【雪】


 しん、と底冷えがすると思っていると、今朝は雪になった。それでなくとも静かな森のなか、厚みをもった雪がすべてを覆い、その白さに音さえも吸いこまれてしまったかのようだ。

 ただ、雪を割って駆ける小さな足音と、白い吐息だけが森のなかで躍動している。りんはどこからか南天の葉とその赤い実を見つけてきて、雪の兎をこしらえた。さいしょは一匹だけ作ったものの、雪原にひとりぽっちな雪兎がかわいそうになって、また一匹、もう一匹と、手を真っ赤にしながらも雪兎の一家を作りあげてしまった。
「これがおっとうで、これがおっかあ。 ちいさいのが仔うさぎ」
 歌うように呟けば、 吐息の白さに声は切れ切れ。雪の冷たさで、指先は椿の花弁で染めたよう。
「りん、はやく戻って来い! 風邪をひくぞー!」
 老妖怪の声が、いかにも寒げにこだました。

 すると、雪原から小さなかたまりが転げるように帰って来る。そういえばなんにも言わず、仔犬のように雪原に走りでたのだった。いつしか裾には雪がこびりつき、手足は溶けた雪まみれだ。ごしごしと手をこすりあわせて温みを取りもどそうとしていると、老妖怪は文句を言いながらも火の準備をしてくれた。
「まったく、そんなに手を腫らしてくるんなら雪遊びなんぞするでない。もうすこしで火が熾る。ちょっとばかり辛抱せいよ」
 殺生丸はといえば、邪見がふうふういって火を熾しているのを横目に、すい、と立ちあがった。一切の空気の乱れも見せず、流麗な動作でりんの手をとる。
「人間には、雪が冷たいとみえる」


*********************


 雪なんぞ冷たくも美しくも感じなさげなこの妖怪は、無感動なふうにりんの手をとった。りんの凍えて氷のような手より、さらに冷たく硬質な、美しい手だ。もっとも、当の本人は己の手がどうだとか容姿がどうだとか全く頓着していないが。

 殺生丸の端正な手に包まれた自分の手を見ると、りんはなんだか居たたまれないような気がしてしまう。ひんやりとしているかと思った殺生丸の手は、予想に反して暖かいような気がして心地よく、小さな灯火に手をかざしているような心持ちなのだが、どうにも落ちつかない。
(殺生丸さま、りんの手があんまり汚いから呆れてるのかな。りんの手と殺生丸さまの手、ぜんぜん違うもの…………)
 殺生丸はそんなりんの気持ちを知ってか知らずか、いっかな手を離す気配がない。見あげてみても、いつもの横顔。赤く腫れた自分の手が恥かしく、りんは邪見に視線をうつした。

 一方、こちらは邪見。背後に小さな視線を感じて振りかえってみれば、これはまた心臓に悪い光景が邪見の視界を占めている。
(殺生丸さまは、ときにわしの理解をこえた行動をなさるわい。りんの手をとって、まるで絵巻物のように麗しい光景じゃが……)
 手をとられたりんと目があった。
(こっちを見るでない。殺生丸さまにはふか〜いお考えあってのことじゃ、……たぶん)
 だが、もじもじするりんの顔を見ていると、なんとなく助け舟をださねばならぬような気もしてしまう。邪見は声を裏返らせながら呼びかけた。
「りん、焚き火ができたぞ。こ、こ、こっちに来てあたるがよい」
 邪見はそのときの殺生丸の顔を思いだしては、いまだに震えあがることがある。りんから邪見へと視線をうつした黄金色の瞳が、雪よりも冷え冷えとした冷気をはなっていた。
(まさか殺生丸さま、りんの手を御自らあたためていたなんてことは……? いいえ、なんでもありませぬ。わし、もう駄目……)

 焚き火にあたるりんは、頬を炎の照りかえしでさらに赤くしながら雪兎の話をした。
「今度は、殺生丸さまと邪見さまを作ってあげるよ!」
 それを聞いているのか聞いていないのか、殺生丸は岩にもたれたまま動かない。
「人間には雪が冷たいとみえる……」
 掌に残るりんの冷え切った手の感触が、初雪のように小さくひんやりと残っていた。


< 終 >












2005年1月31日〜2月2日ブログに掲載 2005年3月14日サイト内収納
< back > < サイトの入り口に戻る >