【百年先も、実をつけろ】


「おーい、おーい……」
 谺(こだま)のような声がする。
「おーい、おーい……」
 村はずれの道を行くりんは、耳をそばだてた。聞きおぼえのない声である。
「おーい、おーい。だれかおらぬかー……」
 眼を閉じて、声に神経を集中させる。
(……村に入る道のほうだ)
 あかるい光のやどる瞳をぱちりと開くと、りんは抱えた笊といっしょに走りだした。ここを訪れる商い人だろうか。難儀をしている……たぶん老人だ。


 道の端に座りこんでいたのは、思ったとおり翁であった。額や鼻のあたまに擦りむいたような傷をこさえている。
「だいじょうぶですか? ころんだの?」
 老人はこの村に届けものがあるのだと言う。
「娘さん。中に入るまで、手を引いてくださらんか」
 りんは頷くと、老人の手をとった。やけに泥だらけの手のひらである。背には籠をしょっている。その中身というのが届けものなのだろう。
「おじいさん。それ、村のだれに届けるの?」
「たいへんな変わり者に、じゃ」
「変わり者?」
「わしらのところに生えたいという蒲公英(たんぽぽ)だよ」
 よくわからない。老人は道辺の草や木を眺め、「ほう、ほう」などと頷きながら歩いている。耄碌しているのかと思いきや、草について尋ねたり、逆に説明してくれたりもする。ほうけているようにも思われなかった。
「このあたりに生えるものが、だいたい分かったぞ」
「ねぇ、おじいさんって行商をするひと? それとも都の、草木の博士かな」
「ふーむ。そなたには気高いかたの気配が、百合の花粉のようにくっついておるなあ。あの花の粉は、一旦つたら厄介なほど落ちぬ」
「……気高いかた?」
「…………」
「………………」
 しばし沈黙がおちる。やがてりんのほうから口をひらいた。
「おじいさん、妖怪でしょ」
「いいや」
「殺生丸さまをしってますね?」
「やれ、もう勘づかれたか。村に入ろうとしたら、バチッときてな。この村には護りの力が及んでいるらしい。里人といっしょに入らねば、日が暮れてもここで足止めをくっておったことだろう。……しかしそなた、もしわしが人を喰おうとしている妖怪だったら、いったいどうするつもりなのかね」
 するとりんは、翁のすりむけた鼻の頭やおでこを気の毒そうに見つめた。
「そしたら、『バチッ』じゃ済まないんだって」
 妖怪は肩をすくめた。みょうな気をおこしたら、一命にかかわるところだった。それにつけてもこの護りの仕掛け、娘になすりつけた気配…………あのかたはよほどこの人間がたいせつらしい。

 老妖怪はやれやれと籠を置くと、りんを手招いた。
「これをごらん。届けものというのは、そなたに、だ」
「ん?」
「ただの苗木ではないぞ。これは『とんでもなく甘い柿』の苗木なのだ」
「とんでもなく?」
 妖怪は自慢げに頷いた。
「稀代の甘さだと、このわしが保証しよう。しかも渋抜きをせんでも食べられる。たまたま変種を見つけたのだが、殺生丸さまにこの柿の話をしたら、そなたのところに届けろとおっしゃった」
「そうだったの。ありがとう。でもあたし、もうすぐ殺生丸さまについて村を出るんです。残念だけどこの木、育てられないよ……」
 りんは小動物にそうするように、苗木の葉をちょいちょいとつつく。その横顔を見ながら、妖怪は慎重に口をひらいた。
「…………そもそも柿の木というのは、命が長い。百年、いや数百年も生き、実を生らせつづけるものも多くある」
 妖怪の翁は、眼に思慮深そうな光をたたえた。
「わしが思うに…………世話になった者に託せ、ということではないかな?」

 りんは、はっと息を吸いこんだ。――――かごめや楓だけではない、この村にはりんにあたたかさをくれたひとたちがいる。親兄弟も、帰るべき里もなくした彼女にとって、ここは「ふるさと」だった。わずかでも報いたい……りんは幼いころから畑を手伝ったり赤子のいる家の面倒をみたりと、思いつくだけのことをやってきた。けれど、足りない。自分があのひとたちにいただいたものは、そんなことではとうてい返せそうになかったから。
 村を去るまで、もうひと月の猶予もない。焦燥感めいた想いを殺生丸は知っていたのだろうか。この木は百年、いやそれ以上生きるのだという。大好きなひとたちの子どもの、そのまた子どもたちも、この柿の実を口にすることになるだろう。数百年を経て……もうりんを知るひとが誰ひとりいなくなっても、なつかしい村人の後裔が木登りをしたり甘い実を食べて笑いあったりするのかもしれない。
――――まるで自分が時をこえて村で生きつづけているような気がする。

「すてき…………」
 りんは眼をとじた。
「殺生丸さまってすごいな。あたしのこと、なんでも知っているみたい」
 帳を開くように瞼をあげると、りんは微笑んだ。
「おじいさんは殺生丸さまの友だちなんだね」
 老人は「まさか」という顔をした。
「わしはあのかたに、木や草を扱うお役目をたまわったのでな」
「それでさっきから熱心に見てたんだ」
 りんは得心した。泥まみれなのもそのせいだろう。しかしあまりにもくたびれた風体だ。
「ね、今夜は泊まっていってください」
「そうしたいところだが、もう戻らねばならんのでな」
 先だって、彼は殺生丸に舘の庭を任された。あらたな塒(ねぐら)を人間――りん――にとって好もしいように整えろ、と。だが殺生丸はあたらしい塒のことをまだ話していないらしい。驚かせる気なのか、それともただ無頓着なだけなのか……。いずれにしろ、舘の「あらたな主人」のひとりとなる娘に会って、庭の造作の方針もたった。この者のために庭を造るのは、心たのしい気がする。里に生えるのとおなじ草木も塒に配してやろう。――りん――それはたしかに蒲公英のような印象の娘だった。

「……もう行くんだね」
「うむ。こんど会うのは、次の春ごろであろうな」
 そう言って、翁は招くように指を虚空に動かした。周囲から蔓が縄のように伸びてくる。とうてい体を支えられそうもないその蔓のきざばしを、鳥が小枝をわたるようにひょいひょいと飛びはねて、またたくまに丘のむこうに消えてしまった。ただの老人に見えたが、そこはやはり妖怪というべきか。
「おじいさん、またね!」
 りんは苗木の入った籠のそばに立ち、手を振った。苗木のまだ貧相な葉が乾いた音をたてている。この痩せっぽっちの苗木が、何百年も生きるなんて不思議だ。
「柿の木、柿の木、実をつけろ」
 わらべのころのように、りんは即興の唄をこしらえて口ずさむ。
「柿の木、柿の木、実をつけろ。百年先も、実をつけろ」


――――百年、数百年のち、この木はたくさんの実をつけていることだろう。村の子どもたちが木を囲み、にぎやかに笑いさんざめくのが聞こえる気がする。そのころには、さぞりっぱな樹になっているに違いない。自分で見届けることができないのはちょっぴり残念でもある。いつかたくさん実を生らせたこの柿の木を、あたしのかわりに殺生丸さまが見に来てくれたらいいな…………そんなことを、りんは思った。

(柿の木、柿の木、実をつけろ。百年先も、実をつけろ……)
 蒲公英のような娘がこの村を去る、すこし前のことである。


< 終 >












2016年12月1日UP
< back > < サイトの入り口に戻る >