Das Pferderennen
競馬愚痴



31.Juli.2007 Diesntag 投票に行くよりも大事なことって何だ。

 58.64%。参院選の投票率である。
 「亥年選挙にしては高い数字だ」という言説が巷間にあふれている。意味不明である。
 問題は極めて明白だ。即ち、残りの41.36%はいったい何をしていたのか?ということである。
 増税になったという。年金に怒っているという。労働条件が悪いという。治安が悪化しているという。生活が苦しいという。政治家が悪いという。役人が悪いという。
 大いに共感します。おっしゃることはいちいちごもっとも。ただ、一つ伺ってもよろしいでしょうか。もちろん参院選では投票なさったことでしょうね?そうでなければ文句をいう資格はないのですから。
 病は根深い。何か問題が起こるたびに、マスメディアは「国民」の声を流す。「国民」は口々にいう。「国民を無視した政治に怒りを感じます」と。「国民」とは何か?すべきこともせずにパチンコ台の前やゲームセンターやカラオケボックスでだらだらと時間をつぶし、少しでも気に入らないことがあるとぶうぶう文句を垂れるのが「国民」なのか?
 政権支持か不支持か。年金を与党に任せるか、任せないか。閣僚の失言に目をつぶるか、鉄槌を下すか。派遣社員が支える経済成長か、富の再分 配強化か。改憲か、護憲か。選ぶべき問題はたくさんあった。それなのに、41.36%の人間は選択を放棄した。彼らはおそらく、選択の必要がないほど満ち足りているか、世俗を超越した隠者なのかのどちらかだろう。もしそのどちらでもなければ、つまり、現状の生活に苦しみ、政治に怒りを感じているにもかかわらず、投票する権利を放棄したというのであれば、果たしてその人物は何がしたいのか?私には理解しがたい。責任を果たさずに文句だけはぶうぶういう。まるで豚ではないか。もちろん豚はぶうぶういうけれども、決して文句をいっているわけではないし、己の責任を果たしていないわけでもないが。
 民主主義社会において、投票に優先する事項はそれほど多くはない。一票を投じるためならトイレすら我慢すべきだ。パンツは買える。だが未来は買えない。投票とは社会の未来をつくる行為である。そこに参加する者こそ国民である。門柱に日章旗を飾るとか、胸に手を当てて国歌を歌うことが人を国民たらしめるのではない。なぜなら、一票を投じる権利を勝ち取るために重ねられてきた苦難の歴史があるからだ。それを失うのは簡単である。全権委任法はいつでも、どこの国に も姿を現す。その後に独裁がついてくるのだ。

