【世にも稀】


 幾人かの村人が、畑仕事をしている。老巫女の守る村は今日もおだやかで、眠くなるような昼さがりだ。
 やがて、一人の若者が顔をあげて汗をぬぐった。その刹那、彼はどうしたことか腰をぬかしてしまったのである。
「おい! あ、あれを……!」
 そばで鍬をふるっていた村人は、牛のようにのんびりと振りかえった。
「なんだ、座りこんじまってー」
「うわわわわ」
 わなわなと震える指先は、楓の家あたりをさしている。
「んー、なにが――」
 その指の先をたどってみると、巫女を横抱きにした青年が歩いてくるところだった。すっと伸びた背筋、白いふわふわの妖毛、なびく銀色の髪。妖怪の殺生丸ではないか。老巫女の楓を、姫君でも運ぶようにようにして抱えている。
「へっ!? なんで楓さまを!?」
「りんはどこにいるんじゃ?」
「りんは楓さまとかごめさまの供をして、いまごろはご城下に行っているはずだが」
「ならなんで、楓さまだけ殺生丸といっしょにいるんだ?」
「おれが知るかよ」
「と、と、とにかく犬夜叉を呼んでくるんだ。はやく!」

 これは一大事だ。あの殺生丸が、大切なものでも守るようにして老巫女を横抱いている。
「なぁ、殺生丸はりんにご執心じゃなかったのかよ」
「でもあれ見てみろよ。惚れ惚れするような男ぶりじゃないか」
「でも楓さまは皺くちゃのバ……」
「おい、失礼だろ」
「まぁ、惚れてしまえば歳なんて関係ないかもな」
「そーか。妖怪からしたら、楓さまなんてまだ童だろうし」
「なにはともあれ、りんに惚れてるやつらには吉報じゃないか」
 そこへにゅっと銀髪の頭をつこんできた者がある。
「おい、どうしたんでぃ」
「来た来た、犬夜叉。おまえの兄貴、なんか大変なことになってるぞ」
「あ?」
 犬夜叉が指さされたほうを見たときには、家のなかにはいった殺生丸の髪が、残光のようにちらりと見えただけだった。
「これは……りんとおまえの兄貴と楓さまの複雑な関係、ってやつだ」
「待て待て。どういうことなんだ?」
「いいか、落ちついて聞けよ犬夜叉。殺生丸は楓さまと……できてる」
「はぁ!?」
「殺生丸と楓さまの、逢引だよ」
「しかもりんが留守のときに、だ!」
 犬夜叉はおもわずふきだした。
「んなわけねー。なんで楓ばばあと殺生丸が」
「おまえ、ないと言いきれるのかよ」
 犬夜叉は踵をかえすと、うしろ姿のまま手をふった。
「あんまりくだらねーことで騒いでると、あいつ、おっかねえぞ。俺は帰るからな」
 村人たちは顔を見合わせた。
「犬夜叉のやつ……兄貴に意見するのがこわいのかな」


* * * * * * * * * * * *


 入口の筵をくぐると、家のなかは暗くしずんでいる。
「殺生丸よ。もう離してくれんか」
「…………」
 殺生丸は無言でまだ抱きかかえていたが、「ここへ」と楓に上がり框を示されて、壊れものでも離すように媼をおろした。
「ここでいいのか」
「ああ」
 楓は上がり框に腰をかけると足首をさすった。片方の足首だけが少々腫れている。
「手当てはできるな?」
「もちろんだよ」
 城下へゆく途中、楓はうっかり足を痛めてしまったのである。かごめとりんとで両肩をささえて村に戻ろうとしていると、偶然にも殺生丸にでくわしたというわけだった。
 ――殺生丸さま、楓さまをおねがいします。
 ――楓ばあちゃん、ほんとうに大丈夫?
 ――ああ。かごめ、りん。おまえたちは、城下へ行っておいで。言っておいた品物をたのんだぞ。
 そうして、楓は殺生丸に抱きあげられて帰ってきたのである。この日の本が広いといえども、あの殺生丸に横抱きにされた人間は、りんと楓のふたりくらいなものだろう。老巫女にはどうにも居心地のわるい帰路だった。
「やれやれ、背に負ぶさるだけでよかったのだがな。しかし礼を言うぞ、殺生丸」
「それはりんに言うがいい」
「ふむ」
「りんに頼まれたのだ。自分にするようにおまえを送りとどけろと」
 たしかに、りんの頼みでなければこのように丁重に運ばれることはなかったかもしれない。妖怪に抱いて運ばれるとは、めずらしい体験をしたものだ。しかも相手は生粋の人間嫌いときた。
 楓はまじまじと殺生丸の顔を見る。
「おぬしは……変わった妖怪だな」
「喧嘩を売っているのか」
「褒めているのだよ。そうだ、せめて礼に白湯なりとも進ぜよう。どうだね?」
「いらん」
 長居は無用とばかりに、殺生丸は踵をかえした。白湯なんぞより、彼にはもっと良い褒美があるのだろう。殺生丸は、りんの元に飛んだに違いなかった。
 それにしても、と楓は思う。偶然あの場に居合わせるとは、ずいぶん都合がよい話ではないか。
(さては殺生丸め、りんをこっそり見守っていたな)
 老巫女は、すこし微笑んだようだった。



 それから数日のあいだ、楓はおかしな噂にうんざりすることになる。犬夜叉はというと、「だから言っただろ。んなわけねーって」と爆笑し、殺生丸に横抱きにされていたという楓ばばあの微妙な顔を想像しては、気の毒がりつつもまた笑いころげたのだった。

 あいかわらずなのは、殺生丸とりんの逢瀬である。村人たちは勇み足の勘違いに頭をかき、ふたりの姿を見かけるたびにこそこそと逃げ隠れしている。
「このごろ、みんな変だねー。どうしたのかな」
「しらん」
「ふふ、そうだね」
 りんが笑うと、しぜんと目がすいよせられる。殺生丸は少女を横抱きに抱えあげた。風が花びらを掬いあげたかのようだった。
「わ、どうしたの」
「陽のにおいがする」
 殺生丸はりんの額に顔を近づけると、呟いた。りんは眩しそうに目を細めて、殺生丸を振り仰ぐ。
「今日はいいお天気だったもの」
「そうか」
 ふたりはそのまま景色に目をやっている。かすかにつたわる互いの体温が、胸震えるほど慕わしかった。
「……こうでなくてはな」
「なあに?」
「なんでもない」

 ――どうやら殺生丸が横抱きにしてしっくりくるのは、りんだけのようである。


< 終 >












2015年2月1日UP
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