『夢と子猫と黒猫と』・上

                                                                 あるまじろ



――プロローグ――


   ―――――某日某所……新月の夜…………


 「ま、良く持った方じゃないの、ただの死徒にして…そっか、あんた死徒じゃなかったわね」
 「…………」

 黒猫と見紛う美少女を従え、金の目を光らせた、金色の髪を持つ絶世の美女が言い放った。

 「機関のヤツラを今まで良くもまーだまし……あ、コラ逃げるな!」

 彼女らと相対していたモノは、人のカタチはしているものの、それまでの激戦からか、身体のあらゆる場所から血を流していた。
 それでもソイツは生き延びる意志を示し、かの金色の美女から逃れようと図る。
 無論、そのような試みは失敗に終わったが。

 「あのさー、いい加減諦めたら? このアタシが出向いてきた時点で、お前の命運は尽きているのよ…ね! っと」

 言いながら目にも止まらない拳を繰り出す。 それは、ソイツに確実にヒットしていくが、かといって相手を即死させる効用は無いようだ。
 だがそれは、ソイツの生命力をこそぎ取るが如く、ジワリとダメージを蓄積させていく。

 「……あーもー! なんで、アタシがこんなやつの相手しなくちゃいけないのよ! やっぱさっさとコイツ片付けるちゃって、とっとと志貴のところで……うふ♪」
 「(ふるふる)」
 「ん? なーにレン…志貴のとこいっちゃダメっていうの?」
 「(こくん)」
 「うー…そりゃ〜、テストで疲れてるってのはわかるんだけどさー…昼いったんじゃ妹がうるさいし……」

 金色の美女が、貴族然とした風貌に似合わず、憤懣やるかたなしといった様子で、レンと呼ばれた美少女にグチる。
 一方、無視されているソイツは、そろそろと彼女らから距離をとろうとするが、その度に少しずつその距離を詰められ、とうとう一足刀の位置まで詰められてきた。 それを、彼女らは『志貴』という男性についての議論をしつつ行った。

 「………ぐぅるる……」
 「ぐわァーー!」

 もはや完全に進退行き詰まったと思われるソイツは、今までの攻撃目標から変更し、レンの方へと攻撃を繰り出す…そうとする。

 「あ、ヒキョー者!」

 圧倒的な実力差を前に、卑怯もなにもあったものではないと思われるのだが。
 それでも、レンはソイツの攻撃を受け流そうと構えるが、実際の攻撃はなかなかやってこなかった。

 「なにしてくれちゃってるのよ! お前は!」

 (ぼきん)

 「ぐきゃるおおーーー!」
 「…………」

 金髪の彼女が、レンに届こうとする腕を捕らえると、そのまま握り潰す。

 「もうちょっと遊んで、アンタが何者か教えてもらおうと思ったけど…もういいや。 飽きちゃったから……死んで」

 その宣言は、対象者の絶対の死を宣告したも同然だった。
 レンは、ほんの少しだけ彼女の行為を止め様としたが、すぐに無駄だと悟ったのか、行動には移さなかった。

 「ぐぐ……」

 その雰囲気を感じ取ったのか、言葉を理解したのかは判然としなかったが、もうソイツに抵抗する気概はなく、ただガムシャラに逃げ様とした。
 勿論、そんな事を許す彼女ではなく、次の瞬間には、ソイツの胸から彼女の腕が生えていた。

 「ぎゃおるるぅー……」
 「ふん……」

 彼女は、ソイツから生えさせた腕を引き抜くと、その血で濡れた腕をじっと見つめる。

 「…………」

 レンがじっと彼女を見つめる。

 「……ふう……ん? なーに?」
 「……(ふるふる)」
 「あ、あはは…気遣ってくれるの? 大丈夫よ〜、これでもアタシは真祖の姫なのよ。 アルクェイド=ブリュンスタッドなの。 この程度の血で……」

