【父上と焼肉を】
犬のご一家は焼肉派である。正月誕生日、あらゆる記念すべき日に焼肉は欠かせない。「やはり牛だよ、牛」と、父の闘牙王は常日頃アツく語っている。「さすがは父上だ。おっしゃる事が一味も二味も違う」と、二人の息子達は感動しきり、父の薫陶もしっかり行き渡っている。
さて、今日は犬夜叉が剣の稽古で闘牙王から一本とった褒美として恒例焼肉パーティが催される事となった。
「息子達よ、いざ行かん!」
風に髪なびかせ、犬妖怪の親子は颯爽かつ威風堂々と玄関で靴を履き、うっかり鉄砕牙を忘れた犬夜叉がダッシュ&ターボでうちに取りに帰ったりなんてしつつも、なんとか焼肉屋を目指して出発したのである。
して、ここは闘牙王のなじみ、刀々斎氏の経営する焼肉屋である。ここの目玉は、オーナー自ら炭火に点火するという エンターテイメントテイスト溢れるサービスなのだが、オープン以来このありがた迷惑な余興が実行されたためしは無い。闘牙王がこの店をとりわけひいきにしているのは、このいらざるサービスはさておき、味のほうが絶品だからである。
豪華な円卓ではすでに焼き網の準備も万端、お肉は「焼いて焼いて」と身悶えしている(ように見える)。闘牙王、主役の犬夜叉、そして「気分不快ゆえ遠慮いたします」、などど言っていたはずの殺生丸もさりげなく席についている。ごく興味なさそうにしているが、袖まくり上げタスキまでしている事から、彼の意気込みは相当なものである事が伺える。一方隣席の犬夜叉は、殺生丸が隣りの席なのはなんだか胃にもたれるとばかりに願い出て父と席を代わってもらったものの、円座の三人席で場所を代わっても同じ事。右隣が左隣に変わっただけで、相変わらず殺生丸からぴしぴしとプレッシャーを投げかけられるのであった。そんな彼等をにこやかに眺めながら、闘牙王は立ち上がる。
「息子達よ、いざ焼かん!!」
じゅううう〜〜〜〜
熱く焼けた網にジューシーな肉が乗せられ、早々と肉汁がたぎっている。各自好きな肉を焼いてゆくのが、この犬の一族の流儀である。闘牙王は、タン塩。薄く破れやすいこのタンを豪快かつ華麗にひっくり返し次々と焼く様は、まさに西国の大妖怪・犬の大将にふさわしい技量である。あまりの見事さに周りの客達がいっせいに息を吸い込み、潮騒のようにどよめくのがが聞こえる。
「早いっ! 箸が見えない!」
いっぽう、食べ盛りの犬夜叉はカルビを五人前ほど前に並べている。今日は犬夜叉が主賓ということもあって、好きな物を好きなだけ食べるがよいと言われている。父のようにタン塩の美味さはまだ分らないが、「この健啖っぷりはお館ゆずりでしょうな」と、六皿目のカルビを持って来た刀々斎は髭をひねって笑った。犬夜叉は、さらに追加のカルビのほかにソーセージ焼きと海鮮焼き、ビビンバも注文。
そして、見るからに美味そうに肉を頬張る犬夜叉とは対照的に「超特選特上ロース(数量限定)」を美しい所作で口に運ぶは、一家の長男殺生丸である。涼やかさはいつにも増し、流麗さは水が流れるよう。殺生丸の周囲には焼肉臭い煙さえ寄り付けぬ。惣領息子の矜持には、一点の崩れも見られない。だがよく見れば、殺生丸とてはや五皿目に突入している。いつの間に……。「金額で言えば一番食べとるのぉ」と、刀々斎は密かに感心している。しかもこやつ、どうでもいいがタレにニンニク入れすぎ。
と、その時である。店内にガシィィ!!という、派手な音が響いた。
闘牙王も、思わずその早すぎる箸の動きを止めた。店内の視線が一箇所に集中する。そこには、一枚の肉を間に、殺生丸と犬夜叉がギリギリと箸を交差していた。
「これは俺が焼いた肉だ!」
「半妖、何を言う。これはこの殺生丸が育てた肉だ」
