小林白英、梅木東風、岸浦漁笛、廣瀬冑山、小川氏、
H24.07.30(月) (故 寫山先生に出会ってから40年が過ぎました。) 先輩たちは、書道を愛し、酒を愛し、日本文化を愛していました。 そして私を可愛がってくれた先輩たちです。 お金や名誉などには無関心の方ばかりでした。 書道や日本の庶民文化を話している時の目の輝きは活き活きしていました。 決して今でも忘れることが出来ません。 もう一度、あの時代に戻ることが出来れば・・・どんなに楽しいことかと思います。 時の流れが早すぎる今の時代こそ、日本の若者に日本の文化や書道の技法や面白さに、興味を感じる若者が増えていく時代になって欲しいと願っています。 私は、『桃李 もの言わざれども 下 自ずから 径を成す』で行きますす。 |
一番兄弟子の小林白英との最後の酒宴です。 本人が「次の桜花は見られないと思う」と、 言った通りになりました。 ロングピースを愛煙していましたが肺癌でした。 |
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左から、 寫山先生、広瀬冑山、小林白英、梅木東風、小川氏です。みんな書道が大好きな優しい兄弟子達です。 |
左から、 寫山先生、私、小林白英、梅木東風、小川氏です。 |
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みんなが暑い暑いと言って汗を流している頃、私たちは書道の作品作りに汗を流していました。 左から、私、梅木東風、小川氏、小川氏の父、 小川氏の奥様、寫山先生、広瀬冑山、 寫山先生の奥様です。 |
寫山先生の作品作り風景です。 上座にいるのは墨すり担当の梅木東風です。 私は左の奥に居ます。 このあと、全員が順番に書きました。 |
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市長表彰を受ける私です。寫山先生はこんなことを 嫌っていましたが、祝福の連絡がありました。 |
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上段左から 寫山先生と奥様、白英、林氏、飯塚氏、 下段左から林野ジュニア、山本氏、私、林野氏、 岸浦漁笛です。 (昭和49年頃の夏です。当時、私は23歳) |
ハワイの小学校の先生が、日本に留学中です。 私が漢字を英語に直訳して指導しています。 可愛がって頂いた先生や 先輩の意思を継がなければ・・・。 |