【連理の枝】
「殺生丸さま」
「じっとしていろ」
くちづけ――――ひらきかけた花びらを咥えるような優しさ、ころがり落ちそうな露を掬うような慈しみ――――いま殺生丸とりんが交わしている、やわらかな行為。
いつからおなじ想いをいだいていたのだろう。あの早春の日、ようやく気づかされた。親子兄妹でもない、支配者と被支配者とも違うふたりは、ほのかに優しい関係のままでいられたかもしれない。けれど甘く薫りはじめた想いは、押しとどめるにはあまりにも強すぎた。
殺生丸はかつてそれをしたことがない。くちづけ――――己のぬくみを惜しみなく与え、相手のぬくみを一途に求める。言葉ではないものでお互いを感じようと交わす、あたたかい濃やかさ。
殺生丸にはやわらかく触れてやらねばならぬものなど存在しなかった。親や、血をわけた弟さえも。欲しいものがあれば力で奪う。相手の意向など知ったことではないし、奪われたのならばそれはその者の弱さゆえだ。
ただひとつ、力づくで奪いたくないものが彼のなかに生じていた。それは殺生丸の心をしだいに占めて、魂の一部のように彼を満たしはじめていたのだ。
「殺生丸さま」
「なんだ」
「くちづけってこんなにたくさんするの?」
「そうだ」
あの日、あの森で、はじめて出逢った。りん、人間の娘。身も心も傷ついた生き物だという以外には、似たところなどないふたりだった。
――――ふれたい、唇を添わせたい。
不可解な衝動が殺生丸を襲うようになったのは、それから幾年すぎたころであったか。自覚のないうちは遣りすごせたが、ほどなく自らの矜持にかけてそれを抑えつけねばならなくなった。おなじ衝動をもたないであろうりんの笑顔を引き裂くことになるのを、殺生丸はなによりも懼れていた。そう、懼れたといっていい。
選ばせると、決めたのだ。殺生丸が己の立っている場所から外れたならば、この娘はなにを頼りに歩けばいいだろう。
それなのに、りんは自分の立っている位置からとっくに走りだしていたのだ。自分の意志で、殺生丸のあとを追いかけて。
――――せっしょうまるさま、せっしょうまるさま。
おいてゆかれぬよう、ちいさな手足で駆けた。のびやかに娘となって、もっと早く、もっと近くまで走れるようになった。そうやってりんはようやくの思いで殺生丸の胸に飛びこんだのだ。ならば抱きとめない理由など、どこにあるだろう。それに気づいたとき、殺生丸は我知らず唇を寄せていた。春になれば花がひらくように、朝になれば陽がのぼるように――ごく自然に。
いとしい者に唇を添わせる、それは生まれ落ちたときから魂に仕組まれていたかのようだった。
なんどでもかさねていたい。どれほどかさねても、たりない。
「覚悟しておけ。いままでのぶん、すべてだ」
「いままで?」
言の葉で語りあうのとおなじように、りんを感じている。より近く、より熱く。口数の多くない殺生丸が、くちづけでは饒舌になっている。
りんは唇をふれあわせたまま訊ねた。
「いままでのって、こんなにたくさん?」
「ああ」
くちづけて、かさなって。枝葉や根がからみあいひとつになった連理の枝のように。もう離れることなど、できはしない。溶けあいそうなほど、いとおしい。ようやく見つけた、魂のつがい。
――――あの日、殺生丸がりんと交わしたそれは、彼の生涯で初めてのくちづけだった。
< 終 >
2019年9月1日UP
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