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夢のあとに -1-

霧の体育館

 そこは体育館のような建物だった。わたしは幾人かの人とともに観客席にいた。下のフロアでは何かが行なわれているようだった。わたしは下で行なわれていることよりも、みずからとともにいる人たちが気になっていた。3名の老婆である。どうしてこのようなひとびとを自分が率いているのかはわからないが、わたしにはかれらを導くという使命があった。

 下からは女性とおぼしい声がいくつもしている。わたしは下を覗き込んだ。しかし、何も見えない。白い霧が下を覆っているのだ。霧は次第に下に満ち、わたしたちのいる観客席まで這い上がろうとしている。

「降りなければなりません。」わたしは老婆たちに声をかけた。「霧がここにくる前に、下りていなければ危険です。」

 老婆の一人が、垂直に下に伸びている梯子に取り付こうとした。わたしはあわてて止めた。

「無理です。こんな直立した梯子は危険だ。この観客席を回ると階段があるはずです。そこから降りましょう。」

 老婆たちを先に立たせて、わたしは回廊を巡り階段を捜した。

 階段はあった。しかしそこへ行くには、観客席の縁に突き出た細いひさし状の部分を渡らねばならないのだ。老婆の一人が手すりにつかまりながらその縁を伝い始めた。

 危険だとわたしは思った。その瞬間老婆の姿が霧の中に消えた。落ちたのに違いなかった。下の人々は誰もそれに気がつく様子がなかった。霧も晴れていないのにわたしにはそれがわかった。老婆が床にたたきつけられたのだろう。下からバスドラムを叩き割ったような音が響いてきた。わたしは胸のポケットから携帯電話を出した。救急車を呼ぼうとしたのだ。

 携帯電話で119番が呼び出せるかどうか心もとなかった。耳に当てると呼出音が聞こえた。誰も出る様子がなかった。わたしは下の女性たちが老婆の転落に気がついたかどうか、適切な手当てをしているかどうかを見やった。

「もしもし、つながっていますよ。この状態でつながっています。」

 呼出音の向こうからかすかに女性の声が聞こえた。わたしは早口に言った。

「おばあさんが落ちたんです。死んでいるかもしれない。救急車を!」

「そこはどこですか。」

 わたしはそこがどこであるか知らなかった。あわてて下に降り、誰かにここの場所を聞こうと思ったのだ。つぶれて血まみれになった老婆がそこに横たわっているはずだった。

 しかし、人垣の中に横たわっていたのは、幼児だった。幼児の顔には古いテレビ番組に出てきたロボットのような仮面がかぶせられていた。

「死んでるよ。」

「ああ、死んでるね。」

 取り囲んだ中年の女たちがささやき交わしていた。彼女らは横たわった幼児に何もしようとはしていない。中には幼児の母親もいるはずだった。しかし誰も幼児のそばによろうとはしていなかった。

 わたしは幼児の仮面の中から、大きな呼吸音が聞こえているのに気がついた。

「死んじゃいない!」わたしは大声で叫んだ。わたしのせいで人が死ぬことはたまらなかった。

 仮面をはがしていいものかどうか、わたしは迷った。何の理由でこの仮面がかぶせられているのかわからなかったからだ。しかし、少なくともこの子は死んではいない。救急車が来たら、子供は助かるだろう。

 わたしは消防署にここの場所を告げていないことに気がついた。携帯電話に耳を当てるとすでに切れていた。うろたえてもう一度電話しようとして、わたしはあの仮面の幼児が立ち上がって他の子供たちとともに遊びまわっているのを見た。

 安堵感と、何か大きな事を忘れ失ったかのような不安感のない交ぜになった中で、わたしは目を覚ました。まだ夜は明けていなかった。

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