【真昼の夢】


 眉は八の字、おでこはむきだし。やわらかな瞼は、ぎゅうぎゅうと閉じられている。
「うーん。うーん」
 愛らしい唸り声をあげているのは、りん、である。午睡にまどろんでいたはずだが、どうしたことだろう。少女はにわかに目をあけたかと思うと、毬のように体を丸めた。
「うー」
 草原をごろごろと転げる。髪に草の切れ端がついてもお構いなしだ。
 りんはしばらく右に転げていたが、こんどは反対まわりに転がると元の場所に戻ってきた。
「うー」
 ふたたび唸ると、また転がろうとする。そのときどこからか、声が発せられた。

「……なにを……していらっしゃるのです」
 とつぜんの声に、りんはすばやく身を起こした。野の小動物のようだ。
「だれ!?」
 そばには邪見がうつらうつらと居眠っているだけで、あとはただ、のどかな昼下がりである。
「だれか……いるの?」
 すると、ささやき声が思いのほか近くで響いた。
「お腹でも……痛くおなりですか」
 それは誰あろう、人頭杖――女の面――から発せられている。
「え、人頭杖さん? あなた、おはなしできるの? いつから? はじめてだよね、どうしていま喋ったの? おじいさんのほうは眠ってるの? なまえはあるの?」
「そんなにいちどにお尋ねになっては、お答えするのが……たいへんです」
「う、うん!」
「具合は……およろしい?」
「えと……どこもわるくないよ」
「ならば……安堵いたしました。あなたが病になっては……ここで寝こけている小妖怪どのの……寿命が縮まりましょう」

 りんは感心したように座りなおすと、邪見の肩に立てかけられているその不思議な杖を見つめた。
「さっきの、ずっと見ていたの?」
「ええ。いつも……見ておりますよ」
 りんはすこし気恥ずかしそうにした。
「子供みたい、って思ったでしょ」
「よろしいのですよ……まだ童でいらっしゃいますから。しかし……異なこと。どこもお悪くないのに、なにをお苦しみでしたか」
 その声はくぐもったように聞きとりにくい。ちょうど、覆面をした者が発する声に似ている。だがりんは、はじめて話すひとのような気がしなかった。
「あたし、夢をみたの。殺生丸さまがね、女の子といっしょにいたんだよ。とっても仲が良さそうでね、殺生丸さま、やさしいお顔してるの」
「それで……腹をたてていらっしゃった?」
「んー、ちょっとだけ。その子、殺生丸さまをひとりじめしてるんだもん」
 りんは小さな花びらのような唇をとがらせた。ほんとうは「ちょっとだけ」ではないのだろう。「きっと邪見さまだって、やきもち焼いちゃうもん.。あの子といて嬉しそうだけど、あたしたちだって殺生丸さまと遊びたいんだもん」などと呟いている。

 やがてりんは、意を決したように女面をふり仰いだ。
「ね、ね! 殺生丸さまに訊いてみよ?」
「なにをです」
「好きな子いるの?って」
「まあ」
「でもでも、ちょっぴり恥ずかしいから……いっしょに訊いてくれる?」
「よろしいですよ。ではこの小妖怪どのから……わたしを離してくださいな」
「うん!」
 りんは邪見を起こさぬよう、そうっと人頭杖を腕から引き抜いた。
「これでいい?」
「ええ。でもどうか……しっかりわたくしを持って、あなたのお手から離さぬように」
「どうして?」
「あのおかたはたいそう……たいそう恐ろしいおかたですから。けれど此度はお答えくださいましょう。なにか……意味を持った夢かもしれません」
 りんは小首をかしげた。よくわからない。
「……夢はその中に、真実を隠していることがあるのですよ。物事の吉凶や……未来を暗示することもあります」
「ふうん。しんじつ……みらい…………」
「もともとわたくしどもは、隠されたものをさがすお役目を……いただいていたのです。夢の意味もまた、隠されしもの。なにかの縁かも……しれません」
「んーと、むずかしいんだねえ」
「それにしても……稀有なありさまをごらんになられた」
 女の面は訝しげな声だ。
「あのかたと親しげだったという者……いったいどのような娘だったのです?」
「お顔はねー、よく見えなかったんだ。背はあたしより高そうだけど、ふつうの子! でも、とってもきれいな着物を着てたんだよ。横縞に、かわいい蝶々の模様が入ってるの!」

* * * * * * * * * *

 小鳥のさえずりが聞こえる。わずかに瞼がひらいたが、まぶしさに再び目をほそめた。そばには邪見がうつらうつらと居眠っているだけで、あとはただ、のどかな昼下がりである。
 りんはごしごしと目をこすってみた。人頭杖といっしょに殺生丸のところに行こうとしていたはずだが、どうやら自分は眠っていたらしい。人頭杖は……邪見の横にころげおちている。そっと声をかけてみた。
「人頭杖さん……起きてる? あたし、りんだよ」
 杖にはなんの変化もない。少女は草原に座りなおすと、首をかしげた。どこからどこまでが夢だったのか、さっぱりわからない。

 りんは「はー」と、残念そうなため息をついた。
 不思議な杖のあのひとと、もっとお話がしたかった。また口をひらいてくれるだろうか。それにおじいさんのほうとも話してみたいな。あの二人は、自分たちの知らないときに内緒話をしたりするのだろうか。それとも……ぜんぶ夢だったのだろうか。
 りんは地面におちた人頭杖ににじりよった。
「さっきは、ありがとう」
 やはりいつもと変わらぬ人頭杖、である。りんは目をぱちぱちとさせた。
(それで、殺生丸さま、好きな子いたのかな、いなかったのかな)


――――おぼろげな夢が、告げる。幾年か先にある、嘘偽りなき光景。


< 終 >












2016年6月1日UP
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