〜イノシシ(2)  和気清麻呂の猪
清麻呂は、道鏡の追っ手に足の筋を切られたが、突如現れた三百頭の猪に助けられた。
この故事に因んで猪が神使とされた。
宇佐神宮〜弓削道鏡の神託事件
弓削道鏡は、称徳天皇の寵愛を受け、太政大臣に、さらに法王にまでなったが、終には皇位を望むようになった。
そこへ「道鏡を皇位につければ國平らかにならん」と宇佐神宮の託宣があったと伝えられた(景雲3年−西暦769年)。
このことを耳にした称徳天皇は和気清麻呂に神託の真偽を確かめに宇佐神宮へ行くよう命じた。
宇佐から帰った清麻呂は、「皇室の血筋でない道鏡は掃(ハラ)い除くべし」とする宇佐神宮の神託を持ち帰って朝廷に直奏した。

猪が清麻呂を守る図
和気神社(岡山)の鳥居前の大絵馬の1コマ
すると、これに怒った道鏡は、清麻呂を大隈(鹿児島)に追放し、追っ手を出した。
清麻呂は、道鏡の追っ手に足の筋を切られたが、
突如現れた三百頭の猪に助けられ、猪に警護されて宇佐神宮に再度到り、足を治癒することが出来た。
その後、光仁天皇が即位し、天皇家は安泰となり、道鏡は下野国に流され、清麻呂は平城京に呼び戻されて、平安遷都などに尽力した。
和気清麻呂は、交通安全の神・学問の神・建築の神として信仰されている。
上記に因んで、和気清麻呂を祀る「護王神社」や「和気神社」、「足立妙見神社」などには、霊猪(神使)として猪像が置かれている。
なお、清麻呂が京都の鎮護として、愛宕山に創設した「愛宕神社」の神使も猪とされる。
(「猪-3 愛宕神社と猪」の項を参照)
  
護王神社
和気清麻呂と和気広虫姫命(清麻呂の姉)を祀る。
霊猪(神使)として、一対の猪像が拝殿の前にある。
和気清麻呂とこの神社の猪は旧拾圓札になって、「いのしし」とよばれた。(下欄参照
本殿前の招魂木(オガタマノキ)の根本に、願かけ猪の石像が有り、
「座立亥串」と呼ばれる願かけの串がたくさん刺し立ててある。
多種多様の「いのしし像(グッズ)」のコレクションがある。
参考〜境内のイノシシ類

明治23年12月建之 

京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町
市バス・地下鉄:烏丸丸太町、歩10分

和気神社(岡山・和気) 
 
拝殿
拝殿前の白猪像 平成7年(1995)
和気清麻呂や姉の和気広虫姫命など和気氏一族の九祭神を祀る。
和気神社は明治42年付近の小祠を合祀し、大正3年、社名を猿目神社から和気神社に改称した。
京都の護王神社の猪像は明治23年奉納だが、和気清麻呂の生まれ故郷の、この神社の猪像は平成に入ってからのもので新しい。

随神門
随神門前の猪像 平成3年(1991)3月
岡山県和気郡和気町藤野1130
JR山陽本線和気駅下車歩4km(車6分)
足立山妙見宮(御祖神社)

参道階段上に置かれた一対の猪(拝殿側からの撮影)
和気清麿公創祀にかかる全国唯一の神社で、清麿の足が治ったことから、足の神様で知られる。
清麿が猪に助けられたことに因んで、神使の猪像一対が奉納されている。

弓削道鏡の怒りをかって大隅国(九州)へ追放された和気清麿は、追っ手に足の筋を切られたが、多数の猪に助けられて、再度、宇佐神宮へ詣でることができた。
神宮の神告にしたがって、現在の小倉区足立山の麓の石川村(湯川町)の霊泉に入ると足はたちどころに治った。(このことから、足立つ=足立の名の起こりとされた)
清麿は数日後、山上(足立山)へ登り、造化三神(北辰尊妙見菩薩)に皇統安泰を祈った。
これが社の創祀とされる。
宝亀元(770)年。

平成7年亥年1月吉日
奉納左:平井静子 宮司 磐梨文彦
奉納右:大畠共有者27名
   
 

福岡県北九州市小倉北区妙見町17-2
小倉駅・小倉バスセンターより 西鉄バス8,9,27,28,29で黒原1丁目下車

お札(紙幣)になった「和気清麻呂の猪」
明治32年(1899)に発行された旧拾圓札(日本銀行券・兌換券)には
「和気清麻呂」・「護王神社」・「猪」が入っている。
この紙幣は
「いのしし」とよばれた。
表:左円枠内
護王神社(猪像も見える)
表:右円枠内
和気清麻呂
裏:中央円枠内−猪