金庫番

 鍵師時代二十五年を経て、プロの窃盗に成り下がって七年。若手警官の体力にはかなわず、逃げ遅れて捕まったことはあれども、Jに開けられない扉はなかった。
 そう、確かに、Jはどんな錠でも開けられる自信はある。だが、その鍵穴がないとなれば、どうやって開けることができようか? ハイテクを駆使したその金庫はダイヤルさえついておらず、冷蔵庫のようにぬべんとしていて、しかし、どうやっても開けることが出来なかった。
 とりあえず、ブレーカーでも下ろしてハイテクの弱点をついてみようかと思ったときだ。不意に妙ちくりんな男が部屋に入ってきたのである。お互い顔を見合わせると思わぬ侵入者にたじろぎ、お互いに不利益な人物だと悟った。先に動いたのはJのほうである。条件反射といってもよい。

 入ってきたのは身なりだけで貫禄を匂わせようとしているような、五十代後半くらいの男だった。クソ暑いのに高級そうなローブを羽織り、右手には葉巻、左手にはブランデー、手首にはロレックス、腕には白いペルシャ猫という、いかにも成金趣味で、このこってりとした豪華屋敷に似つかわしい主だった。
 頭の後ろから手を回して口を塞ぎ、刃物をひきつけると男は身を硬直させ、猫は動物的勘を働かせて腕からすり逃げた。
「ちょうどいいところにやってきてくれたじゃないか」
 Jはこの事態を決して悪くはないと考えを改めた。ブランデーをむしり取ると前祝いとばかり、一気にあおった。

 金庫の扉には、スパーのレジにあるバーコートを読み取るような褐色のプレートがついていた。Jは指紋を照合させて開けるものだと思ったのである。つまりは、鍵が自らのこのことやってきたも同然だった。
 金庫の前に連れてくると、Jは早速男の右手人差し指をつまんでプレートに押し当てた。だが、金庫はなんの反応も示さない。左右にかざしたりしても駄目だった。人差し指でないなら他の指だろうと、試してみるが結果はどれも同じだった。
 手ではないとすると足しかない。Jは素晴らしい思いつきだと浮かれるが、すべて徒労に終わった。
 指紋ではない。と、すると――Jは瞳で照合できるという話しを思いだし、男に命令するがこれもまた違っていた。
 だとすれば「鍵」はこの男ではないということになる。男に家中の者を呼ばせ、妻から娘から庭師に至るまで同じようなことをさせたが、金庫が開くことはなかった。

 部屋に不穏な空気が漂う。皆の代弁をしたのは妻だった。
「あなた、もういいでしょう。金庫を開けて中身をくれてやんなさいよ」
「冗談じゃない」
「こっちが冗談じゃないわよ。命がどうなってもいいの? さっさと開けてよ」
「わかった」
 といったのはJだ。
「これだけ人を集めても開かないということは、ここにいない人物――つまり、愛人なんじゃないか?」
 Jは男を試すように言ってみたが、穏やかでいられなかったのは妻だった。
「ちょっと! それ、本当なの! 愛人がいるって、あなた、どういうつもりよ!」
「落ち着けよ。泥棒の口車に乗せられてどうする」
 夫婦げんかが勃発したのをよそにJは冷静になって考えた。本人以外に信頼できる人物なんているだろうか。妻や娘が勝手に持ち出さないとも限らないし、愛人ならなおさら裏切ることだって考えられる。第一、自分が好きなときに開けられないのは不便だ。
「だいたい、あなたって見栄ばかりで、たいしたものが入ってないんでしょう? この人にあげちゃえば終わることじゃない」
「バカをいうな。これは手放せない」
「なにが入っているのよ」
「それはいえない。いったらヒントになってしまう」
 ヒントだって――?

 Jは泥棒として培った鋭い洞察力でヒントをものにし、部屋を見渡して「鍵」を見つけると、首根っこをつかんで金庫の前に連れてきた。
「よせ! メアリーを離すんだ!」
 男が叫ぶのを無視して顔を近づけさせる。するとカチッと音がして金庫の錠が開いたのがわかった。「鍵」はなにが起こったかもわからず、脳天気にニャーオと鳴いている。
 扉を開けると大きなふたつの瞳がこちらを睨んでいた。中に入っていたのは「鍵」と同じキャッツアイだった。
「あなた、これって私にくれた婚約指輪よりも高いんじゃない?」
 妻が噛みついている隙に、Jは高価な方のキャッツアイを持って逃げ帰った。

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