 レンは、尚も言い募ろうとする彼女に近づき、腕を引き抜いた時にでも着いたであろう彼女の顔に付着した返り血を舐めとる。

 「あ…」
 「…………」

 アルクェイド…アルクは、思わずレンをぎゅっと抱きしめてしまう。

 「…………」
 「ふふ…志貴がレンを気に入るの、わかるな〜……あ、ごめん、汚れちゃたね……」

 血で濡れたままレンを抱きしめた為、レンの黒服にベッタリと血が着いていた。

 「あちゃ〜…こりゃ洗濯しなきゃダメね」
 「…………(こくん)」
 「それじゃー志貴のとこへレッツゴー♪」
 「…………」

 そう言うが早く、もう志貴の家の方向へダッシュを始めている。 先程はしおらしかったアルクだったが、どうやら杞憂に過ぎなかったようだ。 少々あきれ気味…のようなレンであったが、何かを感じ取ったのか、視線をソイツに向ける。
 その死体はどんどん風化しており、もうほとんど原型を留めていなかった。 ただ意外なことに顔だけは表情が判別出来るほどには残っていた。

 (にやり)

 「…………」
 「レンー。 置いていくよー?」

 アルクに呼ばれたレンだが、しばらくその場から動けないでいた。
 なかなか側にこないレンに業を煮やしたアルクが、レンを傍らに抱え込みそのまま走り出す。

 「では、再度レッツゴー♪」
 「…………」

 それでも、レンの視線はソイツの死体のあった場所に釘漬けになっていた……

  ・
  ・
  ・



    ☆ ☆ ☆ ☆



 「あんまり、遅くなるんじゃないぞー?」

 耕介のやや心配そうな声に送られながら、美緒と知佳の二人は、海鳴市街に出掛けてゆく。

 「はーい……まったく、耕介は心配症でいけないのだ」
 「美緒ちゃん、そんな事言っちゃいけないんだよ」
 「そんな事はないのだ。 寮の中は、薫の目が光っているから、街へおでかけする時ぐらい、ハメを外しても別にいいのだ」
 「あはは……」

 いつものごとく、二人は仲良く遊びに出かけていった。


 海鳴市。
 周囲を緑と海に囲まれ、自然と調和した街である。

 「キミー、一人でなにしてんの? 暇ならさー、俺らとあそばない?」
 「かーのじょ、どうしたの? さっきからずーっと一人だけど」
 「やあ。 もしかしてキミもドタキャンされたクチ? 良かったらサ、ふられた者同士どっかいこーよ」

  ・
  ・
  ・

 「……………」

 彼女は、周囲から掛けられる全ての雑音に対して、完全黙秘を貫いていた。

 「なんだよ、おたかくとまりやがって」
 「つまんねーオンナー」
 「声掛けられただけでも、ありがたく思いやがれってんだ」

  ・
  ・
  ・

 「…………」

 彼女が何者かを知らない憐れな男共は、一見何の変化も見せない彼女の態度に、頭の悪そうな捨てゼリフを吐いて行った。

 「…………」

 そして彼女は、この、どことも知れない街で、時を費やしていく……


 「にゃんがにゃんがにゃー、にゃらりっぱらにゃらにゃらにゃーにゃ〜♪ 知佳ぼー、今度はあっちのお店で食べるのだ」
 「美緒ちゃーん、もうお金がないよー」
 「おろ? にゃはははは…そんな細かい事は気にしなくていーのだ! れっつごー♪」
 「細かくなんか、ないよ〜…」

 美緒と知佳は、いつもの様に買い食いを楽しんでいた。
 そんな二人の行く手に、あの横断歩道が立ちふさがる。
 二人の(主に美緒の)次の目的地は、ここを渡ったすぐ先にあるのだ。

 「うー、早く信号変われー」
 「唸っても、信号は早く変わらないよ〜」
 「そんな事わかってるのだ……うー…う〜〜」

 この信号は、大通りに繋がる交差点の為、なかなか青にはならない事で有名である。
 また、交通量がそれほどでもない故に、信号が待ちきれずにさっさと信号無視をして、道路を渡ってしう人達もいるのだ。

 「う〜〜〜〜〜」
 「ダメだよ、美緒ちゃん」
 「わかってるのだ。 仲間達にも、信号無視は絶対しちゃダメだって、言ってあるから」
 「うんうん、美緒ちゃんえらい」
 「にゃははは、当然なのだ。 えへん♪」

 こんな子供達ですら信号を守っているのに、また身勝手な若者達が、二人三人……

 (ドン)

 「……!」
 「お、わりいわりい」

 (ドン)

