【見つめる】


 ひばりのさえずりが空高くに聞こえる。春の陽気は、ほがらかで明るい。村はずれでは少女の楽しげな話し声も聞こえている。今日は殺生丸が来ているらしい。
「それでね、もうすこし暖かくなったら種まきをするんです。いつなにを植えるかも教わったよ」
 春になったからというわけでもないが、よくしゃべる。他愛もないことばかりだが、聞いていて煩いとは感じないし、りんのほうでも殺生丸が話の内容を覚えているのをよく心得ていた。

「つよくて良い苗になるから、種は満月のころにまくのがいいんだって……」
 りんは話しながら、殺生丸の瞳に目をうばわれていた。その金色は夜空にかかる満月にも似ているが、もっと美しい。凝視していると殺生丸が口をひらいた。
「りん、近い」
「あっ、ごめんなさい」
 りんは頬に両手をあてた。急に顔が熱くなった気がする。
――近頃この少女には、気になることがあった。かのひとの瞳に自分はどんなふうに見えているんだろう、ということ。
「殺生丸さま。あたし、畑仕事のほかに煮炊きのことも教わっています」
「知っている」
「縫い物の練習もはじめるんだよ」
「そうか」
「髪もすこしづつ伸ばしてるの」
「そのようだな」
 りんは一呼吸置いて、思いきったように訊ねた。
「殺生丸さまには……りんはまだ、わらべに見えますか」
 殺生丸はりんの顔をまじまじと見た。なにを言いだすかと思えばおかしなことを訊いてくる。
「……背は少し伸びたな」
「ほかには?」
「……どう答えればおまえは満足する」
 りんはしゅんとうなだれた。褒められたかったわけではない。ただ「娘らしくなってきた」とでも言ってもらえたら、どんなにか励みになったろう。はやく自分のことは自分でできるようになって、殺生丸について行きたかった。

 りんのようすを黙して見ていた殺生丸は、やがて低い声でこう言った。
「りん、今のように他人を見てはならん」
「近くでじっと見ること? どうして?」
「どうしてもだ」
 それはずいぶんと一方的な言いようだった。りんはすこし首をかたむけて、訊ねた。
「それって、珊瑚さまのお子たちと遊ぶときも、だめ?」
「……かまわん」
「かごめさまには?」
「かまわん」
「琥珀は?」
「するな」
「七宝」
「ならん」
 どうやら年長か年少かの問題ではないようだ。人か妖怪かも関係ないらしい。けれど判別するには、まだ例が足りないように思われる。
「じゃあ、村の東側の家のひとから順番に名前を言うから、いいかわるいかを……」
「やめろ」
 りんのおそろしい提案を即座にしりぞけた殺生丸は、もう口をひらくのが面倒になっていた。
「ならんと言ったはずだ」
 りんはすこし困ったような眉で訊ねた。
「じゃあ、殺生丸さまにも?」
 すると寡黙なこの大妖怪は一瞬沈黙したのち、明瞭な口調で答えた。
「……私には、してもよい」
「ほんとう?! よかった!」
 りんの笑顔は、雲間から光が漏れ射したかのようだった。そうして、あとからそれを思いだした殺生丸に悦びとも困惑ともつかぬ顔をさせる言葉を口走った。
「あたし、殺生丸さまを見るのがすきなんです」



 ふたりは村を見おろす丘のうえに立つと、村のむこうのそのまたむこうへ広がる山並みを眺めた。
「殺生丸さま、あっち。すっかり春の色だよ」
 りんの指さす先の、淡くかすむ山裾の色がやわらかい。草が芽吹いて、花でも咲いているのだろう。春の青は、空いっぱいに広がっている。
 「まだ、わらべに見えますか」。そう問いかけたことなど忘れてしまったかのように、りんの横顔は屈託がない。

…………りんはまるで気づいていなかった。あのとき殺生丸がりんのまなざしに魅入られていたことに。もしもほかの男をあのような目でみつめることがあるとしたら、己は平静でいられるだろうか。そんな思いが心をよぎったとき、殺生丸は全身の血が逆流するような感情に襲われたのだった。
――「今のように他人を見てはならん」。その言葉が、りんが娘らしく成長しているという答えにほかならなかった。


 凛としたまなざしで遠い山並みを眺めたまま殺生丸は言う。
「種まきとやらが終わったころに、また来る」
「はい! そのころには今よりずっとあたたかくなってるね」
 りんの顔から笑みがこぼれた。あたたかくなることもうれしいけれど、さっき話したことをやっぱり覚えてくれているのがうれしかった。あたりまえのようにりんばかりおしゃべりして、殺生丸はときおり答えるだけなのだが、それでうまくゆくのが不思議でもある。邪見などは、「そうか? そんなこと言っとったかのう」、などとちっとも覚えていないこともしばしばなのだ。
「こんどは邪見さまもつれて来てね。見張りばっかりじゃ、きっとたいくつだよ」
 そのときりんは、「あっ」と叫んで殺生丸をふりかえった。まるで大切なことを忘れていたというふうだった。
「どうした」
「さっきの、じっと見るの。邪見さまには?」
「……せんでいい」

 春風が銀色と濡羽色の髪を巻きあげながら丘を吹きぬけてゆく。りんの心はひばりの歌のように水色の空へ翔けのぼっていった。春が深まるのが、待ちどおしくてしかたなかった。


< 終 >












2014年4月1日UP
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