大阪天満宮
所在 大阪市北区天神橋2丁目1番8号
由緒 901年に、菅原道真は藤原時平の陰謀により左遷されることになりました。菅公は攝津中島の大将軍社に参詣した後、
九州大宰府に向かいました。2年後、失意のうちに生涯を閉じました。菅公の没後、疫病や天変地変、落雷、など悪いことが
起こり、菅公が天神(雷神)となられての怨霊の祟りであるとうわさされました。949年の夜、大将軍社の前に7本の松が生えて
夜毎に金色の霊光を放ったと言われています。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、同地に勅命を以って天満宮を建立しました。
987年「北野天満宮大神」の神号が下されました。現在のご本殿は、天保14(1843年)に再建されたものです。
祭神 菅原道真
境内外社 (摂社)大将軍社 白米稲荷 霊符社
本殿の建築様式は、権現造りです。 |
大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけでも7度も火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱の大火では全焼してしまいました。 大阪市中の氏子や崇敬者や献身的な奉仕者達によって、現在のご本殿が再建されたのです。 第2次世界大戦にも焼けずに残ったのは、氏子たちが 自分の家が焼けるのを横目に見ながら、必至に守っていたからだと言われています。 |
常夜燈 『は こ さ 』と書かれています。 これは、右から ざ こ ば と読みます。 「雑喉場」と言って、江戸時代から昭和6年まで大阪市の 中央卸売り市場が出来るまで続いた大阪の鮮魚市場の 呼び名なのです。「さ」は、左の変化、「こ」は、古の変化、 「は」は、者の変化であります。 |
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『雷』 天神信仰は、天神(雷神)に対する信仰です。 |
『盤』 なぜ、盤を書かれたのか研究中です。 |
紀元2600年 開業30周年 為 記念 牛 祭 紀元の紀が、『記』と誤字になっていますが 誤字にした意味があるのか研究中です。 また、為書きの位置も意味がよく解りません。 牛祭の文字も鄭文公碑調には書いているのですが、 構図も変化の妙もありません。彫りも浅く、残念な書です。 なんと、奉納者はステーキのスエヒロです。 |
天満の市場の方々からの奉納です。 |