【雪の夜】


 囲炉裏から、かすかな音が聞こえる。乾いたものが雪崩れるような音だ。
「火が消えかかっとるな」
 目をすがめた邪見は、焚き物がすっかり燃えつきてしまったのに気がついた。
 殺生丸らが逗留する山家には囲炉裏があった。りんが煮炊きしたり暖をとるにはうってつけで、この夜も夕餉のあとに燃えさしの火であたたまっていたというわけである。
「やれやれ、焚き物をとってくるか」
「あたしも」
「いいっ、座っとれ」
 邪見は一人ひょこひょこと外に出た。納屋のわきには、りんと邪見とで集めた焚き物がたくさん積んである。
 しかしこの「とってくる」というのが、なんと半刻も前のことだったのだ。


* * * * * * * * * * * *


 殺生丸とりんのところへ戻ってきた邪見は、あからさまに健やかだった。若草色の邪見とでも言うべきか。
「……顔色がいいようだな」
「は……っっっ!」
 邪見は一気に血のひく思いだ。
 じつを言うと、この老妖怪、件の野湯に浸かってきたのである。いや、浸かるといっても、袴をたくしあげての足湯というやつだ。外に出てひしひしと寒さを感じたとき、あたたかな湯気をたちのぼらせている野湯が目に入ったら、つい魔がさしても不思議ではない。
 しかし気づけば半刻。壮健な妖怪たるものは野湯なんぞに入らん、と豪語していた邪見は、鼻歌など歌いながら焚き物のことなどきれいさっぱり忘れていたのである。
「わしの顔色までご心配くださるとは、さすが殺生丸さま。じつに慈悲ぶかい……」
 邪見は猫なで声でごまをすったが、殺生丸はもうそのことについては関心がないようだった。むしろ非難の声をあげたのは邪見のほうである。
「こりゃっ、りんめ! 殺生丸さまに寄りかかって……!」
 見れば、りんは寄り添うように殺生丸にもたれて、すっかり寝入っている様子だ。
「おいっ、起きんかっ」
「うるさい」
 邪見は抗議の姿勢のまま硬直した。
「しかしりんのやつ、このまま寝ていたら、起きたとき首が痛いだの寝違えただの、やかましいにきまっております」
「…………」
 殺生丸はりんに視線をおとした。邪見からうかがえたのはその横顔ばかりだが、殺生丸は長い睫をやや伏せて、まじろぎもせずりんの寝顔を見守っている。わずかに見える金の瞳が、中天にとどまる月のようだ。
 さすがの邪見も、ふれてはいけないような、曇りなく貴いなにかがそこにひそんでいるような気がした。
(あー、さっきわし、なんか余計なことを言ったような……)

 柄にもなくうなだれていると、殺生丸の静かな声が降ってきた。
「邪見」
「……はいっ!」
「寝床の仕度を」
 殺生丸はりんの背と足に腕をまわすと、花の枝でも抱くように、ふわりとかかえあげた。りんの肩からさらさらと髪がすべりおちて、黒絹の房のように揺れている。
 邪見はこんなふたりを見ているうちに、殺生丸が妖怪でりんが人間であることをうっかり忘れてしまうことがある。そして戸惑うと同時に待ちわびた花が咲くときのような、得体のしれない嬉しさをおぼえるのだ。さきほど無粋な口出しをしたのが、自分でも不思議なほど腹立たしい。
 邪見はふたりの姿を、ただただ、ぼんやりと見つめていた。
(りんの隣が殺生丸さまでないのも、殺生丸さまの隣がりんでないのも、わしには想像がつかん……)

「邪見」
「…………」
「邪見!」
 老妖怪はとびあがった。殺生丸の声にはあきらかに苛立ちが含まれている。蹴飛ばされるまえの、あのいやーな雰囲気だ。
「ああっ、すぐに!」
 こんな日に外に蹴りだされてはたまらない。邪見は転ばんばかりの勢いで寝ござや掛け衣の仕度をととのえると、寝床のわきにちんまりとひかえた。
(やれやれ。りんのせいで、なにやら調子がくるったわ。そもそもこの前までわしとたいして変わらん背丈だったくせに、すっかり娘らしくなりおって。なんとも生意気じゃな)
 それから邪見はひとつまばたきをした。
(まあいいか。背は小さいとはいえ、この邪見さまのほうが偉いんじゃから)

 すっかり仕度ができたのを見とどけると、殺生丸はりんを寝ござの上におろした。目を覚ますかと思ったが、小さな寝息は規則正しくつづいている。横に寝かされて安堵したものか、微笑っているようなりんの唇からは不明瞭なささやき声がもれた。
「ん、なんじゃ。りん」
「眠っている」
 そのとき、離れようとしていた殺生丸の動きがとまった。りんの手が殺生丸の袂をつかんでいたのである。大切なたからものを離したくないおさな児のように、慕わしいあたたかさを惜しむかのように。
「あっ!」
「よい」
 殺生丸はこの妖怪にそんな芸当ができるのかという優しさで、りんの指をゆっくりとほどいた。
「私は、ここにいる」


 想いは降りしきる雪のようだ。音などせずとも、深くひたむきに積もってゆく。
 夜が明けると、あたりは一面の雪景色だった。


< 終 >












2013年3月1日UP
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