Kitty Genovese キティ・ジェノヴェーゼ事件


英語ネタではありませんが、冒頭の教会シーンで大司教が語っているキティ・ジェノヴェーゼ事件についてです。この映画のテーマにもかかわる重要なエピソードですが、割と聞き流してしまいがちなので、少し説明したいと思います。

社会心理学入門の本などには、『冷たい隣人』というタイトルで紹介されたりする実際に起きた事件です。



事件のあらまし:

1964年3月13日未明、03時20分ごろ、28歳の仕事帰りの女性 Catherine Genovese(キティ・ジェノヴェーゼ)が、ニューヨークの自宅アパートの駐車場で暴漢に襲われた。ナイフで刺された彼女が、「刺された!助けて!殺される!」 と大声で悲鳴を上げたにもかかわらず、誰一人助けに来ず、警察にも通報しなかった。彼女の叫び声にいったん逃げようとした暴漢も、誰も彼女を助けようとする気配が起きなかったため現場に戻り、アパート入り口で這って逃げようとしている彼女にとどめをさした。3時50分になってようやく最初の通報があり、すぐに警察が駆けつけたが、暴漢は既に車で逃走しており、キティは絶命していた。

事件後の捜査で、最初の叫び声に気づいて明かりをつけた人は38人もいたことが明らかになった。すなわち、警察が駆けつけるまで約30分間、38人のうちの誰も彼女を助けようとせず、警察にも通報しなかったのである。




あまりに痛ましい事件ですが、これほど多くの目撃者がいながら、なぜ誰も彼女を助けようとしなかったのか。心理学的には、『傍観者効果』という説明が付けられています。「人間は自分以外に援助する人がいない場合には、かなり高い確率で援助行動を行う。しかし、他に大勢の人が目撃している場合は、援助行動を控える、しかも他者の人数が多いほど援助行動は抑制される」*1 ということです。

つまり、「こんなに大勢見ていれば誰かが電話するだろう(あるいは助けに行くだろう)」と誰もが考え、誰も通報したり援助したりしなかったんですね。本当に知れば知るほどおっそろしい事件です…。まあ、深夜に女性の悲鳴を聞いたら助けに飛び出るよりは窓を閉じて隠れる、というケースが多いとは思いますが、最初の悲鳴で警察に通報してくれていればキティさんは生きていたかもしれないのに、と残念でなりません。

しかし、自分がこの事件の目撃者だったらどうしていただろう、と考えたらかなり怖いことに気づきました。たぶん、「もうすっかり寝入っているのに、警察が来たりして色々聞かれたら面倒だなぁ、明日朝早いのになぁ。誰か他の人が通報してくれないかなぁ」とかなり躊躇するのではないかと。人の命がかかっているのに、面倒くさいはないだろう、と事件の後では思いますが、当事者だったら、「殺人事件なんかめったに起こるわけないし。しかもウチの近所で」とか考えて、コトの重大さに気がつかないかもしれません (キティ事件はニューヨーク・クイーンズ地区のごく普通の中流階級の住宅地で起きました)。

大司教さまも言うてます。「真に恐れるべきものは、善良なる者たちの心に巣食う無関心」だと(はい神様、悔い改めます。お許しください)。さて、皆さんはどうされるでしょうか。

マクマナス兄弟なら、深夜だろうがなんだろうがコートひっつかんで(あるいはトランクスにバスローブ姿で♪)飛び出して来てくれるんでしょうな♪ (がはは ←オヤヂ)

ひとつ気になる点が…。映画の中で大司教さんは、「白昼堂々、キティが刺されて死んでいく姿をただ眺めていたのです」といっていますが、キティ・ジェノヴェーゼ事件は深夜3時過ぎに起きたのに、どうして白昼堂々なんでしょうか…(?)。ダフィー監督の勘違いかもしれませんが、私も遥かかなたの大昔(^^;)、大学のテキストで「女性は白昼堂々、衆目の中、刺されて死んだ」と読んだような気がするんですよね。あまりに古い話なので、本がどこにあるか見つけられないし(家中捜した ←あほ)、テキストの名前も思い出せないんです…。詳しくご存知の方、よかったら情報お寄せくださいませ。







*1) ラタネとダーリーの研究 (Latane & Darley 1968, 1970)
  参考資料:
Bystander Intervention by Jenn Dixon (2001)
         Bystander effect: Darley & Latane by Jeff Sherman




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