研究紹介

                                   山本五十六 書簡       解読 釈文責 : 尾 臺 成 大

  文語体 原文解読                                   口語解釈

拝啓
拝啓
益々のご清健申し上げます。浦波号で
南洋をご視察されているのでしょう
幸運を願っております。世上机上の空論では
戦力を取り戻すということは、お戯れに過ぎませんよ。
しかしながら、深く祈り、自分の考えに素直であるべきとの真面目な
お心がけには、敬意を表します。
ただし、海軍に山本が居ても安心できないと言うのは
迷惑千万な発言であります。 私は、ただひとえに
『小さな敵であっても油断せず、大きな敵であっても恐れない』
と言う聖なる教えに従い、日夜、精神修行と肉体鍛錬
に励んでいるに過ぎません。
助けを求めることは惨めに思います。誇り高かぶる大勢の将兵たちの誠意と
忠義があるのみであることを、併せて申し上げます。
もしも、日米開戦になるようであれば、私の目指すところの基本的な考えを申し上げます。
グアムや津嵳ではありません。これまた、
布佳桑港でもありません。 まさに、華府
街頭の白?館上に要塞を築くことはなりません。(場所などの問題ではないのです)
当領内の政策政略に反する者を、思い通りに仕上げることにあります。
これが、本腰を入れての覚悟であって、私には自身があります。
ご自愛をお祈りします。
一月二十四日     山本 五十六
益々御清健申し上げ候   浦波号にて
南洋を御視察 相成るべく候
幸多致し居り候 世上机上の空論
を以っては 開復を弄ぶの 深に祈りし
以って 自説に忠良すべしとの真摯なる
御心掛けには 敬意を表し居り候
但し 海に山本在りとて 御安心ならずとは 
迷惑千萬 申し候 小生は  単に
小敵たりとも 侮らず 大敵たりとも 懼れず
の聖論と奉りて 日夜  孜と実力の
錬成・精進   致し居るに過ぎず
恃む処は  惨めとして 驕らせる 十萬将兵の 誠忠
有るのみと併せし申し上げ候
日米開戦に到らば わが目指す これなる素 申し上げ候
グアム 並び 津 嵳 にあらず 将
又  布佳桑港 にあらず   実に  華府
街頭 白?館上 の 塁ならせる べからず
當領の 反政家 果たし候   此
本腰の覚悟 と 自身ありや
祈 御自愛    草々 不具
一月二十四日     山本 五十六

  

この書簡は、戦前に五十六とは日頃から議論を交わし、書簡を交わし続けている極々親しい同輩か後輩に宛てたものと思われる。
理由は、一般的には、年始月であれば特に年号は入れたい心理であるが省略されている。その上、宛名までも省略されている。
面白いことに、頭語の「拝啓」に対して、結語に「草々」「不具」を連記使用している。当時の慣習なのか、遊び心なのか?余程、親しくないと出来ないことである。
だからこそ、書簡内容にも胸中が強く表われている。開戦(1941年)に至る1〜2年前の55〜56歳頃の書簡であると推察する。
「草々」や「不具」の頭語は「前略」が一般的。  草々:急ぎ走り申し訳ない。  不具:気持ちを充分言い表せない。
山本五十六 :明治17年(1884年)〜昭和18年(1943年)
「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と断固、開戦に反対し、人々や郷土を愛し慈愛の心を強く保っていた。
その意に反して、海軍大将連合艦隊司令長官として、第二次大戦の指揮をした。
昭和18年4月18日7:30ソロモン諸島バラレ島に激励に向かう途中、ブーゲンビル島上空で、米軍の待ち伏せ攻撃に遭い撃墜される。59歳であった。