『バロウズの妻』 ネタばれレビュー @







先日、古いファイルを整理しておりましたら、『バロウズ』ネタばれページが出てきまして、久しぶりに読んだら、自分で書いといてゲラゲラ笑ってしまいましたので、やっぱ戻してみようかな〜なんて気になりました。そしたらタイムリーにも廉価版DVDが出るようなので、これは間違いなく神の啓示じゃ(は?)、と思い込み、復活にいたりました次第です。

たぶん、『24 -Twenty Four-』 で注目されたキーファーのおかげで、過去の出演作にスポットが当たったんでしょうね。ジャック・バウアー様サマです。しかし、『バロウズ』ではどうしようもないほどしなびたオヤジ(をい)だったのに、『24』では別人のよう。ジャックと見比べながら本作を観賞するのもまた一興ではないかと思います。

これも日本版が出ているので、特に解説することもないかもしれませんが、英語に限らず色々と語りたいことがありますので、私なりにストーリーを復習したいと思います。

とにかく私としては、ノーマン演じるルシアンの妖しい魅力と美しさについて叫びたくてたまらないのですよ〜♪ いやはや、Dark Harbor ではミステリアスで、どちらかというと寡黙な男の魅力がありましたが、バロウズでは、陽気で社交的な愛くるしい子犬ちゃん的魅力。でも、子犬ちゃんとはいいながら、強烈なセックス・アピールも発散している、という相変わらずあなどれないお人です。まあ、言葉で綴るより、映画を見ていただいたら彼の魅力は一目瞭然なのですが、ネットで調べていて何となく見つけた裏話などもお届けしたいと思います。

また、米国版DVDのコメンタリーでは結構おもしろい話が聞けますので、こちらも紹介していきたいと思います。ご存知の通り、米国版では編集が大幅に変わっていて、これはもう全く別の映画と言っても良いのではないかと思いますが、ほとんどの方は日本版――オリジナル版と言うべきかもしれませんが、ここでは取りあえず日本版と呼びまして、2002年10月に発売されたディレクターズ・カットを米国版と呼びます―― しかご覧になっていないことと思いますし、ざっと観たところ米国版では日本版にないシーンはほとんど追加されておりませんので、基本的には日本版にそって解説していき、米国版との違いを逐次お伝えしてまいります。



Chapter 1: New York City

日本版では、まず「BEAT」という単語の説明があり、「これは実話である。これ以上の真実はない」という見出しから始まります。この映画は驚くべきことに全て実話で、監督・脚本のゲイリー・ウォルコウは 事前に入念なリサーチを行い、ストーリーを書き上げたとか。

米国版DVDのコメンタリーではウォルコウ監督と編集のスティーヴ・ヴァンスのお話が聞けます。『デュース・ワイルド』 みたいに、こちらも低予算映画の貧乏話をかなり聞かされます(笑)。インディペンデント映画製作に「お金がない」というのは、ほとんど枕詞のようですね。

監督は何にでも日付をつけるのがお好きだそうで、コメンタリーでも収録日を入れてます。2002年8月12日だそうです。

米国版での最大の違いは 1944年のニューヨーク・エピソードで、監督がおっしゃるには、もともと約20分あったこのシーンが思ったほどしっくり来なかったため、30秒に縮小、アレン・ギンズバーグ(ロン・リビングストン)の声による大まかな説明がオープニング・クレジットの前にちょろっと入れられただけです。後半に登場人物達の回想シーンとして、切れ切れにニューヨーク・エピソードが挿入されますが、それでも大幅にカットされています。特に、あほデイヴが…(ほろほろ)。

アレンのセリフの抜粋ですが、


1944年。僕らがビート作家になる前のこと。ルシアン・カーが全ての始まりだった。
彼がバロウズやデイヴと友達で、僕とはコロンビア大学の寮で知り合い、ジョーンとはウエスト・エンド・バーで、ケロアックとはジョーンのアパートで出会った。
ルシアンが僕ら皆をジョーンのアパートに集めたんだ。
そして、ルシアンがデイヴを殺し、刑務所に行った。
ビル(バロウズ)とジョーンは結婚し、メキシコへ流れていった。


とまあ、あまりといえばあまりなスッ飛ばしの説明ですね。正直、日本版を観ていなければ何のことかサッパリわからなかったと思いますが、このように訳のわからない説明しか入れないことで謎解きの要素が入って、映画を何度も観たいと思わせる効果があるのかもしれません。

そして次に、日本版にもあるジョーンとバロウズのウィリアム・テルごっこのシーンが入ります。ジョーンがマティーニ・グラスを頭にのせ、バロウズに、「撃ちなさいよ」(I dare you)と挑発しています。ここでは、何が何だか分かりませんが、とにかくこうして彼女は射殺された…と。

さてオープニング・クレジットが入りますが、このシーンは監督の家で撮影されたそうです。大抵のインディー映画は何シーンか自宅で撮影する必要があるそうです(またまた予算の関係なんでしょうね…涙)。コートニー・ラヴの名前の上に置いてあるブレスレットは編集さんのお母さまの物で、ノーマンの名前の横のマティーニは監督さんの自前、絵ハガキは編集さんの個人的なコレクションだそうです。