07.Juli.2007 Sonnabend 7月7日。それは七夕を意味する。

 7月7日。国会は死に――だって他に適切な表現があるだろうか?ディケンズなら鋲釘のように死んでいると表現するだろう――低賃金に支えられた円安が対ユーロ168円に達し、HONDAやTOYOTAの懐を潤し続けている今、偉大にしてかつ忠君報告の魂を生まれ持っている日本国民は、七夕の今夜が晴れるかどうかを気にして生きている。週実働72時間、自給換算600円以下の生活に憤ることもなく、政府が供給する美しい国の幻想と、マスメディアならびにNINTENDOなどの娯楽産業が供給する幻像――我が祖国では言論の自由が守られ、精神の自由のもとで国民はゼルダの伝説に一日5時間を費やすことが許されている!――に、昼下がりの猫のように満足しきって。
 親愛なるわれらが首相、安倍普三氏は、その言行の中で中国や韓国の歴史認識を非難し続けている。だが彼は自らの歴史認識を省みるつもりはないようだ。もとよりそんな必要はあるまい。日本国において、個人の自由は尊重されている。たった1.4kgのバットすら振れない大学生が、東北GEのフェルナンデスのスウィングを非難するのも自由。スリーフィートライン内における打者走者と一塁手の 権利の優先順位を知らない校長が、彼よりはよほど物を知っている中学三年生を罵倒するのも自由。もちろん、文章の書き方さえ記者に教えられない新聞社が、中学生の恋文すらまだしもの、聞きかじりの走り書きを朝刊のトップに掲載するのも自由。久間氏に乾杯!あなたは誤ったが、それはタイミングを誤っただけであって、事の本質を見誤ったわけではなかった。せめてあなたが8月9日にあの発言をしていれば!!選挙は既に終わっており、国民はすぐに忘れたでしょうに!!!働くべき時間はあまりに長すぎ、やるべきゲームはあまりに多すぎる国民ならば!!!!!
 いつまでこの「ねじれ」に目をつむるつもりなのか?7月7日は雨ならば悲しみ、晴れならばビールを傾けて終わるだけの日なのか?我々が他にすべきことはないのか?我々の身内に、この7月7日から始まった出来事において命を失った人物はいないのか?この日は悼むべき日ではないのか?そんな必要はないのか?中国が現在もなお専制国家であるという理由だけで?中国では言論の自由が許されておらず、それゆえにかの国における議論に、人々の声に耳を傾ける必要はないというのか?では、反問を許してもらえるだろ うか?いったい、われわれの国で言論の自由が許されていると、読売新聞や朝日新聞、NHKが我々の声を代弁してくれていると、我々は本当に信じてもよいのだろうか?まさか、親愛なる安倍氏がその役を果たしてくれると、そんなグロテスクな論理を持ち出す人まではいるまいが。
 我々は――つまり、いままで当然の権利を放棄し、国家の運営という第一義務を放棄し続けてきた怠惰な市民たる我々は――今まさに、連帯すべきときに至っている。誤解のないように。ここでいう連帯とは何も、赤色の旗を振るとか、同じ思想について唾を飛ばして賛同するとか、そんなことを意味しはしない。やるべきことは一つ。想像することだ。ヒロシマとナガサキの数十万人の死を悼むなら、同じように同胞の死を悼んでいる他の国民の、民族の心情を、想像することだ。そこに連帯が生まれる。それは狭い国家の枠を超える。我々は自由な翼を持つ。地を這うカタツムリではなく、空を飛ぶツバメとなる。その事実は、我々をカタツムリのままにしておきたい人々に、破滅への鉄槌を下す。
 妄言と笑うだろうか?それでもまだ安倍氏は正しいと言うだろうか?久間氏をかばった安倍氏は正しく、久間 発言をいつまでも問題にし続ける方こそ危険分子なのだと?
 ここでは一つだけ、嘲笑に対する反証を用意するにとどめよう。ナチの空軍元帥ヘルマン・ゲーリングが語っている。「…国民にむかっては、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心がないと非難すればよいのだ。そうすれば、国家を更なる危険にかりたてられる。このやりかたはどんな国でも有効である。」
 誰でも国を愛する。愛し方は様々だ。だがそもそも国とは何か?日本の山河を愛し、ダム建設に反対する人々は愛国者ではないのか?日本の子どもの教育に、血と汗と時間と健康を注ぎ続けながら、国旗と国家に対して敬礼できない教員は、愛国者ではないのか?彼らが首を切られるというのに、ヒロシマとナガサキを「しょうがない」の一言で切って捨てた国会議員は、職を失わなくてもいいのか?国会議員を辞職しなくてもいいのか?彼だけは、時が解決するのを待てるのか?国民が忘れ去るのを?教師たちにはそれすら許されないというのに?
 自民党員であれば愛国者である。最大与党への大口献金者であれば愛国者である。与党への組織票をまとめられる組織は愛国者で ある。それ以外は?当局は一切関知しない。
 いつまで我慢するのか?いつまで知らないふりをするのか?病状が最大限に悪化してから医者に行き、驚かれる患者のように?医者が聞く。「なぜこうなるまで放置したのです?」。あなたは憤然として答える。「忙しくて、忙しすぎて、医者に来る暇がなかったのです」。だが本当にそうか?それですむか?家でゲームのコントローラを握りながら、あるいは高速道路でカーステレオを聞きながら、自分が投票した覚えのない、一度も関わった覚えのない選挙に関する速報を目にしつつ、耳にしつつ、明日から再開する、憂鬱な低賃金・長時間労働・基本的人権の蹂躙が当然となっている社会を嘆くのか?昼下がりの猫のように?
 我々の答えがイエスならそう答えようではないか。ノーならそう答えようではないか。投票率が50%を超えれば与党に不利――そんな馬鹿げた文句をいつまでもマスメディアに並べ立てさせるいわれはない。見せつけよう。投票率が100%の時、どんな事態が起きるのか。国民の怒りを買うということが、どんな未来を意味するのか。
 ゲームを捨てよう。恋を捨てよう。趣味を捨てよう。団欒を捨てよう。仕事を捨 てよう(そんな必要はないが。投票は権利であると同時に義務でもある。これを認めない雇用主は憲法違反で訴追されねばならない)。たったの30分間だ。投票に行き、再び現実に復帰する。あとは、その現実が崩壊するのを待つだけ、という寸法。どうだろう、ビリーのブートキャンプより、はるかにお手軽な自己変革ではあるまいか?
 7月7日は盧溝橋事件が起き、日中戦争が始まった日である。