 「……!」
 「きィつけろオラ!」

 「………」

 先ほどの、『雑音』にさらされていた少女が、信号無視をし、無理矢理横断歩道を渡っていく連中に突き飛ばされてゆく。
 三度ほどぶつけられた拍子に、少女は横断歩道の1/3ほどの場所で、ペタンと尻餅をついてしまう。
 だが、周囲の人間は見て見ぬ振りをし、誰も彼女を助けようとはしない。
 それでも少女は文句も言わず、おもむろに立ち上がると、黒のお気に入りの服についた埃をはたき落としていく。
 刹那―――

 「…………なのだ。 えへん♪」
 「――美緒ちゃん……」

 知佳が向けた指のその先には、何人もの人間につき転ばされた少女がいた。
 
 「ひどい……」
 「誰か助けてやればいーのに」

 美緒はそう呟くと、左右の確認をする。 まだ信号が変化するには、暫く時間がかかるはずだった。

 「ひとっ走りいってくるのだ」
 「うん。 お願いね」

 美緒は彼女を助けにいくつもりである。 知佳は、そんな美緒と友達なのが少し誇らしかった。
 しかし、そのうちに彼女は立ちあがり服の汚れをはたきだした。

 「おろ。 ま、いーのだ。 おーい、大丈夫〜?」

 左右は確認した「はず」の美緒が、すでに起き上がっている少女に向かい走り出してゆく。
 刹那―――

 車の甲高い警笛の音が彼女達の周囲に鳴り響く。
 同時に、スピードの出しすぎた車に共通の排気音が響いてくる。
 知佳がその音にイヤな予感を抱き、音源の方向を省みると…そこには、当たってほしくない最悪の光景が広がっていた……

 「美緒ちゃん!!」

 知佳は、一足飛びに美緒達のもとに駆け寄る。
 どうやら件の少女は無事らしく、倒れている美緒のそばで呆然としている。
 周囲の人間達は、ざわめきながらぐるっと輪になってその三人を取り囲む。

 「美緒ちゃん!美緒ちゃん!!」

 ほとんど泣き叫びながら、知佳は美緒の肩を揺さぶる。
 それでも囲りの人間達は、救急車も呼ぼうとせず、相も変わらずただ傍観しているだけである。

 「美緒ちゃん美緒ちゃん! 目開けてよ〜…こんなの…わたしイヤだよ〜……」
 「……………のだ……」
 「……え?」
 「そんなにゆすると気持ちワルイのだ〜」
 「美緒ちゃん!!」

 知佳に揺さぶられていた美緒は、その所為で目を回しながら、それでもしっかりと意識を保っていた。

 「美緒ちゃん〜〜」
 「わわっ、ち、知佳ぼ〜、く、苦しいのだ。 放すのだ〜」
 「…………」

 知佳に思いっきり抱きつかれた美緒は、なんとも情けない声を出して困っていた。
 そしてその隣では、まだ呆然とした少女が座り込んでいた。

 
 
   ☆ ☆ ☆ ☆

 
 
 「ねこが事故ったー?!」

 さざなみ寮にかかってきた電話は、そこに住む住人に相当の衝撃を与えた。

 「そそそそれで、容態は!」
 「まぁまぁ、まずは落ち着いておねぇちゃん」
 「バーッキャロー!これが落ち着いてられるかってんだ!」
 「だからあのね…」

 事故が起きた瞬間は、知佳も動転してたのか寮に電話をするのも忘れていたらしい。
 それを思いついたのは、すでに矢沢先生によって、美緒の五体満足な状態が確認されて、その事を先生に指摘されてからだった。

 「…真雪さん? その電話…事故がどうしたって…」
 「あ、愛〜…実は……」
 「美緒ちゃんが事故! それで容態は?!」
 「それがさー、知佳のやつ教えてくれねーんだよ…」
 「あの〜、もしもーし」