激しくぶつかり合った箸からは火花でも散ったか、しゅうしゅうと音を立てて煙が出ている。しかし、その箸の下で美味そうに焼けているのは、カルビであった。間違いなく、それは犬夜叉の注文した五皿目の肉なのである。殺生丸、乱心か!? 店内は騒然とし、早くも逃げ出そうとする者が続出している。しかし、父の闘牙王には分っていた。殺生丸は、そのカルビのそばに転がっていた自分のキャベツ(半分焦げ)を取ろうとしていたという事を。闘牙王は焦げキャベツ喰いの殺生丸が一瞬「ちっ、犬夜叉ゾーンに焦げキャベツが転がってしまった」、という顔をしていたのをしっかり見ていたのだ。
(ふっ、父には何でもお見通しだ)
犬夜叉の肉を盗ろうとしたのではない、だが「売られた喧嘩は何が何でも買う」主義の殺生丸の気質は、父とてよく理解していた。今にも噛み付きそうな犬夜叉と、横目で絶対零度の視線を送る殺生丸、二人を見比べて闘牙王は言った。
「息子達よ、お前に守るものはあるか!」
箸をカチ合わせていた彼らは、ハッとしたように父を見た。何という威厳であろう。心底からの憧憬と畏敬が、自然と湧き上がってくる。
「お前に守るものはあるか!」
大ホールなみにエコーがかかり、殺生丸と犬夜叉の耳の中でその声は反響した。
「守るもの……」
一方の心には弓矢を携えたある少女の姿が浮かび、一方には髪を結わえた幼い童の笑顔が浮かんだ。
「守るものなど…っ」
認めたくない年頃の殺生丸である。思うまいとしても、その笑顔の少女がしゅんとしたり、あるいはスヤスヤ寝ていたり、「殺生丸さまー!」と叫んで駆けて来たりするのを思い出さないわけにはゆかなかった。
(今度土産に焼肉屋のシャーベットを持たせよう。ここのは結構美味い)
だが、
だが今は。
守るものは、
守るべきものはッ!
「これだーっ!!!」
殺生丸、犬夜叉、同時に網へ箸を突き入れた。
ガシャーンッ!
渾身の力を込めた二人の突きは、焼肉テーブルをも両断した。網に乗せた肉も、いや網も、お勘定書きも、軽やかに宙に舞う。もうもうと煙が立ち、あちこちに何やら分らない破片が散らばっている。
「肉はッ!、あのカルビは何処だ!」
箸を一振りして犬夜叉は怒鳴った。こういう仕草の似合う男である。だが見回しても、それらしいカルビは転がっていない。殺生丸は、誰もいなくなった店内に素早く目を走らせ、そして硬直した。問題の渦中のカルビは、闘牙王の鼻先一センチをかすめ彼の焼酎コップの中に沈没していたのである。西国の大妖怪の焼酎に(偶然)カルビを入れた男、殺生丸・犬夜叉。音を立てて血の気が引くのがわかる。
(あぁ、ここからいなくなってしまいたい、消えてしまいたい! 神様仏様っ、助けて!!)
だが、闘牙王は突然朗らかに笑い始めた。笑い方にさえ、華がある。
「二人とも、よくわかった。ではこれで引き分けてはくれまいか」
コップを取り上げると、華麗に着水したあのカルビを焼酎ごと飲み干したのである。
「父上っ!」
「親父! 何やってんだ!」
「そのうち、本当の『守るもの』を連れて来るがいい。皆で肉でも食おう」
ガクリと二人の息子は膝をついた。本当に、父上にはかなわない。いつかこの父上を越える存在になりたいものだ……。
帰宅してから、闘牙王が「胸やけがする」とかいって自室にこもっていたのは、息子達には秘密である。
後日刀々斎からは、「しばらく閉店」という素っ気無い葉書が届いていた。息子達が「守るもの」を連れて来るまでには営業再開していて欲しいものだ、と偉大なる犬の大将は楽しそうに笑った。
< 終 >
2005.02.08 UP
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