27.Mai.2007 Sonntag ヒサトモとクリフジ。それから彼女について。

 ブーツ・オン・ザ・グラウンド。
 1937年4月29日ヒサトモ、2分33秒3。1943年6月6日クリフジ、2分31秒4。6年で2秒。この2秒の間に何人の人間が死んだのか?1937年7月7日の盧溝橋から1943年10月21日の神宮外苑にいたるまでの2秒間に、死んだ人間の数は何人だ?
 クリフジに騎乗し、史上最速の20歳3ヶ月でダービージョッキーになった前田長吉は、1946年2月25日にシベリアで死んだ。戦争は1945年8月15日に終わったのか?その日の後に、かくも多くの遺体の山が築かれ続けたというのに?
 ヒサトモとクリフジは戦中と戦後を生き抜いた。少なくとも風聞ではそのように伝わる。だが忘れてはならない。多くの馬が生き抜けなかったことを。多くの馬が、そして多くの馬に携わる者たちが、生き抜けなかったことを。
 前田長吉の遺骨は、2006年7月7日に生家の墓に戻った。
 どんな記録も、いつか忘れ去られる。クリフジのダービー制覇は牝馬としては二度目だった。前田長吉の20歳3ヶ月でのダービー制覇も、塗り替える者が現れる。いつかは。20歳が19歳にさえなるかもしれない。 そう思うと虚しくはないか、人間の業とは?
 しかし記憶がある。紙上の記録が塗り替えられようと、紙それ自体が塵と消えようと、記憶はいつまでも残る。そう信じよう。信じるに足る理由がある。遺族の記憶があればこそ、前田騎手の遺骨は故郷に戻った。
 人が戦地に散った親族の面影を抱き続けるように、ヒサトモの栄光を、クリフジの偉業を、同時代人は記憶し続ける。同時代人がすべて鬼籍に入れば、彼らが語った記憶が伝説として生き残る。あの戦争の記憶とともに。
 忘れてはならない。多くの人間が死んだことを。そして彼らに死ねと命令したものが存在したことを。
 ブーツ・オン・ザ・グラウンド。今また踏みしめるのか、7月7日という点と点を結ぶ戦場を?それは、戦後レジームという言葉でひとくくりにできるような記憶なのか?「わたし」はいったい何から脱却すべきなのか?
 2007年5月27日ウォッカ、2分24秒5。ヒサトモから70年で9秒、クリフジから64年で7秒。ウォッカが東京優駿を制した。

23.Januar.2007 Dienstag あるある

 ディズレーリが語っている。「嘘には三つの種類がある。ただの嘘、真っ赤な嘘、そして統計だ」と。

24.December.2006 Sonntag Fröhliche Weihnachten!

 彼は去った。喧騒が後に残った。素焼きの壺の暗闇に、一人ぼっちで閉じ込められた希望のように。
 自衛隊の黒いブーツが、イラクの赤い砂を踏んだその年に、この喧騒は始まったのだ。
 2004年。ロシアでは人民がプーチンを再選し、チェチェンではカディロフ大統領が殺された。懐かしきパパ・ドクのハイチではアリスティドが遁走し、スペインでは顔のない誰かが列車を吹き飛ばした。麻原彰晃に死刑判決が下り、小泉純一郎と盧武鉉は無意味な会談を重ねた。イラクで日本人は人質と死者を出したが、いずれも非戦闘員だった。政府は胸を張った。世論ですらそうだった。自衛隊は戦闘に巻き込まれず、深爪ほどの負傷者さえ出しておりません!ひゃっほう!民間人の犠牲については自己責任ですから当方は関知しませんよ、もちろん。
 おっさんがぼやいている。爺さんが払い戻しに走っていく。まだ確定していないのに。でも微笑まずにはいられない。そうじゃないか?
 肩を寄せあった男女が、一枚の馬券を暗い空にかざしている。たぶんあれは単勝の馬券なんだろう。背後で誰かが叫んでいる。よくやった、と。ありがとうという 声も聞こえる。福島競馬場で叫ぶ人はそう多くない。でも今日は、普段叫ばないような人も何か言っている。いいじゃないか?みんなそうする権利がある。
 僕は新聞を開く。10Rという文字がそこにある。ああ、と声が漏れる。彼は去ったのだ。2006年を道連れにして。冬枯れの中山の芝のどこを探しても、彼に出会うことはないのだ。
 喧騒だけが後に残った。僕は赤ペンの蓋を引き抜く。マークカードを取り出す。そして考えている。常に人々のささやきだけが残る。それはまるで希望のように。

