研究紹介

大山咋神社(おおやまぐいじんじゃ)


所在:姫路市広畑区則直

  

村上天皇の時代、康保元年(西暦964年)性空上人が筑紫国より東上の際、浄地を
当地に求めて社殿を建立された。近江国坂木村の日吉神社より、大山咋命(おおやまぐいのみこと)
の御分霊を御祭神として鎮祭されたことが始まりであり、山王権現宮と称された。
後花園天皇の時代、永亨六年(西暦1434年)に社殿を改修されたが、嘉吉の乱(西暦1441年)の
兵火に罹り焼失した。長禄元年(西暦1457年)に井上出雲守源通忠により再建された。
明治元年に社名が、現在の大山咋神社(おおやまぐいじんじゃ)に改称された。
現在の社殿は、昭和56年(西暦1981年)に改修された

石柱刻文(左) 大正九年(西暦1920年)に刻されたもの、書者不明
時代背景:第一次世界大戦(1914〜1918)では、日英同盟国として参戦し、大勝利
       を得た。中華民国、南洋諸島、シベリアまでも攻略し、大日本帝国も
       連合国の五大国の一国として、パリ講和条約に参加し、国際連盟の
       常任理事国となった。勝戦後二年であるため、世界侵略ムードの
       強気姿勢の時代である。
音読:しんいゆいめい
解文 神威:  神(天皇)の威厳
    惟:   ユイ、思う、
    明: 澄みきっていること、忠誠心
訓読:  神威に明を惟う。
解釈:  神(天皇)の威厳に対して、忠誠心を思う。
 神 

 威 

 惟 

 明 
石柱刻文(右) 音読:こうひろく(りく)ごう
解文 光被 : 光が広く覆うこと、君徳が広く行き渡ること、
    六合 : 上、下、東 、西、南、北の六の方角、天下、世界、


訓読 :六合に光被する。
解釈 :天下(世界中)に、君徳(天皇の)が広く行き渡る。
光 

被 

六 

合 


後面 横面 前面




 








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祝 奉



















西




敬 崇