔵を巡行した際には、釜伏山山頂で、祖先(神武天皇)の霊の降神と諸願成就を祈願して、粥(かゆ)を釜で炊き大神に供えた。そして、その釜を山頂の岩に伏せた。 この故事から、釜伏山、釜山神社と呼ばれるようになった。(山の形状が釜を伏せたように見えることから釜伏山の名になったとも言われる) |
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