26.November.2006 Sonntag ジャパンカップ

 福島で4レースだけやり、冬タイヤ交換の予約をしていたので、14時に仙台へ帰ってきました。車屋で交換してもらっている間、ジャパンカップの馬券の内容を友人にメール。3番ウィジャボードと6番ディープインパクトを軸に、10番コスモバルク、11番メイショウサムソンへ流した馬券が手元にありました。買ったんだから当然です。ところが、おかしい。買ったはずの馬券が一枚足りません。7番ドリームパスポートへ流した3-6-7という馬券がなくて、あるのは3-7-11という、不動の一番人気ディープインパクトを吹っ飛ばした馬券一枚。
 理由はすぐにわかりました。出発直前の東京4R新馬戦、買ったのは4番エーシンピーシーと8番セイウンヒーローを軸に、9番リノヴァティオ、10番グレイトフルタイムへ流す三連複。しかし11番コンジキノシシオウがパドックで良く見え、あわてて新聞をひっくり返すと騎手が後藤。二頭いる兄弟もそれぞれ二勝をあげており、馬券に組み入れることに。しかしあわてすぎて、4-8-11の馬券を買うべきところが、どうしたことか4-10-11の馬券を買ってしまったのです。結果は4番と11番が逃げ粘るところへ8番がフラフラし ながら差してくるという、みえみえのオチ。おまけに買い間違えに気づかず、福島のターフビジョンの正面に座り、直線400メートル手前から「そのままそのまま」と絶叫したというオマケつきでした(離れた三着に8番セイウンヒーローが差してきたときには「差せ差せ差せ」)。
 ジャパンカップの馬券を買うときにもこのショックが尾を引き、「11を買い間違えなかったら!」という頭があったものだから、「3−6−7」がいつのまにか「3−7−11」へ。
 結果はどうなったか、ですか?
 競馬復帰緒戦から、もう競馬をやめたほうがいいんじゃないかと思い始めております。

24.November.2006 Freitag 今後の課題

 勝者は「時間をつくろう」と言うが、敗者は「時間がない」と言って、必要なことにも手が回らない。
 競馬に行かない、本を読まない、小説を書かない、、HPを更新しない、走らない。生活の個人的な部分がまったくだめになっているような気がします。時間が取れないからと言いたくなるけど、遊びたければ努力してその時間をつくらなきゃいけません。勤務時間内にきっちり仕事を終わらせるとか。当分の間そんな芸当はできそうにありませんが。
 競馬は今週のJCから復帰。ディープインパクトとハーツクライの二頭軸に、ウィジャボード、メイショウサムソンを絡める三連複で。少頭数の府中2400m、波乱はありません。

17.September.2006 Sonntag セントライト記念

 父Sadler's Wells、母父Halo、母はDevil's Bagを送ったAngelic Songという血統を持つミレニアムウイングが東の代表として菊花賞トライアルに臨みます。三連複の軸はこの17番と、条件戦で勝ち負けを繰り返している12番トロフィーディール。皐月賞とダービーで成長力に疑問ありと見たフサイチジャンクは切ります。相手には、キストゥヘヴン・フサイチジャンクを除いた15頭を。