 電話の向う側で、なにか、かけた方の知佳を無視して話が進みそうな気配である。

 「なになに、なんの話しとるん?」
 「ゆうひ〜…」
 
 ………
 ……

 「なんやて! 美緒ちゃんが事故〜?! そそ、それで、美緒ちゃん無事なんやろな!」
 「それが、知佳ちゃんが教えてくれないらしいんです…」
 「……もしもし?」

 知佳の懸念は、実現の方向へと振られていく。

 「みなさん、何を騒いでるんですか?」
 「あれ、みんなどうしたん?」

 薫とみなみが加わったようだ。

 「だからー、もしもーし」

 誰も聞いてないようだ。
 受話器が、真雪の手の中で虚しく知佳の声を発している。

 「どうしたんですか? みんな集まっちゃって」
 「こーすけ〜…」

 真雪が、半泣きで美緒が耕介に交通事故にあった事を伝える。 プラス、知佳が容態を秘密にしている、とゆうオマケ付きで。

 「秘密って…それはないんじゃありませんか!」
 「秘密ってことは…もしかして美緒ちゃん……」
 「みなみちゃん! そんな事いっちゃいけません!」
 「そやかて、なんで秘密にする必要があるんです?! 無事やったら無事やーっていうもんと……」
 「それは……」

 薫や愛、みなみ、ゆうひらが口論になりかけた時……

 「おーっす♪ こうすけ、こ・ー・す・け! あちし、今晩は焼き魚がいーのだ! 焼き魚♪」

 ……真雪の持っている電話口から、元気そのものの美緒の声がさざなみ寮に響き渡る。

 「…………バカちか〜〜〜〜?」
 「お、おねぇちゃんが悪いんだよ〜。 わたし、何度も説明しようとしたもん!」

 美緒に代わって、知佳がかなり切羽詰った声で反論する。

 「うるさーーい! だいだい――」
 「真雪さん、代わって下さい」
 「え? ……あ、ああ」

 なおも知佳に言い募ろうとした真雪に、愛が声をかける。
 真雪は、愛の真剣そのものの表情に気圧されるように、受話器を渡す。

 「……お電話代わりました。 それで知佳ちゃん。 美緒ちゃんは無事なのね?」
 「うん。 矢沢先生の話だと、別に頭打ったわけでもないし、そんな心配いらないって」
 「そう…良かった…」
 「それに、車とはぶつからなかったんだよ?」
 「そうなの?」
 「うん。 ぶつかる寸前にちゃーんと避けたんだってさ。 だから、女の娘も無事だよ」
 「女の娘?」

 この段になって、知佳は事情のほとんどを喋ってないのに気がつく。

 「あのね、美緒ちゃん。 事故りそうになった女の娘を助けたんだよ。 あたしは気がつかなくて、バリア張るひまなかったんだ…」
 「そう…。 とにかく、誰もケガ、してないのね?」
 「うん」
 「わかりました。 今、病院? それじゃ迎えに行きますから、じっとして……ダメです! 迎えにいきますから、絶対動かない事!  いいですね!」
 「はいー!」

 いつもとは違う迫力のある愛の声に、知佳は電話口で反射的に頷いてしまった。

 「そういう事ですから、ちょっと病院まで行ってきます」
 「あたしもいこうか?」 「ダメです」
 「…………」

 真雪の申し出は、一秒もかからずに却下された。
 他の住人の申し出も断り、結局、耕介だけを付き添いに愛は病院に向かった。



     ☆ ☆ ☆ ☆


 
 「あはは…愛さん怒ってるよ〜」

 知佳は泣き笑いの声で、誰にともなく訴える。

 「なんで?」
 「…………」

 美緒は無邪気な声で尋ね、少女も不思議そうな顔をして、知佳を見つめる。

 「……ふう。 ま、それはいいわ。 ねぇ、あなたお名前は?」
 「あ、知佳ぼー。 こいつ喋れないみたいなのだ」
 「しゃべれない?」
 「…………」

 尋ねられた少女は、別段理解した風でもなく、ただじっと知佳の顔を見つめる。

 「うぅ…」
 「だいじょうぶ、多分こっちが言ってる事分ってるから」
 「ホント?」
 「だってうなずくぞ、な」
 「…………(コクン)」
 「あ、ほんとだ」

 ほとんど珍獣扱いである。

 「ね、ねぇ、だったら、コレに名前掛ける?」

 そう言うと、知佳は可愛らしい手帳とそれに似合うファンシーなペンを少女に手渡した。
 暫くは渡された手帳とペンを、じーっと見つめていたが、知佳に「名前は?」と促されると、

