【睦ましき】


 眠い、眠いのう。春の空気はぬくぬくとしておるな。のんきに鳴きかわす鳥たちの声が、わしの瞼をよけいに重くさせておるようじゃ。
 目はつぶれど、りんの気配はしっかり感じておるぞ。むこうでまだ畑仕事をやっとるんじゃろう。屋敷に出入りしている妖怪から薬草の苗をもらったとかで、りんの奴め、はりきって土いじりじゃ。りんの畑は小さいながら厨の裏、厩の横手にも作られ、ついには結界の中の日当たりのいいところであれば、どこであろうと耕しかねんありさま。すこしは殺生丸さまの奥方たる威厳をそなえるようにと日頃から口うるさく言っておるんじゃが、あれで妖怪たちとうまくやっているのは、どういうわけかのう。
 ああ、いかん。考えごとをしてみたところで、ちっとも目が開かん。ちょっとだけ眠ろう、そう、ちょっとだけ。ここは結界の中じゃ。妙なやつは入ってこんじゃろ。ああ、今日はあたたかくてよい天気じゃ…………。


* * * * * * * * * * * * * * * * *


…………おや、だれじゃろう。声が……聞こえる。ひとがいい気分で寝とるというのに。もうすこし寝かせてくれ。わしはりんの世話をやいたり殺生丸さまのお手伝いで忙しいんじゃからな…………。

……………………ああ、また声が聞こえる。わしはまだ眠いというのに…………。

「……――――」
「だめ、殺生丸さま。もっとやさしくして」
「……しらん」
「殺生丸さま………あっ」
「これでいいか」

 ん、あれはりんと殺生丸さまの声か……? りんのようすでも見に来たんじゃろうか。

「……――――」
「ねぇ……殺生丸さま、続きは?」
「もう充分だ」
「まだだよ。もっと……しようよ」

 ちょっと待て、なんとも親密なこの感じ…………。もしやこのような所で男女の……いわゆる秘めごとというやつをはじめたのか?! ああ、なんというときに目を覚ましてしまったんじゃ、わし。しかし今さら声をかけるなんて無理じゃ。そーっといなくなろう。尺取虫のように、ゆーっくり動いていなくなろう……!


 横になったままじわじわ這い進む。気ばかりあせって、ちっとも進まん。そうして、ついに声が降りかかってきた。万事休すじゃ。
「あっ! 邪見さまも……、一緒にしよ?」
 はあああああああ?! なにを言っておるんじゃ、わしを巻き込むな……!
「邪見、来い」
 殺生丸さま……そ、そういうご趣味がおありだったので?! いかに尊敬する殺生丸さまのご命令といえども、そればかりはお許しを! そうじゃ、このまま寝たふりをしよう。わしいま、すごーく深い眠りにおちてます。
 しかし殺生丸さまはわしの狸寝入りを見抜いておられるようじゃった。
「……邪見」
 ああ、もうだめじゃ。こういうときの『邪見』は、「有無を言わせぬ」というやつ。終わった、わしは終わった……!
「お、おはようございます殺生丸さま。わし、すこしばかりうたた寝を……」
「ぐずぐずするな」


* * * * * * * * * * * * * * * * *


 おそるおそる起きあがると、畑に腰をおろした殺生丸さまとりんの姿が目に入った。
「邪見さま、はやくはやくー!」
「う、うむ……」
 近づくと、ふたりともいつもと変わらぬようすじゃ。
「あのー、殺生丸さま……わし……」
「きさまも手伝え」
「は?」
 そこにはくだんの薬草の苗が何本か植えられている。
「すごいでしょ、こっちのは殺生丸さまが植えてくれたんだよ。邪見さまも、しようよ」
 …………そういうこと?! 土いじり?! たいそう睦まじい気配じゃったから、わしはすっかり……。
「この薬草は枝が折れやすいから、そーっと、やさしく植えてあげなきゃいけないんだって。殺生丸さまは野良仕事なんてしたことないのに、すぐ上手になったんだよ」
 殺生丸さまは立ちあがると、「当然だ」という顔をされた。
「ちいさくてかわいい苗でしょ。はい、邪見さまも」
 手渡されたその苗は、たしかにひ弱でちっぽけな草だった。
「なんじゃ、こんなのが薬になるのか」
「妖怪のはら痛に効くんだって」
 はら痛なんて、殺生丸さまには無縁じゃろう。見あげた殺生丸さまのお姿には、泥汚れひとつついてはいない。こういうおかたなんじゃ、殺生丸さまは。
「おい、くだらんもんを植えるな。はら痛の薬なんぞ必要ないぞ」
「ふふふっ」
「なんで笑うんじゃ」
「邪見さまに、だよ」


 「そんな格好悪いことに、わしはならんわ!」、そう言ってやったが、まあじつは腹をこわしたことがないわけではない。いざというときにはこっそり頂戴するとしようか。
―――― 奈落を追っていた時分は、三人がこんなふうになろうとは思ってもみんかった。ましてわしと殺生丸さま、二人だけで旅をしているころはな。殺生丸さまはずいぶんと変わられた、そう思うときがある。さっきも、りんと殺生丸さま、まるで師弟のようにして腰をおろしていたっけ。
 けれど油断は禁物じゃ。殺生丸さまは大妖怪。やっぱり怖いかたでもある。刃向かう者には容赦なさらんしな。そんな殺生丸さまにおつかえするわしは、誇らしくもあり、このごろ楽しくもある。殺生丸さまとりん、ふたりを見ているのが嬉しいんじゃ。まるでちょっぴり親になった、みたいな?

……それにしても殺生丸さまとりんにはやられたわい。なんともまぎらわしい……。あんなふうにやわらかい声色のやりとりを聞けば、誰だって乳繰りあっていると思うに違いないんじゃ。わしだけではないぞ、絶対に。
 そう思ったとき、わしの体はみごとに宙に舞った。どうやらさっきのが殺生丸さまに伝わったらしい。やっぱり恐ろしいおかたじゃ、殺生丸さまは。ああ、春の空はきれい、……なんて言っている場合ではないぞ、ほんとに。


< 終 >












2014年3月1日UP
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