トップへ
観光清水へ
清水の祭り


仏 閣



巨鼇山清見興国禅寺。東海道屈指の名刹で、1300年程前の白鳳年間(世紀後半)天武天皇朝の頃古代東海道が東国への道として整備された時代に東北の蝦夷に備えてこの地に関所が設けられ、清見関きよみがせきと呼ばれていました。そして、其の傍らに関所の鎮護として仏堂が建立されこの仏堂を清見寺の始めとています。平安時代には天台宗の寺院でした。
弘長元年(1261)に関聖明元が再興し、足利尊氏、豊臣秀吉、など歴史上名高い人々とゆかりが深く特に徳川家康が幼少の頃、今川の人質として預けられた時代によく訪れました。現在の建物はほとんど江戸時代に再建されたものですが、境内には家康の愛した国の名勝に指定された池泉庭園やお手植えの臥龍梅があります。他にも五百羅漢、梵鐘、琉球王国王子の墓など多くの遺跡、遺構があります。
平成6年に境内全域が朝鮮通信使関係史跡として国の史跡に指定されました。梵鐘は正和3年(1314)に鋳造されたもので謡曲「三井寺」に出てきます。また豊臣秀吉が天正18年(1590)に韮山城を攻めたときに陣鐘に用いられた鐘楼は文久3年(1862)に建立。仏殿は天保13年(1844)建立、五百羅漢は天明8年(1788)に彫造されました。



補陀落山鉄舟寺〈久能寺・村松妙音寺〉。飛鳥時代、推古天皇の時代に久能忠仁が久能山に創設したといわれています。武田信玄の駿河侵攻にあって久能の要害に久能城を築いた際、天正3年(1575)この地に移転させられました。江戸期になり衰退し、明治初年の廃仏毀釈で無住となり荒廃したのを、明治16年に山岡鉄舟と有志の手により再興し、名前も臨済宗鉄舟寺と改めました。本尊は愛染明王ですが、与謝野晶子の歌にもある如意観音像が有名です。他にも国宝の久能寺経、重要文化財の銭杖、舞楽面陵王、久能寺縁起、宮本武蔵の描いた絵、横笛・薄墨など多彩な寺宝があります。
薄墨の笛」悲劇の武将源義経が牛若丸時代から愛用したといわれる横笛。駿河国新風土記の久能寺の条に「源義経所持薄墨の笛、此笛蝉なし中村式部少輔再興、笛の頭に金にて村の字を置り」とあります。



幽香山梅陰寺。明応元年(足利時代)東谷和尚授業の天倫道明和尚開山創建です。始め、梅蔭庵と号し永禄年間武田家の御朱印地となりましたが、後に梅蔭寺と改めました。慶弔年間祝融の難に逢い諸堂及び宝物を焼失しました。その後、復興しましたが安政の大地震の為全堂尽く倒潰、明治36年万休和尚(十四代)の時に本堂を再建しました。
臨済宗妙心寺派に属し、境内には明治26年74才で大往生をとげた清水次郎長をはじめ、側近の大政・小政・増川仙右エ門、そして生涯愛しつづけたお蝶夫人も一緒にここ梅蔭寺に眠っています。境内には次郎長愛用の品々を展示する記念館があります。



観富山竜華寺。創建は寛文10年(1679)で本堂と庭は紀州藩の徳川頼宣と水戸藩の徳川頼房の寄進を受けました。皇室との関わりも深く、寺号、山号は東山天皇の皇子輪王子親王の命名といわれ、皇室の祈願寺となっていました。庭園(市指定文化財)は、須弥山式という最古の造園方式で造られており、手入れの行き届いた庭園と萱ぶきの本堂は「観富園」と呼ばれています。また境内には、天然記念物に指定されている日本最大最古の大蘇鉄(根回り6メートル、枝58本、樹齢1100年)があります。観富山の名前が示すように富士山を望む場所としては、三保の松原・日本平山頂と共に最高のロケーションです。
駿河國志云には「紀州養珠院殿の取立也。垣こしに向ふを見れば、富士は盆山の如く入海は泉水に似て、三保の松原は屏風を建並べたる如く、伊豆の山々を等、目前に見へて眺望無双の園影也。云々。」とあります。




鷲峰山霊山寺。行基により平安時代の794年に開山されたと伝えられている寺で、慶長5年(1600)に元識法印が再興しました。寺のある山は帆掛山と呼ばれ、三十三曲がりの急な細い山道は観音三十三身の化現を意味し、途中6基の町石(里程標柱)は六波羅蜜を意味するそうです。そのまま進むと、国の重要文化財の仁王門が聳えるように眼前に現れます。室町後期の永正13年(1516)に建立された間口三間半、奥行二間、単層門の寄棟造萱葺きです。
本堂には行基自作という千手観音が納められており、
現在は無住の古刹で平安時代に行基が作って安置した駿河七観音のひとつにまつわる古い寺です。



秋葉山秋葉寺、本坊・峰本院。遠州犬居城主天野景貫の子景直は武田信玄の家臣として駿河進出に戦功をたて、岡清水の領主に任ぜられました。その時に天野家の守護神である秋葉三尺坊大権現を、元亀4年(1573)、ここ清水区の真土山(秋葉山)にお祭りしました尊像の秋葉三尺坊大権現は、生前に不動明王の法を修業して空を飛ぶ神通力や鎮火の法を会得した人と伝えられています。秋葉山が火伏せの神として信仰されているのはそのためで、12月の祭典で催される「火渡りの神事」が有名です。
県内各地に秋葉山がありますが、実は、天野景直遠州より清水に移したこの御尊像が唯一本物の「秋葉三尺坊大権現」なのです。




 

龍水山海長寺。開基は慈覚大師・円仁(第3世天台座主)と伝えられ、平安前期の仁寿2年(852)有度山谷津原に村松山峨岳寺として創設された古刹です。寛弘8年(1011)山崩れで寺が崩壊したため現在地に移りました。文永9年(1272)、寺主慈証は日位上人との法論に破れ、日位上人を開基として日蓮宗に改宗、寺号も龍水山海上寺(のちに海長寺)と改めました。
天正10年(1582)、12世日応上人の代に、徳川家康が甲斐の武田氏を攻略した折、逆に武田の今福丹後守に追撃され、当山に逃げ込み椿樹の陰に隠れて助かり、家康の危機を救ったことで天正17(1589)年には境内禁制の札、慶長7年(1602)徳川家康から椿の御朱印を下付され、三つ葉葵の定紋使用を許されるなど徳川家の保護のもとで寺運が栄えました。


清水の祭りへ