14.September.2006 Donnerstag 近況

 昨年度倍率200倍超を記録した、悪名高い某試験を受けて参りました。今年はこれで三県目。北は厚岸から、南は幕張まで。その交通費だけで八月の給料が3分の2、年休も24時間ほど吹き飛びました。んが、おそらく昨年と同じで、最後の最後で全部落ちるというナイスネイチャパターンだと思います。ああ、あの交通費があれば、血反吐を吐く思いで買った平成9年式のマーチが、せめてゴーン後のマーチにはなったはずなのに。
 ええ、生きております。どうにかこうにか生かされてます。新人大会後の懇親会までの命ではございますが。これから先一ヶ月間は肉の生前葬月間となります。どうぞ精進落としをご一緒に。

27.Juli.2006 Donnerstag 『1001のバイオリンが響く』

 騎手が馬に頭突きして、イギリスで問題になっています。動物虐待に敏感でレース中の鞭の使用制限まであるお国柄ですから、騒がれるのもうなずけます。ヘルメットのつばで馬面をつつかれた馬は痛かったでしょうねえ。
 新しい短編をアップしました。こちらからどうぞ。

26.Juli.2006 Mittwoch 29日はハーツクライがキングジョージに挑戦

 陽気なスロヴァキア人や淫らなイングランド人に応対するのに疲れたので、掲示板を変えようと思います。もともと閑古板ですから存在意義が疑問なのですが。

25.Juli.2006 Dienstag 私はブレイブストーリーで泣く人間を信用しない

 わけあって、片手に靴が入った大きな袋、もう一方の手に蝙蝠傘とブリーフケース、全身は汗まみれのスーツという、どう見ても大恐慌期の記録映画に出てくる親父そのものの姿で、ニ時間とぼとぼ歩き回る羽目に。足りないものは『仕事モトム』のサンドイッチ看板だけだったな。

23.Juli.2006 Sonntag 拉致なのか、捕虜なのか

 イスラエルがヒズボラ排除を名目としてレバノンを侵略しています。事件の発端はヒズボラによるイスラエル兵士の拉致と報道されています。しかしこの用語は奇妙です。戦闘の結果敵に連れ去られた兵士は捕虜であるはずです。拉致と報道することは、ヒズボラをテロ組織として読者や視聴者に宣伝する程度の効果はあるかもしれませんが、連れ去られたイスラエル兵士の地位を歪めています。
 イスラエルのレバノン攻撃は、捕虜の解放と報復という枠を越えて、侵略に移行しつつあります。イスラエル側とレバノン側を比較して、1:20の割合で死傷者が生じている現状も、看過できません。しかも、ヒズボラとはまったく関係のないレバノン市民に死傷者が出ているのです。越境してイスラエルを攻撃し、兵士を連れ去ったヒズボラはテロ組織かもしれません。しかしそれなら、地上軍を派遣して守るもののないレバノン市民を虐殺しているイスラエルは何なのでしょう。
 数日前に笑顔でオルメルトと握手した小泉氏は沈黙を守っています。「うぃーますとふぁいとてろりずむだよ」と言った小泉氏がです。テロとは何でしょう。ライスが認めれば、市民が何人死のうとテロにはならないのでしょうか。
 支配者の意向でどうとでも使われるテロという言葉の不気味さを、改めて感じています。

12.Juli.2006 Mittwoch 制裁決議が目的なのか、制裁決議は手段にすぎないのか

 NHK、民放、新聞、週刊誌、その他メディアと名のつくものは連日、安保理で北朝鮮制裁決議が成るか否かの攻防を報じています。いわく、制裁決議賛成は日米英仏だ、いやどうも仏は怪しくなってきた、英も中国寄りの議長声明での決着を図っているらしい、などなど。制裁決議に及び腰の英仏に愛想を尽かしたのか、最近では、頼れるのはやっぱりアメリカしかないよ、という論調まで登場しています。朝日新聞までが12日朝刊社説で、日本の北朝鮮外交の切り札は最終的には米国の軍事力であると断定しました。安保理での票取りゲームに熱中するあまり、事の本質を見誤っているとしか言いようがありません。
 制裁決議が目的にすりかわってしまっています。いつから日本のメディアは小泉 .com あるいは安倍晋三 .net になってしまったのでしょうか。あくまでも、制裁決議は手段であるはずです。国連で北朝鮮経済制裁の国際的合意をつくり、これまで抜け道になってきた北朝鮮の友好国からの資金・物資の流れをも遮断する。そうすることでミサイル発射や核のカードを使った脅しが無意味であり、北朝鮮の孤立を深めるだけだという警告を金正日政権に理解させる。
 手段としての経済制裁の先にあるのは、金正日を強制的に核放棄・ミサイル実験中止の交渉の席につかせることであり、究極的には北朝鮮の独裁体制を解体して民主制に移行させることであるはずです。そのためにはどうするのが最善なのか?制裁決議が困難ならば、議長声明でどの程度目的に近づくことができるのか?できないのならばどうやって中露を制裁決議賛成へ、あるいは棄権へ動かすことができるのか?という問いこそ、今論じなければなりません。日本の友達探しなどしている場合ではないのです。
 それなのに、どのテレビ局のニュースを見ても出てくるのは、局同士で使いまわしているかのような「議長声明・中露、中間派・英仏、制裁決議・日米」というフリップボード。何だか、去年の全メディアあげての「郵政!郵政!郵政!」の大合唱を思い出す不気味な光景です。

