些細な切っ掛け
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斎原が実体化してコーヒーを飲んでいるのを見たのは、後にも先にもあれ一回きりである。
しかし確かに彼は此処に居て、コーヒーを飲んでいるのは事実。
(不思議なもんだよな、本当)
自分を取り巻く現状全てに対してそう思いながら、類家はハムを齧りつつ先日買って来た雑誌を広げる。
丁度グルメ特集をしていたらしく、巻中カラーページに色鮮やかな料理達が連ねられていた。
見目も良いがきっと味も良いだろう料理の写真に、類家は頬を緩めながら想いを馳せる。
「『行列のできるイタリアン』かあ」
羨望を混ぜて独り言を呟いていると、突然類家の後頭部に、棚の上に置いてあったナポレオン像が落下して来た。
「!! なっ…なにすんだ、あんた!?」
地震も起こっていないのに物が落ちて来た事に、類家は即座に原因に思い至って隣の席を振り仰ぐ。
だが目を剥く類家の叫びなど何処吹く風に、斎原は無反応のままコーヒーを啜る。
ズズッと音を立てるカップにぶつくさ言葉を洩らしながら、類家は頭を擦りつつ自分もコーヒーを啜った。
斎原が類家に姿を見せながらコーヒーを飲んだあの日。
その日を境に、類家は斎原に対して無理な意識をする事を止めた。
自分が彼を殺した事実は消えないが、それでも下手な配慮など意味が無い事だと分かったからだ。
限られた人間にしか姿が見えなくとも、液体しか口にする事が出来なくとも、彼は確かに存在する。
自分の淹れたコーヒーを飲み、それを旨いと思っている存在が確かに其処にあると言うのに。
彼が元は生きた人間であったと知っていたのに、結局は心の何処かで今は死んでいるのだからと考えていたのかもしれない。
きっと彼は自分が意識しようがしまいが変わらない。
その存在をキチンと認識する前と同じように、勝手に人のコーヒーを飲んで、事件に足を踏み入れさせるのだろう。
ならば表面を取り繕うような付き合いなどしなくて良い、見せ掛けだけの優しさなどいらない。
自分達はもう遠慮など意味の成さないほど、切り離す事の出来ない『相棒』なのだから。
【END】
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マエ / アトガキ
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ショコ / イリグチ