 『レン』

 と、なんとか判別出来る文字で書き綴る。

 「レンちゃん?」

 (コクン)

 「レンっていうのかー」

 (コクン)
 (じー…)

 「な、なんだ?」

 名前を書き終えたレンは、今度は美緒をじーっと見ると、たどたどしい手つきでペンを走らせる。

 「…………」

 レンは、何かを書いたページを美緒を見せる。

 「……うぅ〜〜…知佳ぼーパス」
 「あはは…そんで〜なになに……『あ』…い…じゃないや…り…『り』だね……『が』かなこれ…『ありが』? そうか、『ありがとう』だね?」

 なんとかレンの書いた文字を解読する事に知佳が成功すると、レンはこくこくと何度も頷いた。

 「美緒ちゃん、レンちゃん助けてもらったお礼言っているんだよ」

 (こくこく)

 「あにゃ〜…べ、べつに大した事はしてないのだ〜」

 (ふるふる)

 「ん? 大した事だーって意味かな?」

 (こくこく)

 「だってさ、美緒ちゃん。 良かったね♪」
 「にゃはは…そ、そんな事いわれると照れるにゃ〜」

 「…………(にこ)」

 知佳と美緒の笑顔に誘われたのか、今まで表情に乏しかったレンが、僅かに口元を綻ばせる。

  ・
  ・
  ・

 「美緒ちゃん!」

 知佳達三人が、ほのぼのとした雰囲気のなかで、まったりと病院の待合室で過ごしていると、

 「愛さん」
 「愛だ〜」
 「…………」

 そこに、愛が血相を変えて飛びこんでくる。

 「美緒ちゃん!」
 「愛〜やっほ……ぐえー…く、苦しいのだ〜…」
 「あははは…」
 「…………」
 「美緒! 無事か!」

 愛の後に、耕介が続いて来る。

 「こ〜すけ〜…こ、このままじゃ、ぶ、無事じゃなくなる…のだ…がく」
 「あああ、愛さん。 美緒ちゃんが〜」
 「え?なに知佳ちゃん…あーーー! 美緒ちゃんどうしたの?!」
 「ぶくぶくぶく……」
 「あはは…愛さんはもう〜…まぁ、美緒はほんとに無事らしいし、いっか」
 「…………」

 (ペコリ)

 迎えに来た愛たちの騒動を眺めながら、レンは少し離れてお辞儀をする。 そして、くるりとそこから離れようとする。 病院の玄関口を潜り抜けると、そこには事故に遭いそうになる前の、騒音や知らない街へ来た時特有の不安感が、レンに押し寄せる。

 「…………」

 レンは、一度だけ彼女らの方を振り向くと、もう一度お辞儀をして扉をくぐろうとする。
 一歩ニ歩…だが、それ以上足が進まない……しかし、このままここでこうしていてもしょうがない……と、もう一度だけ彼女らの方を向く……

 「…………?」
 「はぁはぁ……良かったー追いついて。 何にも言わずに行っちゃうんだもんなー」
 「あ〜、耕介さん見付けてくれたんですね〜。 ありがとうございます〜」
 「こらー、だまっていなくなっちゃダメなのだー」
 「も〜、ほら、こっちこっち♪」
 「…………??」

 レンは、何故自分が探されていたのかわからず、キョトンとしている。

 「ごめんね〜、レンちゃん…っていうのよね? ほったらかして騒いじゃって…」
 「そーだよー。 愛おねぇちゃん、心配しすぎ」
 「まぁまぁいーじゃないか。 それで、レンちゃんの親御さんに連絡とかしたの?」
 「あ〜…それが…」
 「レンに両親はいないって」
 「そうなの…じゃ、どこにすんでるの?」

 (ふるふる)

 「住んでるとこないの?」

 (ふるふる)

 「う〜ん…わたしじゃわかんないな〜…」

 レンとの意志疎通がうまくいかず、愛たちはしばらくうんうんと唸ることになる。
 その危機を救ったのは、意外にも美緒の一言だった。

 「めんどうだから、うちに連れていけばいーじゃん」
 「おー、美緒ちゃん、それナイスアイディア♪」
 「それ、いー考えかも!」
 「……おいおい」
 「…………??」



