【此の花咲くや】


 新しいお舘に入って、わしたちは初めての春を迎えることになった。りんは殺生丸さまにお仕えしながら皆で暮らせるのを、心から喜んでいるようじゃった。まあ、殺生丸さまご自身は手のかかるかたではないが、それでもお部屋に野の花を活けてさしあげたり、あれやこれやと忙しく働いておるわい。
 りんのやつじゃが、お屋敷で暮らすようになっても朝夕の煮炊きを自分でしておる。わしも殺生丸さまのお供がないときなどは、掃除を手伝ったり薪を運んでやったりしておるんじゃ。

 ある異変に気づいたのは、そんなふうに厨で薪を整頓しているときのことじゃった。ばたばたと草履の音をさせてりんが飛び込んできたかと思うと、隅に置いてある甕のそばに座り込んだんじゃ。
 わしは言ってやった、「こりゃっ、行儀が悪いぞ」とな。りんのやつは人里に預けられているあいだに一通りの行儀作法は身につけてきたが、淑やかというにはまだまだじゃ。
「まったく、騒々しい音を立ておって」
 そう言って薪を片付ける手をとめると、りんは「きゃあっ!」と声をあげた。
「いたの、邪見さま?!」
「いたわい! おまえのために薪をだな……」
 そのときわしは気づいたんじゃ。顔がまっかになっておる。
「おい、熱でもあるんじゃないか」
 わしは目をすがめて訊いた。殺生丸さまはりんのこととなると、驚くほど過保護になられるときがあるからな。
 りんは慌ててかぶりを振ったが、頬が上気して目が潤んでいる様子は、熱を出したときによう似ておる。わしは「ひどくなるまえに治しておかんと、あとで大変なことになるぞ」、そう言って脅かしてやった。
 するとりんのやつは、途方にくれたようじゃった。
「どうしよう、それは困るなぁ」
「ふむ、そうじゃろう」
「村にいたときは同じ年頃の子とか、かごめさまや珊瑚さまがいたんだけど…………邪見さまでもいいかな」
「邪見さま『でも』とはなんじゃ、『でも』とはっ!」
 わしは薪を振り振り叱りつけたが、心配なことがあるならば聞いてやるのも務めのうちじゃ。わしは「で、なんなのじゃ?」と訊ねてやった。

 りんはもじもじと土間に渦巻き模様を描いたりしていたが、しばらくしてやっと決心したように口をひらいた。
「あのね、……このまえ殺生丸さまと…………くちづけをしたの」
 ああ、そのときのわしの驚愕を察してほしいものじゃ。殺生丸さまとりんが……じゃぞ?!
 わしは咳き込むようにして訊いた。
「そ、それでどうしたんじゃ」
「うん、それでね、そのあとも殺生丸さまは変わらず接してくれるんだけど……」
「ふ、ふむ」
「さっきみたいに、頬を撫でられたり髪を触られたりすると、なんだかすごくどきどきして……我慢できなくて走って逃げてきちゃったの」
(ひっ……!)
 わしほどの者でも、こういうことにはまるで不案内じゃ。殺生丸さまのお供をするようになってからは、斃すだの斬るだの、物騒なことばかりじゃったからな。
 それでもわしは注意深く訊ねてみた。これはいたって重要な問題なのじゃが、りんに意味がわかるだろうか。
「それで殺生丸さまのそばにいると、その、なんぞこわい目に遭ったりするのか」
「こわい目? ううん、やさしいよ」
 りんはもじもじと否定した。
「でも殺生丸さまがいつもより近くて、じっと見つめられると、はずかしいんだ」
「お……」
「それに何度もくちづけされると、なにも考えられなくなっちゃって……」
 そう言うと、りんは上気した頬を両手で押さえた。
「どうしよう、邪見さま〜。あたし、どうしちゃったんだろう」
 わしは頭の中が真っ白になって、ただ口ばかりもごもごさせていた。
 しかし相談されておきながらなんの役にも立たないというのでは、格好がつかん。わしは心の臓がばくばくしておるのを悟られぬように、つとめて冷静に言ってやった。
「心配するな。は、春じゃからな」


 あとになってわしは益体もないことを口にしたと思ったが、まあある意味「春」なんだからそれもいいじゃろう。
 それからもりんは相変わらず顔をあかくしていることがあるが、あのふたりはうまくいっているんじゃろうか。
 じつのところ、りんのとんでもない告白を聞いて、わしは腹を立てたり行く末を心配するより、まず嬉しかったんじゃ。なんでじゃろうな。ずっとふたりのことを見てきたせいかの。もちろん、幼いりんの面影がわしの頭に強く残っているもんじゃから、そりゃあ驚きはしたがな。
 しかし、くちづけじゃと? 「あの」殺生丸さまと、「あの」りんが? わし、それを思い浮かべるのがなんかこわい。
 まあ、殺生丸さまは戦うことにかけては比類ないが、おなごの扱いに長けてらっしゃるとは思えんしなぁ。察するに、ただの年若い恋人同士といった具合じゃろうか。しかし、殺生丸さまの辛抱がいつまでもつやら。ああ見えて気短なかたでいらっしゃるし。……いや、わしが気を揉むことでもないか。わし、そういうの不得手だし。

 結界の桜も、庭の桜も、つぼみからわずかに薄紅を覗かせている。つぼみがほころぶのはいつになるかのう。
 わしはな、この屋敷に桜の咲くのが、少しばかり待ち遠しいような気がしておるんじゃ。


< 終 >












2012年4月4日UP
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