【としごろ】


「あっ、殺生丸さまが来てる!」
「行っといでよ、りん。あたし、さきに帰ってるね」
 描いたようにおだやかな里のなか、りんと同行の娘は二言三言ことばをかわして別れた。りんは畦道をまっしぐらにかけてくる。
「殺生丸さま、こんにちは!」
 慌てることなどないのに、息をきらしている。りんは来た道を振りかえると、あわただしく問いかけた。
「ね、ね、殺生丸さま!」
「どうした」
「さっきの子、すっごくかわいいでしょ」
「……さあ」
「となり村にお嫁にいくことがきまったの。畑をたくさん持ってるお百姓の息子に見そめられたんだって」
「…………」
 殺生丸はとんと興味がなさげである。
「頬なんてやわらかくて、つきたてのお餅みたいなんだよ」
 りんは自分のことのように誇らしげだ。
「髪はつやつやの濡れ羽色なんだ。見てないの、殺生丸さま」
「見た」
「えー、見たのにー?」
「どうでもいい」
 殺生丸の返答に、りんはがっかりだ。あの友だちを見て褒めない者はいない。
「はたらき者だし気立てもいいから、縁組を頼みに来る人たちがひっきりなしだったの」
 まるで興味のわかない話だったが、殺生丸はひとつの言葉を聞きとがめた。
「縁組?」
「はい。祝言をあげるにはすこし早いんだけど、お嫁入り先がきまってる子もたくさんいるよ」
 殺生丸はりんをまじまじと見つめた。
「あの巫女はどこにいる」
「かごめさま? 楓さま?」
「頭の白いほうだ」
「楓さまなら、まだうちで薬草の手入れをしてると思うけど」
「ここで待っていろ」
 返事をするいとまも与えず、殺生丸は空をかけた。


「あーあ。殺生丸さま、行っちゃった」
 さっき会ったばかりなのに、狐につままれたかのようだ。ほかにも話したいことがたくさんある。聞きたいことも、たくさん。けれど、あわてずこの場所で待つことにした。
 りんは懐から小さな櫛をとりだすと、ていねいに髪を梳きはじめる。くせ毛もすこし落ちついて、子供のころよりもずいぶん扱いやすくなった。
 以前あの友だちに、どうやったらきれいな髪になるのか訊いたことがある。少女はしばらく考えてから、「すきなひとのこと、考えるの」と小声で答えた。そんなことできれいになるの?と尋ねると、「そうだよ」と言ってわらった。りんはその笑顔を、天女さまみたいだと思った。
「髪、はやく伸びるといいなー」
 殺生丸はりんの髪が艶めいてきたことになど、気づかないかもしれない。じっさい、あの友だちにさえ目もくれなかったではないか。けれど想いをこめて、ていねいに、ていねいに梳く。


 殺生丸は楓の家までのわずかな距離が、これほどに長いと思ったことはない。
 (……たしかめる必要がある)
 あの巫女の元に、りんへの縁談が持ちこまれていないかをだ。
 ほかの娘に縁組がきまっているのなら、あのりんに来ていないはずはない。彼はりんに将来の選択をゆだねはしたが、縁談を持ちこむなと周囲にくぎを刺したわけではないのだ。
 とはいえ任せた以上、最終的に話を受けるも蹴るもりん自身が選ぶべきことで、あの巫女にたしかめてどうなるものでもない。
 殺生丸は舌打ちをする。
「……うかつだった」
 殺生丸はずいぶん待ったつもりだ。妖怪にとって刹那の時間である数年でさえ、今やじれったく思える。それでも、待った。りんが己の手のなかに戻ってくるのを待ちつづけたのだ。それを横から鴉が肉でも攫うように持ってゆかれては、たまらない。
 殺生丸は心の臓の奥がわざつく感覚にとらわれることがある。ほがらかな気性のまま、りんは花のつぼみがふくらむように成長した。このままひょいと抱きあげて攫ってしまおうかと思うこともある。
(餅のような頬、濡れ羽色の髪?)
 そんな娘は、ただの景色にすぎない。目にはいるのはりん、ただひとりだけ。



 櫛をしまうと、りんは殺生丸が飛び去った方向をみつめた。里の中をおだやかに風が渡っている。ちいさな花が揺られているのが、かわいらしい振り子のようだ。
「はー。すきなひと……かぁ」
 りんは口にだして言ってから、きゅうに両手で顔をおさえた。
(…………殺生丸さまの顔がでてきちゃう)
 目に浮かぶのは、やはりあの金色の瞳の慕わしい妖怪だ。りんは頬から手をはなすと、あえてふくれ面をつくった。
(もー! ほんとの殺生丸さまはもっと恰好良いんだから)

 そよ風は、畑と畦道をなでるように吹き過ぎてゆく。やがてそれは田面をこえ、波のようにこちらへ駆けあがる。
 りんは思わず声をあげた。
「わ! だめだめ!」
 きれいに梳いた髪が乱れてしまいそうだ。とっさに髪をおさえた手がなまめかしい。もし殺生丸が戻っていたら、またしても心かき乱されるのは疑うべくもなかった。


< 終 >












2015年1月1日UP
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