タイトル「BEAT」の横のナイフは、デイヴを殺す凶器となるボーイスカウト・ナイフで、デイヴ役カイル・セコーの名前の横のラッキー・ストライクはデイヴが吸っていたタバコ、という風に、このクレジットには色々と物語の伏線が張られています。他にもアレンがメキシコで写真を撮るカメラが映ったり、アレンの眼鏡がロン・リビングストンの名前の横に置いてあったり、あと、キーファー・サザーランドの名前の横には(凶器の?)銃があったりして中々芸が細かいです。

最後の、「directed by GARY WALKOW (監督:ゲイリー・ウォルコウ)」というクレジットですが、紙がしわくちゃになってますね。これは(撮影が)終わった時の監督の気持ちを反映していて、くしゃくしゃのすりきれた気分だったそうです(ご苦労さまです)。

オープニング・クレジットの後、米国版では1951年のメキシコに話が飛びますが、日本版では1944年のニューヨーク・エピソードが入ります。薬局でジョーン始め3人のお嬢さんたちが、「やりなさいよ」(I dare you)と言い合って、処方箋なしでは買えない薬物を買おうとしています。ジョーンの口が超どアップで映って、口元の毛穴まで見えるのにはビックリしますが、やっぱりジョーン役のコートニー・ラヴは綺麗ですね。いかにもヤクを使ってラリったりしそうな若いお嬢さんに、偏頭痛用のベンゼドリンを売る薬剤師のオッサンもバカなんですが、とにかくこのようにしてドラッグを手に入れては、ジョーンのアパートに仲間が集まり酒を飲んで騒いでいたのです。

そこにアレン・ギンズバーグがやって来て、一緒にベンゼドリン入りコーヒーを飲んでます(まずそー)。そして、猫のようにしなやかに、ルシアン(ノーマン)登場 !! ヒュッと指笛ふいて、ジョーンの髪にキスし、アレンと抱き合ってます(軽く頬チューされて、あわあわ状態のアレン…笑) お友達のジャック・ケロアックは、後に結婚するエディ(ジョーンのルームメイト)と濃厚なハグ&キス。パリに行くと言って歓送会までしてもらったルシアンとジャックですが、船に乗りそびれて戻ってきたようです。とにかく、ルシアンが来ただけで、場がぱっと華やいで、アレンもジョーンもうきうきと嬉しそう。(私も嬉しい)

ところで、ノーマンの登場に浮かれるのもつかの間、「ナンか変」と思った人も多数いるでしょう。髪が金髪で七三分けだから?とか、服装がレトロな せい?とか、色々考えますが、「処刑人」「ハードデイズ」などを見た後では明らかにノーマン 太ってます。どなたかが、本物のルシアン・カーが、ああいう体型だったから(体重増やしたってか〜 !?)、とおっしゃってましたが、いえいえ、本物のルシアンは、こんなん(↓)だったんですよ〜


Photo: Source

髪形は同じですが、えらくすっきり細面の、リバー・フェニックス系美青年ではありませんか。確かに、モテそうなお顔立ちですが、やや線が細すぎるような気もいたします。ノーマンの魅力にはさらに野性味が加わっていて、男を狂わせるような色気がある、と思いますが、私のひいき目でしょうか? とにかく、どうでもいいからノーマン太らんでくれ〜〜〜ッ!!(心のおたけび)

「明日こそ絶対旅立つ」と言いながら、旅立ちの酒をおごるよ、とルシアンが後に凶器となるボーイスカウト・ナイフで、赤ワインの封を開けます(あれ? ジョーンさんは、さっきベンゼドリン入りコーヒーを飲んでたのに、酒なんか飲んで大丈夫なんでしょうか?)。

さて、キッチンで酒を飲むルシアンとアレンのところに、デイヴィッド・カマラーとバロウズが登場。ルシアンが旅に立たずに戻っているのを見て、「奇跡だ」と喜ぶ あほデイヴ(失礼 →でもほんとアホなんだもん)の怪演が見事。 いやはや、ほんとにいい味出してますよ〜。ミョーに鼻息荒く じりじりとルシアンに にじり寄って、びしっとつれなく振り払われてるのも殺人的にオカシイ。その直後の、情けない顔ときたら爆笑もの!

いや、彼が実在の人物で、のちの悲劇的な運命を考えたら、こんなヘラヘラ笑っちゃいけないんでしょうが、とにかく私にとっては愛すべき あほデイヴ(^^;)。この時代にしては珍しくゲイであると公言していた筋金入りのホモのデイヴですが、死なずにもっとルシアンにアタックして欲しかった…ッ(苦)

ルシアンの、デイヴを少し怖れつつもそれを顔に出すまいとするビミョーな表情も大変リアルで、かえってオトコの嗜虐心をそそる感じです(オンナの嗜虐心もそそりますえ〜♪)。
さて、「話がある」と言うバロウズがルシアンを連れて席を外し、キッチンでは、アレンが「なぜそんな風にルシアンに執着するんだ?」とデイヴを諭します。しかし、デイヴは「僕だけじゃない。君だってそうだ。認めろよ、アレン」と逆襲。(実は)本音を突かれて、ぎょッ !? とばかりに否定するアレンですが、語調にあまり力が入ってませんよー(くすくす)。