11.Juli.2006 Dienstag 武豊成績

 2Rアグネススピリッツ15着。6Rボーナスフィーバー4着。12Rタイキシルバー2着。
 ちなみに、無視した9Rスマイルフォライフ2着、10Rエイシンラージヒル1着、11Rメイショウカイドウ1着。
 新宿で馬券を買ったのがいけなかった。福島で買っていれば!

10.Juli.2006 Montag 論じるべきは軍事ではなく外交

 北朝鮮のミサイル発射の後、軍事評論家や政治家が繰り返しメディアに登場して指摘しています。北朝鮮は長射程のミサイルを持っているのに、日本にはそれを迎撃する能力がないと。
 自民党の武部幹事長が「黙ってミサイルを撃ち込まれるのになすすべがないのは許されない。整備すべき法整備があれば積極的に取り組む必要がある」と語りました。自衛隊に敵地攻撃能力を与えるべきだという考えです。
 冷静にならなければなりません。大気圏内を飛行するスカッドミサイルやトマホークと違い、宇宙空間を飛行し、着弾時には小型かつ高速になる弾道弾の迎撃は困難です。この難しさのために、MD構想は進捗していません。日本は弾道ミサイルを撃墜する能力を持っていませんが、それは世界中どこの国も同じなのです。だからこそ、どうやって発射を阻止するかが重要なのであり、軍事力より外交力を論じなければなりません。
 武部幹事長の発言は飛躍しています。北朝鮮がミサイルを日本に向けて発射した場合、国際紛争を解決する手段として自衛隊を使おうというのです。あるいは、国際紛争を解決する手段として使うのはまずいので、単なる報復として。
 北朝鮮には抗議と警告を与えなければなりません。しかしそれは北朝鮮がミサイルを使ってやっているような武力による威嚇ではなく、あくまでも外交の場としての安保理を通じた制裁であるべきです。そのために日本は、軍事力の強化ではなく、一日も早い安保理決議の採択に取り組まなければなりません。

06.Juli.2006 Donnerstag 武豊福島へ

 一晩中窓を開け、布団をはだけたまま寝ていたら、雨で冷えた夜気を全身に浴びてしまいました。朝起きたら体が重い重い。咳ばっかり出ますし。
 今度の日曜は福島に武豊が乗りにきます。メインは七夕賞のメイショウカイドウですが、59kgは背負いすぎ。それよりも狙い目は2Rアグネススピリッツ、6Rボーナスフィーバー、12Rタイキシルバーです。

05.Juli.2006 Mittwoch 踏み出してはいけない道

 北朝鮮がミサイルを7発発射しました。これは日本海を囲む国々に対する武力による威嚇であり、日本が国連安保理での決議に訴えているのは冷静な対応です。日本は国連と協調して事態を解決する道を選びました。
 中国とロシアがこの決議を拒否するなら、北朝鮮の暴走を抑止するための対案を提示すべきです。中国とロシアのこれまでの対北朝鮮外交は、今回のミサイル発射を止めることができませんでした。したがって、これから中・露がどういう政策を選択し、対北朝鮮外交を建てなおしていくのかが示されなければ、ミサイルの射程圏に暮らす人間として、中・露に解決を委ねる気にはなれません。
 もし安保理が今回の事件をめぐって決裂するようなら、日本の対北朝鮮外交は不可逆的な強硬化の道をたどるのでは、と憂えます。
 (7月10日、一部を訂正しました)



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