何度も君を
入り口のドアを開けると廊下の突き当たり、ずいぶんと遠くに出口のドアが見えた。
左側には黒く塗られた壁。同じく黒い床の廊下の右側には鉄格子。
静寂に満ちた細長いその空間には、つまり、区切られたたくさんの檻があった。
防犯目的なら費用効果が低すぎるだろうし、たぶん演出、様式美。その割には檻の中の照明はごく普通の蛍光灯で、その中途半端さに呆れた和彦はとりあえず壁を蹴ってみる。
今日のために新調した革靴は思いのほかに大きな音を立てて、そばの檻の中で商品が身じろいだ。
びくつくそれに、びくつく彼に、ほんの少し罪悪感のようなものを感じて笑いかける。

今日は人形を買いに来たのだった。

そもそも『人形』と言うその恥ずかしい通称も気に入らなかったがまあいい。レトロだと感じた鉄格子だって実用的なのかもしれない。触れたら電流でも流れる可能性だってある。
笑いかけられた人形は、客だと思ったのだろう笑顔を返してなにやら自己紹介らしきものを口にしている。
それにひらひらと手を振って先へと進んだ。
檻の中をほんの一瞬ずつ確認して行く。他人から見たらそれでは何も分からないのではと言われる程度の速さだ。
鉄格子と鉄格子の間には一メートルほどの壁があって中の人形について簡単な説明書が貼られている。
それにもざっと目を通しながら足早に進んだ。
一目で見分ける自信があった。
黒く塗られた壁と床。
わざとらしく錆びた鉄格子。
露出過多だったり、時代錯誤だったり黒尽くめだったり。光る装飾品。白く、紅く塗られた顔。
少年たちは、人形たちは、街中を普通に歩くには幾分デコラティブに過ぎる(少なくとも和彦は並んで歩きたいと思えない)衣装をまとい細い手足をこれまた大仰な枷や鎖で拘束されている。

檻の中にはドアがあって、どうやら檻同士の間に外からは見えない空間があるようだった。無駄に厚いと思った仕切りの中はトイレか、物置か、それとも監視員でも入っているのか?
分からないし、どうでもいい。知りたくもない。今日目的を達すれば金輪際ここにくる予定はない。くだらないことを考えるのはその相手が見つからない苛立ちからだ。

靴とスーツを買った。
髪を整えて、視力は大して落ちてもないのに眼鏡をかけて。
身支度にいつもの倍は時間をかけた。
デキル男、が好みのはずだから。
いつか、人気俳優が演じるエリートサラリーマンに見蕩れる姿に嫉妬した。
あれは何百年前のことだったんだろう。

正面を向けば突き当たりに出口のドアが見える。
廊下は静かだ。他に客はいない。人形たちも口を噤んでいる。
彼はいない。
和彦は歩調を緩める。
まさか見落としたのだろうか。自分が。
気づくと汗をかいた手のひらを握り締めている。焦る必要はない。もし見落としてしまったのなら、もう一度廊下の端に戻ればいいだけだ。もう一度一からやり直して、今度はきちんと一人ずつ顔を確かめて。一枚一枚説明書きを読んで。
そうして、出口までたどり着いてしまったら。
彼は、いない。

廊下は静かだ。他に客はいない。和彦の足音だけが響く。
彼は。

鉄格子の中で、平凡な蛍光灯の下で、パーカーにジーンズと言う格好で全くそぐわない手錠と足枷をつけて。
床に座り込んでうつむいた彼は、長く伸びた前髪をいじっていた。
ずっと響いていた足音が途絶えたの気づいたのだろう。
顔を上げる。
「あ」
緊張感のない声を出して、へらりと笑う。
「……中に、中に入れるか?」
握りこんだ格子には、電流なんて流れてなかった。


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