研究紹介

神社境内の石柱刻文

所在地 兵庫県   (旧)揖保郡
(新)たつの市御津町苅屋

富嶋神社

西の津の宮」と称されている富嶋神社の御祭神は、貴布禰(きぶね)大神と八幡大神が祀られている。  
赤松光則が武山城を築くにあたり武山八幡宮を建立、その後、濱田村の龍門寺の開祖「盤珪禅師」と
回船問屋「灘屋」が、寛文元年(1661年)に今の地に神殿を創建し、寛文4年に合祀された。
神社名は、当初は「飛嶋神社」と書かれていたが、後に赤松家が後世まで栄えることを祈って「富嶋神社」
に改名された。万延元年(1860年)に改装されている。

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貴布禰宮 : 高神   闇神   美津波女命
八幡宮  :  息長足媛命  品陀和気命   玉依姫命
【文字解読】

霊 
徳 
兼 
六 
合 


文字は、いずれも穂先の切れ味が鋭く、沈着で風格のある安定した字形で、
筆脈も絶妙であり、温和で品致を感じる草書体で書かれている。(作者不明)

※文字を直訳すれば、優れた徳と、国を統率することを兼ね備えているということか。
日本書紀巻第三に、「然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎。」
訓読み:然りして後に、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、
八紘(あめのした)を掩(おほ)いて宇(いえ)にせむこと亦可(よ)からずや。

霊徳  :  神秘さを感ずるほどに優れた徳
六合  :  東、西、南、北、天、地、の六の範囲である。
「くに」と読み、支配の範囲を意味する。
【文字解読】

皇 
威 
掩 
八 
紘 

※文字を直訳すれば、天皇の威光が、世界を掩っているということか。

皇威 :  天皇の威光
八紘 :  東、西、南、北、 北東、南東、南西、北西、の八の方位で世界を意味する。
「あめのした」「あめつち」と読む。
※「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)が宮崎県平和台公園にある。

【八紘為宇】【八紘一宇】  はっこういう、はっこういちう、
「宇」 : 屋根のこと
武力による国内統一を主題とした脈略で、世界規模で解釈すれば
世界の武力征服の思想に結びつく。

【文字解読】
紀元2600年記念


皇紀   元年 (紀元前660年)は、神武天皇よりスタートしている。
紀元 2600年は、(昭和15年、西暦1940年)に該当し、式典をおこなっている。  
昭和15年11月10日式典