   ☆ ☆ ☆ ☆



 「ただーいまー」
 「いまーなのだ」

 「バカちかーー!」
 「わわ! 帰ってくるなり、それはないんじゃないおねぇちゃん」

 「まぁまぁ、あれで仁村さん、照れているんですよ」
 「そうだよねー。 さっきまでずーっと『ねこ、死ぬんじゃないぞ。死んだらあたしがコロしてやるー』って訳わかんないこと、ぶつぶつと言ってたんですから」
 「お、岡本君?! 君のその発言は、なにかと問題があってだ……」

 「はいはい、みんなどいて下さい。 お客さんが降りられないじゃないですか」
 「お客さん〜?」

 いきなり姉妹のコミニュケーションを図り出した知佳と真雪らを除いた他の住人達の疑問を、ゆうひが代表として質問する。

 「お客って…その、ちんまいの?」
 「…………」
 
 「ゆ、ゆうひ、初対面の人に向かって、いきなりそれはないだろう」
 「や〜ん。 そやかてちょう可愛い娘やんか〜♪」
 「そ、そうですよねー。 なんか、すっごい保護欲をそそられるってゆうか…」

 「あ〜ん、みなみちゃん浮気しちゃダメ〜」
 「なんだ岡本君、欲情しちゃったのか〜?」
 「わ、そ、そんな意味でいったのでは〜…」

 「こ、この姉妹は……と、とにかく上がってゆっくりしてってよね?」
 「…………(こくん)」

 ちょっと呆気にとられながらも、レンは、愛にさざなみ寮の中へと連れられて行った。

 「……耕介さん……」
 「なん…だ、薫…そんな怖い顔して」

 耕介の言う通り、薫はまるで仕事現場にいる時のような、厳しい目付きと表情をしていた。

 「『アレ』は、一体何者です?」
 「アレ?」

 「ええ。 『アレ』は、見た目こそ人の形をしてますが、間違いなく人ではありません」
 「人じゃない? レンちゃんが?」

 「まず間違いありません。 なんとゆうか…ヘンなんです。 普通、悪霊にしろ妖怪にしろ…ソレ独特の霊波が感じられます。 ですけど、『アレ』には、それが全く感じられません」
 「霊波が感じられない?」
 
 「ええ。 まぁ正確には、全く感じられない、というわけではありません。 ですが…えっと、具体的にいうと、『アレ』は、自然の生物じゃない…しいてゆうなら、人工生物とでもいうのですか…」
 「なんだよそれ」
 「うちにも、詳しい事はわかりません……なんね十六夜?」

 まるで鈴を響かせたような、涼しげな音を立てながら、霊剣『十六夜』が人の姿で現す。

 「薫……」
 「十六夜…なんか用かね…今うちは、耕介さんと大事な話…」
 「その大事な事の話に関係があるのです。 薫…あの娘を『アレ』などといってはいけませんよ?」
 「なんでじゃ。 もしかしたら、なにか悪さをたくらんどるナニカ、かも知れんじゃろが」
 「薫……」

 十六夜さんは、悲しそうな目で薫を見つめる。
 耕介は、その二人の間にある雰囲気に、掛けようとした言葉をためらってしまう。

 「薫。 彼女をよく『観て』ごらんなさい。 私達や皆様方に危害をなそうとしていない存在であることぐらいは、見分けがついたのでしょう?」
 「それは…まぁ。 じゃけん、一体どんな存在かなのまではわからん」
 「ふう……薫…」
 「だけど…まぁ、とりあえず『アレ』が、非礼な事ぐらいは理解した。 あやまる…謝っておく」

 そう薫は十六夜さんに告げると、みんなの後を追って寮の中に入っていく。

 「薫……」
 「薫ったら……耕介さん、薫の事お願いします。 全くまだまだ子どもで……」
 
 十六夜さんは、耕介に頼み込むと「薫〜?」と、薫の後を追っていった。

 「なんなんだ……しかし、レンちゃんが人間じゃない……う〜ん…まいっか、似たようなもんだろ…可愛いし」

 頭を掻き掻き、耕介らしい言葉を呟きながら、最後にさざなみ寮に入って行った。

  ・
  ・
  ・

 「なんか、面白そうな展開になってきたね、ウィンディ?」
 「チチチ…」



    ☆ ☆ ☆ ☆


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