その記事の原資料はいちおうアメリカのものですが、麻雀牌販売のPRパンフレットに過ぎません。しかしキップリングが二度来日している時期と鹿鳴館時代が重なるのは間違いないので、「PRパンフレットのオーバーな宣伝文句」として片付けてしまわれるものでもないようです。
とはいえさすがにパンフレットの惹句だけで、「麻雀はすでに鹿鳴館時代に伝来していた」と結論づけるわけには行きません。
というのは鹿鳴館は明治23年には閉鎖されています。つまりキップリングが明治26年に来日したとき、すでに鹿鳴館は存在していなかったわけです。その意味では、「鹿鳴館で麻雀を教わった」という事はあり得ないわけです。
しかし鹿鳴館が閉鎖された後も、建物は華族会館として利用されていました。そこでキップリングが、この華族会館=元鹿鳴館で麻雀をしたという可能性ゼロというわけではありません。
そこでいま明治25年頃に麻雀が日本で(華族会館=鹿鳴館で)行われていた事実があるかいなか、日本側の資料が調査されている段階です。
いずれにせよ明確な資料が出るまでは何とも言えませんが、もし華族会館(鹿鳴館)で麻雀が行われていたことがハッキリすれば、キップリングが来日中、華族会館(鹿鳴館)で麻雀をしたというPRパンフレットの記述も事実と云う事になります。
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