研究紹介

  

漢語   解読

【解読)
煩  耐  須
大正10年一月
八十又六 叟
鐵齊錬


【読み】右読みです。
すべからく 苦しみに 耐えるべし

【落款】
大正10年1月
八十又六 叟   (はちじゅう とさらに ろく おきな)
鐵齊錬    (てっさいれん)

【大意解釈】
人間は、いかなる煩いや苦しみにも耐えて生きなければならない。

【語意】
須:すべからかく・・・すべし(・・・・しなければならない)
耐:たえる
煩:苦しみ、煩わし、

【八十又六 叟】 (はちじゅう、とさらに、ろく おきな)  叟=翁
作品制作年号と雅号の間に書かれているので、鉄斎の年齢である。
鉄斎86歳の作品と思われる。鉄斎は大正13年に89歳で亡くなっているので、
。大正10年は、鉄斎が亡くなる3年前の86歳とぴったりと一致している。
鉄斎の作品には、九九八十一歳(くくはちじゅういっさい)や八十青二歳
(はちじゅうあおにさい)など遊び心たっぷりの落款もある。
他に八十有七老人、八十有九叟と書かれた作品もある。
又という文字と、有、右は同類文字で「・・・とさらに」「そのうえに」と
いう意味がある。ですから、八十歳とさらに六歳という解釈である。
鉄斎は、亡くなる89歳まで意欲的に作品を作っている。

【富岡鉄斎(とみおか てっさい)】
1837年(天保7年)〜1924年(大正13年)明治、大正の文人画家。儒学者。
十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる。幼名は不明。猷輔を通称とし、のちに道昴・道節と称し、明治のはじめ頃、一時名を鉄斎としたが、しばらくのち百錬に改名。字を無倦、別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。耳が少し不自由であったが、幼少の頃から勉学に励み、はじめ富岡家の家学である石門心学を、15歳頃から大国隆正に国学や勤王思想を、岩垣月洲らに漢学、陽明学、詩文などを学ぶ。

                                                  解読文責:尾臺成大