【桜粧い】


 うすべに色の花びらが、雪のように降りしきるころ。少女は里を訪れた妖怪に、ある粧いを教えていた。村の娘たちのあいだで流行っている、たわいない遊び。
 りんは吹き寄せられた桜の花びらを、そうっと拾いあげた。
「花びらでね、こんなふうにするの」
 唾で爪を湿し、花片を一枚また一枚と貼りつける。すると、片手の爪が五枚の花びらで彩られた。
「はい、完成。みんなで見せ合いっこするんだよ」
 花びらの付け爪は、少女の指を愛らしく飾っている。
「殺生丸さまもやってみますか?」
「……いや」
 りんはすこし考えるようすだったが、爪のうすべに色をはたはたと払い落した。
「どうした」
「よく見たら、似合わないー」
 殺生丸の凛々しくも優美な姿を見れば、飾り立てた分だけ、このが手がみすぼらしく思えてしまうのだ。
 りんはひがむようすもなく、笑っている。
「花びらをつけた手より、殺生丸さまのほうがずっときれい!」
「……嬉しくもない褒め言葉だ」
 彼が欲するのは、べつの種類の賛辞だ。りんは小首をかしげる。
「そっかあ。あたしはもしそんなこと言われたら、すっかり喜んじゃうけどなあ」
 殺生丸はりんを凝視した。
「だれかに、言われたか」
「きれいって? そういうわけじゃないけど……」
 殺生丸は無言でりんを見つめている。のどかな日差しの中、ふたりの視線がまっすぐにぶつかった。

 少女は息をつめた。くだらない無駄口でこの沈黙を破ることができたら、きっとずいぶん楽だろう。けれど口をひらいたら、こんなにも近くにある瞳が、ふい、とそらされてしまうかもしれない。
(きれいな、殺生丸さまの目。お月さまのように、いつもあたしを見守ってくれた、金色の瞳……)
 この金色の中にえいっ!と飛びこんで、殺生丸さまの心のなかに入れたらいいなぁ……りんはそう思う。
 ふんわりと、春の風はあたたかった。それはやさしく里を吹きぬけると、繊細な手で野をなで、梢を揺らす。りんは金色の瞳に吸い寄せられるように、わずかに体をのりだした。

――――そして身を固くした。ひとひらの桜の花弁…………ふたりの眼差しのあいだを、一枚の花びらが横切ったのだ。

「わ!」
 光をまとったうすべにが、一瞬ですり抜けた。ひとつに重なっていた殺生丸とりんの視線は、おもいのほかあっけなく断ち切られてしまう。離れ離れになった眼差しは、ゆくかたなく漂うのみだ。
「びっくりしたー」
「……無粋な花だ」
 なにごとにも動じぬ大妖のかんばせが、憮然としたようにも見える。
「きれいな花だよ、桜。あそこから飛んで来たんだね」
 りんは花びらが流れてきたさきに目をやった。春のかろやかな風が、花びらを空へ解き放っている。
「やっぱり、きれい」
「ふん」
 りんは殺生丸の顔を見あげた。
「ふふ。殺生丸さまは嬉しくないかもしれないけど、あの花はあたしよりも殺生丸さまに似合いそうだよ」
「くだらん」


 その樹はいつ尽きるのだろうと思うほど、うすべに色を降らせている。だが、いずれは尽きる。永遠など…………ない。それでも、とこしえにしたいと願う刻がある。たとえばこんな、なんの変哲もない春の一日。
 殺生丸は、さきほど花びらにさえぎられた言葉を言おうか言うまいか、迷っていた。もはや機を逃したという気もする。しかし真にいだいている思いなのだから、邪魔が入ったぐらいで沈黙するのは癪でもある。……この娘に言ってやろうか。わたしの心にある言葉を。

――――りん、おまえは飾らずともうつくしい。

 花びらはまだ降りつづいている。それは風の軌跡のままに舞い、ときおりふたりのあいだへ舞いおりるのだった。


< 終 >












2016年5月1日UP
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