そしてデイヴは、「ルシアンは花々を舞う蝶だ。彼が君やジャック、ジョーンと出会って、こうして皆が集うのも彼の素晴らしい魅力のおかげなんだ!」と、もう涙ぐましいまでに力説してます。『花々を舞う蝶』は原語では、Social butterfly で、直訳すると、『社交的蝶』ですが、なんか『夜行性蛾』の親戚みたいですね(笑)。花々を舞う蝶…名訳であります。しかも、蝶が集まってくる受身の花(いえ、深い意味は別に…)、ではなく、花から花へと気まぐれに舞う蝶々のほうが、ルシアンにぴったりです。アホな割に上手いこと言うね、デイヴ!(失礼)

さて、デイヴの言うとおり、ルシアンがこのビート世代宇宙の中心であります。米国版でアレンも語っていますが、ルシアンはミズーリ州のセントルイスにいたころから、バロウズやデイヴと友人で、また1943年、NYのコロンビア大学の学生寮で、アレンと出会っています。クリスマス休暇で閑散とした寮を歩いていたアレンは、ルシアンの部屋から聞こえるブラームスの曲に足を止め、彼の部屋に初めて入ります。その時、ルシアンの机の上に置かれた、フランスの詩人ランボーの詩集『地獄の一季節』を見て感銘を受けたとか(まー、アカデミックな出会いですねぇ)。

さらに1944年、同じくコロンビア大の学生であるジャック・ケロアックとも、ジョーンを通して知り合います。こうしてルシアンを通して、セントルイス出身の上流階級のバロウズ、ニュージャージー出身のユダヤ系知識階級のアレン、そしてローエル(マサチューセッツ州)出身の労働者階級のジャック・ケロアック、という素性も出身地も全く違う3人が出会い、後のビート世代のビッグ・スリーとなるのです。そして、この3人を互いに紹介したルシアンは、『ビート世代のミューズ』(Muse →芸術の女神)と呼ばれることになるのですが、これも言い得て妙。

デイヴとバロウズはルシアンより10歳年上らしいのですが、映画でデイヴが語っているように、デイヴはサマー・キャンプの指導員をしていて、ルシアンと出会いましたので、デイヴを通して、ルシアンはバロウズと知り合ったのかもしれません(←これは推測です。確認できなくて、ごめんなさい)。それはともかく、教え子に手を出していいのか、あほデイヴ!

「彼を最初に見つけたのは僕だ! 彼を最初に欲しいと思ったのはこの僕だ!」と、また力入れて言い張るデイヴ。何度も聞かされて、げんなりのアレンさんがお気の毒。「彼に利用されて平気なのか?」というアレンのセリフですが、英語だとズバリ「彼の使いっぱしりをやらされて、ほんとに何とも思わないのか?」と聞いてまして、10歳も年下の青年のパシリやってるなんて、情けないと思えよ、という感じです。

しかし、「彼のそばにいられるなら何でもする」と言いきるデイヴ。まあ、気持ちは分かりますが…。私だって、ノーマンのパシリでも奴隷でも夜伽でも(こらッ#)何でもいたしますよ〜 (*^_^*)

偏執的なデイヴの毒気に当てられて、ため息をつくアレンさん。もうルシアンのことが心配でたまらん感じ…(宿命的なまでに苦労性のお人好しヅラ… でも応援してますから頑張ってくださいね〜)

さて、バロウズとルシアンが、別室でデイヴのことを話してます。デイヴはセントルイスで英語教師だったようですが、NYのルシアンのそばにいるために、仕事を辞め、管理人の仕事をしているとか… 管理人(janitor)というのは、ビルやアパートの門番兼雑用係で、まあ低賃金な仕事の代名詞みたいなものです。男を追いかけるために教職を捨てて、janitor やってるなんて、はっきり言って正気じゃないですね(ま、それは見て明らかですが…/苦笑)

デイヴの気持ちを知りつつ、大学の文学論のレポートを代筆させて、「デイヴが喜ぶから、書かせてやってるだけ」と言い放つルシアン。まあ、このへんは、後にどんな結果を招くとも知らず、大の大人の男をいいように鼻であしらう自分のパワーに多少酔っているんでしょうね。

「(デイヴの気を害さないよう)丁寧に『ほっといてくれ』と言うか、旅に出るなら早くしろ。まずい事態になる前に」というバロウズの忠告は、実に的を得ていたわけですが、「みんな楽しんでるだろ?」とあまり真剣に受けとめていない様子のルシアン。薄ら笑いを見せたり、ちょっと困った顔をしたり、厳しいことを言われて、むぅーとするノーマンの表情がもうかわいくってたまらんです。ちなみにバロウズもカミング・アウトしてるゲイなのですが(あ、ジョーンと子供作ってるから限りなくゲイに近いバイなのか?)、ルシアンの色香に惑わされたりしなかったんでしょうか…(無事でいられるなんて信じられないことですが…)



(Aに続く…予定)



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