山本五十六 書簡 解読 釈文責 : 尾 臺 成 大
文語体 原文解読 口語解釈
※ | この書簡は、戦前に五十六とは日頃から議論を交わし、書簡を交わし続けている極々親しい同輩か後輩に宛てたものと思われる。 | |
理由は、一般的には、年始月であれば特に年号は入れたい心理であるが省略されている。その上、宛名までも省略されている。 | ||
面白いことに、頭語の「拝啓」に対して、結語に「草々」「不具」を連記使用している。当時の慣習なのか、遊び心なのか?余程、親しくないと出来ないことである。 | ||
だからこそ、書簡内容にも胸中が強く表われている。開戦(1941年)に至る1〜2年前の55〜56歳頃の書簡であると推察する。 | ||
* | 「草々」や「不具」の頭語は「前略」が一般的。 草々:急ぎ走り申し訳ない。 不具:気持ちを充分言い表せない。 | |
山本五十六 | :明治17年(1884年)〜昭和18年(1943年) | |
「この身滅ぼすべし、この志奪うべからず」と断固、開戦に反対し、人々や郷土を愛し慈愛の心を強く保っていた。 | ||
その意に反して、海軍大将連合艦隊司令長官として、第二次大戦の指揮をした。 | ||
昭和18年4月18日7:30ソロモン諸島バラレ島に激励に向かう途中、ブーゲンビル島上空で、米軍の待ち伏せ攻撃に遭い撃墜される。59歳であった。 | ||