〜キツネ(1)  農耕・食物神の狐…神道系稲荷のキツネ
日本古来の(神道系)稲荷では、農耕作業(稲作)と周囲の自然との拘わりの中で、
農耕や食物を司る素朴な神(稲荷神)が祀られ、その神使としてキツネが定着した。
農耕・食物神とキツネ… 神道(神社)系稲荷
全国の神道系稲荷神社の総本社は、京都市の伏見稲荷大社である。
神道(神社)系稲荷の主祭神は、宇迦之御魂神
(ウカノミタマノカミ)をはじめ、紀記などに載る「農耕・食物を司る神」である。

宇迦之御魂神(倉稲魂神)(ウカノミタマノカミ)の「宇迦」とは食(うけ)を意味する。
別名を御饌津神
(ミケツカミ)というがこれも「食物の神」の意である。
同様に、紀記などで食物の祖神・農耕の神とされる保食神、豊受姫命、稚産霊日神なども稲荷神として祀られる。これらの祭神は
女性神だとされる。

稲荷とは、稲成り・稲生り(いねなり)で、稲が成育すること、また、稲を担(にな)うことを意味している。

古来からの素朴な農耕神が、京都地方の渡来系豪族、秦氏一族の氏神・農耕神として祀られ、仏教の真言密教と結びついて全国に広まった。
稲荷神社は、中世から近世へと、商工業が発達するにつれて、従来のように
農業だけでなく、衣食住と諸産業の神様として崇敬されるようになった。

鎌倉時代以降になると、古来の(神道系)稲荷と「キツネ」の縁で習合した、ダキニ天を祀る(仏教系の)稲荷とが、併存することになる(狐2の項参照)。
なお、これらの祭神とは別に、
稲荷大神として、白髪の翁が稲を担ぎ狐を伴った姿で表現される稲荷神もある。

  
伏見稲荷大社
楼門前
倉の鍵と宝珠をくわえる狐
昭和60年(1985)4月(高橋鋳工場)
気品と風格を感じさせる
稲穂をくわえる狐
渡来系豪族、秦の伊呂具が餅を的にして射たところ、餅は白鳥となって伊奈利三ヶ峰に飛び翔け、留まった所に稲が生じた(「稲なり」)。
稲荷の鎮座は和銅4年(711)
2月初午(ハツウマ)の日とされている。

京都市伏見区深草藪之内町

稲作(農耕作業)と周囲の自然との拘わりの中で、狐が(神道系)稲荷神の神使とされた(定説はない)
(1)日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」の信仰がある。
これは春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って、山の神となるという信仰である。
狐も農事の始まる初午の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せていて、田の神が山へ帰る頃には山へ戻る。
このように神道の原形である
「田の神、山の神」と同じ時期に姿を見せる狐の行動から、狐が神使とされるようになった。
「田の神さあ」の道祖神仕立て
       
(東京・JR池袋東口駅前公園)

(2)元々、キツネは鹿などとともに、人里近くに現れ、人々に親しまれた動物だった。稲の稔った晩秋の田園でキツネの鳴き声を聞いた人々は何かしらの神霊感を覚え、山にいる神霊の先駆けとみたものと考えられ、おのずと稲荷神社の神使として定まった。

(3)祭神の別名である御饌津神(ミケツガミ)のその文字に、狐(ケツネ=キツネの古語)を使い、三狐神(ミケツカミ)と記したため、祭神のお使いもキツネとされた。
また、祭神を狐と思って(誤解・混同して)奉った。

吹上稲荷
祭神:保食之大神(ウケモチノオオカミ)
元和8年(1622)2代将軍徳川秀忠が日光山から稲荷の神体を
江戸城内吹上御殿内に勧請して「東稲荷宮」と称したのが始まり。

狛研・三遊亭円丈師匠の最古の神使シリーズに載る狐像
宝暦12年(1762)2月
奉納 氏子中

東京都文京区大塚5−21
地下鉄有楽町線護国寺駅下車、5分

箭弓(ヤキュウ)稲荷神社
祭神:保食神(ウケモチノカミ) 末社稲荷:宇迦之御魂神・豊受比賣神

平安時代の中頃、下総の国の平忠常が謀反を起こした際、その追討の任に当たった源頼信が野久稲荷に戦勝祈願をした。
すると、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が現れ、敵を射るのように飛んでいった。
戦勝した頼信は神のご加護によるものと、野久稲荷を箭弓
(ヤキュウ)稲荷と改めて祀った。 

天保12年(1841)
跳びはね、子持ち狐
 

埼玉県東松山市箭弓町2-5-14
東武東上線東松山駅西口、歩3分